……ふざけんなよ。
「すんません、今聞き捨てならない言葉が聞こえたんですけど……本気で言ってます?」
「ええ、勿論。そうですよね? 夏凛さん」
「いや、ここで私に振られても……」
そんな風に大分気まずそうな、居心地の悪そうな様子でありながらも、その言葉を肯定するように磐さんは続ける。
「まあ、ここに私たちが連れてこられたのはそう言う意味だろうし、ぶっちゃけるけどさ……正直、お遊びにしか見えないよね。アイドルをやっている身からしては、良い気はしないかな」
……相当心に来る言葉。見ず知らずの第三者に言われるならまだしも、同業者の人にそう言われると、言葉が何も出てこなくなる。
きっと言葉は選んでいるんだろう。それでもその言葉には、隠しきれない怒りがありありと現れていた。
チラリと火守さんの方を盗み見る。
その空気も無視して、どこからか取り出したアンパンをムシャムシャと齧っている可憐でフリーダムな姿を見せているだけで、その心情は読み取れない。
けど、ここにいるってことは火守さんも同じ気持ちなのかもしれない。
風当たりが強いってことは最初からわかってたことだけど、こうも直接的にこられると……流石に心が折れそうになってくる。
そんな私を見かねてか、織部さんは私を庇うようにその身を乗り出させた。
「カチコミに来たんなら、最初からそう言ってくださいよ。喧嘩なら買いますんで」
「織部さん、言葉を謹んでください」
「いえ、実際に喧嘩を売りに来たようなものなので」
その言葉を皮切りに、勘解由小路さんの眼光がガラッと変わる。困惑の色は消えて、キリッとした目つきが静葉さんを捉えて離さない。
ぼるべるに賭けている身としては、その言葉をすんなりと受け入れることはできないようだった。
「聞いたところによりますと、『アヴォル・ベイル!!』の皆さんは、『金糸雀』の伝説を再現しようとしているという話……違いますか?」
「どこからその話が漏れたかはわかりませんが……否定はしません」
「ふふ……壮大な夢物語ですね」
言葉は濁しているものの、その賭けは100%失敗すると暗に伝えてくる静葉さん。そしてその見立てはおそらく……間違っていない。
「……そんな奇跡に賭けずとも、より現実的で実現可能な案を、私たちは提供することができます」
「それは……どういうことでしょうか?」
「『chronicle』の方々にあなた方を紹介することも、わけないということです」
その言葉に、ガタッと勘解由小路さんが立ち上がる。けれど、静葉さんはそちらに見向きもしない。
何でもないように、ただゆっくりと紅茶にミルクを垂らし入れ、それをくるくるとかき混ぜる。
「なぜ、そのことを」
「お言葉ですが……誰だってわかってしまいます。時期を考えれば。そして『金糸雀』の皆様は、『chronicle』ともある程度顔見知りです。口添えをすればまず100%、願った通りの結果を得れるでしょうね」
聞いているだけでもわかる、あまりにも現実的な案。それに比べたら『金糸雀』の伝説をなぞるなんて、夢物語以外の何物でもない。
けど、だとして……それを向こうから提案してくる理由がわからなかった。喧嘩を売りに来たという言葉と、あまりに噛み合ってない。
もしかして、そうして欲しければ土下座しろとでも言ってくるのかもしれない……いや、言われれば土下座をするのも吝かじゃないけど。
向こうの言いなりになっているみたいで、癪だという気持ちはある。
「なんや上から目線やな。私らが『金糸雀』に、泣いて媚びろっちゅうことか?」
同じ思考に至ったのか、荒っぽい口調で織部さんは憤懣を直接的にぶつける。それを静葉さんは、首を振って受け流した。
「そのような行為は求めてません。ただ一つ、『アヴォル・ベイル!!』の皆さまには賭けに出てもらいたいのです」
そう言って、こちらを見てください、と取り出してきたのは今どき珍しい紙媒体のチラシ。そこにはデカデカと、スプリングフェスタ20××という文字が書かれている。
「こちら毎年春と秋に、仙台市にあるN23というドームで開かれるライブイベントなのですが、今回ご厚意によって『金糸雀』も出演することに相成りまして」
ご厚意……ご厚意ってなんだろうか。そっちの方で開かれるライブイベントなら『金糸雀』にオファーをかけないはずがないし、受けるも断るも『金糸雀』次第だとは思うけど。
そんな細かな疑問を受け付けないって具合に、静葉さんは矢継ぎ早に続ける。
「こちらのイベント、午前の部でとても面白い催しを開催されるんです。それというのも、出演するアーティストの中でどの組が最優だったのか、観客の皆さまが投票するというもの。その投票の結果を午前と午後の間の時間で集計し、見事一位をとった組と『金糸雀』との皆さまで、観客の皆様に対してセッションを披露するというサプライズイベントが用意されているんです」
「ははっ……おもろいこと企画しはるな。『金糸雀』の人気でゴリ押して、通したんやろうなぁ」
「えー? 嬉しいこと言ってくれんじゃん」
「事実ですやろ? このチラシでもその予定を書いとりますけど、午前の部が10組は参加するらしいのに対して、午後の部は『金糸雀』一組だけ。そのくせして、とってる時間は午後の部の方が長いときたら、これももう『金糸雀』のイベントと言っても差し支えないやないですか」
言われてみれば……というより、チラシでも大々的にそっちの方を宣伝している。『金糸雀』の名前を出しておけば集客を見込めるという、下衆い魂胆も見えてきてしまう。
「それで? その投票で、ぼるべるに一位を取れっていう命令ですか?」
「察しが良くて助かります。命令ではありませんが」
「はーん……で? その話、賭けって言うくらいなんですから、当然こっちにもリスクはあるんですやろ?」
「はい。その時は、『アヴォル・ベイル!!』の皆さまには、潔くアイドルを引退してもらいたいと考えております」
うおぉ……リスク、でかっ!!?
思わずそう叫びそうになったところをぐっと堪える。何となく話の流れ的に、そう切り出されるのは予期していたはずじゃないか。うん。
『金糸雀』さんの、火守さんの前で、そんな汚い声を出すわけにはいかない。
「無茶苦茶な提案やな……当然、受け入れられるわけがない。そうやろ? 紗雪はん」
「ええ、勿論です。花菱製薬のお嬢様は、随分と奔放のようですね」
「お、言うようになってきましたね」
堪忍袋の緒というものがあるかはわからないけど、取り繕いもせずズブリと皮肉を言うようになった勘解由小路さん。その目に湛えた剣呑な光は、徹底的にやり合うという意志を秘めている。
「ま、私としては受け入れる気満々やけどな」
「織部さん?」
「私は言葉を覆すような趣味はないんで。売られた喧嘩を買うって言ったからには、買わせてもらいますよ。そのやっすい喧嘩を」
「え? 買うの……?」
「私は値切り交渉とか嫌いなんで。きっちりとその条件で受付させてもらいます」
勝手に決めて大丈夫? という意図で聞いたのに、織部さんには上手く伝わらなかったみたいだ。……いや、意図的に無視された気がする。
そして肝心の勘解由小路さんの方も意外なことに、織部さんの勝手な決定に、別段取り乱した様子はなかった。
まるで、そう発言することを読んでいたみたいな。
「お? 紗雪はんも案外乗り気なんですか?」
「推奨はしたくない、程度ですね。口約束とは言え、その賭けとやらに負けると、ぼるべるは解散する運びになるでしょうから。花菱様が提示する条件を満たした場合のリターンと、吊り合っていないように感じたので」
「確かにそうですね……でも、すんません。さっきも言った通り、こっちとしてもその条件をイジるつもりはないんで。そうやな……ぼるべるの全員に多数決を取って、賛成の方が多かったら認めてくれます?」
「いえ……せめて、全会一致でお願いします」
「話がわかる人は大好きですよ」
も、もの凄い速さで重要なことが決まっていく……。一応、私がリーダーなんだけどな……。
前を向けば、火守さんを除いた『金糸雀』のメンバーの皆さんが、奇妙なものを見るような目でこっちを見てきていた。要するに、私と似たような表情をしている。
こんな重要なことをポンと決めそうな勢いだったんだから、当然の反応だ……そうだよね? 私がおかしいんじゃないよね?
考えなくてもわかる。もしこれで引退するようなことになったら、一ヶ月未満という伝説的な解散rta記録を残してしまうことになるんだから。
ドッキリか何かかな?
少し落ち着いてきてはいるものの、未だに『アヴォル・ベイル!!』の話題はネットを賑わせている。
そのメンバーだけでなく、あの番組での行動も合わせて、何かと注目されている状態にあると言っても過言じゃない。
そんな状況で解散騒動? はっきり言って、アイドルを舐めているようにしか思えないけど。
だから、そんな決断を下した織部さんだけでなく勘解由小路さんに対しても、不審な感情を抱いてしまう。
これって、つまり……私が断れば、こんなふざけた話は流れるんだよね。そうでなくても、私以外の誰かが断るだろうけど。
結局、二人で盛り上がっているに過ぎないし。
「こちらとしても、イベントに出演するアーティストの皆様はほぼ決定しかけているので、判断はお早めに……できれば、二日以内でお願いしますね」
「全然ええですよ。すぐ答えは出ると思いますんで」
「それでは、これで失礼しますね。それと……この度は、色々と不快に思わせるような態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした」
「いえいえ、お互い様ですから」
そんな大人のやり取り(向こうは多分、中学生くらいなんだけど)が交わされて、静葉さんと『金糸雀』の皆様方は勘解由小路さんに見送られ、『Starlight』を後にしていく。
私は終始、モヤモヤした気持ちを抱き続けてた。
◇◇◇
「で? それでまんまと、その滅茶苦茶な要求を受けてしまったってこと?」
「まんまとはちゃうやろ。こっちとしても、願ったり叶ったりなんやから」
はー、と深いため息をついて、来海ちゃんは私の予想通り、織部さんへ呆れたような目を向ける。
このふざけた提案に一番反対しそうなのは来海ちゃんだ。いつも通りの勢いで、勝手にそんな賭けに乗った織部さんにメッタメタに噛み付くだろう。
そんな私の淡い予想を、来海ちゃんの口から続けて聞こえてきた、『別に良いけどさ』という呟きが、粉々に破壊してくる。……なんで?
「にしてもあんたらしくないじゃん。そんなわかりやすい挑発に乗せられるなんて」
「乗せられてんちゃうわ。怒って見せたのも、ただの条件を引き出すためのポーズ。今の話聞いて、それがわからんかったんか?」
「はいはい。そう言うことにしとくよ」
え……何その返答。なんでそんな解散なんて話、すぐに納得できるのさ。あんなに、練習頑張ってたのに。
「ちょっと! しっきー!!」
隣から掴み掛かるような勢いで、織部さんへの距離を詰める新橋さん。その目には、堪えようもない怒りがめざめざと燃えている。
当然の反応だ。いきなり、そんなことを言われたら。これをどう、織部さんは受け流すつもりなのか。
織部さんの鬱憤もあってか、ちょっとだけワクワクしながらその光景を見ていると、予想だにしない言葉を新橋さんは投げかける。
「なんで言わないの、筒路さんの怪我のこと! これじゃ、筒路さんが言われっぱなしじゃんか!」
「言えるわけないやろ、そんな弱みになりそうなこと。これやから新橋はんは……」
「むっきー!!」
い、いや違うでしょ……? 今はそんなこと、どうでも良くない? もっと……気にするべきことがあるでしょ!!
心の中で思わずそんな風に叫んでしまう。そんな私を見かねてか、如月さんが声をかけてきた。
「大丈夫だよ。桜ちゃんを馬鹿にした、その……『金糸雀』?とかいうやつらは、直々にコテンパにするんだからさ」
「話聞いとたっんか、お前。『金糸雀』との直接対決は、どこにもないやろ」
………は?
ズレている、徹底的にズレている……私が何に対して怒っているのかも、アイドルに対してのその意識も。
堪え切れようなない怒りが無性に溢れて、身体中をぐるぐると巡るような、そんな錯覚すら覚えて。
緩んだ弁のように開かれた口から、そんなどうしようもない思いがとめどなく溢れてくる。
「ふざけ……ないでよ」
「つつじー? どうしたんや?」
「ふざけんなって言ってんの!!!」
それだけ言うと、飛び跳ねるようにその場を後にする。
行く宛なんてどこにもない。目的地もわからない。ただその場から逃げ出したいと言う思いだけで、気づけばひたすらに走っていた。
いつの間にか通りに降り出していた雨が、冷たく、私の身体を打ちつけた。




