第49話 松平の勇将たち
「この本多庄左衛門は豪勇の者。此度の岡崎帰還に合わせ、殿に引き合わせたく思い、これへ連れて参りました」
「左様であったか。本多庄左衛門、そちが多くの武功を挙げること、今より楽しみにしておるぞ」
「はっ、この本多庄左衛門光俊、必ずや殿を驚かせるような武功を挙げてみせまするぞ!」
こうして、新たに本多庄左衛門という武士と対面した元信。その日も暮れていくのを感じながら、自分よりも七ツ年上の若き勇将との会話に花を咲かせるのであった。
「殿、某はこれにて失礼いたしまする。殿が初陣を果たす折にはぜひとも参陣いたしとうございまする!」
「うむ、そなたが参陣すれば百人力よ。今よりその日を楽しみにしておるぞ」
「はっ、ははっ!」
酒井雅楽助政家の引き合わせにより実直な武人・本多庄左衛門光俊と対面した元信。その後も次々に元信を訪ねてくる岡崎の松平家臣の対応に追われ、またしても陽が暮れていく。
「殿、本日も大変にございましたな」
「うむ。されど、岡崎へ参ったなればこそ、かように家臣らとも直に話すことができるのじゃ」
「明日は一番に内藤弥次右衛門清長が倅と弟、甥二名を伴って参るとのこと。次には蟹江七本槍の杉浦大八郎五郎吉貞と同八郎五郎勝吉の父子、血鑓九郎の異名を取る長坂九郎信政、高木長次郎広正、成瀬藤蔵正義と同吉右衛門正一の兄弟、夏目次郎左衛門尉広次、本多肥後守忠真が兄嫁と甥姪を伴って参上すると使いが参っておりまする」
「ほう、大勢おるのう。また多くの家臣と話せるは喜ばしき限り。わしは今宵、早く休むことといたそう。明日に備えて、の」
「なるほど、承知いたしました。その旨、この雅楽助より皆に申し含めておきまするゆえ、殿はお休みくださいませ」
心配りのできる年長者、酒井雅楽助に後事を託し、元信は就寝の身支度を始める。手早く布団が敷かれ、蚊を燻し出す準備も同時進行で進められていく。
そうして夜まで慌ただしい元信一行であったが、その甲斐あって快適な一夜を過ごせた元信。辰の刻となり、万全を期して家臣らとの対面に臨むのであった。
「殿、内藤弥次右衛門らが参上いたしました」
「ほう、参ったか。うむ、支度は整っておるゆえ、これへ通すがよい」
「はっ!」
元信の言葉に弾かれるように廊下を早足で移動していく阿部善九郎正勝。彼が素早くすり足で移動していく音が響き、しばらくの静寂が訪れる。そして、足音がいくつにも重なり合って、元信の方へと向かってくるのであった。
「殿、お連れいたしました」
「うむ、ご苦労であった」
一礼し、脇に寄る阿部善九郎。そんな彼を横目に内藤弥次右衛門が四名の一族を連れて入室してきた。
「殿、内藤弥次右衛門清長にございまする」
齢五十六となり、すっかり鬢髪も白くなった内藤弥次右衛門。彼が礼儀正しく手をつき一礼すると、元信もつられるように一礼してしまう。
「わしが松平次郎三郎元信じゃ」
「はっ、存じ上げておりまする。殿が幼き頃よりご成長を眺めて参りましたゆえに」
「左様であったか。それは嬉しきことじゃ。今後とも成長を眺めていてくれよ」
「はっ、ははっ!」
内藤弥次右衛門にとって、主君・元信の成長を眺めるのは子や孫の成長を願う父親や祖父のような心持ちであった。
「殿、こちらが某の実子、金一郎にございまする」
「内藤金一郎にございまする!以後お見知りおきを!」
「おお、威勢のいい声じゃ。内藤金一郎、よろしゅう頼むぞ」
「金一郎は今年で十一、あと四、五年もすれば元服となりまする。幼少より弓の腕前に優れておりまするゆえ、戦場でお役に立てるかと」
「左様か。内藤金一郎が弓の腕前を戦場にて見られること、今より心待ちにしておるぞ」
これが、後の合戦でも弓の腕前を敵からも称賛される内藤金一郎と元信の初対面であった。そして、内藤一族の紹介は内藤弥次右衛門の弟へと対象が移り変わっていく。
「殿、内藤弥次右衛門が弟、内藤甚三忠郷にございまする!」
「おおっ、そなたが内藤甚三であったか。我が大叔父、松平蔵人が離反した後、阿部大蔵を頼って帰参したというのは」
「ははっ、左様にございまする。今でも先代よりいただいた判物は今でも大事にしまっております」
「それを聞けば、父もあの世で喜んでおるであろう」
――内藤甚三忠郷。
十三年前に松平広忠を離反した、元信にとって大叔父にあたる松平蔵人信孝に仕えていた武士であった。その後、阿部大蔵定吉の力を借りて広忠の元へ帰参した者である。
その頃には三十三であった彼も、今や四十六となっている。時の流れは本当に早いものである。
「この内藤甚三めも弓の腕には自信がございます。ゆえ、戦場にて殿に早う披露しとうございます!」
「ほう、内藤家には弓の名手が多いと聞くが、真のことであったか。然らば、その弓の腕前にて数多の敵を射倒すさまを見られること、楽しみにしておこうぞ」
「はっ、楽しみにしていてくだされ!」
自信ありげな笑みを浮かべる内藤甚三。若い元信にとってこれほど頼もしいと感じられる表情はない。
そんな内藤甚三の隣で、そわそわしている二人の青年に元信の意識が持っていかれる。
「そこでそわそわしておるのは甚三が子らか」
「ははっ、某の次男と四男にございますれば。これ、殿にご挨拶を」
「某、内藤甚三が次男、甚一郎正成にございまする!父と同じく弓の扱いには長じておりまするゆえ、戦場での活躍をご期待くだされ!」
「某は内藤甚三が四男、仁兵衛忠政にござる!武芸には自信がございますゆえ、必ずや殿のお役に立ちまする!」
すらりとした人間の多い内藤一族であるが、見かけによらず武闘派である。そのことに驚きながらも、元信は弓の名手を大勢輩出する内藤一族との交流を楽しみ、半刻が過ぎた。
「殿、杉浦大八郎五郎吉貞、八郎五郎勝吉の父子がただいま参上。お目通りを願っております」
「おお、三郎兵衛か。今、内藤弥次右衛門らと話しておる最中ゆえ、しばし隣の間にて待たせておいてはくれぬか」
「あいやしばらく!杉浦殿らが参ったのであれば、我らも長居をしすぎたようにございます。我らはこの辺りで失礼するといたしましょう」
「なに、左様に遠慮せずともよかろう」
「いえ、そういうわけにも参りませぬ。殿は我らにとって大切な主にございますが、我らだけの主に非ず。ゆえに、今日のところはお暇させていただきまする」
内藤弥次右衛門にそこまで言われては、元信はそれ以上引き留めるわけにもいかなかった。
「うむ、分かった。では、気をつけて戻るがよいぞ」
「ははっ!お気遣い、痛み入りまする!では、これにて」
内藤弥次右衛門清長に率いられるように、金一郎、甚三忠郷、甚一郎正成、仁兵衛忠政らが続々と退出していく。彼らを見送るべく阿部善九郎も動き、天野三郎兵衛は杉浦父子を呼びに行くのであった。
「ふふふ、朝から賑やかなものよ。そうまでしてわしに会いに来てくれるとは、父祖の功績があってこそ。決して思い上がってはならぬな」
外から室内へと吹き抜ける朝の爽やかな風。そっと目を閉じ、肌を撫でていく風の感触を楽しんでいるところへ、天野三郎兵衛景能が杉浦父子を伴ってくる足音が接近してきた。
「殿」
「分かっておる。これへ通すがよいぞ」
「ははっ!杉浦大八郎五郎殿、八郎五郎殿、こちらへどうぞ」
天野三郎兵衛に促されるまま、杉浦大八郎五郎吉貞、杉浦八郎五郎勝吉の父子が入室。懐紙で汗を拭いながら元信の前に着座した両名は大久保一族と同じく、日焼けの目立つ武士らであった。
「お初にお目にかかりまする、杉浦八郎五郎勝吉にございます!」
「杉浦大八郎五郎吉貞、ただいま参上いたしました!此度、殿にお目にかかれたこと、恐悦至極――」
「親父、あまり畏まらずとも。ほれ、殿もお困りになっておられよう」
「そのようじゃな。いやはや、申し訳ござらぬ」
「よいよい。わしこそ困惑を顔に出してしもうたことは詫びよう」
父を制止する息子。その様子に笑みを浮かべながら対応する主君。なんとも奇妙な空気の漂う空間であるが、初対面の場での打ち解けた雰囲気作りという観点では成功を収めていた。
「両名とも、先般の蟹江攻めでの活躍は遠く駿府まで聞こえておる。まこと、ご苦労であった。三河国岡崎に松平ありと示せた、素晴らしき戦果であった」
「あ、ありがたき幸せ……!」
「織田の者どもに松平の恐ろしさを刻み付けてやりましたぞ!次に尾張に侵攻する折も某に先鋒をお申し付けくだされ!」
「おう、その折には先鋒を申しつけることといたそう。ただし、先鋒を希望する者が後を絶たぬゆえ、功名争いは激しいものとなろう」
「なんの、そのようなこと覚悟のうえにございまする!」
どうして我が家臣らはこうも先鋒を願い出てくるのか。そのような疑問がふと頭に浮かんだ元信であったが、首を小さく左右に振って疑問を振り払う。
「して、殿。初陣はいつか、すでにお決まりでしょうや」
「いや、まだ初陣がいつかは決まっておらぬ。太守様のご様子からして、今しばらく先のこととなろう」
「左様にございますか……」
「気落ちいたすな。初陣の時は必ず来るゆえ、それまで辛抱して待っておるがよい」
「さ、左様にございますな。ははっ、今より殿が初陣を成される日を、今より心待ちにしております!」
元信の初陣に参じたがる杉浦八郎五郎勝吉。そんな彼の情熱を鎮火させず、火の勢いを弱めたうえで切り抜けた元信。その後も杉浦父子と戦の話を中心に話しているうちに時は過ぎ、両名は大樹寺を去っていった。
「殿、杉浦父子とは戦の話ばかりでしたな」
「じゃが、戦を経験したことのないわしには鮮らけき話であった」
――戦。
元信にとっては未知の世界そのもの。そんな世界にいつかは飛び込まなければならないのだから、あらかじめどのような世界なのかを垣間見られただけでも十分に意義のある話であった。
「三郎兵衛、次に参るのは長坂九郎信政であったか」
「はっ、血鑓九郎の異名を取る方で、この三郎兵衛も会えるのを楽しみにしておる方にございまする」
「左様か。うむ、確かにそうじゃ。早う会うてみたいものぞ」
元信が天野三郎兵衛と他愛のない会話を続けていると、不意に顔をのぞかせた壮年男性が一人。
「おうっ、主君はこれにおられたか」
「むっ、何奴!」
気配を殺して現れた目の前の壮年男性に対し、主君を守ろうと刀の柄に手をかけてにらみつける天野三郎兵衛。それを見た壮年はにやりと強者の笑みを浮かべる。
「小童、そう警戒せずともよい。拙者は長坂九郎信政じゃ。人は血鑓九郎などと言うがな。わははは!」
「なっ、貴殿があの血鑓九郎と……!?」
驚く天野三郎兵衛景能の言葉に頷き返す長坂九郎。数多の戦功を挙げたことで、元信の祖父・清康から血鑓九郎の異名を授かった男の貫禄たるや並大抵のものではない。現に天野三郎兵衛は蛇に睨まれた蛙のように動きを停止させてしまっている。
「そちが長坂九郎信政であるか」
「いかにも。いやしかし、まこと殿は先々代の清康公に顔立ちが似ておられる」
「それはまことか?わしは祖父様には会うことが叶わず、よく分からぬのじゃが」
「まことにござる。いずれ殿は清康公のごとく三河一統を成し遂げる器と見ましたぞ」
「ははは、三河一統とは夢物語を。今のわしは今川家親類衆という立場。せいぜい西三河の松平一族を束ねられれば御の字であろう」
別に元信の言葉は謙遜でもなんでもなく、今川家の領国支配の下、西三河の松平一族を束ねる立場を得る、というのが現実的なものの見方であった。しかし、そんな元信の見立てに血鑓九郎は笑いながら首を横に振る。
「いやいや、この血鑓九郎が勘を侮っていただいては困りますぞ。ここで己が首をかけても良い。いずれ、殿が三河一統を成し遂げるであろう、と」
豪胆に笑う血鑓九郎の言葉に、元信はそれ以上何も言うことはできなかった。冗談は止せと言いたいところではあるが、血鑓九郎の真剣な眼差しをみれば半端な笑いで返すわけにもいかなかったのだ。
「左様か。ならば、駿府の太守様の下、三河を統べる今川家親類衆でも目指すとしようかの」
未だ松平領国の政務に携わることすら叶わぬ身では、そう答えるしかなかった。その言葉には家臣からの期待に応えられそうにない、己の不甲斐なさに対する怒りも感じられた。
「殿、お忘れあるな。その身に清康公の、三河平定を成し遂げた男の血が受け継がれておることを」
――忘れるものか。
血鑓九郎の言葉に心の内でそう答える元信なのであった――