偶然……ですよね。
しとしとと、アスファルトに雨が降り注ぐのを眺めながら。私は一人、コンビニの前で雨宿りをしていた。
衝動的に出てきただけに持ち物は少ない。財布と携帯電話くらい。それだけあったらなんとかなりそうだけど。
ただ、食と衣はなんとかなったとしても問題は住所。複雑な理由を持ってシェアハウスに帰れない以上、こっちで適当なところを見繕うしかない。
最低でも二日。
その間、雨露をしのげる場所が欲しい。春先とはいえ、雨で気温が低くなった今日、野宿なんてもってのほかだし。
「……はー」
それなら、こんなところでため息なんてついておらずに、さっさと近くのネカフェでも検索しろ……というのは、最もすぎる正論だった。
でも、ネカフェやホテルなんか入ったら、曲がりなりにも私は有名人……なので、もしかしたらその情報をSNSにあげられるかもしれない。
そうなったら、勘解由小路さんたちに見つかってしまうのも時間の問題となる。
心配し過ぎかもしれないけど、万が一ってことも……と、考え込んでしまいここから動けなくなっていた。
その理屈だと、ここに止まっているのも危ないんだけど、どうしたものか……。知り合いでもいれば、その人の家に泊まれたりするんだけどな。
なんなら、こっちから呼びかけてみてもいいかもしれない。SNSで、家に泊めてくれる人募集中……とか。
いや……、そういう行為は厳禁って、さよちゃんにキツく言われてたっけ。
さやちゃん、今頃元気にしてるかな。会いたいよ……。
そんな感じで、ホームシックならぬさよちゃんシックに陥っていると、そんな私を心配してか、見知らぬ男の人が声をかけてきた。
「あの……大丈夫ですか?」
歳の頃は大学一年生くらい……つまり、私と同学年ってことになるのかな?
シュッとした顔立ちで真面目そうな人。家がここから近いのか、随分とラフな格好で傘をさした状態で、私に心配そうな眼差しを向けていた。
このシチュエーション、なんか私……捨てられた子犬みたいだ。と、一人苦笑してしまう。
なんなら拾ってくれないかな……と淡い希望を抱いていると、思わぬことに向こうから似たような旨の提案をしてきてくれた。
「……帰る家が無いなら、僕のとこに来ませんか?」
「……えーっと……?」
「あ、すいません。もしかして、家出でもしているのかと思ってしまって」
「あー……はい。似たようなものです」
そう笑いながら言うと、その人も釣られてかクスッと笑みを溢す。その笑顔にポケッとしていると、『ちょっと待っててください』と言って、その人はコンビニの中に入っていった。
そして数分後、あったかいペットボトルを片手にした彼は、それを私に渡してくる。
「え、あの、これ」
「僕の奢りです。家を飛び出してきたんなら、財布も持ってないんじゃ無いかと思って。外は寒かったでしょ、それで暖まってください」
な、なんて良い人なんだ……。
その優しさと、ペットボトルの暖かみで心がじんわりと暖かくなっていく。
って、感動している場合じゃない!
「あ、あの。お金なら持ってます。この代金分は払いますんで」
いくらですか? と聞こうとしたところで、その財布を持っていた方の手の腕を、ガシッと握られた。意外にもその力は強く、思わずドキドキとしてしまう。
「あ、あの……」
「行きましょうか。僕の住んでるアパートは、すぐそこなんで」
有無を言わさぬ力強さ。その強引さの前に、さやちゃんに口酸っぱく言われていたことも、すっかりと抜けてしまって。
その力に逆らうこともできず、一歩、雨の降りしきる道路の方へ踏み出そうとしたところで、それを引き裂くような綺麗な声が飛んできた。
「ごめーん! 待たせちゃった!?」
そう言いながら、ガシッと反対の腕を掴むその女性。
遠くから走ってきたのか、その声はどこか疲れた様子で、前屈みになりながら膝をついて息を整えているため、その顔を拝むことはできない。
それでもなぜか安心する雰囲気が、身体全身から漏れ出ている気がする。
そしてその顔をあげたとき、今度こそ私は驚くこととなる。だってその顔は、ここに上京したその日に会ったあのお姉さん、その人のものだったから。
「えーっと……? 知り合い?」
「あ、はい。以前ーー、」
「中学からの親友だよ。ね?」
私の言葉を遮るように、その人は言う……え? なんでそんな嘘を……?
鈍い私には、その人の真意なんてさっぱりだった。だけど、そう聞かれたら思わず頷いてしまう。
なんだかよくわからないけど、親友だったらしい。驚いたことに。
「ってことでさ。その手、離してくれないかな。この子は、こっちで引き取るから」
「……そうですね。それでは」
「え? あの、お金!」
去っていくその人に対して、ペットボトル代を払ってないことを伝えるも、止まることもなくその人は去っていってしまう。
気を遣ってもらった、お礼も言えてなかったのに。
そういうこともあってガックリとしていると、青褪めた顔で親友?さんは、私に尋ねてきた。
「もしかして……さっきの人を、狙ってたりしてた?」
「?? 何をですか?」
「だからその……あの人と、知り合いだったり?」
「いえ、初対面でしたけど……」
「? ってことは? その初対面の人に、君はついて行こうとしてたのかな?」
「はい。行くところもなかったので……すみません、そのご厚意に預かろうとしてました」
そんな私の卑しいところを咎めようとしているのか、私の親友?さんは、ガシッと怖い顔をしながら私の肩を掴んでくる。
「怒るよ?」
「……え? 既に怒ってません……?」
「君が何に怒ってるかも、わかってなさそうだから。携帯持ってるでしょ。貸して」
「あ、はい」
「……………はい。私の連絡先入れておいたから。これから何があっても、知らない人についていっちゃダメ。もし、そういう状況に陥りそうになったら、すぐ電話して。駆けつけるから」
「は、はい。すみません」
凄い剣幕でそう捲し立てられてしまうと、もはや謝ることしかできない。
……というか、そういう旨の発言を言われるのは、こっちに来てからこれで三度目だった。良い加減、自分自身を見直すべきなのかもしれない。
「それで? 君はーー、良い加減、君君と言い続けるのも味気ないね。そろそろ自己紹介でもしておこうか?」
「あ、はい。自分の名前は、筒路桜です」
「桜ちゃんね。私は鹿野柚子。気軽にゆずって呼んでね。で、桜ちゃんは、何があったの? もしかして、また迷子かな?」
「ま、迷子って……。その、今ちょっと諸事情で帰る家がなくてですね」
「え? 桜ちゃん、前会ったときに上京してきたって言ってたよね? もしかして、彼氏の家にでも転がり込んでた?」
「彼氏とかでは無いですけど。その、シェアハウスをしている同居人と気まずくなってしまいまして」
自分で言っててなんだけど、なんとも子どもっぽい理由なんだろう。こんなんじゃ、柚子さんに呆れられても仕方ない。
と、思っていたんだけど、なぜか感銘を受けたように深く涙ぐんでいる柚子さん。本人の見た目も相まって、そうしていると益々子どもっぽく見えてきてしまう。
「いやー、わかるなー。私も若い頃、色々と揉めたりしたこともあったからさ。喧嘩できるだけ、幸せだよね」
若い頃も何も、今がそうなんじゃないんだろうか。
柚子さん、一体何歳なんだろ……。見た目で言えば、あんまり歳は変わらないような印象を受けるけど。
「よし、わかった。それじゃ、お姉さんが家に泊めてあげよう!」
「えっ!? そんな、悪いですよ!」
「……さっきの男には、ホイホイついていきそうになったのに? ……大丈夫だよ、ここから近いし」
「で、ですけど」
「良いから良いから」
そう言いながら背中を押して、無理やりに私をその場から連れ出す柚子さん。
いつの間にか雨はあがり雲は晴れていて、夜空にはチラチラと星が瞬いていた。
◇◇◇
「どつしたの? そんなところで立ち止まって」
「え、でも……え? ここ、ですか?」
「ほらほら。そんなところじゃ、通行人の邪魔になっちゃうでしょ」
そう言いながらずりずりと、柚子さんは目の前のデカい建物へ私を引っ張っていく。
これって、タワマンってやつだよね……。さよちゃんが言ってた、あの伝説の。
柚子さんは気圧される私をそのまま、手慣れた様子でオートロック(……だったっけ?)の扉を開けて、エレベーターに入り15階のボタンを押す。
いや、15階って。近所の大型デパートでも、4階が限界だったのに。10階分くらい、駐車場があったりするの?
田舎者の私にとって、その数字は未知の領域だった。
静かな音を立てて駆け上がっていく鉄の箱。その間も、私としては気が気ではいられない。
入るだけでお金を取られたりしないよね……気分は研究所に連れられていく、家畜そのものだった。
「……ぷっ。桜ちゃん、緊張しすぎね」
「は、はい。どうにも、こういうとこは初めてで」
「だからってガチガチすぎるでしょ。そういうお店に初めて来たみたいになってるよ」
「そういう……どういう……?」
「……桜ちゃんって、ほんとに成人迎えてるんだよね。中身は小学生だったりしないよね?」
そんな会話をしていると、チン、という音が鳴ってエレベーターは止まる。そして開いた扉から覗くピカピカの廊下に、思わず足を踏み出すのを躊躇ってしまった。
「ほらほら、早く早くー」
そんな私を、やっぱり柚子さんは押していく。なんだがとっても楽しそうで、私としては困惑するばかりだった。
「ここだよー。家の中はちょっと散らかってらかもだけど、我慢してねー」
そう言いながらも、直ぐに私を家の中に通すあたり、その言葉はある種の礼儀のようなものだったんだろう。
でも、そんな細かなことは気にならないくらい、私はその空間に圧倒されていた。
玄関から廊下、そしてリビング。ダイニングにキッチンまで揃っており、どこも鬼ごっこができそうなくらいスペースがある。
なんて広さ……まるで一軒家じゃないか。
マンションってことは、こんな部屋がいくつもこの建物に収められてるってことで、知り合いの住んでいた1Kのアパートにお邪魔したことがあるけど、そことは比べることすら烏滸がましいほどの豪華さだった。
これがタワーマンション……まるでお城か何かみたいだ。
そんなところに住んでる柚子さんって、どれだけ凄い人なのか。歳はそんなに変わらなく見えるだけに、自分のちっぽけさをありありと見せつけられているようだった。
そんな私が、こんな人に迷惑をかけてるなんて。
その事実に打ちのめされ、私はその場で泣き崩れてしまう。そんな私を、いきなりの豹変に困惑しながらも柚子さんはお風呂に入れてくださった。
冷たくなった身体に、シャワーの温かいお湯が染み渡っていく。常用しているだろうシャンプーやボディーソープはどれも高級そうで、気軽に手を出すことはできなかった。そもそも、人のものだしね。
にしても……なんでこんなに種類を揃えてるんだろ。整然と似たようなものが並んでいる様は、台所に並ぶ調味料を思わせた。
使うまではしなくとも、触るぐらいなら……と、興味深げにそれを触って高級そうな感触を楽しんでいると、いきなり風呂場の扉が開く。
そこには私と同様に何も身につけていない柚子さんが、堂々と立っていて……。
「ーーー、っ!?」
「あははー、良い反応するね。可愛すぎて、思わず抱きつきたくなるよ」
「な、な、なんで!?」
「良いじゃん良いじゃん。女の子同士水入らずって……スタイル良っ。桜ちゃんって着痩せするタイプ?」
「いや、その!」
それはお互い様でしょっ! って、ツッコミが頭の中を駆け抜けてゆく。
見た目は幼なさそうなのに、柚子さんの身体は幼児体型とはかけ離れていて……いや、何考えてんだ!?
パニックで変な思考になってる。お、落ち着きを取り戻さないと。
そう努めて努力しようとする私を嘲笑うように、柚子さんはその白魚のような手で、私の腹筋あたりを触ってきた。
「だ、だからっ!? 何して!」
「やっぱり腹筋はしっかりしてるんだね。流石、運動部ってところかな」
「…………え?」
「そうでしょ? 『主人公』さん」
後退った身体に押され、ボディーソープの一つがゴトリと床に落ちる。
柚子さんにそう言われ、私は蛇に睨まれたカエルのように、その場でピタリと固まるのだった。




