第53話 次世代の今川を担う者
小夜すがら阿部大蔵定吉の死について考えてしまっていた松平次郎三郎元信。人間五十年の世において、五十二にて往生した阿部大蔵はどのような想いで逝ったのであろうか。
そのようなことを、夜の間考えるまいと思っても考えてしまっていた。そうしてまた朝日は昇り、人として活動する時を迎える。
「阿部大蔵が亡くなろうとも、石川安芸や鳥居伊賀がおるゆえ、政務が滞るような事態にはなるまい。されど、松平家臣の心は揺れ動くに違いない。さて、いかにするべきか――」
「殿、田原御前さまより書状にございます」
「おおっ、継母上からとな。見せよ」
高力与左衛門清長が届けて参った一通の書状。そこには、駿府に帰った元信の体調を気遣う優しい文言が記されていた。
「殿、嬉しそうにしておられまするが、何ぞ吉報でも?」
「いやなに、母より気遣われて喜ばぬ子などおらぬということ」
「なるほど、左様にございましたか」
元信の表情は喜びに緩み、離れていても己の身を案じてくれる者がいる有り難さを痛感した。そして、岡崎の政務は引き続き随念院を筆頭に、石川安芸守忠成・鳥居伊賀守忠吉らが担っているゆえ、ご案じなくとの文言も記されていた。
まるで、己の心の内を見透かされているような内容の書状にどきりとしながらも、書状の末尾まで目を通していく。
「ほう、二連木戸田家では代替わりが行われたとか」
「現当主である戸田丹波守宜光殿は田原御前さまの兄君にございましたな」
「そうじゃ。その戸田丹波守が二連木城を嫡男の主殿助重貞に譲って隠居。なんでも全香と号し、渥美郡岩崎に移り住んだとのこと」
「となりますれば、二連木戸田家の当主は田原御前さまの甥となったわけですな」
「そうなるか。すなわち、この元信にとって血こそ繋がってはおらぬが従兄弟と呼んでも差し支えない間柄の者が二連木戸田家の当主となったわけじゃ。ここは一つ、祝いの文でも送るとするか」
血のつながりはないが従兄弟同然。その言葉を聞けば、どれほど岡崎に住まう田原御前が喜ぶことか。
それはともかく、秋も暮れ始めた今日この頃である。
そうして弘治二年十月二日。この日、元信は久方ぶりに今川五郎氏真に呼び出され、駿府館にいた。
「次郎三郎、岡崎への墓参はいかがであった」
「はい。駿府とはまた違う日々を過ごすことが叶い、多くの家臣らとも交流することができました」
「左様であったか。尾張での戦がなくなれば、より過ごしやすくなるのではないか」
「はい。それは某も領内を見て回る中で感じたことにございます。一刻も早う、尾張との諍いを鎮めねば領民は枕を高くして眠ることなどできませぬ」
「左様じゃな。予もいずれ、三河の地は訪れてみたいと思っておる。駿府では詠めぬ句を詠むことができようでな」
戦ではなく、句を詠みに三河へ。根本的に元信と氏真とでは、戦乱についての認識にズレが生じていたのだが、この時の元信に気づくことはできなかった。
「そうじゃ、元信。そなたに面白きものを見せてやろうぞ。ちとついて参れ」
「面白きもの、にございますか?」
元信は氏真に促されるまま、廊下を進んでいく。すると、徐々に空気が温かいものに変わっていくのを感じた。
「ここじゃ」
「ここじゃ、と申されましても」
元信が氏真に連れてこられたのは、湯浴み場に取り付けられた窓の外。そんな中からは侍女たちの声とがする。
「ここから背伸びをすれば、湯浴み場を覗き見れるというわけじゃ」
「手慣れているご様子から察するに、何度も行っておられるのでしょうや」
「いかにも」
自慢気な表情を浮かべる氏真。しかし、次の言葉に青年二人は体を硬直させることとなる
「何がいかにもですか!次期当主として恥ずかしき行いとは思わぬのですか!」
「これは尼御台さま」
「お、おばあ様。これは違うのです、ええと……」
「言い訳は無用です。松平次郎三郎の様子からして、覗きを提案したのは五郎でしょうに」
もはや言い逃れできる余地はなかった。黙って項垂れる氏真に、元信も庇いだてすることもできず、沈黙するほかなかった。何しろ、相手は今川義元の生母。偉そうな口を叩いてもよい相手ではないのだ。
「寿桂尼さま、一体これは何事にございまするか」
「おお、助五郎。支度はできましたか」
「はいっ!忘れ物などもございませぬ!」
「よろしい。では、駿河湯山へ湯治に参りましょう。五郎!折檻は湯治から帰りし後に行うこととします。よろしいですね?」
「は、はい……」
哀れかな、その場で叱られるだけでは済まされず、後ほど折檻されることとなった氏真。その落ち込んだ様子に、さすがの元信も見るに堪えないものがあった。
そうして寿桂尼が娘の中御門宣綱室と孫の北条助五郎を伴い、湯山へ湯治に出かけた後。二人はすごすごと氏真が自室へと戻ったのであった。
「次郎三郎、巻き込んでしまい済まぬ」
「いえ、某は折檻を受けるわけではございませぬゆえ、巻き込まれたわけではございませぬ」
「まぁ、そうであるな。兎にも角にも、今からおばあ様のお帰りを考えると憂鬱じゃ」
寿桂尼の怒る様を想像して落ち込む氏真に対し、元信は苦笑するほかなかった。自分では間に入って止めるだけの政治力は持ち合わせていないのだから、黙ってみているしかできないのである。
「そうです、来月の句会に五郎さまはご参加なされるのでしょうか」
「来月の句会とは山科言継様が開かれる句会のことか」
「はい。太守様や某の舅である関口刑部少輔氏純、他にも三条西実澄さまや中御門宣綱さまがご参加されると耳にいたしましたが」
「予もそのように聞いておるが、特に参加する予定はない」
「さ、さようで……」
何とか話題の転換を試みた元信であったが、ものの見事に失敗に終わってしまった。その後もどうにか会話を続けた後、元信は駿府館を出て自邸への帰路についたのであった。
「殿、お加減が優れぬご様子。館にて何ぞありましたか」
「七之助か。なに、案ずることはない。今日はあまり五郎さまと楽しく話すことが叶わなかったというだけのこと。次にお会いするときは、楽しんでいただけるような会話をしてみせる」
「よ、よく分かりませぬが、さすがは殿にございます!」
そう言って、元信の後を可愛らしくついてくる平岩七之助。そんな愛らしい近侍を伴い、自邸へ帰る元信なのであった。
そうして、三河での忩劇より始まった弘治二年も霜月、師走と瞬く間に過ぎ去り、弘治三年正月を迎えた。
この年の正月、今川治部太輔義元は嫡子・五郎氏真を呼び寄せ、ある重大なことを伝えていた――
「父上、新年明けましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願いいたします」
いかにも新年といった美しい着物を身に纏った氏真。そんな彼の視線の先には、脇息に右肘をかけながらじっとこちらを見ている父・義元の姿があった。
「五郎、よくぞ参った。そちも今年で二十歳となったわけじゃな」
「はっ、まこと時が過ぎるは早いものにございます。父上も三十九となられたわけですからな」
「いかにも、その通りじゃ。そんな今年、予は一つの大きな決断をした」
「その決断とは一体……?」
父が申す決断とはいかなる内容であるのか。あれではないか、これではないかと妄想しながら父を見つめる氏真の予想を遥かに上回る一大事が告げられた。
「今川の家督をそちに譲ろうと思う」
そう、今川の家督を嫡子・氏真に譲るというのである。あまりの衝撃発言に氏真は情報の処理が追いつかず、しばし体を硬直させてしまう。
「ち、父上っ!?私に家督を譲るとはいかなるわけに!?父上はまだお若い!ご隠居なされるにはまだ早うございます!なにより、今の私では当主の任を全うすることなど到底できませぬ」
「確かに、予もそちに家督を譲ることは一抹――否、十抹――否、百抹の不安でいっぱいじゃ。しかし、予が亡くなってより家督継承を行うよりも、予が隠居として後見しながら、少しずつ当主としての権限を委譲していくことが最善じゃと考えた」
義元とて氏真に譲ることに不安がなかったわけではない。しかし、自分が亡くなった後に当主としての任を任されるよりも、自分の目の黒いうちに当主の任を継がせ、後見することで政務に慣れさせていくのが最良の一手であると考えついたのである。
「さ、されど……」
「そちの不安は痛いほど分かる。じゃが、予は兄たちが亡くなり、突如として今川家当主となった。その時の不安ほどではなかろう。突如、当主となるよりも今より段階的に当主としての政務に慣れた方が良いと考える父の気持ちも汲んでくれい」
「わ、分かりました。然らば、これよりこの五郎、今川家当主の役目をお引き受けいたします!」
「よし、その意気じゃ。なに、そちの至らぬところは予が手助けいたすゆえ、案ずるでないぞ」
「はいっ!」
こうして今川家当主・今川氏真が誕生。今川家に従属し、その親類衆として駿府に居住していた松平元信にとって、主君が義元からその子・氏真へと変わった瞬間でもあった。
また、この弘治三年一月に駿府滞在中の山科言継は自身の日記において義元を「太守」、氏真を「屋形五郎殿」と記し、その日、山科言継はまず氏真に挨拶し、次いで義元に挨拶している。
「加えて、予は今川家当主を五郎に譲るにあたり、駿府館を出ることといたす」
「では、隠居屋敷に移られるということでしょうや」
「うむ、前当主がいつまでも当主の館に住まっていてはいかぬでな」
――ついに父・義元が駿府館を退去する。
その事実に、改めて自身が今川家の当主に就任したのだという重責が双肩にずっしりと重くのしかかったのである。
「然らば、父上。一つ、お願いしたき儀がございます」
「なんじゃ、申してみよ。当主よりの願いじゃ、何でも申してみよ」
「はい。松平次郎三郎元信に岡崎の松平領国での政務を担わせたく存じます」
氏真が義元に願い出たのは、元信の政治活動開始であった。元服し、駿河御前を娶って親類衆にまでなったにも関わらず、領内の政治を担えていない。そんな彼の政治活動を当主交代を機に開始させたいという申し出であったのだ。
「うむ、それは良い案じゃ。すぐにも支度を整え、開始させてやりたい」
「では!」
「じゃが、いきなり織田領国との前線拠点の政務を担わせるは重荷であろう。予に考えがあるゆえ、今しばらく待ってはくれぬか」
「承知いたしました。父上に何かお考えがあるのでしたら、五郎は何も申しませぬ」
聞き分けの良い五郎氏真の態度に父・義元は感心しつつ、その考えとやらに思考を注力していくのであった。
さて、今川家当主となった氏真は新年から自邸で和歌始を催し、山科言継も出席している。そして、山科言継は氏真に書や鞠を送ったりしたことを真面目に日記に記しているのであった。
正月八日には、三河忩劇にて今川家へ反旗を翻した大給松平親乗も恭順の姿勢を示し、すでに駿府へ移住していた彼が山科言継を訪ね、酒宴に及ぶなど、駿府は新年早々から実に賑やかであった。
そして、五郎氏真が今川家当主に就任したことを聞きつけた、この青年も駿府館へ参向していた。
「五郎さま。いえ、御屋形様。此度は今川家第十二代当主就任、まこと祝着至極に存じ奉ります」
「うむ、松平次郎三郎。さっそくの伺候、大儀であった」
真面目な顔で主従としての挨拶をかわす今川五郎氏真と松平次郎三郎元信。そんな幼少の頃よりの付き合いである二人は、真面目な挨拶が終わりもしないうちに笑いを堪えきれなくなっていた。
「いやはや、五郎さまが御屋形様となられる日がこのように早く訪れるとは思ってもみませんでした」
「いや、実を申せば予も同じ気持ちじゃ。よもや、二十歳で今川家当主となろうとは夢にも思わなんだ」
「まさしく、青天の霹靂にございますな」
「いかにも。じゃが、ひとたび当主となったからには、尾張を併呑し、父の悲願でもある伊勢湾の制海権を手にするつもりじゃ」
「では、その折には某が先陣を相努めまする」
「うむ、次郎三郎が先陣とは頼もしき限りじゃ。あとな、そなたが岡崎の政務を担えるよう、父上にも掛け合っておる。実現すれば、そなたもようやく当主らしく振る舞うことができようぞ」
「おお、それが有り難き限り。心底より、御礼申し上げまする」
――いよいよ自分も松平宗家の当主として、岡崎での領国経営に携わることができる。
元信にとって、その喜びは自認している以上に大きかった。今川家の当主が交代し、松平家の命運はどのように移り変わっていくのか。乞うご期待!




