第160話 松平家康、爆誕!
松平蔵人佐元康による酒井将監忠尚らが籠もる上野城攻めは難航。敵方の士気が想像していた以上に高いことも影響し、城攻めは不首尾に終わった。
上野城攻めにこだわりすぎては、隙を突かれることにもなるため、素直に石川与七郎数正が申していたことに従い、元康は無念ではあるが撤兵を決断。籠城側も驚くほどの速度で岡崎城へと撤収したのであった。
「殿、先日の上野城攻めは無念にございましたなぁ」
月も替わって七月。連日の猛暑に合戦する気力すらも萎えそうになる中、元康は築山に築いた屋敷を訪ね、正室・駿河御前と嫡男・竹千代、長女・亀姫。それに生母である於大の方も加えて、賑やかな集まりとなっていた。
「蔵人佐殿、上野城は頑強な抵抗を示したとか」
「そうなのです、母上。今川家当主が三州急用を発したこともあり、某の方針に不満を抱く者らが勢いづいておるのです」
「そうでしたか。妾は女子ゆえ、戦のことなど分かりませぬし、分かりたいとも思いませぬ。されど、そんな妾から申せるとすれば、こちらも士気を挙げる手立てを講じるべきであることは間違いありませぬ」
「ほう、こちらも敵方に負けぬくらい士気を高めるべきである、と」
母の言うことは最もであった。敵の大将・今川上総介氏真は松平元康を征伐することを高らかに宣言し、味方の戦意を向上させている。となれば、こちらも闘志を高める手立てを講じ、その差を埋めてしまうのが妥当な策ではあった。
「味方の戦意を向上させる一手……」
「殿、それならばこの瀬名からも一つ申し上げたきことが」
「おお、この際じゃ。わしは藁にも縋る想いなのじゃ。なんでも思いついたことがあれば、何でも申してはくれまいか」
「はい。では申し上げます。敵は殿を断固成敗すると主張したのでございましょう?であるならば、こちらも同じように絶対に成敗するとの意思を示されるべきかと」
敵が用いた手をそのまま用いることはさすがに不可能。だが、元康は考えているうちに、一つの考えに行きついた。
「そうじゃ!母上も瀬名もよう聞いてくだされ!」
手にした扇子で力強く膝を打った元康に、自然と駿河御前と於大の方の視線が集まる。だが、あまりに大きな音で膝を叩いたこともあり、竹千代も亀姫も驚いたのか今にも泣きだしそうになるが、ぎりぎりのところで泣き出すには至らなかった。
「武士の諱は魂の一部。わしの諱には今川義元公より賜った『元』の一字が宿っておる。この一字を捨てたいなどと思っておるわけではない。じゃが、この一字がある限り、わしの戦意は生半可なものであると見なされてしまうであろう」
武士の諱は魂の一部。その元康の言葉に大きく頷いたのは生母・於大の方。正室・駿河御前は緊張した面持ちで夫の次に何を言い出すのか、子どもたちをあやしながら見守っている。
「わしは今は亡き今川義元公より賜った『元』の一字を排することで、これまで通り今川家と戦う己の意志を示そうと思う」
「蔵人佐殿。然らば、排した『元』の字に代わり、いかなる字を宛がわれるおつもりか」
「そこなのです。わしが迷っておるのは……」
諱から『元』の一字を排することで戦闘継続の意思を領国中へ宣言することはできるが、問題はまだ残っている。そう、代わりにいかなる字を宛がうのか否かという問題である。
そもそも戦国大名から与えられた偏諱を、その大名家と敵対関係になったからといって廃する行為は基本的にはあり得ない、というのが当時の常識であった。現に二年前に今川方との戦いで討ち死にした西郷孫六郎元正も『元』の字を排することなく戦い続けていた。
それを踏まえたうえで諱から『元』の字を除くことは、敵味方問わず周辺の者へ今川家との決別を強く表現する結果を生む。
「蔵人佐殿。松平家は清和源氏の子孫にございましたなぁ」
「はい。母上の仰る通り、当家は清和源氏を自認する家柄にございまする。それが、いかがなされたので?」
「母の話はまだ続きがございます。今、蔵人佐殿が戦っておられる今川家も清和源氏にございましたな」
「は、はい。今川家は清和源氏の中でも源義国公の末裔にございますれば」
「ならば、源義国公の御父君はどなたにございましたか」
「み、源義家公にございまする」
元康の瞳には戸惑いという感情が浮かんでいた。一体、目の前にいる齢三十六となってなお、艶冶な母親は何を我が子に伝えようというのか。その意図を測れずにいるのである。
「いっそのこと、源義家公より『義』の一字を拝領し、諱を『義康』としてしまうのはどうでありましょうか?これより克服せねばならない大敵の先祖の父より一字を拝領することで、今川家を超える武家なのであると予に示されてはいかがか」
「母上!まことに良い案ではございますが、『義』の一字は足利将軍家の通字にございますゆえ、畏れ多いこと!何より、『義』の一字は今川義元公の諱にも含まれておりますゆえ、遠慮いたしたく」
「なるほど、さようにございましたな。然らば、源義家公より『家』の一字を拝領し、諱を『家康』と改めるのではいかがか。御家安泰の願いを込めて『家』の一字を宛がうとしても良いのではございませぬか」
「松平蔵人佐家康、にございますか。うむ、さすがは母上。まこと良き名にございまする!然らば、この元康は本日、永禄六年七月六日より諱を家康へと改めることといたしまする!となれば、このことは家中の者らや当家に味方する国衆らへも通達せねばならぬか」
この永禄六年七月六日。松平蔵人佐元康は元服の折に今川三河守義元より賜った『元』の一字を『家』の一字に改め、実名を『家康』へと改めた。
さらに家康はこれまでの今川義元を倣った花押形も改めることとし、今川家と袂をわかったことを強く表明したのである。
この松平蔵人佐元康が松平蔵人佐家康へと名を改めたという一報は想定通り、松平方の今川方と戦い続ける意思を示すことによる戦意を向上させる効果をもたらした。
対して、今川方にとっては天地がひっくり返ろうとも、家康は今川家に屈服することはないとの宣言を受けたのである。これまでうなぎ登りであった士気は停滞を見せ、松平方と隣接する国衆らの間で動揺が広がる事態ともなっていった。
「御屋形様!一大事にございまする!」
「おお、いかがした関口刑部少輔」
「岡崎の松平蔵人佐元康が諱を家康に改めたとの知らせが東三河に先発した三浦備後守殿より届いておりまする!」
「なにっ!元康め、父上よりいただいた『元』の字を捨てたと申すか!」
全身から怒気を溢れさせる今川上総介氏真は関口刑部少輔から三浦備後守の書状を奪い取ると、その文章に目を通していく。
それが吉報であったのならば、氏真の機嫌も良くなり、怒りという刀を鞘へ収めて落ち着きを取り戻すこともできたであろう。だが、むしろ三浦備後守正俊からの書状は氏真の機嫌を損ねる情報ばかり羅列されていた。
「くっ、蔵人佐め!当家からの恩を仇で返す逆賊めが!」
「御屋形様、お怒りをお鎮めくださいませ!」
「黙れっ、これが落ち着いてなどおれるものか!よいか刑部少輔!予が発した三州急用は脅しのつもりであった。ここまで予が本気で征伐する腹積もりなのだと示せば、利口な蔵人佐ならば鉾を収めるであろうとな!されど、その恩情がこのザマぞ!」
「であるならば、昨年のように一万数千の大軍勢で東三河への遠征をなされまするか」
思うがままに事態が好転しないことへの苛立ち、そしてそれから生じる怒りというものが氏真の視界を妨げている。関口刑部少輔氏純はそのように分析していた。
しかし、それを言上したとしても、今の関口刑部少輔の立場では誰も耳を傾けようとはしない。それゆえに、関口刑部少輔は意見しようとすら思わなくなってしまっていた。
「三浦備後守からの報せによれば、蔵人佐は上野城の酒井将監離反を受けて、その対応に追われているというではないか。そこへ、援軍として派遣した三浦備後守が牛久保城の牧野勢や吉田城の大原肥前守らと連携して松平方へ攻勢をかければ十分に松平を屠ることができよう」
「では、御屋形様自ら三河侵攻はなさらない、とのことにございましょうか」
「そうじゃ。先日、甲斐の信玄殿よりいただいた酒井将監が持参したとかいう書状の写しによれば、近日中に与する者らも蜂起するというではないか。それらが蜂起するだけでも、十分に蔵人佐を釘付けにできようぞ」
やはり氏真の本心としては、三河へ侵攻することはなるべくしたくないのだ。氏真の言葉を聞いているうちに、関口刑部少輔はそう思えてならなかった。別に蔵人佐に臆しているわけではないが、それ以上に同盟先である北条家や武田家の機嫌を損ねることを恐れているようにも見える。
「予は決めたぞ。今月二十四日、駿府を出陣する」
「なんと!駿河や遠江の軍勢を率いて参られると……!」
「そうじゃ。そのこと、しかと小田原におられる舅殿へ報じておかねばならぬ」
そこまで聞き、関口刑部少輔は氏真の発言にある違和感を感じ取った。どうして三河へ侵攻する日時を小田原城の舅・北条左京大夫氏康へ知らせる必要があるというのか。
「恐れながら申し上げまする。何ゆえ、出陣がことを小田原へと報じられるのでしょう」
「うむ、良き問いじゃ。予は関東へ出陣する。ゆえに、その出陣の日時は北条家へ伝えておく必要があろう」
氏真の言うことはもっともなこと。年内に上杉弾正少弼輝虎が越山して関東へ侵攻してくることはないと確信した北条家から援軍を求める使者は先月から幾度も入っている。それに応じるのだと言われればそれまでなのだが、関口刑部少輔としては嫌な予感しかしなかった。
三浦備後守や朝比奈丹波守親徳らも懸念していた三河侵攻を目的として実施した臨時徴税のことが関口刑部少輔の頭にも不意に浮かんだ。
徴税の目的として掲げた公約を実行しない。ただでさえ、寺社や従属国衆、地侍らから数多の嘆願書が届き、文官たちはその対応に日々追われている状況なのだ。
それで氏真が公約として掲げた三河へ侵攻し、松平蔵人佐家康の成敗を行わずに相模国へ出兵したことを知った寺社や地侍たちから反感を買うことにもなる。そうなれば、三河に留まらず、駿河・遠江という今川家の屋台骨を揺るがす事態にもなりかねない。
「御屋形様――」
「なんでも舅殿は今月二日、武蔵国岩槻城の太田三楽斎道誉を懐柔するべく、民部大輔へ任じるよう朝廷へ掛け合ったそうじゃが、敵対する意思を変えることはなかったそうな」
「は、はぁ」
「舅殿からの要請によれば、当家の軍勢と連合しての岩槻城攻めを目論んでおられるらしい。今松平へ従わぬ勢力が蔵人佐を釘付けにしている間、余剰な戦力を関東への援軍派遣に充てる。これならば、人員を無駄にすることなく、合理的な人員配置を行えようが」
ついに関口刑部少輔の話は聞く耳すらもたれなかった。だが、氏真が言わんとすることもある。
十分に今の戦力で家康を抑え込めているのだから、今のうちに北条家へ恩を売り、その恩に報いる形で松平鎮定に協力させるというのが合理的であるという氏真の意見に間違いはない。
その合理的な考えが重税を課されている領国内の寺社や地侍らに受け入れられるという前提条件が成立する場合においてのみ、であるが。
ともあれ、その後も氏真の北条氏康支援の意志は揺るがなかった。案の定、関口刑部少輔は留守居役として駿府へ残され、そのほかの今川諸将は手勢を率いて駿府へ参集。
「者共、良いか!これより我らは北条左京大夫氏康殿と北条新九郎氏政殿よりの要請に応じ、相模国にて合流し、武蔵国岩槻城攻略を援護することといたす!ここで隣国の北条家の勢いが蘇れば、当家へも必ず援軍を派遣してくださるであろう!加えて、二日前には甲斐の徳栄軒信玄殿も自ら軍勢を率いて上州表へ出陣なされた!甲相駿三国同盟の連合軍が恐ろしさ、今こそ敵対するすべての者らの心に刻み付けてくれようぞ!」
昨年の三河侵攻ぶりに甲冑姿で陣頭に立つ今川上総介氏真の鼓舞に、全軍は咆哮でもって応じた。そんな勇敢なる戦士たちの方向に勇気を得た氏真に率いられ、今川軍は続々と国境を越えて相模国へ進軍していく。
そうして同月末には相州小田原へ着陣し、翌八月二日には相模川の洪水により足止めされていた北条左京大夫氏康・新九郎氏政の父子と合流した氏真は意気揚々と関東での戦へ臨んでいく。
これより遠江で惨事が勃発するなどとは夢にも思わず――