第20話 幼けなき主
天文十八年十一月十日。織田三郎五郎信広との人質交換によって、まだ幼い松平宗家の主・竹千代は生きて三河に戻ることができた。
「おお、竹千代君じゃ」
「竹千代さま、大きゅうなられた」
「これで松平家も安泰じゃ!」
織田家の人質となった時、六歳だった竹千代。その幼い当主が八歳となって三河へ帰還したのだ。松平の家臣や国衆だけでなく、三河の民衆の間でも騒ぎとなっていた。
そして、安城城が落城した霜月のうちに、半年前に宗家を見限った酒井将監の上野城も今川軍の手に陥落。さしもの三河一のおとなも、圧倒的な兵数を誇る今川軍には抗い得なかった。
こうして今川氏の後援を受け、松平宗家は安城領の奪還にとどまらず、竹千代の三河帰還、さらには酒井将監をはじめとする反勢力の制圧を遂げたのである。
そのうえで、今川軍は三河国平定を成し遂げるため、高橋郡域へ軍を差し向けるなど、安城より織田を追い払った勢いのまま、着々と三河国内での影響力を拡大し、尾張進出の足掛かりを構築しつつあった。
さて、主を織田の手から取り戻した岡崎では、今川家の柱石・太原崇孚と阿部大蔵ら松平家の重臣による談合が行われていた。
「さて、阿部大蔵殿。竹千代殿の処遇についてじゃが」
「ははっ、竹千代君――いえ、殿は岡崎城の主。ゆえに、岡崎に留め置く。かように仰せられるおつもりでは」
「いえ、竹千代殿には駿府へお越しいただく」
「す、駿府とは!?なにゆえ、吉田城ではなく、駿府なのでしょうや。願わくば、ご存念をお聞かせいただきたく」
仰天した様子の阿部大蔵。しかし、なにも彼だけが驚いたのではない。その場に居合わせた岡崎の重臣ら全員にいえることであろう。
「では、お答えいたしましょう。阿部大蔵殿がおっしゃられたように、三河国衆の人質は東三河の吉田に置かれることとなっております」
「いかにも。ゆえに、殿も吉田へ留め置かれるものと、我らは思うておりましたものを」
「先ほど、阿部大蔵殿はかようにおっしゃられた。竹千代殿は岡崎の主である、と」
「左様。広忠公亡き今、竹千代殿こそが松平宗家の主にござれば――」
阿部大蔵は続く言葉を打ち切った。歯切れの悪いところで言葉が切れたことが何を意味するというのか、重臣らでも察知したのは半数ほど。
それもそのはず。太原崇孚が言わんとしていることに、阿部大蔵らは異議を唱える隙が一切見受けられなかったからである。
「ふむ。皆々様、お気づきになられましたかな。三河国衆の人質を吉田に置くのが慣例。されど、竹千代殿は人質に非ず。松平を束ねる当主である。ゆえに、我が主、今川治部太輔は竹千代殿の身柄を駿府へ移すと、かように仰せなのです」
もはや松平重臣らに反論の余地はなかった。確かに竹千代は人質ではない。彼は御年八歳なれど、正当な松平宗家の主なのだ。ゆえに、他の国衆の人質と同じく吉田城へ置くことは許されない。
「然らば、当主不在の間、岡崎城は、当家の所領はいかが相成りましょうか」
「領内安泰と織田氏勢力への備えとして、岡崎城には城代として糟屋備前守や山田景隆、先日占領いたした安城城にも天野景泰、井伊直盛らが城番として入ることとなりましょう」
「城代ということならば、所領を召し上げられるのではないと?」
「いかにも。松平領はそもそも竹千代殿が継ぐべきもの。ゆえに、竹千代殿が立派にご成長された暁には、岡崎へお戻りいただくこととなりましょう」
竹千代が立派に成長したならば、岡崎へ帰ってこられる。それを聞き、重臣らの表情に安堵の色が戻った。しかし、阿部大蔵の表情は晴れるどころか、曇るのみ。どこか浮かない顔つきをしているのである。
「立派にご成長とは、摩訶不思議な物言い――」
「阿部大蔵殿、何か申されましたかな」
「いえ、年寄りの独り言にござりますれば」
慌てていながら、年相応に落ち着き払った様子で取り繕ってみせる阿部大蔵。ゆっくり右へ左へ手を振る様子からは、表情と違って不安を微塵も感じさせない。
「そうじゃ。年のせいか、大切なことを一つ、言い忘れておりました」
「承りましょう。一体、いかなる事にございましょうか」
まさか、ここへ来て無理難題を持ちかけられるのかと、安堵にゆるんだ表情が引き締め直される重臣たち。そんな二転三転する重臣らの様子をからかうように、太原崇孚は落ち着いた口調で語り始める。
「うむ。この岡崎城に松平の一族で随念院と呼ばれる御方がおられましたな」
「はい。先代の叔母であり、竹千代殿にとって大叔母にあたる御方にございます」
「その尼御前を擁し、阿部大蔵定吉、石川安芸守忠成、酒井雅楽助政家、鳥居伊賀守忠吉ら松平家重臣によって家政を取り仕切ること。これは、拙僧の意見に非ず。今川治部太輔義元さまの仰せであることゆえ、ご承知おきくだされ」
当主・竹千代を駿府へ置き、岡崎には城代を配置。しかしながら、実際に政務を執り行うのは松平家の重臣たち。これは今風に言えば、親会社と子会社の間柄と形容できる運営体制であった。
太原崇孚から伝えられた今川家の意向。一見すると、今川家の横暴のようにも思えるが、織田との前線に近い岡崎に八歳の竹千代を置くことを考えれば、当時の情勢を鑑みれば比較的駿府の方が安全といえる。
何より、広忠の頃の松平蔵人信孝のように、竹千代を後見することのできる親族がいないことも不安材料の一つではあった。いくら随念院が大叔母とはいえ、当主を後見する立場としては弱いといえる。
「ならば、我らの主である竹千代殿は駿府において今川様の保護を受ける。かような認識でよろしいでしょうや」
「うむ、阿部大蔵殿のおっしゃられる通りです。竹千代殿は当家傘下の国衆である松平氏の当主。保護するのみでなく、当主に相応しい待遇で迎えることをお約束しましょう」
「そのお言葉を聞くことができ、安堵いたしました。皆もこれならば不満などあるまい」
そう言って後ろを顧みる阿部大蔵の瞳に、誰も首を横に振る者はいなかった。太原崇孚は松平重臣らの説得が叶ったことに安堵し、駿府への帰路へついた。
松平領国は今川氏の領国にとって西の織田氏との境目に位置する重要な地域。かの地の守りは今川領国全体の防衛に直結するため、疎かにはできない。
そんな地域を八歳児に統べさせるなどどうかしている。ゆえに、今川家臣を城代として送り込めたことで一安心といったところ。
松平重臣らの説得に成功したことについて、太原崇孚より報告を受けた今川治部太輔義元もまた、うっとり目を閉じて和やかな表情をしていた。
「左様か。竹千代を駿府へ置くこと、岡崎城には城代を置くことも認めたか。これで、竹千代を織田に奪われるようなことは二度と起こるまい」
「左様かと。あとは、竹千代殿の身柄を当家が保護し、松平の領国にも当家が軍事と政治の両面で後援する構えを取れば、織田も迂闊には手が出せぬでしょう」
「わかっておる。じゃが、尾張では虎が病というではないか。尾張には攻め込むほどの力などあるまい」
今川義元と太原崇孚。何十年もともに過ごしてきたこともあり、互いの考えていることが手に取るように分かる。
太原崇孚が言わんとすることは義元にはわかっており、反対に義元が言わんとすることは太原崇孚にも理解できている。阿吽の呼吸、以心伝心といった言葉が似あう二人である。
「満に一つ織田が攻め込んでこようとも、岡崎城には当家の城代が詰めております。領内の政務を担当しておる松平の重臣らも地の利に明るいゆえ、織田に蹂躙されるようなことはありますまい」
「であろう。松平一族にも竹千代への忠節を促すとともに、当家へも忠勤に励むよう申し伝えることとしようぞ」
「あいや、しばらく。順序を逆になされては?」
「ほう、順序とな。つまりは、当家へ忠勤に励むとともに竹千代への忠節を促す。かようにせよ、というわけじゃな」
さすがに海道一の弓取りは聡かった。太原崇孚が言わんとした、今川家への忠勤を先に持ってくることの意味まで正確に捉えていたのだから。『当家』を先に持ってくることで、竹千代よりも上位の存在であることを暗に示している。
松平を束ねる立場として竹千代を、その竹千代を保護する立場として今川家が君臨することで西三河の政情を安定させようというのだから、実に見事というほかない。
かくして、竹千代が駿府へ送られることのみに留まらず、その後の松平領国の差配についても定められた。
これにて、竹千代の駿府入りを楽しみに待つとしよう。そのような空気の中、太原崇孚は今川義元との謁見を終えようとした頃、一人の来客があった。
「お取込み中のところ、失礼いたします」
「誰ぞ参ったのか」
「はい。源応尼と申す尼僧が太守様に謁見したいと申しておりまする」
「かまわぬ。通せ」
深々と一礼して下がっていく取次役の小男。彼が下がってより、しばらくして。件の尼僧が義元の前へ姿を現した。
見たところ、義元の母・寿桂尼とさほど齢は変わらず。顔や手の甲からも重ねてきた年のほどが感じ取れるが、歩く姿や礼をする際の作法などに衰えは見られなかった。
「今川治部太輔さま、お初にお目にかかります。源応尼にございます」
先ほどから源応尼という名に聞き覚えがあった太原崇孚。彼は尼僧が入室してくる頃になり、彼女の素性を思い出した。
「もし。拙僧の記憶違いでなければ、竹千代殿の生母である於大の方のご母堂ではございませぬか」
「ええ、於大の母、竹千代の祖母でございます」
源応尼と名乗る尼僧は太原崇孚からの言葉に静かにうなずく。彼女こそ、水野妙茂の継室であり、竹千代の外祖母にあたる人物なのである。
そんな女性が、竹千代が近日中に駿府へ来る折に来訪したということは、竹千代がらみの話であることは間違いなさそうであった。
「ほう、竹千代の祖母とな。よもや、竹千代を御身が預かりたいというのではなかろうな」
「いいえ、預かりたいなどと。ただ、竹千代殿が元服するまでの間、養育にあたるお許しをいただきたく、参上いたしました」
「ほう、つまりは血縁者のいない駿府で竹千代が寂しくないよう、祖母である御身と会える機会を増やそうというのであろう」
義元からの言葉に、源応尼は落ち着き払った様子で首肯。本心を見抜かれていることに動揺するかと思いきや、そのような素振りは一切ない。
このまま押し問答を続けようとも、暖簾に腕押し。そう悟った義元は尼僧の狙いについて、これ以上言及するような無粋な真似はしなかった。
「よかろう。竹千代の養育にあたるとの殊勝な申し出、この今川治部太輔義元が許可いたそう。とやかく申す者あらば、この義元の名を出しても構わぬ」
「ありがとう存じます。この御恩は生涯忘れることはございません」
生涯忘れることはないと言いつつ、彼女の齢は六十に近い。それこそ、いつ亡くなってもおかしくはない。そんな老尼の一生はどこか軽く感じる節もあるが、その表情から繰り出される言葉にはぎっしりと想いが詰められているようであった。
「まこと、竹千代は良き祖母を持った。かように孫を想える祖母など日ノ本中を探しても見つかるまい」
「そのようなこと、恐れ多うございます」
どこまでいっても謙虚な源応尼。彼女が思い通りの反応を示したことを義元は内心くすりと笑いながら、二三の言葉を交わした。時折、傍らに控える太原崇孚も会話に加わりながら、鼎談を続けていく。
「それにしても、駿府は栄えておりますなぁ。三河の寺内町をはるかに凌ぐ繁栄ぶりにございます」
「ほほう、三河の寺内町を引き合いに出して参ったか。予は噂程度しか存じておらぬが、それほどまでに栄えておるか」
「はい。そりゃあ、もう。されど、ここ駿府の足元にも及びませぬ」
当時の駿府には今川義元の叔母にあたる中御門宣胤の娘をはじめとして、中御門宣綱、三条西実澄、冷泉為和などの多くの人々が仮寓、すなわち仮住まいしていた。
彼らのような公家や文化人によって和歌や蹴鞠、聞香、碁に笛などの京文化が伝わり、駿府はただ人が多いだけでなく、京に次ぐ文化の都として栄えていたのである。
竹千代が留め置かれた熱田のように人で賑わっている駿府。されど、駿府の賑やかさは熱田とはまた違った、みやびな街なのだ。
これから竹千代は、そんな駿府にて十一年に及ぶ人質生活を送ることとなるのであった――