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不屈の葵  作者: ヌマサン
第2章 水沫泡焔の章
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第25話 駿府での様々な出会い

 駿府での人質生活が始まり、二度の正月を無事終えた竹千代。それからは日々学問と武術の稽古に励む、変わらぬ毎日を過ごしていた。


「さぁ、竹千代様!参りまするぞ!」


「うむ。来い!彦右衛門尉!」


 来いと言われるやいなや、間髪入れずに木刀を打ち込んだのは今年より近侍するようになった鳥居彦右衛門尉。いつぞやの稽古と同じく、竹千代は打ち込まれる木刀を巧みに捌き、自分から斬ってかかるような真似はしなかった。


 大将は雑兵を斬ったりはしない。されど、斬られもしない。敵と死ぬ気で斬り合うのは大将の務めではない。ならば、大将の務めとは何であるのか。敵兵と血みどろの死闘を繰り広げるのではなく、常に全軍の指揮を執ることを忘れないこと。


 なにより、大将自身が死ぬことなく、その場で兵を鼓舞し、状況に応じて的確な判断を下していくことが肝要なのだ。それが分かっているだけに、竹千代の日々の剣術の稽古は他の者に斬りかからせ、それを防ぎきってみせるというものであった。


 そんな大将の剣であるが、竹千代は日を追うごとに上達させていく。毎日――いや、稽古の度に己の手癖や、解決すべき点などを冷静に振り返り、次の稽古から一つ一つ丁寧に修正していくのだ。


 こうして、地道に改善を続けていくことで竹千代は剣術を上達させてきていた。いまや、彼の身を守る剣術を破ることは同年代の近侍たちでは厳しいものとなっている。


 半面、体つきが大人になっている酒井雅楽助や酒井左衛門尉、石川与七郎などには体格差などで押し切られて敗北する姿も目立った。しかし、それは体格差がない相手に不覚を取ることはないことを意味している。


 それは鳥居彦右衛門尉においても当てはまる。彼もまた、竹千代を相手に攻めきれず、敗北とまではいかずとも、勝利を収めることはできなかった。


 戦においても大事な負けないこと。これを剣術で見事に実践していると言っても過言ではなかろう。


 松平の大将たるに相応しい剣術と教養を身につけつつある竹千代はある日、岡部次郎右衛門尉と名乗る同い年の少年と出会った。


 平岩七之助と新たに近侍となった鳥居彦右衛門尉を連れて駿府の町中を散策していた折のことである。


「貴殿が松平竹千代殿か」


「いかにも。竹千代じゃ。そういうお主こそ何者じゃ」


「岡部久綱が子、岡部次郎右衛門尉(うえもんのじょう)と申します。以後お見知りおきを」


「岡部次郎右衛門尉、その名はしかと覚えたぞ」


 この岡部次郎右衛門尉こそ後の岡部正綱(まさつな)であり、これからの竹千代の人生にもたびたび関わってくることになる重要人物なのである。


「松平竹千代殿。駿府での暮らしに困ったら、我が岡部家をお頼りくだされ。助力できることがあるやもしれませぬゆえ」


「これはありがたい申し出。竹千代、心より御礼申し上げる」


 それから竹千代と岡部次郎右衛門尉は往来の激しい通りであることも忘れて十年来の親友のように言葉を交わし、別れを告げた。


「竹千代様、あの岡部と名乗った者。なかなかに律儀者にございましたな」


「うむ、あの者がいずれは今川の将として戦うのじゃ。心強い味方と思わねばならぬ」


 鳥居彦右衛門尉の目から見ても、岡部次郎右衛門尉は良い武士として映ったようで、帰路において褒めちぎっていたほど。竹千代としても、ああした武士が今川家にはいるのだということを再認識できた、実に良い機会であった。


 一方で、岡部次郎右衛門尉を高く評価する竹千代と鳥居彦右衛門尉を交互に見やりながら、改めて岡部次郎右衛門尉の顔を思い出し、自分も負けておれぬぞと奮起する平岩七之助なのであった。


 そんな思いがけない出会いのあった日の数日後。天満つ星の下、竹千代は関口刑部少輔氏純の屋敷へ。そこには、三年前の小豆坂の戦いで活躍した朝比奈丹波守(たんばのかみ)親徳ちかのりも同席していた。


「竹千代殿、よくぞ参られた」


「関口刑部少輔さま自らのお出迎えとは恐縮至極に」


「ははは、その年で難しい言葉をお使いになられまするなぁ。さすがは松平宗家の当主といったところですかな」


 相変わらず、関口刑部少輔という男は竹千代のことをいたく気に入っていた。竹千代の姿が視界に入るなり、表情が和らぎ、傍らに控える関口家の人々も変貌ぶりに驚かされるほどなのだから。


「ほう、この者が刑部殿が気に入っておるという松平の当主殿か」


「おお、竹千代殿。紹介が遅れましたが、こちらにおられるのが朝比奈丹波守親徳殿じゃ」


「朝比奈丹波守親徳じゃ。竹千代殿、以後お見知りおきくだされ」


 そう言って子ども相手にも律儀に挨拶をする男こそ、朝比奈丹波守親徳である。一目見たところ、怖い印象を受ける男だが、身に纏う雰囲気からは穏やかさが感じられる。


「朝比奈丹波守殿は太守様の御父上、今川氏親公より偏諱を受けておられる」


「そ、それは真にございまするか!?」


「うむ、真じゃ。ゆえに、今川氏親公に恥じぬ働きをせねばと常に心がけておる」


 殊勝なる心がけ。そう、竹千代は心の内で思った。岡部次郎右衛門尉に続き、朝比奈丹波守と今川家には忠義の家臣が揃っている。これこそ、今川家の領国が安定している要因なのではないか。


 そのようなことまで思考を巡らせながら、竹千代は席に着いた。それからは関口刑部少輔と朝比奈丹波守は酒を飲みながら今川家の未来について語り合う。


 竹千代は飲酒は早すぎるため、酔うことはできなかったが、未来について明るく語る二人の姿が目に焼き付いて離れない。


「そうじゃ、刑部殿はお聞きになられましたかな。織田弾正忠家のことを」


「小耳に挟んだ程度ではございますが、なんでも備後守信秀が病床に臥しているため、その子である三郎信長と勘十郎信勝が政務を共同で担っているとのこと」


 加藤図書助の屋敷で直に会ったことのある人物の名に驚く竹千代。あの一風変わった青年が弟と織田の政務を仕切っている。それを聞き、少し意外に思っている間にも、関口刑部少輔と岡部丹波守の話は続いていく。


 嫡男である信長、病床の信秀とともに末森城にある信勝。一体、どちらが信秀の死後、家督を相続するのかが読めなくなった。そういった話が繰り広げられていた。


 和睦を結んでいるとはいえ、隣国の事柄を把握していなければならない。竹千代にとっては、大名の家臣であっても積極的に情報を集めていく姿勢の大切さも教えられているような心地がした。


「そうじゃ、竹千代殿は二年もの間、尾張におられた。その目で尾張を見て参られた竹千代殿は織田の跡取りについて、いかが思われるか」


「い、いかがと申されましても」


「うむ、困ると申したいのでしょう。無理もない」


 さすがの竹千代でも答えに詰まるか。日ごろから期待の眼差しで見ているがゆえに、落胆の色を見せる関口刑部少輔。しかし、竹千代は元服前の少年である。


 そのことを、今さらながら関口刑部少輔に想起させる出来事ともなった。ただ、竹千代もその期待に応えようと、懸命に考えを口にするのである。


「三郎信長と申す者はうつけと聞きまする。されど、当主としての力量が弟の勘十郎信勝に劣るとは思えませぬ」


「当たり障りのない言葉じゃな。じゃが、的外れな意見とは思えぬ」


 じっと竹千代の言葉に耳を傾けていた朝比奈丹波守から、鋭い言葉が投げかけられる。ただ、まったく意見が違っていることを指摘しているのではなかった。


「竹千代殿、よくぞ申された。器量が劣っているわけではないとなれば、織田はそうやすやすとまとまるようには思えませぬな」


「は、はい。当家のような同族同士での内紛になる恐れがある。そのような予感がいたしまする」


 どちらか一方の器量が明らかに劣っているのであれば、織田備後守信秀が死しても問題なく織田弾正忠家は一つまとまるであろう。しかし、どちらが当主として問題ないのならば、あとは重臣らがどちらを支持するかに大きく左右されることとなる。


 それはともかく、どちらが織田の当主に就くかまでは分からずとも、織田信秀死後の織田弾正忠家が二分する争いに突入するであろうことは竹千代の言葉を聞かずとも、関口刑部少輔も朝比奈丹波守もよくよく理解できていた。


「その点、当家は織田とは異なり、争うことなく家督も相続できるゆえ安心じゃ」


「龍王丸様のことか。あの方は心優しき御方、お支えする我らの踏ん張りどころでありましょう」


「そうじゃが、太守様が家督を譲るなど、まだまだ先の事ではあろう。それに、太守様が隠居なされる頃には、儂はこの世の人ではないやもしれぬ」


「そなたは今川家の重鎮。そのようなこと、申されてはなりませんぞ」


 大真面目に説教しようとする関口刑部少輔。それを分かった分かったと笑いながら手を振ってごまかす朝比奈丹波守。


 両名とも今川家には欠かせない重鎮であるが、重々しい空気など微塵もなく。互いに今川家のために奔走し続ける戦友同士という印象が強かった。


 この日の関口刑部少輔の邸宅で見た光景。主の家を想い、自分たちにはどのような方向ができるのか、真剣に考え、向き合っていく様は松平の当主である十歳の竹千代にとって、大きな刺激ともなった。


 そんな天文二十年。遠く京では三好長慶を中心に戦乱が続き、九月一日には周防山口の大内義隆が家臣である陶隆房の謀反に遭って死去するなど、日本各地では戦乱に満ちている。


 まさしく、乱世という情勢下。竹千代は周辺の人々と出会い、彼ら彼女らと関わる中で実に多くのことを吸収し、成長していく。東の京とも呼べるほどに文化が花開く駿府で少年期を過ごしたことは、間違いなく竹千代の財産となったことであろう。


 そして、天文二十年もまもなく終わろうかという十二月。竹千代にとって無関係とはいえない事件が勃発する。


 生まれて間もない竹千代に『竹千代』と命名するように命じた高祖父・松平長親。その子である義春も今やこの世の人ではない。


 そんな彼の死後、青野松平家の家督を継承したのが松平甚二郎である。竹千代の祖父・清康の従兄弟にあたる人物であるのだが、この松平甚二郎が今川氏に敵対したのである。


 今川氏に敵対するということはすなわち、義元の庇護下にある宗家の主である竹千代にも逆らったことを意味する。この事態に、今川義元は松平宗家の当主である竹千代を館へ召喚した。


「竹千代、よくぞ参った」


「此度は松平の者が太守様に大変ご迷惑をおかけし――」


「よいよい、この程度のこと気にするには及ばぬ。すでに松平甚二郎めは追放とし、弟の甚太郎忠茂(ただしげ)に家督を継承させることとした。予が処理することとなったが、宗家の当主であるお許にも伝えねばと思い、これへ呼びつけたのじゃ」


「左様にございましたか」


 寒さが増しつつある駿府館。脇息に寄りかかりながら手あぶりで冷たくなる体を温める今川治部太輔義元。そんな彼の手招きに応じて青野松平家で起こったことの処理について、詳細な内容を共有された。


 そこで、議題に上がったのが松平忠茂がまだ若年であるという点。もちろん、竹千代より年上ではあるのだが、当主が若年であることに付け入り、あらぬことを企てる恐れがあるのだ。


「これは予からの提案なのじゃが、当家から二名の武士を松平甚太郎忠茂にの寄騎として同心させようと思うておる」


 義元が松平忠茂に附属させようというのは松井左近尉(さこんのじょう)忠次と山内助左衛門尉。そのうち、松井左近尉を呼び寄せているというのだ。


「松井左近尉、入って参るがよい」


「ははっ!」


 義元からの招きに応じて入室してきた三十一歳の松井左近尉忠次。鍛え上げられた肉体からは若き頃から戦場を往来している武士であることが見受けられる。さらに、口の周りに蓄えた髭からも駿府には似合わない獰猛さが感じられる風貌。


「松井左近尉、ただいま参上いたしました!」


「おう、勇ましい風貌。頼もしい限りぞ」


「ははっ、光栄の極みに存じ奉りまする!」


 無骨な受け答えであるが、その飾り気のなさに実直さが感じられ、竹千代も義元と同じく好印象を抱いた。


「左近尉。これに控えるは松平宗家の主、竹千代じゃ」


「おお、貴殿が噂に名高い松平宗家の当主であられたか!某、松井左近尉忠次と申しまする!以後、よろしくお頼み申す!」


「うむ、こちらこそよろしく頼む」


 こうして、竹千代とも対面を果たした松井左近尉は義元からの命を受け、山内助左衛門尉とともに三河へと発った。彼はその後、松平甚太郎忠茂に妹を嫁がせて外戚となっている。


 竹千代にとって、最後の最後で松平で問題が起こった一年であったが、織田家にとっては今一つ問題が噴出しようとしていたのであった。

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