ああ……詐欺の方であらせられましたか。
教室の窓から見える、どんよりとした曇り模様。それはまるで、今の私の心の中を表しているようで……。
「はー……」
思わず深いため息をついてしまう。
あんな衝撃的な勧誘があった翌日、私の気持ちも知らず、世界は今日も恙無く過ぎて行ってる。
ただそんな薄情な世界にも、慈悲の心というのはあるみたいで。
「おーす。大丈夫か? 受験生」
特徴的なポニーテールを揺らしながら、彼女は変わらずこの、薄情の化身みたいな私に声をかけてくれる。
「いつになくネガティブ」
「昨日はごめんね……一緒に帰れなくて」
「別にいいって。というか、そんなスカウトしつこかったん?」
「あはは……」
まあ、しつこかったというわけではない。ただ私を誘った理由などの説明で時間を取るということで、敢えなくメッセージアプリで、さやちゃんに『先に帰ってて』と連絡する羽目になったというだけで。
立ち話もなんだということで、あの後近くの喫茶店みたいなところに移動することになってしまったし。
「なんか……ただならぬことに巻き込まれた感じ?」
「え?」
「珍しく浮かない顔しているし」
「珍しくは余計でしょ」
「話してみてよ、大親友」
「うん。それは勿論……」
ということで、昨日説明されたこととほとんど同じ内容の話を、さよちゃんに伝える。
あまりにも突飛な内容に、さよちゃんの顔が困惑で歪んでいく様はどこか新鮮だった。
「えーっと……ていう、夢を見たってことで?」
「夢なんかじゃないんだよなぁ」
そう言って、渡された名刺をさやちゃんに見せる。
それを見るや、さよちゃんは必死の形相で、スマホで何かを調べ始めた。
「うわ、名前で検索したらマジで出てきたよ。詐欺じゃ……ないっぽい?」
「うん。会社の方にも電話してみたけど、この猪狩さんって人も、正式に働いているみたい」
「てことは……マジのマジで……?」
そういう反応になるのは当然の話だった。なんせ、私の容姿が容姿だから。
これでアイドルにスカウトされたなんてーー、これなら、詐欺と言ってくれた方がまだ安心できるのに。
「んなことはないって!!」
「ひええぇ………」
そう言って、対面に立っているさよちゃんが私の机をバンと強く叩いてくる。
何度も繰り返された、私たちの中で鉄板ネタ化したやり取りだった。
「そこに疑問を持ってるんじゃなくて。ただひたすらに、その流れについていけてないだけだから」
「そりゃそうだよね」
私だって未だによくわかってない。今さっきの説明だって、昨日言われたことの受け売りだし。
そんな、昨日のやりとりが、文字通り昨日のことのように鮮明に、ホワンホワンと……。
〜回想中〜
『それで、なんでいきなり私にそんな話を?』
『それを説明するには、我が社の今の状況や立場から説明する必要がありますね……筒路様は、『Starlight』という名前をご存知ですか?』
『いえ……私、恥ずかしながらそういうのに疎くて』
『ああいえ、お気になさらずに。それが今の我が社の現状ですから』
『はあ……』
『昔はそれなりに有名だったのです。ですが、やはり時代の移り変わりは厳しく、我が社は万年赤字続き……その現状を打破するために筒路様にお声をかけたのです』
『そこがよくわからないんですが』
『アイドルに必要なのは容姿、そして何より知名度……。筒路様は、世間から黄金世代などと呼ばれておりますよね?』
『え……? まあ、一応……』
『そんな筒路様がアイドルを目指すとなるのであれば当然、注目の的になることは避けられない。それこそが我が社の狙いなんです』
『そう言われても』
『筒路様はトップアイドルとなる器なのです……ですが、いきなりそんなことを言われて困惑するのも当然。決心がつきましたら、こちらの電話番号にお電話ください。いい返答をお待ちしております。それでは』
『え!? …………あの、出口はそっちじゃ……』
『ああ、いえ。先程から緊張による吐き気が酷かったので、トイレをお借りしようかと』
『は、はあ…………』
〜回想終了〜
……鮮明に思い出し過ぎて、どうでもいいことまで思い出してしまった。つくづくスカウトに向いてなかったな、昨日の人。
「それで、桜はどうするの?」
「え?」
「受けるの? その話」
「ははっ、まさか。勿論断るよ」
「なんで?」
珍しく真剣な顔で問いただしてくるさよちゃん。なんでも何も、ないと思うけど……。
「常々言ってたでしょ。あんたをいちバレーボール選手で腐らすのは勿体ないって」
「うん、腐らすとかいう表現はどうかと思ってた」
「いい機会じゃん。なりなよ、アイドルに」
「えー……」
あまりにも意外な発言。まさか、さよちゃんがそっちの立場に立つとは思わなかった。
「私がっていうか……全員が? 総意的な?」
「総意ってなんの」
「うちの部活の」
そう言って示されたのは女子バレー部のグループライン。先程、何かしらの話題が投下されたのか、アクティブに動いている……ん?
「あれ、この話題って」
「そう、桜がアイドルになるかもってことで皆んなお祭り騒ぎになってる。さっき桜が話してる途中で、その内容をグループラインに流しといたから」
「なにしてくれてるの!?」
「ほら、これがそれに関しての多数決」
「だから、なにしてくれてるの!?」
アプリの機能で開かれたグループ参加者限定の多数決。そこに示された賛成の率は、脅威の100%を記録していた。
え? 何これ? 示し合わせてる?
「んなわけないじゃん。あれあれ」
「え……何してんの!?」
さよちゃんが指し示した廊下の方には、ズラーっと並んだ女子高生の姿が。どれもこれも見覚えが……いや、完全にうちの部員だった。
その錚々たるメンバーの登場に、教室内がザワザワしている。
「桜パイセン! アイドルになるんすか!?」
「あ、ずるいぞ!! マジか、筒路!? マジでアイドルになんのな!?」
「驚くことはないですけどね、筒路先輩なら」
「いやー、安心安心。私としては、あんたが普通の大学生になるんじゃないかって、冷や冷やしてたから」
「取り敢えずツーショットしましょ! はい、チー」
「500円ね」
「なんでっすか、さよパイセン! もうマネージャー気取りっすか!? 3回分でお願いします!!」
一気に喧しさがます、我が教室。
バレー部の連中が集まってくると同時に、教室にいた皆んなは教室の端の方へと下がっていく。
ただ、今の話が聞かれていたのか、全員が羨望の眼差しをこちらに向けていた。
中には誰かに連絡を取っている人も見受けられる。その連絡の内容は……考えたくもない。
というか、ちょっと待って? この調子で話題が広がっていったら、どんどんと外堀が……。
そこまで考えたところで、さよちゃんに目を向ける。そこにあったのは、さよちゃんにしてはニヒルな、底意地の悪そうな笑みだった。
「明日には、地方紙にでも載ってそうな勢いだねー」
「な、なんでこんなことを」
「桜がアイドルやってる姿も見たいなーって」
「ひ、否定的なんじゃなかったの!?」
「アイドルになることに関しては全然? まあ、否定するならこの事務所はどうかなってところかな……。桜なら、もっと大手にも入れるでしょ。まあ、見る目はあるみたいだから別にいいけど」
「わ、私の意思は……?」
「桜、覚えてる? 私をバレーに誘ったときのこと」
痛烈なカウンター。ぎくりと、わかりやすく反応してしまう。え……バレてないよね。
「ど、どうだったっけ? 忘れちゃったかも」
「『やろーよ、バレー。さよちゃんのパパさんとママさんには、もうりょうしょうとったからー』…….、今思い出しても、あの手腕には舌を巻いたね」
「え、えー………」
「知らないうちに両親に掛け合ってて、逃げ道は塞がれてるわ、了承なんて難しい言葉を使ってるわ……あんときは完敗だったな」
「そ、そこは今、どうでもよくない?」
「よくない! だってこれは、あのときのやり返しだから!!!」
「荒金。その、いきなり大きな声出すやつやめなよ。クラスの人たち怖がってるよ」
さよちょんに肩をガッと捕まれ、見たこともない怖い笑顔を向けられる。
あ……これ、相当恨んでるやつだ。
結果的にプロとしての道が開けたんだから良いじゃん、とは口が裂けても言えない。
「えー、でもでも……」
「あーもー、めんどい。じゃあ、じゃんけんね。私に負けたら、アイドルってことで」
「そ、そんな! ずるいよさよちゃん! 300回やって、まだ一度も勝てたことがないのに!」
「改めてすげーよな、それ」
「確率が収束することを考えたら、むしろ桜パイセンが圧倒的に有利っすね」
こちらの慌てようも素知らぬ顔で、じゃんけんのモーションに入ってしまうさよちゃん。そんなことをされると、応えてしまうのが人の常というもので。
「じゃーんけーん……ぽんっ」
お互いに出す必殺手。教室の外では、季節外れのセミがミンミンとうるさく喚いていた。
◇◇◇
「……ただいまー」
「あ、お帰り……どうしたの、死にそうな顔して」
「あ、うん。実は……」
「アイドルの話? 良いわよ、別に話さなくて」
私の顔は、一気に驚愕で彩られることになる。なんでお母さんがそのことを……まさかっ!
「あの人、うちにまで来たの!?」
「なんのこと?」
「いや、だって、アイドルって」
「そーね。ただ、そういう噂が回ってきたってだけだから、安心しなさい」
え? 回ってきた? そんな回覧板みたいな話? 地域の人たちに共有されてるってこと?
「た、ただの噂だから気にしなくていいよ」
「えー、本当にー?」
「ほ、ほんとほんと」
ニヤリと口角を上げる母。まるで自分の娘が、罠にかかったことを心から喜んでるみたいな……。
「考えが足りてないわね。私だって、紗代子ちゃんと個人的に連絡を取り合ってのよ?」
「………あ」
「これで、301連敗なんでしょ? 我が娘のことながら、とんだミステリーね」
笑いごとじゃない。多分、自分でもわからない癖か何かがあるんだと思う。それか、向こうがエスパーか。
私的には、後半の説の方を押している。
「さよちゃんは意地悪だよ……」
「それだけ紗代子ちゃんも、あなたにアイドルになって欲しいってことなのよ。それは私も一緒」
「え、なんで?」
あまりにも唐突な話。そんな言葉を母の口から聞くのは、初めてのことだった。
「だってあなた、人に見られてる瞬間が一番活き活きしてるんだもの」
「活き活きって? うそー」
「嘘じゃない。学芸会のときも発表会のときも、本番で一番実力が発揮できてたでしょ。バレーにしたってそう。サーブの8秒間が一番輝いてた。言うなれば、人の視線を欲する天性のエゴイストなのかもね」
そう冷静に分析されて、顔から火が出るような錯覚を覚えてしまう。自覚はしていたけど、実の母親に言われるのはなんか違う……。
「だから、私はあなたがアイドルになることは賛成。アイドルなんて、人の視線を集めてなんぼの職業だからね」
「で、でも……アイドルなんて」
「そう考え込まないの。アイドルがしたくないなら、それでいいんだから。私や紗代子ちゃんを含めた何百人の意見より、あなた一人の意見の方が何百倍も強いんだから。違う?」
「………違わない」
『よくできました』、とでもいうようにギュッと身体を抱き締めて、頭を撫でてくる母。
子どもじゃないのにという怒りや、いい歳して……という羞恥より。
その懐かしい暖かさが、それで胸がいっぱいになった思い出が真っ先に浮かんできた。