第27話 御屋移り
青野松平家において当主交代劇が繰り広げられ、織田家では鳴海山口氏が離反した天文二十年十二月。
この師走で、竹千代が駿府へやって来て丸二年の月日が流れたことを意味する。八歳だった竹千代も、今では十歳。大人にとってはたかが二年。されど、子供にとって二年という月日は長い。そして、大きく成長できる月日なのである。
そんな十二月の二十七日。昨年の閏五月に妹を、その翌月に実母を立て続けに失ったとある十四歳の少年が駿府にて独り立ちした。
それまで居住していた屋敷から新たに屋敷を建設し、そこに移る。いわゆる『御屋移り』をしたのだ。
その少年こそ、今川義元の嫡男であり、元服すると今川家当主歴代の仮名「五郎」を称し、実名を「氏真」と名乗ることになる、龍王丸である。
「龍王丸。そなた、弓馬の稽古は怠るなよ」
「は、はいっ!」
「うむ、弓馬は男子の技芸じゃ。器用も不器用も関係なく稽古しなければならぬ事じゃ。その旨、しかと心に刻み付けておくがよい」
屋敷を移るにあたり、龍王丸は父・義元より訓戒を授けられていた。大人の仲間入りを果たそうという我が子を導くのも父の務めであると感じたからであろう。
義元が龍王丸へ訓戒を授けている傍らでは、龍王丸の三つ下の同母妹・松姫が熱心に『貞観政要』を読み込んでいる。今川家の後継者以上に学問に励む少女を見やりながら、義元は言葉を続ける。
「して、龍王丸よ。そちは何故屋敷を移ることになったのか。父の前で今一度申してみよ」
「それは、婚約を受けてのことであります」
「そうじゃ、婚約を受けての御屋移りである。然らば、誰某が姫を娶るというのか」
「北条相模守が四女、春姫にございます」
己の妻となる女性が誰であるのかを龍王丸が理解していたことに安堵したのか、強張っていた表情筋を緩ませながら首肯する義元。
弓馬の鍛錬が続かず、学問に励んでいる様子が見られない我が子の将来を案ずる。政務を離れ、我が子を前にすれば、今川義元とて一人の父親であった。
我が子に次期当主としての心構えを持ってもらいたい三十三歳の父親と文武両道からはほど遠い十四歳の息子。その傍らで黙々と勉学に励む十一歳の才女。なんとも奇怪な空気の中、侍臣がある人物の来訪を取り次いできた。
「御屋形様、松平竹千代殿が祝辞を述べに参上したとのこと」
「ほう、竹千代が参ったとな。これへ通せ」
「か、構いませぬので……?」
「かまわぬ。予が通せと申しておるのが聞こえぬか」
義元の声色に微々たる変化が表れたことに反応した侍臣は血相を変えて一礼し、退室。しばらくして、来訪者である松平宗家の当主が今川治部太輔の前へ登場した。
「太守様。松平竹千代、此度は龍王丸様御屋移りの祝辞を述べるべく参上いたしました」
「よくぞ参った。もっと近う寄れ。そうも離れておっては話すこともかなわぬではないか」
「仰せごもっともにございます。然らば――」
竹千代は丁寧に一礼し、義元一家に大声を出さずとも声を届けられるほどの距離まで近づいていく。ほとんど足音を立てず、すり足で近づいていく様からは田舎者らしさを感じさせない。
なにより、怖気づく様子もなく、終始堂々としている様が貴公子らしい雰囲気を引き立たせている。義元は無論のこと、龍王丸も竹千代の一挙手一投足に目を奪われていた。
そして、それまで本にしか興味関心を示さず、読書に没頭していた松姫の顔を上げさせていたのである。そのことに義元・龍王丸の父子は何よりも驚いていた。
「竹千代、此度は龍王丸の御屋移りの祝辞を述べに参上したとな」
「ははっ、心ばかりの品も持参いたしております。酒井雅楽助、石川与七郎の両名よりご披露を……」
「うむ。実に細やかな心配り、さすがは竹千代じゃ。品物は後ほど疲労してくれい」
祝辞を述べに来るだけでなく、品物まで持参する抜かりのなさ。竹千代が思いつき実行に移したのであれば真に十歳の童であるのか、疑いたくなる。
されど、駿府へ同伴している重臣らの入れ知恵であるならば、抜かりなさにも合点がいくというものであった。しかし、今の義元にとって、そのようなことは些事でしかなかった。
「竹千代。お許、龍王丸の隣に控えるのが何者であるか、分かるかの」
今の時代のように顔写真などあるはずもない戦国時代。いきなり見知らぬ人を指して、誰であるかなどと問われても、その場の状況から判断するより他はない。学問についての問答よりも難解で、実に意地悪な問いかけである。
「今川家の御一門のお方でございましょう。されど、どなたであるかまでは存じ上げませぬ」
「ふふふ、さすがに意地悪が過ぎたか。よいよい、はなから答えられようとは思っておらぬ。そこに控える女子は予が息女、お松じゃ」
「松平竹千代殿。今川治部太輔義元が息女、松と申しまする。以後、お見知りおきを」
竹千代に負けず劣らず、丁寧に一礼する少女。海道一の弓取りの息女という誇りからか。それとも一ツ年上であるという意地からなのか。丁寧な一礼には負けたくないという想いがにじみ出ている。
「竹千代。それにお松。学問に熱心な二人が揃うたのじゃ。試みに龍王丸へ講義してくれぬか。龍王丸がうたた寝せず、しかと聞いておくように」
「は、ははっ!」
突如として矛先を向けられ、動じている龍王丸。見ていてクスリと思わず笑みがこぼれそうになるのを堪えながら、竹千代は義元を凝視する。
「竹千代は論語を好むと聞いておる。よって、論語の里仁篇から一つ、龍王丸に相応しい言葉を授けてみよ」
「里仁篇にございまするか」
次なる当主・龍王丸へ言葉を授けよ。なんとも難しい問いである。下手なことを言えば、不遜であると斬られはしまいか。脇腹あたりからヒヤリとしたものが滴っていく。
遠くで主君が難しい問いを投げかけられたことに、義元は難癖をつけて竹千代を斬るつもりではあるまいか。そのような疑念に苛まれる酒井雅楽助と石川与七郎。しかし、二人の疑念を払しょくするように、竹千代は問いに応えていく。
「然らば、一つ思い当たる教えがございます」
「竹千代、申せ」
「然らば言上仕ります。孔子はかように申しました。『徳は孤ならず、必ず鄰あり』と」
徳のある者は決して孤立することはなく、必ず仲間が現れるものである。そんな孔子の教えを竹千代は選択した。
龍王丸に対して、徳のある君主となれば周囲に補佐してくれる臣下が現れる。そんなことを竹千代は伝えたいと願い、この教えを選んだのだ。もしかすると、論語の中でも里仁篇を指定した義元の心も同じではなかろうか。
「龍王丸、竹千代から激励の言葉じゃ。弓馬や学問に励むかはともかく、徳のある君主となれば補佐する臣下も現れるとな」
「なるほど、弓馬や学問に励まずともよいと」
「左様なことを申したのではない!予は弓馬や学問に励むことを第一としたが、竹千代はそれ以上に徳が大切であると申した!一体どこをどう解釈すれば弓馬や学問に励まずともよいなどと、たわけたことが申せるのか――」
思っていた以上に的外れなことを言われたり、されたりすると人間というのは怒りや不快感を感じたりするものである。今の義元とて例外ではない。
対して、龍王丸はといえば。自分なりに理解したと思ったことを、すぐさま父から全面否定された。そのことに心を痛め、より学問に励むことを嫌だと思いかねない心理状態へ追い込まれてしまっている。
よもや我が子が学問に嫌気が指しているなど露にも思わぬ義元は、続けて龍王丸の妹・松姫へと体の向きを変える。
「お松、そちが手にしている書物はなんであるか」
「はい。『貞観政要』にございます」
「では、明君と暗君を分ける違いは何であると述べられているか」
「『君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり。その暗き所以の者は、偏信すればなり』と、かように述べられております」
松姫が述べた『君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり。その暗き所以の者は、偏信すればなり』という言葉。
これは明君が明君であるわけは広く臣下の意見に耳を傾けることにあるというもの。そして、暗君が暗君である理由は気に入った臣下の言葉しか信じないという点にあると同時に述べているのである。
ゆくゆくは人の上に立つ君主となる龍王丸にとって、味わい深い言葉といえる。その言葉を松姫が間髪入れずに答えたことに、父親として今川治部太輔は満足げであった。
竹千代は『貞観政要』の言葉を一言一句違わず、即答してのけた松姫の教養の豊かさに心の底から感心していた。それはもう、機会があれば松姫と学問について教えを乞いたいと思ってしまうほどに。
「いかがじゃ、龍王丸。そちの妹は見事に『貞観政要』の一節を諳んじてみせたぞ」
「すごくおもしろうございました」
「うむ。素晴らしいの一言に尽きる、良き言葉であったろう。よいか、そちも『論語』や『貞観政要』を諳んじよとまでは申すまい。じゃが、学問に励み、いかなる知識が己の役に立つのか。それを見極められる程度には学ばねばならぬ。よいな?」
「はい。父上のお言葉、竹千代とお松の言葉ともどもしかと覚えておきまする」
そう言い切る我が子・龍王丸の言葉を信じ、今一度文武に励むよう書きつけるようなことはしなかった。されど、龍王丸の姿勢が一朝一夕に変化することはなかった……
今川家の嫡男・龍王丸の御屋移りの祝辞を述べに参上した竹千代は進物を収めた後、酒井雅楽助と石川与七郎を伴い帰路についた。
「殿、無事に謁見を終えられたこと、この酒井雅楽助政家安堵いたしましたぞ」
「うむ、竹千代も安堵した。じゃが、人とは一朝一夕には変わらぬもの。龍王丸様はまこと文武に励まれるのであろうか」
奇しくも竹千代の直感は当たることになるのだが、この時の竹千代は知る由もない。
屋敷へ戻った竹千代が松姫と彼女が暗誦していた『貞観政要』のことを思い返していた。生来、武術の稽古よりも学問を好む性分の竹千代にとって、駿府での生活は実に実りあるものであった。
関口刑部少輔氏純の娘・瀬名姫といい、今川治部太輔義元の娘・松姫といい、書を好む女子が多いことにも驚かされていた。
駿府には男女の隔てなく学問に精通している人々が多い。これもまた、駿府が文化の都として繁栄していることを表しているようである。
「おお、殿!よくぞお戻りで!」
「左衛門尉か。よもや、来客ではなかろうな」
「さすがは殿!此度は関口刑部少輔さまでなく、吉良三郎義安さまがお越しです!」
疲れている時に限って来客という者はやって来るものらしい。しかも、三河の国衆らの頭の上がらない家格の吉良家の御仁が来ているというのだ。落ち着く暇とてなし、といったところであろうか。
「おお、竹千代。今日はご苦労であったの」
「ははっ、本日は今川の御屋形様のみでなく、吉良義安様にもお目通りが叶い、幸いにございます」
「ほほほ、竹千代は礼儀正しくてよいのう」
「礼儀正しくもなりまする。聞くところによれば、我が父広忠は義安様のご養父持広様、我が祖父清康は持広様が父君であらせられる持清様より偏諱を受けておるとのこと」
竹千代の父である広忠の「広」が吉良持広より、竹千代の祖父である清康の「清」が吉良持清から偏諱を受けたといわれている。そのことを竹千代は岡崎の重臣らから聞かされていたのであった。
そうでなくても、三河吉良氏は松平をはじめとする三河国衆にとって影響力は絶大。ここで機嫌を損ねるようなことだけは絶対に避けなければならなかった。とはいえ、目の前にいる吉良三郎義安は十六歳とまだまだ若い。
なにより、今川に敵対した経緯から駿府に滞在している人物。竹千代が織田家より奪還されるよりも早く駿府での人質生活を始めている、今川での人質生活の先輩ともいえよう。
それはさておき、竹千代は六ツ年上の吉良義安と交流を深めていく。当初は緊張していた竹千代であったが、竹千代と同じく学問を好む吉良義安とは馬が合い、当人らが想っていたよりも親しくなっていく。
「そうじゃ、竹千代。次に会う時には蹴鞠でもしようぞ」
「はっ、喜んでお相手を務めさせていただきまする」
よりにもよって蹴鞠か。竹千代がそう思っているところに衝撃的な言葉がかけられる。
「うむうむ、ではまた来るでな」
「ま、また来られるおつもりで――」
「ん?何か申したかの」
「い、いえ、何も申してはおりませぬ!」
「左様か。それでは達者でな」
こうして吉良義安は竹千代の屋敷を去っていく。ようやく長い一日が終わったと胸を撫でおろす竹千代なのであった。