第176話 首実検と野場城の戦い
石川新九郎らの追撃より舞い戻った家康率いる部隊が南から乱入したことにより、逃げ遅れた馬頭原の一揆勢は西、北東、南西の三方向から攻められる絶望的な事態となった。
文字通り進退窮まった状況に、一揆勢は正面突破か南東の竜泉寺の先の桑谷に退くかの二択を迫られる。
「敵の動きが止まっておる!今のうちに包囲せよ!」
馬頭原の地へと戻った家康の号令一下、一揆勢を討ち漏らすまいと包囲陣が形成されていく。
もはや戦うよりほかはないと臍を固めた一揆勢は半刻ほど決死の抵抗をするも、奮闘空しく逃亡する者が相次ぎ、陣形は崩壊。
東の蓑川方面に潰走することとなり、そこへ松平・水野連合軍の追い討ちを受けて一揆勢は離散。かくして馬頭原の戦いは家康方圧勝という結果で終わった。
「殿!勝ちましたな!」
「うむ。皆の奮戦あってこその勝利、まこと大儀であった。皆も疲れておろうで、首実検は明朝に執り行うことといたす。今宵は皆ゆっくり休息を取るがよかろう」
家臣らを気遣っての一言に、それを伝え聞いた家臣らは感謝した。だが、他ならぬ家康自身も連日の合戦で疲労困憊であったことが真意であったが、他の者は知る由もない。
疲れているから良く眠れるであろう。当初、そう考えていた家康であったが、眠りにつこうとするたびに戦場の血生臭い香りと剣戟の音が嗅覚と聴覚を刺激し、満足に眠ることができなかった。
そうして迎えた翌十六日。ぬるたまの夢より目覚めた家康は明大寺の少し下の瀬とされる二瀬、菅生満性寺の西にあたる地へと足を運んだ。そう、首実検のためである。
家康が到着する頃には、生田原と馬頭原にて討ち取られた首級百三十が並べられていた。死後硬直も進み、血の気の失せた首が百以上も並んでいる光景に家康は吐き気を催しながらも首級を一つ一つ丁寧に検めていく。
どれもこれも先日まで家康に仕えていた者たちばかり。最後に見た姿や表情、喜怒哀楽を帯びた声までが鮮明に思い出される。それを朝から百回以上も繰り返す地獄を味わいながら、家康は首実検を終えていく。
「蔵人佐殿」
「こ、これは伯父上。このような場へ参られずとも、お呼びいただければすぐにも参りましたものを」
家康の語気が平素とは異なることを一言二言聞いただけで見抜いた水野下野守信元は、すぐそばを流れる乙川へ家康を連れ出す。
「蔵人佐殿、首実検ご苦労にござった」
「なんの。これも当主としての務めにございますれば」
「左様か。さぞかし辛かったであろうが、これも当主が担うべき宿命よ。これからもお主が生きていく中で、幾度と首実検をすることになろう。慣れろとまでは申さぬ。むしろ慣れてはならぬのだ」
「人を殺めることに慣れてはならぬと、かように仰りたいのですか」
「そうじゃ。蔵人佐殿。わしはこれまで身内を謀略の道具としてきた。お主の母もそうじゃ。じゃが、わしは心が痛まなかったことは一度としてない。ゆえ、わしから申せることはただ一つ。苦しめ、甥っ子よ。誰よりも苦しめ。さもなくば君主たりえぬのが乱世と心得よ」
重苦しい声音で吐き出された伯父の言葉に、家康はすぐに返事をすることなどできなかった。いや、すぐに返事をしてはならぬのだ。そう解釈した。
「お言葉、この心にしかと刻み付けておきまする」
「そうせよ」
そこまで言い終えると、踵を返す水野下野守。家康は大きくなったように感じられる伯父の背を見送ると、再び首実検の場へと戻っていく。改めて、一人一人へ念仏を唱え、供養せねばと思ったからであった――
そうして一月もさらに七日が過ぎた一月二十三日。
三河随一の大池とされた菱池も寒さで凍りついたかに思われる時節。その西岸に位置する野場城には六栗領主・夏目次郎左衛門尉広次が一向一揆勢の大津半左衛門や乙部八兵衛らとともに立て籠もっていた。
岡崎城と深溝城を結ぶ道筋の途上に位置する野場城の攻略を委ねられたのは、松平主殿助伊忠率いる深溝松平勢であった。深溝松平勢は野場城へ攻め寄せるも、城の攻略は難航し、今日に至っていた。
「埒が明かぬ。よもやこれほど城を堅守するとは、さすが夏目次郎左衛門尉殿じゃ……。某のような若造では手も足も出ぬ」
善明堤の戦いにて父・大炊助好景を失って三年。以来、当主として研鑽し続ける松平主殿助であったが、如何せん齢二十八の若武者。城を防衛する夏目次郎左衛門尉は四十七歳と、戦経験豊富な戦巧者である。経験値の差が如実に表れる戦となっていた。
「殿、城内より矢文が!」
重ね扇の陣幕を背に、床几に腰かけて考え込む松平主殿助のもとへ、家臣が城から射られたという矢文を持参してきたのである。
「どれ、見せてみよ」
矢文を射た主は夏目次郎左衛門尉とともに野場城に籠城する若武者・乙部八兵衛からであった。乙部八兵衛は父を第二次小豆坂の戦いで失い、この野場城の戦いが初陣となった松平家の足軽である。
そんな乙部八兵衛からの矢文の内容は内応を申し出るものであった。野場城を攻めあぐねる松平主殿助にとっては願ったり叶ったりの申し出であるが、夏目次郎左衛門尉の老巧な罠とも考えられ、すぐには判断しかねてしまう内容である。
「殿、恐れながら申し上げます。おそらく、城内にも馬頭原の合戦で土呂の一揆勢が壊滅したことは伝わっておりましょう。それゆえに、乙部八兵衛なる者も内応役を買って出たのではないかと」
「それはあろう。じゃが、これが罠であったならばいかにする」
「然らば、殿自らは城へ入らぬ事です。某をはじめ、手練れの者四十名ばかりが乙部八兵衛の手引きで城内へ潜入いたします。そこを殿の下知で攻めかかってくだされば、城内から鬨の声をあげて支援するというのがよろしいかと」
「そうであれば悪くない。今より返書をしたためるゆえ、矢文を射返すように。加えて、決行は明日の夜といたす」
松平主殿助は乙部八兵衛へ内応を認める旨の返書をしたため、城内に矢を射返した。
そうして迎えた翌二十四日夜。深溝松平勢から選抜された四十名ばかりが夜陰に紛れて野場城内へと潜入していく。
乙部八兵衛の手引きもあり、上首尾に運んだことを確認すると、松平主殿助の号令で野場城への総攻撃が開始される。
「夜襲じゃ!」
「敵が攻めてきよったぞ!」
籠城する野場城の城兵が深溝松平勢の夜襲に驚き、近くの者を叩き起こしながら迎撃を開始した頃、城内からも鬨の声が上がったのである。
「大津半左衛門様!こ、これはいかなることに!?」
「分からぬ!じゃが、城内からも鬨の声が聞こえるということは、敵がいつの間にやら城へ潜り込んでおったか、裏切り者が出たかのいずれかであろう」
「わ、我らはいかにすれば!馬頭原の合戦で土呂の味方が壊滅し、針崎や佐々木のお味方も鳴りをひそめている今、降伏したとて許されますまい……!」
「どのみち、この城は守り切れぬ。ここは針崎へ落ち延びることとしようぞ。所詮、この城はわしの城ではないのだからな」
共に籠城していた大津半左衛門は側にいた同胞と語らい、野場城を捨てて勝鬘寺のある針崎方面へと早々に逃げ落ちていく。
内応した乙部八兵衛が頃合いを見て大手門を開くと、深溝松平勢が城内へなだれ込み、順調に城の各曲輪を制圧していく。
「主殿助殿!乙部八兵衛にございます!」
「おお、そなたが乙部八兵衛か。此度の内応、大儀であった」
城内へ威勢よく馬を乗りいれた若大将・松平主殿助を呼び止めたのは、喜色満面の笑みを浮かべた乙部八兵衛であった。
「戦況やいかに!」
「はい、すでに大津半左衛門以下、城を逃げ出す者が後を絶ちませぬ。今残っておるのはもとより夏目次郎左衛門尉殿に従う者ばかりにございますれば」
「左様か。では、城内を案内せよ」
「お安い御用で」
松平主殿助は乙部八兵衛の案内で城攻略を進めていく。
一方その頃、突然の裏切りで敵が城内に雪崩れ込んでいるとの急報に接した夏目次郎左衛門尉はどうすべきか悩んでいた。
「夏目様!大津半左衛門が逃亡!また、裏切ったるは乙部八兵衛!」
「相分かった」
名の挙がった両名の顔を思い浮かべ、夏目次郎左衛門尉は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
もとより彼が家康に対して反旗を翻した理由は上野城主・酒井将監忠尚と同じであった。今のまま今川方と争い続ける国策に反対の立場であったからだ。それを理解してもらえればというつもりで加担したのだが、それも不可能な情勢となった。
「夏目様!敵がお屋敷の傍まで迫っておりまする!ここは我らが防ぎ止めまするゆえ、土蔵へお隠れくださいませ!」
「すまぬ!」
しばらくの間土蔵で敵をやり過ごし、その後再起を図る。その可能性に賭けるほかないのだと悟った夏目次郎左衛門尉の決断は迅速であった。
ただちに、土蔵へと身を隠したのであるが、いかにも人が隠れていそうな土蔵を深溝松平勢が見逃すはずもなく、ろくな抵抗もできずに身柄を拘束されてしまう。
「夏目次郎左衛門尉殿。何ゆえ謀反されたか、理由については問いませぬ。今はただ、蔵人佐殿のご裁断を仰ぐよりございませぬ」
「そう……でござろう。主殿助殿のお目にかかるのもこれが最後となりましょう。どうか、どうか、六栗の民は、わしの家臣らに罪はござらぬ。罪はこれすべて、夏目次郎左衛門尉広次にあると申し伝えてはくださるまいか」
深溝城主・松平主殿助は瞑目し、いかなる言葉も紡ぐことができなかった。ただただ、虜囚となった六栗領主の背を見送るのみ。そこへ、土蔵から出てきた家臣が回収した一振りの刀を松平主殿助のもとへ届け出た。
「殿、土蔵にて夏目次郎左衛門尉殿を取り押さえた際に佩いていた脇差にございます」
「こ、これは備前長光作の脇差ではないか!」
夏目次郎左衛門尉が捕らえられる直前まで身につけていた備前長光作の脇差。これは二年前、板倉重定を攻めた三州八幡合戦の際に殿を務め、国府までの間で六度踏み止まり奮戦した軍労を賞し、家康より賜った脇差であった。
「そうか、この脇差を……」
すらりと鞘から刀身を抜き、月光にかざしてみればよく分かる。刀身から溢れる美しい光は、こまめに手入れされているということが。
「さしずめ、此度の籠城戦にあっても主君より拝領した脇差を磨かなかった日はなかったのであろう」
無念にも虜囚となった夏目次郎左衛門尉の本心が、主君への愛が垣間見えた瞬間、松平主殿助の心は大きく揺さぶられた。
「武人の心意気を買わねば、武人とは言えぬ!そなた、岡崎城へ戦勝を報せる使者となってくれ。加えて、わしから夏目次郎左衛門尉殿の助命を嘆願する旨、一筆したためるゆえ、それを渡してくれ」
そうして認められた武士の真心が込められた一書は野場城攻略の勝報を報せる使者によって、岡崎城の家康へと届けられたのであった。
「殿。その書状は?」
「平八郎か。うむ、深溝の主殿助殿からの嘆願書じゃ。なんでも、夏目次郎左衛門尉の一命を助けてはもらえぬか、とな」
「助命などと、殿に背きし不忠者にございますれば。助ける謂れなどございますまいかと」
「なんでも、わしが二年も昔に与えた備前長光作の脇差を落城するその時まで大切に保持していたのだとよ」
そこまで言えば、本多平八郎忠勝にも夏目次郎左衛門尉の心意気が伝わったのか、助命すべきでないと口にすることはなくなった。
「やはりわしの志が理解されなかったのが、家臣らの離反に繋がっておったようじゃ」
「さ、左様でしょうや」
「左様じゃ。わしは決めたぞ。門徒武士は宗旨替えに応じるならば一切の罪を許し、赦免とすること。応じなければ国外追放とし、斬首や切腹はせぬとな」
「寛大なご処分、平八郎忠勝感じ入ってございます」
「元は皆、わしの家臣じゃ。わしに背いたとはいえ、忠義の心を忘れたのではないこと、よく分かった。これを不忠者と断じて斬り捨てるなど、御仏の心に叶うまい。夏目次郎左衛門尉の助命は認めるが、今しばらくは松平主殿助付属とし、ほとぼりが冷めた頃に直臣として迎え入れようぞ。その旨、一筆したためて深溝へ届けさせるとしよう」
家康はそこまで言い終えるなり、文机を引き寄せて墨をすり、一書をしたためていく。
その一書が届けられた深溝城の松平主殿助は大いに安堵し、目の端からさらりと雫が零れる。
そして、当の夏目次郎左衛門尉は竹矢来のうちで家康直筆の書状を片手に声を上げて涙を流すのであった――