表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不屈の葵  作者: ヌマサン
第2章 水沫泡焔の章
31/185

第31話 いずれ国主になる者たちよ

 屋敷が犬や鶏で溢れかえっていること、武芸の稽古に励んでいないことなど、耳の痛い話が次々に飛び出す教訓状。お次は学問のことであった。


 ――学問は第一の事である。文を左にし武を右にするというが、国を治めるには文武の道なくてはとてもできない。


 文武を兼ね備えていなければ、国を治めることなどできぬぞ。今川五郎氏真も竹千代もそう言われているように感じた。


「氏真さま、学問に励まれることは」


「和歌や詩歌などは好きじゃ。されど、竹千代が読むような論語などは好きになれぬ」


「さ、左様にございますか」


「蹴鞠も良い。予も公家に生まれたのなら、実に楽しい日々が送れたであろう」


 海道一の弓取り・今川治部太輔義元の嫡男に生まれながら、公家に生まれることを望む。人によっては贅沢極まりない願いであるが、紛れもなく氏真の本心であった。


「竹千代は文武というものをいかなるものと心得るか」


「武は己が身を護るものと心得まする。敵を斬るは家臣の務めにございますれば。文は生涯励行する素晴らしきものと心得まする。先人の知恵を身につけ、おのが生に活かすことこそ肝要かと」


「竹千代の言うことはもっともじゃ。ならば、父上から散楽を所望された際に家臣の阿部徳千代に舞わせたお許はどう心得る」


「文武が第一、第二に芸事と心得まする」


 武将たるもの、公家文化以上に文武を学ばなければならない。その点において、竹千代は今川義元と同意見であった。


 その後も父・義元から子・氏真への教訓状は政に対する姿勢などにまで言及され、今の在り方のままでは家老や民百姓にまで見限られて国が滅びていくのは口惜しいという旨まで記されていた。


 十六になってなお、子供のような振る舞いの目立つ氏真に対し、国主になる者としての覚悟を持つよう訓戒している義元。子を想うが故の厳しい言葉の数々。少なくとも、竹千代はそう感じられてならなかった。


 何よりも竹千代にとって印象的であったのは家督を相続してこの方、今川治部太輔義元という人も苦労を重ねてきたということ。その数々の障害を乗り越えて修練してきたからこそ、今の海道一の弓取りはあるのだと痛感させられる。


 また、『我が儘な振る舞い、無体な成敗をしてはいけない』、『譜代相伝の者であっても、国の法度に背いたら進退を捨て、成敗すべき』といった義元の訓戒も忘れてはなるまい。しかと心に刻んでおかねばならぬ。そう思う竹千代なのであった。


「竹千代、予は父上の申すことはもっともであると思う。おそらくは父を超えてみせよと仰ってもおられるのであろう」


「はい。たいへん父の愛を感じる教訓状にございました。竹千代にはすでに父がおりませぬゆえ、このような教訓状を与えてくださる父君を持たれた氏真さまが羨ましゅうございます」


「そうか、そうであったな。うむ、この氏真、今日より父上の跡を継いで国主になるものとして、稽古に励んで参るとしようぞ」


 父からの長文の教訓状に辟易していた氏真。だが、竹千代とともに内容を吟味しているうちに、心の内で整理がついたのか、今では晴れ晴れしい表情へと変化していた。


「氏真さま、教訓状にて太守様は犬や鶏のことを快く思っておりませなんだ」


「うむ、予もそれは思うところがある」


「竹千代は、氏真さまがお持ちの子犬や鳥をめでる御心の優しさと風流心をどうか忘れずに持っていていただきたいと思うております」


「捨てる必要はない、と」


 氏真の言葉に首肯する竹千代。国主となる者の心構えと風流な心、どちらかを捨てる必要はなく、併せ持つ事ができるもの。無論、容易ではないものの、それを成してほしいというのが竹千代の願いであった。


「竹千代、まこと勝手なことを申すやつよの」


「ですから、願いであると申し上げたのです」


「だが、頭の片隅には留めておくとしようぞ」


「ありがとう存じます」


 嫡子・氏真に教訓状を執筆した天文二十二年二月。この月の二十六日、今川義元は亡き父・氏親が定めた『今川仮名目録』を補訂する形で、二十一条の『仮名目録追加』を制定した。


 東国では最古といわれる分国法、今川仮名目録。それは息子の代になって加筆修正が加えられはしたものの、脈々と受け継がれていた。


 二十一条に及ぶ『仮名目録追加』を制定した義元としても、氏真の代には改訂され、よりよい分国法として領国経営に活かされていくことを期待していたかもしれない。


 そんな今川仮名目録が加筆修正バージョンアップされた如月も過ぎていき、弥生へと月が替わっていく。


 天文二十二年三月、数えで十二歳となった竹千代にとって無関係とはいえないどころか、密接に関係する出来事が勃発した。


「兄者、お久しゅうござる」


「よう来た、藤九郎。わしは一つ、決断を下すこととした。重要なことゆえ、一門重臣が集まりし後、披露することといたす」


「承知ぞ」


 竹千代より二十歳年上の伯父・水野下野守信元。三十を過ぎ、体力・気力と経験が絶妙に絡み合う年頃になった男は、尾張国緒川城にて一つの決断を下そうとしていた。


「兄上、水野清六郎忠守。ただいま参上いたしました」


「水野伝兵衛近信も同じく!」


「水野藤二郎忠分(ただわけ)、ただいま参上!」


 水野下野守の弟たちが続々と春も間近に迫った広間に参集してくる。このうち、清六郎忠守と伝兵衛近信は駿府で竹千代の養育にあたる源応尼が腹を痛めて産んだ子らである。


 藤九郎と清六郎は同い年で、二十九歳。藤二郎はまだ十七の若武者であった。そんな弟たちが集まったところで、水野下野守は本題へ入ってゆく。


「此度、緒川へ集まってもらったのは他でもない」


「うむ、兄者が拙者を苅谷から呼び寄せたのじゃ。何ぞ一大事でもあったのであろう」


「藤九郎の申す通り、この下野は今川を離反することを決断した」


 声色を変えることなく、川の上に落ち葉が流れるがごとく自然な調子での発言。だが、内容はまったくもって不自然なものであった。


「兄上!つ、つまり、織田と今川に両属している状態から脱却すると……!?」


「いかにも。見よ、この今川より届けられた書状を」


「しょ、書状を拝見させていただきまする」


 驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた清六郎は兄から差し出された書状へ目を通す。そこには知多の材木を沓掛城を送ることをはじめ、到底水野家では負担しきれない物資の運搬を指示する内容であった。


「このままでは織田との境目にある我らは使い潰されるのがオチであろうが」


「そ、それは……!」


「ゆえに、水野は今川との従属関係を解消し、両属の現状から脱却する。水野が行く末、織田上総介殿にかけることといたす」


 重くのしかかる水野下野守の声に、清六郎、伝兵衛、藤二郎は沈黙してしまう。ただ一人、口を開いたのは藤九郎であった。


「兄者。この藤九郎、その下知には従いかねる。大高水野も拙者と同じく、不服を申し立てましょうぞ。何より、水野に従属しておる国衆らも承服すまい」


「そうであろう。ゆえに、無理強いはせぬ。じゃが、一度は離反してもらうことにはなるが、今川に帰参することを止めはせぬ」


「な、なんと仰せられる!?」


「藤九郎も大高水野も、今川を離反した後の行動はいかようにもするがよい。各々が生き残る最善策を講じることといたせ」


 とりあえず、水野家は今川家から離反する。これは決定事項であるが、その後はともに今川に抗うも良し、今川へ再び従属するも良し、各々の判断に任せるというなんとも無茶苦茶な決断であった。


 だが、水野下野守は気が狂った様子ではなく、突き放しても大方は自分へついてくるものと信じて疑わない、自信に満ちた様子ですらある。


 こうして、ある者は水野下野守の緒川水野にどこまでもついていくと決めた者、これ以上はついていけぬと心の内で思った者。


 各々の思惑が交錯する中、水野家の今川離反はただちに岡崎城代の糟屋備前守と飯尾豊前守乗連より駿府の今川治部太輔の元へ届けられた。


「ほほう、水野下野守が離反したとな」


「は、ははっ!まこと、時流の読めぬ兄の暴挙、面目次第もござりませぬ……!」


 そう言って兄の軽挙妄動を謝罪する男の名は水野弥平大夫(やへいだいぶ)忠勝。紛れもない水野下野守の弟であり、竹千代の叔父にあたる人物である。


「時流の読めぬ、のう。お主も兄より密命を帯び、この今川治部太輔義元を暗殺せんと図っているのではなかろうな?」


「め、滅相もございませぬ!天地神明に誓って、そのような謀はございませぬ!」


「ふふふ、戯言よ。気にするでない。それで、水野離反の件で、もう一人ここに適任者を読んでおる」


「適任者、にございますか」


「じきに分かる」


 義元の「じきに分かる」という言葉の意味は、すぐに水野弥平大夫にも理解することができた。なぜなら、義元の近侍が松平竹千代の到着を伝えに来たからである。


「さては、適任者とは竹千代殿のことに……!?」


「うむ、水野の対処について、竹千代の力も借りたいゆえな」


 竹千代の力を借りる。それは松平宗家当主という立場が必要ということか、はたまた松平家の武力をも用いたうえで水野家を攻めるという意図の発言であるのか。水野弥平大夫は義元の真意をくみ取れず、頭を悩ませることとなった。


「太守様、お呼びでしょうか」


 叔父である水野弥平大夫がいることに気づいていながら、それよりも先に主君たる今川義元への挨拶を優先した竹千代。すっかり今川家従属国衆としての立場が板についてきていた。


「お許が織田家の人質であった頃、熱田湊が栄えていたと申しておったであろう」


「はい。左様に申し上げました」


「予は熱田湊は言うまでもないが、蟹江湊も津島湊も欲しい。これを得るためにはいかがすればよいであろうか」


 水野のことで呼び寄せたはずの竹千代に対し、尾張の主要な湊についての質問を重ねていく義元。一体、海道一の弓取りが何を考えて、そのような質問をするのか。水野弥平大夫には皆目見当もつかなかった。そう、この時までは。


「伊勢湾より近い大高の地を足掛かりに攻めるのはいかがにございましょう」


「大高のう。さて、大高の地は誰が領しておったかの?」


「それは大高水野――」


 そこまで口にして竹千代は言葉に詰まった。岡崎の老臣おとなたちから水野の今川離反の一報は竹千代に元にも届けられている。


 目の前にいる今川義元という大大名が何を企んでいるのか、そこまで理解できてしまった。いや、近くでやり取りを聞かされている水野弥平大夫ともども、理解させられてしまった、という方が正しかろう。


「予は此度の一件、捨ておくつもりはない。仔細は岡崎城代たる糟屋備前と飯尾豊前の両名に申し付くることとなろうが、御身らには予の口から伝えておくこととしよう」


 義元から伝えられたのは陣立てが主であった。それは、岡崎の松平宗家を筆頭に青野・能見・桜井・福釜の松平勢を先鋒として水野領の牛田城・池鯉鮒城・苅谷城へ進撃させる予定であること、その号令に宗家の当主たる竹千代も了承すべきこと。


 鳴海の山口左馬助と上野の酒井将監忠尚の手勢も尾張の沓掛方面へ展開させ、隙あらば制圧する動きを取らせることなどが今川家当主より直々に伝えられた。これに竹千代以上に敏感に反応したのは水野弥平大夫忠勝であった。


「未だ大給松平をはじめ、太守様に従わぬ三河の国衆も多うございまする。さすれば、水野がそれらの諸勢力と結びつく可能性もございましょう」


「弥平大夫、お許は鋭いところを突いてくるのう。じゃが、それは織り込み済みよ」


「織り込み済み、と申されますと……」


「ゆえに、上之郷(かみのごう)城の鵜殿(うどの)長持ながもち山中(やまなか)城の奥平(おくだいら)定勝さだかつには後詰として矢作川手前で待機させるつもりよ。有事の際の備えとしてな。無論、東三河や遠江からも軍勢を派遣するつもりゆえ、案ずるに及ばぬ」


 水野という国衆を相手に、松平や奥平などの三河の国衆を動員して事に当たらせるにとどまらず、東三河や遠江からも今川軍が出撃して制圧に当たる。


 三十五歳の今川家当主に、慢心などなかった。知多半島を支配下に置いている国衆が相手であろうと、全力で潰しに来る。その容赦のなさに、水野弥平大夫は相対しながら身震いと冷や汗が止まらなかった。


 だが、義元にとって織田領国との境目にあたる水野家の不穏な動きを捨ておくことは今川領国の安寧秩序を乱す。そのように認識していたがゆえに、一切の容赦がなかった。


 まさしく今川領国を統べる者――駿河・遠江の国主として、今回の一件に臨んでいたのであった――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ