ピヨピヨピヨピヨ……うるせぇな。
『レイシスト』
直訳すると、人種差別主義者。そんな挑戦的な名詞を曲のタイトルにした、どこかぶっ飛んでいる歌がある。
これの恐ろしいところは、バリバリのアイドルソングだということ。
それに何より恐ろしいのは、このたった一曲で、そのグループがアイドルひしめく戦乱の世で頭角を現すまでに至ったということ。
世に言う、革命の幕開けである。
◇◇◇
「『破天荒』か。なんともぴったりなあだ名やな」
「なにそれ。そんな恥ずかしいあだ名つけられてたやつがいるの? 可哀そっ」
「ちゃうちゃう。三文字熟語やけど、黄金世代とはなんも関係あらへんよ。あと、恥ずかしさで言えば、私らもそんなに変わらんからな?」
「『金糸雀』ですよね」
「流石やなつつじー……ちゃうくて。なんで逆に自分らは知らんねん。『レイシスト』やで? 『August』やで?」
「「「………???」」」
「……それを知らんと、よくあないな夢物語みたいな話に乗る気になったな」
新曲のレコーディング、及び投稿するMVのためのダンス練習に励んでいる日々の中の、とある一日。
勘解由小路さんに事務所に呼ばれた私たちは、その勘解由小路さんを待つ最中、そんな雑談を繰り広げていた。
で、織部さんが言う夢物語なんだけど、それというのも、勘解由小路さんが目指す一ヶ月でぼるべるを一躍有名にさせるというあの大それた計画。
そんな荒唐無稽なことを言い出せたのも、『金糸雀』というちゃんとした前例があるからだと、織部さんは言いたいんだ。きっと。
その前例である、『金糸雀』のサクセスストーリーに再現性があるかどうかは甚だ疑問に尽きるけど。
「よくわかんないけど……なんで破天荒? そのアイドルグループって、そんなにやばいやつらなの?」
「それもちゃうな。ここで言う破天荒ってのは、元々の語源の方。昔、中国には科挙って言う特別難しい試験があって、その試験の合格者を一人も排出したことのない地域を天荒って呼んだらしいで。で、そんな天荒を打ち破るもの。今までにない試みを行なったものを、そのまま破天荒って言われるようになったとか……まあ、要するに」
「不毛の土地でアイドルとして成功した『金糸雀』を、その故事成語に準えてるってことやろ」
「……肝心なところを横取りにされてもうたな。まあ、そう言うこっちゃ。東北なんて人外未踏の地でアイドルとして成功できることを証明したんやから、まさしく破天荒やろ」
東北というエリアに対して、とても酷い言い草だった。なぜだか、聞いてるだけで冷や冷やしてくる。
「へー……めっちゃ、偉業じゃんね」
「せやな。今の時代、アイドルを始めるにはどこで始めるかが一番重要や。できれば競争相手がおらんところがいい……せやけど、その地域が過疎すぎたらなんの意味もあらへん。徹底的な矛盾や。人がおるところにはアイドルが生まれて、アイドルがおらんところには人もおらん……ちゅう方程式が成り立っている以上、この両者を満たすのはまず不可能。人のおるところのアイドルを減らすか、人のおらんところで人を集めるか……で、『金糸雀』はその後者をやってのけて見せたんや。見てみー、これを」
そう言って携帯端末に表示された画面を見せてくる織部さん。そこには、何かのグラフが載せられていた。
「これはその、『金糸雀』が主に活動している県とその周辺の人口の変化を、視覚的に表したものや。異様にわかりやすー作られてるやろ? 『金糸雀』のファンの中の有志が、その凄さを喧伝するために作ったものやからな」
「……ある時期から人口が増え続けてる?」
「それも飛躍的にや。母数が母数だけにグラフ上ではなだらかに見えとるけど、実数を見れば驚異的な増加率やで。町おこしならぬ、地方おこし。そんな馬鹿げたことを可能にするだけの力が、今のアイドルにはあるってことの立派な証明やな」
かつてはご当地アイドルという肩書を引っ提げて、地方から都会の方へアイドルがやってくるのが常だったけど、今ではそのファンの方を動かすまでに至っている。
無茶苦茶な話だけど、事実としてそんな事態が起きているんだから疑うこともできない。
ほんと、凄い時代になったものだ。
「東北は、今では立派に人がおる。しかもアイドルに関して理解のある、純然なマーケティング対象のな。かと言って、そこへの新規参入は望めん。今やあそこは、『金糸雀』のファンの巣窟やからな。……ほんま、恐ろしいことや。狙ってできることやあらへんし、奇跡的な要因も多分にある。でもそれ以上に、『金糸雀』のアイドル性がそうさせたんや。ほんま、恐ろしいことにな」
「その『金糸雀』の凄さはわかったけど……なんでいきなりそんなことを言いだしたのさ。ファンにでもなったの?」
「いや、それがな……おるねん。その『金糸雀』が」
? 織部さんは何を言ってるんだろう。ついに幻覚でも見始めてしまったのか……さっきからずっと、窓の外を見ているみたいだし。
……? というより、下? 視線が下の方に寄っている。まるで道を行き交う人を観察するように。
その視線に誘われるように、私も窓の方へと移動してしまう。そしてその視線を下へと下げてーー、え?
「ずっとそこでうちの大将となにか話してんねん。さっきも言ったけど、『金糸雀』は東北で活動しとるアイドルやろ? ここまで、何百キロあると思ってんやろな……あの人ら」
上から見える、カナリアの名に恥じない綺麗な金色の髪。ツインテール、ショートカット、セミロングと種類に富んでいて、固まっているとどこか整然に思えてくる。
その佇まいだけで発するオーラ。ちゃちな変装じゃ誤魔化せないその風格。何よりも、実績に裏打ちされた隠しきれていない、その自信。
今世の独眼竜、上山のカナリアーー、そして、『破天荒』。
そんなあだ名が、脳内に流れては消えてゆく。
東北の雄、革命の徒、歌う雛鳥。
遠く離れた地でも音に聞く、輝く『金糸雀』の姿。
その様はあまりにも眩しく。こんな至近距離じゃ、まともにその姿も見続けることはできなかった。
◇◇◇
「で、そこの可愛い子は、健気にも私たちから目を逸らしているとーー、」
「そうなんです。この子に悪気はないんですよ、ただアホなだけで」
「アホ? むしろ普通の反応でしょ。私たちを前にしてるんだからさ」
「やめなよ、京。冗談に聞こえないから」
「? 冗談じゃないけど?」
「だから余計やめろって言ってんの。このバカ」
小気味の良い掛け合い。他事務所まで乗り込んできているというのに、どこにも気負った様子は見えない。気負っているのはどこまでも私の方だった。
ファン心理だとでも言うべきか、彼女たちのオフの姿を見たくないという気持ちが先行してしまう。
アイドルとしての勉強を重ねていくうちに、いつしかアイドルそのものに虜になっている自分がいた。
だからこそ顔が熱い、誤魔化せないくらい頭がぼーっとしてしまう。
無邪気で、可愛らしいツインテールの八戸京さん。
理知的で、大人びたセミロングの上代夢翔さん。
溌剌として、さっぱりとしたショートカットの磐夏凛さん。
そして、『金糸雀』のリーダーにして、絶対的な歌姫。あの、火守の名を冠する少女、火守葵さん。
「……………」
な、なんともクールに決まっている……。安物の牛乳パックを飲む姿でさえ、カッコよく見えるのだから相当だ。
出されたお茶を拒否しながら、買ってきたものに口をつけるその自由さには憧れるし、そんな火守さんが皆んなに合わせて髪を染めているという事実にもときめいてしまう。
あー……ダメだ。気を抜いたらすぐにメロってしまう。その牛乳パックくださいと、口走りそうになっている自分がいた。
そして、そんな私の変態的な思考を読み取ってか、咎めるようにこちらへと視線を向ける少女が一人。
『金糸雀』の皆さんと一緒に来たお客さんではあるものの、その姿に見覚えはない。
端正な顔立ちは言うべくもなく。しゃなりとした、ドレスのような服に身を包み、そのカップを手にして口につける姿は、英国紳士のように美しく上品だ。
良い生まれなことは一目でわかる、身なりに所作。そしてそれを台無しにする、ボブカットにした髪の上から生える、触角のような二本のアホ毛。
歳のほどは、平均年齢が低いと言われる『金糸雀』よりも幼く見える。おそらく中学生くらい、きっと。
自信は持てない。中学生というには、あまりにもしっかりしているようにも見えるし。
これが育ちの違いってやつなのかな……。
「あかんで、つつじー。いくら目も当てられないからって、お嬢はんの方に逃げるんわ。相手さんにも失礼やろ」
「あ、す、すみません……」
「良いんです。見られることには慣れてますから」
「言うじゃん、こいつー」
そう言ってガシガシと、少女の頭を撫でる八戸さん。その行為を咎めるでもなく、他のメンバーの皆さんは見守っている。
正直、その関係性がよくわからなかった。
「それで? どういうわけがあって、わざわざ遠くから『金糸雀』はんを呼びつけたんや? 紗雪はん」
「いえ、私も詳しくは……昨日、『金糸雀』さん方の方からこちらへ来ると連絡があっただけなので」
「なんや、紗雪はんが呼んだんとちゃうんかい」
「はい。用があったのは、私の方ですから」
そこで少女はスッと手を挙げる。その瞬間、ニコニコと閉じられていた目が、すっと細く開かれた。
「申し遅れました。私、『金糸雀』様方の友人をやらせてもらってます、花菱静葉と申します」
「花菱と言うと……あの、花菱製薬ですか」
「はい。大企業の一人娘もやらせてもらっています」
「なるほど……大事な大事な、スポンサー様ってわけやな」
「お? 君、なかなか嫌なことを言うね」
「気に障ったのなら謝りますけど?」
「良いよ良いよ、事実だしー? ねー」
「いや、そのスポンサー様に肩を回しながら言っても、全然説得力ないけど」
な、なにかよくわからないけど……、そう言うことらしい。花菱製薬? って名前も初めて聞いた身としては、さっぱりのことだった。
勘解由小路さんはともかく、織部さんも自分とは比べ物にならないくらい博識だった。無理を言って、ついてきてもらったのが功を奏したかな。
でも、うーん……この人を食ったような態度を見るに、差し引きマイナスかもしれないけど。織部さんは、それをわかってやっているのが、尚タチが悪いと思う。
「それで、よろしいでしょうか筒路様」
「は、はい!? 何なりと……?」
「そんなに畏まらないでください。むしろ、畏まるべきは私の方ですから」
「……はー……?」
「実は私、筒路桜様のファンだったのです」
衝撃の事実!……ではあるんだけど、最近そんな流れが多かったせいか、あまり驚かずにいれてしまった。
隣でも織部さんが、つつじーのファンは何人おんねん、と小さくぼやいている。
「それで? サインでも貰いに来ましたか?」
「織部さん。お静かに」
「静かにしてられるわけないやろ。選手時代には近づかず、つつじーがアイドルになった今、ここぞとばかりに手下を連れてやっと来とる。アイドル関連で繋がりが持てるとでも思いましたか? そんなことのために連れてこられた『金糸雀』さん方が可哀想ですね」
堰を切ったように、織部さんの勢いは止まらない。いつもはギリギリのところでブレーキを踏んでるような印象があったけど、今のセリフは思いの丈をぶつけたような、織部さんの感情がこもっていた。
……いや、冷静に寸評している場合じゃなくない!?
今の発言はあまりにも礼を欠いたもの。相手が社長令嬢であるないに関わらず、初対面の相手に口にして良いものじゃない。
一度は止めた勘解由小路さんも、まさかそこまで大それた発言をするとは考えてなかったのか、その目をギョッと見開いている。
やばい、早く謝らないと!
と、頭を下げかける私を止める手があった。その、飾りもなく批判された当の本人である静葉さんが、私の謝罪を遮ってくる。
よく見れば、火守さんを除いた他の『金糸雀』のメンバーは少なからずむっとした表情をしているのに、静葉さんは変わらずニコニコとしている。
心が広いともまた違う……はっきり言って、不気味だと思ってしまった。そう思うくらいには、あまりにも年不相応な笑顔だったから。
「いえ、織部さん。私はサインを貰いに来たわけではありません。筒路様の一人のファンとして、今の現状に苦言を呈しに来たのです」
「苦言……ですか?」
織部さんの口を手で塞いだまま、なんとかその言葉に応える。
そのカオスな状況を気にした様子もなく、笑みをスッと消して、静葉さんは淡々と答えた。
「はい、あのような才能を持っておきながらーー、」
そこで一つ、静葉さんは区切る。まるで私を試すように、私の神経を逆撫でるように。
「なぜ、このようなお遊びに興じているのですか?」
その飾り気のない質問は、重たく辺りを包み込む。
まるでその状況を予測していたように、静葉さんは飾り気のない笑顔を取り戻していた。




