第36話 蟹江七本槍
竹千代が元服し、松平次郎三郎元信となった天文二十四年三月より早三ヵ月が過ぎようとしていた。
岡崎近郊の淵上の大工小法師に大工跡職の継承を保証する旨を岡崎の政務を担う石川安芸守忠成ら重臣に指示するなど、当主としてなすべきことにも精を出していた。
「殿、先月の大工跡職の継承を保証なされた件についてでございます」
「おお、七之助か。うむ、何ぞ不手際でもあったか」
「いえ、滞りなく進んでおると国元より報告の文が届いております。去る五月六日、石川安芸守忠成殿、青木越後殿、酒井雅楽頭政家殿、酒井左衛門尉忠次殿、天野清右衛門康親殿の五名による連署状を発給したと記されておりますれば」
「そうか、ご苦労であった」
元信は七之助からの報告を聞き終えると、書見台に広げたままの『貞観政要』と睨めっこを再開。それはもう真剣な眼差しで書物を読み進めてゆく。
姿勢を真っ直ぐに正し、最小限の動作で書物をめくっていく様子は実に洗練されていた。幼少の頃より書物に親しみのある人間ならではの立ち居振る舞いといったところであろうか。
「殿、読書中失礼いたします」
「おお、七之助の次は徳千代か。うむ、近うよれ」
「ははっ!」
徳千代は七之助の隣まで移動し、静かに着座。報告の文でもあるのか、襟元に右手を突っ込んでいた。
「こちら、国元より届いた近々の尾張情勢を記したものにございます」
「近々の尾張情勢とな?聞かせよ」
「ははっ、然らば言上仕る」
阿部徳千代から伝えられた尾張情勢。それはかつて、元信の祖父・清康が陣中にて阿部正豊に斬殺された守山における出来事であった。
織田弾正忠達成の弟・秀孝が叔父・信次の家臣・洲賀才蔵に誤殺された。それを聞いた織田達成は信次の居城・守山城の城下を焼き払ったというのだ。
これに対して信長は「無防備に単騎で行動していた秀孝にも非がある」と、信次を処罰しようともしなかったという。
結局、信次は逐電、つまりは行方をくらましてしまったため、守山城主の地位には織田達成の兄弟である織田安房守がつくこととなった。
「ほう、弟を殺されて城下を焼き払った織田弾正忠殿と責のある叔父を処罰しようともしない織田上総介殿……か。対応の違いに両者の対立が見て取れるようじゃ」
「はい。ゆえに、阿部大蔵殿や大久保新八郎殿は織田弾正忠家に近々内訌が起こること必定である、とかように申しております」
「ちと派手な兄弟喧嘩となりそうであるが、火中の栗を拾うには及ばず。そう申したいところではあるが、好機到来と言えるやもしれぬ。明日、駿府館へ登城し、太守様に申し上げてみようと思う」
「それがよろしいかと存じます」
そう言って一礼し、落ち着いた素振りで退出していく阿部徳千代。年長者らしい落ち着きも見られるようになり、元信も頼れる側近であると認識していた。
翌日、元信は鳥居彦右衛門尉ら近侍を引き連れて駿府館へ登城に及んだ。今川治部太輔義元のいる広間へ通されると、当の本人は難しい面持ちで何やら書状を広げていた。
「太守様、松平次郎三郎元信が参りました」
「おお、次郎三郎か。何ぞ報告したき儀でもあるか」
「御推察の通りにございます。尾張にて織田上総介と織田弾正忠の兄弟による内訌の兆しありと国元より報告がありましたゆえ、太守様のお耳に入れておきたく存じ、まかり出ました」
「ほほう、予も尾張のことで頭を悩ませておったところじゃ。ほれ、この書状を見てみよ」
「こ、これは……!」
義元が先ほどまで目を通していた書状は織田信長によって尾張国守護に奉じられた斯波義銀からのものであった。
「どうやら、斯波家の権威を取り戻したいようでな。予や吉良義昭、尾張国海西郡の国人・服部友貞と通じ、当家の軍勢を引き入れようと画策しておるそうじゃ」
「では、何故太守様はあのような難しい面持ちをなさっておられたので……?」
「うむ、それはこちらの書状を読めば分かるであろう」
続いて義元から元信へと渡されたのは先ほどの書状より日付が後の、尾張国内に潜らせている間者からの報せであった。
「なんと、この密謀が織田上総介の知るところとなっておると……!?」
「そのようじゃ。同様の文が他に二通来ておるゆえ、真のことであろう。となれば、斯波義銀との謀に乗るは大博打じゃ」
――なるほど、それで眉間にしわを寄せながら悩んでいたのか。
元信は心の内で、義元の様子にも合点がいった。計画が敵方に見破られている中、実行に移すのはあまりにも危険が高い。元信でも同じ状況であれば迷うことだろう。
「じゃが、予はやはり乗ることにした」
「この大博打に乗ると仰せに……!?」
「いかにも。良いか、次郎三郎。戦は支度でほぼ決まるものじゃが、こうした事態にあって大博打に挑んではならぬというわけではない。無論、でき得る限りの備えはしたうえで挑むつもりじゃがの」
「さすがは太守様。この次郎三郎、感服いたしました……!」
賭けに乗る決断をするのみでなく、その賭けで勝てる確率を上げられる限り上げる。それもまた大切なことなのだと、元信はたった今義元の言葉から学びを得た。
「して、太守様。いかにして、大博打に出られるのでしょうや」
「三河衆を尾張国海東郡へ派遣し、西より織田を脅かすつもりじゃ。狙うは蟹江湊と蟹江城の制圧。されど、これには松平次郎三郎の岡崎衆にも働いてもらわねばならぬ」
「承知しました。三河衆ということは岡崎の手勢だけではなく、他の松平にも動員をかけることになりまするか」
「いかにも。岡崎でお許に代わり政務をになっておる大叔母の子である大給松平親乗、桜井松平監物、福釜松平親俊らにも動員をかけよ」
岡崎の松平宗家に加え、大給松平、桜井松平、福釜松平を動員する。まだまだ松平勢をかき集められようが、そうすると本国三河の守りが手薄になってしまう。その点を考慮し、義元も指示を出しているのであった。
「されば太守様、松平のみの軍勢であれば二千ほどとなりましょう。それでは蟹江湊の制圧すらままならぬかと」
「うむ。ゆえに、鳴海城からは山口左馬助らの隊や、先ほど斯波義銀よりの書状にも名が記されておった海西郡荷ノ上の服部友貞らの隊も合流させるつもりじゃ。これなら落とせよう」
「尾張を良く知る者らを派遣いただけるとは、これほど心強いことはございませぬ」
そうして、今川治部太輔義元と松平次郎三郎元信よりの命が伝えられ、三河では戦支度で慌ただしくなっていた。大久保家はその最たるものであった。
大久保家の長老・大久保新八郎忠俊、その弟・甚四郎忠員、新八郎と甚四郎からみて甥にあたる阿部四郎五郎忠政。甚四郎の長男・七郎右衛門忠世、甚四郎の次男・治右衛門忠佐。
大久保新八郎・甚四郎らにとっての甥にあたる杉浦八郎五郎吉貞、その子・八郎五郎勝吉らが参集していた。
「よもや、老骨に鞭打って尾張へ攻め入ることになろうとは思わなんだ」
「ははは、新八郎兄者も五十七、無茶はなりませぬぞ」
「たわけ、元服された殿からの命でもある。ここは大手柄を挙げて駿府におわす殿を仰天させてくれる!何より、甚四郎。お主とて四十五ではないか。槍を振るうことはできるのか」
「ははは、こりゃおかしい。兄者こそ、まともに槍を扱えるとは思えぬ。すっかり白髪頭の老いぼれゆえな」
「なんじゃと!ほざいたな、甚四郎」
血の気の多い大久保家の老人らは、そのまま斬り合いになるのではないかと思ってしまうほどの気迫で言い合いを始める。されど、兄弟そろって刀に手をかけるような真似はしなかった。
「まあまあ、落ち着いてくださいませ。その血の気は戦場にて発揮していただきとうございます」
「阿部四郎五郎ではないか。そなたが得意とする弓も頼みとしておるぞ」
「お任せあれ!織田上総介の真眉間でも射抜いてくれましょう!」
「たわけ、これから向かうのは蟹江じゃ。織田弾正忠家の当主がおるわけなかろうが」
今年で二十四の阿部四郎五郎忠政をたしなめたのは、同い年の大久保七郎右衛門忠世であった。そこへ、五つ年下の大久保治右衛門忠佐も加わり、今度は若手らが騒ぎ出す。それを杉浦八郎五郎父子が酒を片手に笑いながら見守っていた。
なんとも大久保の縁者らが老いも若きも騒ぎ出す中、先ほどまで一番大声を張り上げていた大久保新八郎がひと際大きく手を鳴らす。その場にいた者らはその音に驚き、会話を中断し、大久保老人の方へと向き直る。
「良いか、此度は岡崎の松平勢のみでなく、大給も桜井も福釜も加わっての蟹江攻めじゃ!沓掛城、大高城を経由して進軍し、道中にて鳴海の山口左馬助らの軍勢とも合流する手はずとなっておる!者ども、ぬかるでないぞ!」
大久保新八郎の一党を鼓舞する言葉に、皆が「おうっ!」と声を揃えて手にした槍や刀を頭より上の高さまで上げていた。興奮気味の大久保らを筆頭とした松平宗家の軍勢は出陣し、遠く尾張国蟹江の制圧に動いた。
進軍は順調に進み、岡崎松平、大給松平、桜井松平、福釜松平、鳴海山口らは海西郡荷ノ上の服部友貞と合流したうえでの蟹江城攻めを八月に決行。
蟹江湊、蟹江城を守備する織田軍と激しい合戦となったが、大久保新八郎らの奮戦もあり、蟹江湊を制圧し、蟹江城を陥落させることに成功したのであった。
「伯父上、やりましたな!」
「おお、八郎五郎。無事であったか!」
血まみれになった槍を引っ提げて現れたのは杉浦八郎五郎吉貞。彼と相対する大久保新八郎もまた、返り血を浴びて蟹江の地に突っ立っていた。
「伯父上!見てくだされ!敵兵をこれだけ討ち取りましたぞ!」
「ふっ、拙者は兄者よりも二つ多く取りましたぞ!」
「何!ならば、今からでも三つ取ってくるまでのこと!」
「兄者がそう来るならば、拙者も三つ取る!兄者には負けられぬ!」
伯父に戦果報告をしに来た七郎右衛門忠世と治右衛門忠佐であったが、どちらが討った敵兵の首級が多いかで言い争いになり、再び戦場へ駆け出していくのであった。
「まったく、あ奴らには困ったものよ」
「ははは、闘争心溢れる若者で良いではありませぬか」
「八郎五郎、他人の事だと思っておるゆえそのようなことを申せるのだ。お主の子があの調子であったらいかがする?」
「さぁ、分かりませぬ。某は好きなようにいたせばよいと、そう思っておりまする」
血の気の多い若者らについて談じる大久保新八郎忠俊と杉浦八郎五郎吉貞。そこへ、遅れて甚四郎忠員、阿部四郎五郎忠政が合流し、話題を駿府にいる主君のことへ転じながら戦後のひと時を過ごしていた。
此度の蟹江攻めにおいて先鋒として勇戦戦功を挙げた大久保新八郎忠俊、大久保甚四郎忠員、大久保七郎右衛門忠世、大久保治右衛門忠佐、阿部四郎五郎忠政、杉浦八郎五郎吉貞、杉浦八郎五郎勝吉の七名は「蟹江七本槍」と称されることとなる。
そんな家臣らの奮戦により、蟹江城が陥落したとの一報は駿府に留まる松平次郎三郎元信の元へ戦果報告の文書が届けられていた。
「与七郎、大久保一族が奮戦、まこと見事であるな」
「はい。なんでも、巷では杉浦八郎五郎父子も加えて、蟹江七本槍などと申しておるそうにございます」
「ははは、蟹江七本槍か。良い響きじゃ。次なる戦場にて新たな七本槍が生まれるやもしれぬな」
「はっ、まことに……!」
戦場の惨さを大将として味わったことのない元信と、父より戦場の恐ろしさを教え込まれ、本多平八郎忠高や叔父・一政が討ち死にした悲嘆を味わった石川与七郎数正とでは、戦果報告文書に対する味方が違っていた。
誰々が誰それの首を取った。文書にはそう記されていても、それは一人の命が失われたことを意味する。その言葉の重みは戦場における悲しい体験の有無によって、まったく違った感想を抱かせてくる――
「与七郎、いかがした。何やら顔色が優れぬようじゃが」
「いえ、此度の戦も激戦であったと聞き及んでおります。ゆえに、亡くなった者らに南無阿弥陀仏と心の内で念仏を唱えておりました」
「うむ、それもそうじゃな。わしも手を合わせ、念仏を唱えるとしようぞ」
石川与七郎数正の眼の前で手を合わせる元信。そんな若き十四の主君を見て二十三歳の石川与七郎は、いずれ御主君も戦の惨さを体感することになるのかと思い、一人沈思するのであった。
季節は夏。岡崎からそう遠くない奥三河にて高まった反今川の火種が着火しようとしているなど、知る由などなかった――