第24話 近侍-キンジーズ、新たな加入者-
苅谷水野氏を織田・今川に両属させることに成功した駿府の今川治部太輔義元。これにより、今川家は一気に尾張南部までを支配下に置くことに成功したことを意味する。
何よりも織田との国境における争いを止められたことは、今川領国にとって大きな利益をもたらすことになるのだ。
これからの方策について一人思案していた義元のもとへ、近侍から報せがもたらされる。
「太守様。太原崇孚和尚と松平竹千代殿がお越しです」
「ほう、崇孚が竹千代を伴って参ったと?うむ、これへ参るよう伝えよ」
「はっ!」
近侍は能率的に、無駄のない動きで義元の前から去っていく。そして、義元を訪ねてきた人物たちが姿を現した。
「そなたが竹千代を伴って参ろうとは思わなんだ。して、何用ぞ?」
「尾張のことについて、互いに考えておることをすり合わせておく必要があるかと思い、急きょ参じた次第にございます」
「ほほう、尾張のことで……のう?」
義元の視線は竹千代へと注がれる。正月に対面して以来、この師走になるまで特に対面することがなかった。それだけに、竹千代も緊張しきっている様子。そのことを義元が見逃すはずもなかった。
「尾張のことと申したが、なにゆえ竹千代を同席させておるのじゃ。まずはそのことについて聞かせよ」
「竹千代殿は元服こそしてはおりませぬが、立派な松平宗家の当主。なにより、我ら以上に尾張のことを知っておりまする」
「なるほどの、予は尾張のことなど報告でしか知らぬ。されど、竹千代は尾張のことを肌身で感じてきておる。ゆえに、尾張のことを知っておると申したわけか」
義元からの言葉に一度首を縦に振ったのみの太原崇孚。しかし、義元には竹千代が同席する理由が十二分に把握することができた。
「苅谷水野を下らせた影響もあり、尾張と三河の国境に所領を有する丹羽氏清も当家に下ると申してきておる。尾張国境の情勢は当家に有利な形で鎮静化しつつあるのう」
「はい。これは竹千代殿ら松平の者どもも安堵いたしましょう。これまで織田と隣接しておりましたゆえ、ようやく枕を高うして眠れるのではないかと」
「であろう。じゃが、予は此度の停戦は一時的なものじゃと思うておる。どこぞの虎が臥せっておとなしゅうしておるうちに尾張を制圧しておきたい」
松平の当主としてこの場に召喚された竹千代。九歳の童では義元と太原崇孚のやり取りを完全に理解するのは難しかった。しかし、諦めずに食らいついていこうとする姿勢は二人の大人からも見てとれる。
「つまり、停戦は一時的なもので、改めて尾張侵攻をなされるおつもりで」
「言うまでもなかろう。元は那古野には予の弟である氏豊が城主であった。それを織田弾正に掠め取られたのじゃ。それを取り戻すついでに、尾張一国を手中に収め、三河湾と伊勢湾の権益を掌握したい」
三河湾と伊勢湾の権益が欲しい。これは紛れもない義元の本心であった。海がどれほどの利益を生み、その富があれば自領が栄えることは疑うべくもないのだから。
「然らば、知多半島の水野も駆逐する必要がございましょう」
「お許は鬼か。竹千代がおる前で生母の実家を駆逐するなどと」
「左様。されど、駆逐するとは申しましたが、殺めるとは一言も申してはおりませぬ。何より、御屋形様の御心を代弁いたしたまでのこと」
太原崇孚という男がどのような人物か。それを知っているがゆえに、義元は先ほどから笑いを堪えきれずにいた。当然、自分の心の内を見通しているであろうこと、その心の内を竹千代の前で暴露するであろうことも。
「竹千代、お許はいかが思うぞ」
政治の難しい会話の矛先は、義元によって竹千代へと転じられた。いくら何でも竹千代には答えられまい。そう思ったうえで、義元は問いかけているのだが、竹千代は彼の想像を平然と超えていく。
「従わぬのであればやむを得ませぬ。戦は避けられぬかと。されど、無策で蛇の巣をつつくような真似もならぬかと心得まする」
「ほほう。予も同意見じゃ。戦を好む者は必ず敗れ、滅びるのが常。されど、戦わねばならぬ時にまで不戦を持ち込むようでは国を守ることなど叶わぬ」
竹千代は自分の率直な意見を述べ、そのうえで義元が語るとなれば、話を途中で遮ることなく黙って最後まで話を聞く。その場の状況に合わせて生き抜いていく術を体得しているようであった。
「崇孚よ、竹千代は真に九歳なのであろうか。竹千代の九歳とは思えぬ見識、態度。予の嫡子、龍王丸にも見習わせたいものぞ」
「おっしゃる通りかと」
「ふふふ、予の嫡子のことも不出来な子と言い切りおったわ。まぁ、そなたがおれば龍王丸も安泰であろうが」
「お戯れを。齢五十五の老いぼれにございます。あと幾年奉公できるとも見通せませぬ」
この年、太原崇孚は五十五歳。対する今川治部太輔義元であっても、三十二歳。仮に義元が四十になって家督を嫡子・龍王丸へ譲ったとしても、太原崇孚は六十三歳となっている。
今ですら体力的に老いを感じている太原崇孚にとって、義元の代の奉公はおろか、その子の代まで奉公など、遥か遠い未来のことのように感じられてしまう。
そして、仮に八年後に義元が家督を譲ったとすれば当の龍王丸は二十一歳。ここにいる竹千代も十七歳となっている頃。童二人が成人して立派な若武者となっているのである。
「御屋形様。よもや、次の尾張侵攻は龍王丸が当主となられてからなどと気の弱いことは申されますまいな」
「ほう、そちにはそのように聞こえたか。安心せぇ、おちおち隠居などしておれるものか。三河統治すらおぼつかぬというに、尾張を目指しては足元を救われる結果となろう」
「お分かりでしたか。加えて、東の武田と北条への対応も次代を見据えて動かねばなりますまい」
またもや始まる難しい難しい政の話。されど、幼い竹千代にとって、得難い学びの機会でもあった。駿河・遠江を統べる太守と、その参謀が政治について議論している場に臨席するなど得ようと願って得られるものでもないのだ。
「そうじゃ、竹千代。先日、お許の知行である大浜の上宮神主である長田喜八郎に神田の所有を保証しておいたぞ」
「あ、ありがとう存じまする」
「ははは、礼なぞよい。そなたの所領を守ることも今川の当主として当然の務め。まずは三河の国衆らの心を掴まねばならぬ折。そなたにも働いてもらうことがあるやもしれぬゆえ、心積もりをしておいてくれい」
「は、はは」
そう、今川義元が織田との和睦を呑んだ背景には、三河の地盤固めという側面もあった。領土は拡大して終わりなのではなく、むしろその後の統治こそが本当の戦とも呼べる。
ここを戦を継続しながら並行して行うことは至難の業。ゆえに、織田の足元を見たうえで和睦を成立させた。この間にできることは、一人でも多く三河の国衆らを取り込んでおくこと。ゆえに、義元は三河の経営に苦心することとなる。
「御屋形様。犬居谷での一件、お聞きになられましたかな」
「おお、その百姓らの闘争が勃発した件であろう。年貢滞納、耕作放棄、在所徘徊、逃散。思っていたより激しく抵抗されておるようだの」
指を繰りながら百姓らの抵抗運動について想起する義元。犬居谷は遠江国周智郡に位置する。天竜川の東の山間部にあり、そのまま北上すれば信濃国伊那方面へと抜けられる地なのである。
そんな犬居谷を支配しているのは遠江天野氏の惣領・天野安芸守景泰。この遠江天野氏にも複雑な事情があり、この犬居谷の地も竹千代にとって因縁の地となるのである――
「看過できる事態ではないゆえ、天野安芸の犬居谷支配権や惣領権を認めることといたそう。これで鎮まらぬようならば次の手も考えねばならぬ」
「仮に終結したとしても、天野安芸殿と百姓らの間で軋轢が残ることとなりましょうな」
「そこは思案のしどころぞ。ともあれ、迅速な処置こそが肝要。予はすぐに対処すべきじゃと心得る」
「同じく」
民心を掌握することの難しさ。これはいつの世も為政者は苦労するものなのであろう。
ともあれ、激動の天文十九年も過ぎ去り、天文二十年を迎えた。京では三好や細川らが争い、しっちゃかめっちゃかとなっている。
そんなある日、竹千代は酒井左衛門尉や石川与七郎、天野又五郎、阿部徳千代、平岩七之助を伴い、駿河の安倍川の河原で子供達の石合戦を見物していた。
「殿。どうやら一方の組は百五十人、もう一方は三百人の組のようで」
「左様か。左衛門尉はいずれが勝つと思うか」
「三百人の方でしょうな。倍近い数がおりまするゆえ」
「竹千代は少数の方が力を合わせて敵にぶつかるゆえ、百五十人の組が勝つように思う」
天野又五郎、阿部徳千代、平岩七之助らは竹千代が少ない方が勝つといっても、半信半疑の様子であった。しかし、竹千代の言葉を聞いて当の酒井左衛門尉や石川与七郎は少数の方が勝ちそうな気がしていた。
何より、少数の組が力を合わせて懸命に石を投げて大勢と戦う様子が、松平を想起させるのである。二人は見ているうちに、涙が零れる一歩手前まで来ていた。
さてさて、石合戦の結果はといえば、竹千代の予想が当たることとなった。
「殿、お見事にございました」
「これも臨済寺にて鍛えられたおかげであろう。一年前であれば竹千代も左衛門尉と同じように予想しておった」
「殿、まこと立派に成長なされましたな。この左衛門尉、嬉しゅうございます」
「泣くな、左衛門尉。与七郎、懐紙を渡してやってくれ。このままでは竹千代が泣かせたようではないか」
このまま町中へと戻れば、竹千代が家臣である酒井左衛門尉を泣かせている。一体、何があったのかと詮索されるやもしれない。
竹千代の理屈に心の内で頭がもげるほど頷きながら石川与七郎は懐紙を酒井左衛門尉へ渡した。それを助かったと言わんばかりに受け取った左衛門尉は手早く涙を拭きとり、常の様子へと戻そうと努める。
大の大人が涙を流し、年下の男から懐紙を受け取って涙を拭いている様子がおかしかったのか、いつしか天野又五郎、阿部徳千代、平岩七之助らはくすくすと笑い始めるのであった。
「殿。鳥居伊賀守が三男、彦右衛門尉が近侍すべく岡崎より参るとのこと」
この年、十三歳となる鳥居彦右衛門尉。竹千代より三つ年上の彼こそ、四年前の渡河原合戦において討ち死にした源七郎忠宗の弟なのである。そんな彼が、岡崎より参るというのである。またもや、竹千代の周囲が賑やかになりそうであった。
この時点で竹千代とともに駿府に在る主だった家臣らは三十一歳となった酒井雅楽助政家、二十五歳の酒井左衛門尉忠次、十九歳となったばかりの石川与七郎数正、十五歳の天野又五郎、十一歳の阿部徳千代、竹千代と同じく十歳の平岩七之助、七之助の異母弟・平岩善十郎。そこへ、鳥居彦右衛門尉が加わるというのだ。
「屋敷がまた一段と賑やかになりそうじゃ。年も近い者が増えれば、稽古の相手も増える。養うのに金がいることを除けば、良いこと尽くしであろう」
この年で金のことを口にする十歳児。当主として、お家の財政にも目を向けなければならないものだが、十歳の童が自然と銭のことを気にしている。
それは二年間の熱田での人質生活で、銭――商いや交易によって人が栄えることを目の当たりにしたからかもしれなかった。
「さっ、今夜は源応尼様も屋敷へ参られます。早う帰って身支度を済ませねばなりませぬぞ」
「左衛門尉、そうであったな。今日はおばばさまが参られるのであった。して、食事の支度はいかがなっておる」
「はい。酒井雅楽助殿が抜かりなく手配しておるかと。善十郎めもさぞかしこき使われておりましょう」
「ははは、涙目になっておるのが目に浮かぶようじゃ。うむ、急ぎ帰って七之助らも手伝ってやるがよいぞ」
名指しで弟の手伝いをするように言われた七之助は目を右へ左へ泳がせていたが、左右から天野又五郎、阿部徳千代に茶化すように肘でつつかれ、顔を赤らめていた。
「殿、本日の安倍川での石合戦において勝つのはいずれかを見抜いたお話などなされてみてはいかがでしょう。さぞかし、源応尼様もお喜びになられましょう」
「うむ、そうしよう。おばばさまが喜ぶ顔を見ると、竹千代まで嬉しゅうなるでな」
そう言って笑う竹千代は心の底から笑っているのがよく伝わってくる。そんな澄み切った笑顔を浮かべていた。
傍らで主君が心の底から喜んでいる姿を見ながら、この駿府での暮らしに感謝する石川与七郎なのであった。竹千代の人質生活は、まだまだ続く――