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不屈の葵  作者: ヌマサン
第4章 苦海の章
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第177話 今日の一針明日の十針

 家康が三河国にて一向一揆勢を相手に優位に戦を進めている永禄七年二月。


 遠江国では曳馬城主・飯尾豊前守連龍、続く犬居城主・天野安芸守景泰父子の叛乱が鎮まるどころか、燎原の火の如く広まりつつあった。


 二月に入り、今川氏に対して反旗を翻したのは長上ながのかみ蒲御厨(かばのみくりや)の高橋右近が飯尾方に加担したのである。


 さらには、豊田とよだ匂坂(さぎさか)城の匂坂氏も逆心し、匂坂六右衛門入道を除く多くの一族が今川氏から離反する事態となり、佐野さや幡鎌(はたかま)氏も反今川の動きに同調し始めた。


 そこへ、信濃・遠江国境に位置する有力国衆の久頭郷城主の奥山氏、匂坂氏と同じ豊田郡見付の堀越氏や同郡で二俣城主を務める松井氏、山名郡於保の三和氏、周智郡宇刈の村松源左衛門尉などの国衆も飯尾豊前守に便乗して叛乱を起こしたのである。


 そうした報せは逐一、駿府館の今川上総介氏真のもとへと注進されていた――


「御屋形様、遠州での叛乱にございますが、鎮圧はおろか拡大する一方。いかに対処いたしましょうや」


 そう言って駿府館の氏真のもとを訪れたのは三浦右衛門大夫真明であった。飯尾豊前守へ加担する者が増えすぎている状況を打破すればよいのか、氏真に意見を求めるべく訪ねてきたものであった。


「信州との国境に位置する奥山氏はいかがなっておる」


「はっ、奥山大膳亮吉兼と奥山左馬允有定の兄弟が惣領として実権を握っておりまするが、この惣領家が離反。そのほかの分家の者共は当家に味方し、惣領家と争っておる様子」


「左様か。奥山氏の惣領家を制圧できたならば、分家の者共に惣領家の所領を分配するのが良かろうか」


「そうですな。加えて、惣領家の座をどの分家に与えるのか、ここも考えねばなりますまい」


「いかにもそうじゃ。武田領国の信濃にも近いゆえ、より早期での鎮圧をせねばなるまい」


 久頭郷城主の奥山氏は犬居城の天野氏と同じく、先代・今川義元の頃から燻っていた惣領家と分家の対立が表面化し、天野氏と同様に惣領家が反今川、庶流の者たちが親今川を掲げて争っているというのが現状であった。


 現在、氏真にとっては母方の叔父・信玄より協力の申し出があったものの、それを断ったうえで対処に当たっている。


 あまり武田家に内政干渉されたくないがゆえの拒否であったが、騒動を鎮められなければ、武田家との関係を悪化させる火種にもなりかねなかった。


「御屋形様、東海道から離れてもおります天野氏や奥山氏以上に危惧せねばならぬのは二俣城の松井氏、匂坂城主の匂坂氏、見付端城の堀越氏にございましょう」


「うむ。松井氏は当主の松井八郎宗恒が離反し、庶流の松井和泉守・八郎三郎らが二俣城を攻めておるとのことじゃ」


「迅速な動きにございますが、別段御屋形様がご指図なされたわけではございますまい」


「そうじゃ。予の見るところ、もとより両家はいがみ合っておったのであろう。されど、四年前の桶狭間合戦で父を守って討ち死にした松井左衛門佐宗信の子が離反するとは思わなんだ」


「はい。忠義者の松井左衛門佐が名を知らぬ者など家中にもおりませぬ。某も離反と聞いた折には耳を疑いました」


「うむ。されど見てみよ、松井和泉守よりの書状によれば、城攻めは順調に進み、近日中にも陥落させられるであろうと書き送ってきておる。ゆえに、二俣城を落とした暁には松井和泉守らへ城を預けることとし、その旨の返書をしたためたところよ」


「然らば、二俣城のことは安堵いたしました。二俣がことが落ち着けば、天竜川を渡河することも叶いましょう」


 三浦右衛門大夫の言葉に氏真は首肯する。天竜川を渡河することのできる場所は数ヶ所あるが、二俣の地はその中でも北に位置している要所。ゆえに、氏真も三浦右衛門大夫も安堵したのであった。


「されど、匂坂氏については不届き者が多うございまする」


「それは予も同意見ぞ。当主である匂坂六右衛門を除いた一族が離反し、同調する家臣も多く出たとのこと」


「はい。それゆえに不届き者が多いと申し上げたのです」


「うむ。じゃが、匂坂六右衛門の働きには目を見張るものがある。それはさておき、この嘆願書を読んでみよ」


「嘆願書にございまするか」


 氏真が放った書状を拾い上げ、ゆっくり右から左へと目を通していく三浦右衛門大夫であったが、その内容が他の国衆とは大いに異なっていることに驚かされた。


「なんと!離反した一族や家臣らの中でも降伏を願い出てきた者らについては赦免としていただきたいなどと……!」


「うむ。恩賞はいらぬゆえ離反した者らを赦免してほしいとは、潔い申し出であるとは思う。じゃが、予としても一度離反したような輩を許すつもりは毛頭ない。ゆえに、離反した者はたとえ降伏を願い出て参ろうとも、成敗するつもりである旨の返書をすでに送り届けた。今頃、匂坂六右衛門のもとへ届いた頃であろう」


「それがよろしいかと存じます。一度背いた輩を許しておいては後顧の憂いともなりまする」


「右衛門大夫の申す通りじゃ。こうした叛乱の連続は予が甘く見られておることの証左でもある。ここは毅然とした態度で鎮圧に臨まねばならぬ。三年前の龍拈寺で人質を処刑したように、の」


 叛乱を起こした者、許すまじという三浦右衛門大夫の意見を聞き、心強く思う氏真であったが、これほどまで多くの国衆から否を突きつけられるというのは精神的にかなり来るものがあった。


 しかし、最後の言葉は、己はあくまでも駿河・遠江・三河の太守なのだ。その矜持を胸に父・義元のような立派な当主として振る舞わねばならない、と自分に言い聞かせているかのようでもあった。


「これまた厄介であるのは見付端の堀越六郎氏延(うじのぶ)がことよ」


「はい。見付と申せば、遠江の府中。ここを押さえられていないとなれば、御屋形様の名声に傷がついてしまいまする。加えて、堀越氏は遠江今川氏の流れをくむ家柄にございまする」


「うむ。昔、父より伺ったのじゃが、かつて父が玄広恵探と家督をめぐって争った花倉の乱時に玄広恵探へ味方したのが堀越六郎なのだと。そして、父が勝利したことで逼塞を余儀なくされた者でもある。おそらく、そのことを根に持ち、飯尾豊前守へ同心したのであろう」


「そのことは某も父より伺うたことがありまする。それを思えば、今まで離反しなかったのは、花倉の乱のことを恨み、一矢報いる機会を窺っていたと捉えるべきでしょうか」


「そうであろう。そして、飯尾豊前守が離反したことを好機と捉えた。そう考えれば腑に落ちる。ゆえに、遠江今川氏の流れをくむ堀越氏は根絶やしにするつもりぞ。今より二十八年前のことを恨んでおる者に情けなどかけたとて禍根を残すことになるゆえな」


 堀越氏への対応について三浦右衛門大夫も氏真に同意するところであった。反骨精神溢れる堀越氏を滅ぼせば叛乱の火種を一つ抹消できるだけでなく、遠江支配において欠かせない府中地域の支配回復にも繋がるのだから、容赦なく攻め滅ぼすのが最善の手であることは間違いなかった。


「唯一の救いと申せば、井伊谷の井伊氏が新野左馬助様の手当てもあって家中が分裂することなく御屋形様へ恭順の意を示し、堀江城主の大澤左衛門佐基胤殿も飯尾豊前守に加担しなかったことにございますな」


「うむ。浜名湖周辺を維持できておるおかげで、東三河は遠州からの攻撃に怯える必要がないのだ。井伊と大澤の両家には叛乱を鎮めた後には恩賞を与えねばなるまい」


 たしかに井伊氏と大澤氏が今川方を貫いていることはせめてもの救いではあった。だが、それを除いた遠江国衆は離反しているのだから、楽観視できる情勢では断じてなかったのである。


 よもや遠江国内がそこまで荒れているとは知らない家康は、依然として三河一向一揆鎮圧に躍起になっていた。


 二月三日。そんな家康が岡崎城の書院にて阿部善九郎正勝、天野三郎兵衛康景、鳥居彦右衛門元忠、平岩七之助親吉、本多平八郎忠勝、榊原小平太といった面々が居並ぶ中、火鉢を囲んで一揆勢の動きや味方から届く戦況などからいかに動くべきかを議していた。


 そこへ現れたのは、石川又四郎重政という齢五十五になる老臣であった。幼少期に殺人を犯して流浪していたところを家康に拾われ、再び松平家臣となったという異色の経歴の持ち主である。


「殿、お話し中失礼いたしまする」


「おお、又四郎か。縁側におっては寒かろう。近う近う」


「はっ、ではお言葉に甘えさせていただきまする」


 遠慮がちに縁側より書院へと足を踏み入れる石川又四郎であったが、その場で温まることを良しとせず、早々と本題へ切り込んでいく。


「殿、針崎へ偵察に行くお許しをいただきたく、参上いたした次第」


「針崎の偵察か」


「いかにも。先月半ば以来、鳴りをひそめておる針崎がいかなる状況であるのか、この目で確かめて参りたく」


 針崎のことは家康もまったく動きがないだけに、上和田砦の大久保党に警戒させているだけであり、状況の子細までは知らずに放置していた。それゆえに、家康は良い機会だと思い、扇子で一つ膝を打った。


「よし、よかろう!して、どの程度の人数で参るつもりじゃ」


「はっ、某のほかに根来重内、布施吉次らにも声をかけ、総勢二十五騎で物見をして参る所存!」


「二十五か……」


 多すぎず少なすぎず、偵察には程よい数。だが、いくら主力を追い詰めたとはいえ、針崎には蜂屋半之丞貞次、渡辺半蔵守綱、筧助大夫正重といった猛将は未だ健在である。ひとたび発見されれば、無事では済まない心許ない数でもあった。


 さりとて、それ以上の人数を動員しては小競り合い、果ては合戦へと拡大する恐れもある。ともすれば、家康はその数でみて参れと命じるほかなかった。


「然らば、又四郎!針崎へ偵察へ向かうがよい!」


「はっ、ありがとう存じまする!」


「ただし!接敵したら決して戦ってはならぬ。わしが命じたのは偵察であること、ゆめゆめ忘れてはならぬ!」


「ははっ!肝に銘じておきまする!」


 そうして家康からの許可を得た石川又四郎はかねてより声をかけていた根来重内、布施吉次らとともに総勢二十五騎で針崎への偵察に出た。


 しかし、その動きはすぐにも針崎勝鬘寺の一揆勢の知るところとなってしまう。


「半之丞!明大寺辺りで敵の斥候と思しき連中を見かけたぞ!」


「でかしたぞ、半蔵!戦がなくて飽き飽きしてたところだ!助太夫殿や渡辺貞綱殿にも声をかけて襲ってやろうぞ!」


 大久保党と対陣し、家康を待ち伏せして痛い目に合わせた先月の十三日。すでに二十日近く戦らしい戦もなく、武闘派の面々は焦れていた。そこへ、敵がのこのこやって来るというのだから、喜び勇んで出撃していく。


「半蔵、待ち伏せるのは小豆坂辺りで良かろう」


「おう。先月、殿が我らの伏兵にまんまとやられた地じゃ。それでよかろう。合図は半之丞が撃った鉄砲じゃ!それから一斉にかかるぞ!」


 渡辺半蔵守綱、蜂屋半之丞貞次、渡辺貞綱、筧助太夫正重といった面々とともに針崎勝鬘寺を出撃したのは総勢三十五騎。


 針崎へ向かってくるのであらば通るであろう道の両脇へ分かれて伏せる。


 息を殺してじっと待っていると、遠方より幾重にも重なった馬蹄の音と土煙が伏せている一揆勢からも確認できた。


「ここは開けておる!もたついては敵に気づかれるゆえ、急がねばならぬぞ!」


 先頭を行く老将・石川又四郎の声に根来重内、布施吉次が勇ましさの籠った声で応じる。


 そこへ、一発の銃声が轟き、次の瞬間には石川又四郎の姿が馬上から消える。


「「又四郎殿!?」」


 そう叫んで根来重内、布施吉次が馬の足を止めたのを皮切りに道の両脇より鬨の声が上がる。


「それっ!逃がすな!」


 長槍を手に草叢から飛び出した渡辺半蔵は馬上の根来重内の脇腹を一突きし、馬から引きずり下ろす。


「おのれっ、半蔵!」


 根来重内が喚くのを渡辺半蔵が馬乗りになって抑え込んだところを側にいた渡辺貞綱が即座に首を落とす鮮やかな連携を見せる。


 眼の前で根来重内が討たれたのを見て動揺する布施吉次も刀を振り回して応戦するも、背部から槍を貫かれてしまう。


「お、お主は筧――」


 そこまで言って絶命した布施吉次の首を慣れた手つきで獲っていくのは年長組の筧助太夫。


「助太夫殿!又四郎めが逃げていくぞ!追わねば!」


 白樫三間柄の愛槍を手に駆け出す蜂屋半之丞であったが、すぐ横にいた筧助太夫に襟首を掴まれ引き戻される。


「待て!追わぬでよい!この数ではどのみち、岡崎へたどり着く前に皆殺しじゃ」


 すでに勝鬘寺で戦える戦力が少ないことを知る蜂屋半之丞は唇を噛み、逃げていく石川又四郎らを見送るのであった――

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