第15話 芝蘭の友
人質に出されてから数ヵ月が経過した麗らかな臘月の頃。冬うらら、馬を遠乗りするには実に良い天気である。
そんな冬の温かな陽射しの下、竹千代と加藤弥三郎は屋敷の庭で懸命に木刀を振っていた。
「えいっ!」
「やぁっ!」
体つきが大人へと発達する前の段階の二人にとっては厳しい鍛錬。しかし、二人は泣き言一つ言わずに加藤図書から言われた通りに稽古を続けていく。
竹千代としては剣術の稽古をしているよりも書物を読み、加藤図書から自らの知らない知識を取り込んでいく時間の方が好きであった。
とはいえ、加藤図書に『体を動かすこともまた、勉学に励むには欠かせぬことなのですぞ』と念押しされてしまっては、さすがの竹千代も首を縦に振るほかなかった。
「竹千代殿、体を動かすのはお嫌いか?」
「うむ。好きであろうはずがない」
「左様で。この弥三郎めは書物などよりも、こうして剣の稽古に打ち込んでいる方が好きじゃ」
竹千代と弥三郎の違いというのは、現代風に言えば文化部系男子と運動部系男子の違いと言ったところであろう。お互いに趣味嗜好が違う、されど衝突することはない。主従関係でもないだけに、一層奇妙な関係であった。
そんな折、加藤図書の屋敷の外が騒がしくなった。門を固めていた足軽二名が慌てた様子で対応しており、一瞬にして加藤図書の屋敷は慌ただしくなった。
庭からでは門の方は良く見えないが、何やら騒がしくなったことだけは竹千代と弥三郎にも分かる。
「何事であろうか。父上に訊ねて参るゆえ、竹千代殿はここに居てくだされ」
「うむ」
加藤弥三郎も首を傾げながら屋敷の奥へと消えていく。そうして庭に一人取り残される形となった竹千代は、弥三郎から言われた通り、その場を動くことはなかった。
練習相手もおらず、疲れが溜まっている。今なら誰の目もないのだし、休もう。そう思い、竹千代は木刀を柱に立てかけ、自らは縁側へ腰を下ろした。
「お主が竹千代か!」
そこへ、背後から竹千代の肩を強く叩いた者があった。しかも、耳元で突然大きな声を出されたものだから、さすがの竹千代も目を見開いてしまっている。
あまりに突然のことで言葉が口から出なかったが、ぎこちない動きで背後を見ることができた。
その時、竹千代の視界に飛び込んできたのは、茶筅髪に紅白の元結、襟の汚れた上質な生地を用いた小袖。胸ははだけ、左手の袖を肘までまくり上げている。
なんとも一風変わった遊び盛りの少年らしさを残した青年であった。
そんな彼の左手には食べかけの握り飯、逆に右手には朱色の鞘に収められた四尺ほどの太刀が握られている。その鞘に収められた太刀を右肩にトン、トン、と一定の拍子で当てていた。
さて、「お主が竹千代か!」と突然言われた当の竹千代はといえば。完全に目の前にいる奇妙な出で立ちをした青年に目を奪われ、無言のままであった。
「ハハハ、こやつめ、突然のことに固まっておるわ!」
「か、固まってはおらぬ」
「おう、やっと喋ったか。もう一度聞こう。お主が竹千代か」
「無礼者に語る名は持たぬ」
出会うなり名を尋ねてきた挙句、上から目線の物言い。竹千代は子供ながらに不機嫌さを顔の全面で表現していた。
「左様か。おれは無礼者か」
「そうじゃ」
「よし!ならば、おれから名乗れば先ほどの問いに答えてもらおう」
青年からの言葉に小さく頷く竹千代。その少年の動作に反応し、青年はにかっと白い歯を見せて笑う。
「おれが織田三郎信長じゃ!この名を知っているか」
「知っている。ここで世話になっている者たちから聞いたことがある」
「ほう、さしずめ加藤図書あたりから聞いたとみえる。まぁ、そんなことはよい。早うおれの問いに答えんか」
「いかにも、竹千代じゃ」
口数が少ない少年。信長が話しかけると織田家臣は誰もがうわべではひれ伏すというのに、この竹千代という少年はそうしなかった。
「お主、おれが織田信長であると知っても言葉遣いが変わらぬな」
「変えてもよい。じゃが、うわべだけ取り繕おうとも喜びそうにないと感じた。じゃから、言葉遣いも変えぬ」
「ほう、その年で難しい言葉を使うな。しかも、おれが思うておることを見透かしたような言いぐさ。実に気に入ったぞ」
竹千代と話し始めてからというもの、信長という男は笑顔が絶えなかった。竹千代の受け答えで常に笑みを浮かべさせられている。
「竹千代、おれの家来にならぬか。さすれば、人質としてではなく、織田の家臣として暮らしていくことも叶おうぞ。さすれば、岡崎におる父も、阿古居におる母も喜ばせる、実に親孝行な生き方とは思わぬか」
「そうは思わぬ。父も母も竹千代を見捨てたのじゃ。今さら、喜ばせようなどと考えたことはない」
「左様か。おれには母から見捨てられた気持ちしか分かってやれぬが、お主の心は分かったぞ。ならば、おれと兄弟の契りを結ばぬか。おれは一目見た時からお主のことを弟のような気がするのだ」
「いやじゃ。弟になったが最後、もう三河には帰れぬ」
「ほう、三河には帰りたいのか。お主を見捨てた父のいる三河に」
先ほどの竹千代の発言を鋭く突いてくる信長。竹千代も熱田で人質生活を送る中で「織田信長はうつけ者である」という噂は聞いたことがあった。
しかし、噂とは異なる人品を兼ね備えた目の前の織田三郎信長に、竹千代は秘かに好感を抱いていた。
「帰りたい。竹千代は父に見捨てられようとも、岡崎での暮らしに戻りたいのじゃ」
「ふーむ、そういうものか。おれは尾張の外へ出たことがないゆえ、ちっとも分からぬ。じゃが、いつかは分かる時が来るのやも知れぬ」
尾張の外へは出たことがないが、尾張の国内情勢をよく知る信長。対して、三河のほかに尾張の空気を知るものの、三河の国内情勢をさほど知らぬ竹千代。
故郷への想いという点で両者に違いがあった。だが、この二人にとって、そのようなことは大した障害ではない。むしろ、互いのことを知れたことへの正の感情が勝っていた。
「おれの父には多くの姫がおる。おれが竹千代と馬の合いそうな姫を選んでやるで、その姫と結婚して義弟になれ。そういうたら、竹千代。お主は受けるか」
六歳の子供に結婚という言葉はイマイチ実感のないものであった。それでも、竹千代は懸命に信長への返答を考える。
一方、信長は気が短そうでありながら、竹千代が再び話し始めるのを目を細め、今か今かと待ちわびていた。そして、その時がやってきた。
「受けぬ。竹千代はいずれ松平を継がねばならぬ。軽率な振る舞いは慎まねばならぬ」
「ふふふ、ハハハハハッ!面白い!竹千代、お主は実に面白い!この信長、家来にならぬと言われては、何が何でも家来にしたくなる性分じゃ。必ず、お主の首を縦に振らせてみせようぞ」
その時の信長が見せた鋭い眼光。あまりの鋭さに震え上がりそうになる竹千代であったが、悟られまいと無表情を貫く。
「竹千代、最後に問おう。おれのことが好きか、嫌いか。しばし待ってやるで、答えてみよ」
「……嫌いではない」
「で、あるか。おれも竹千代のことは好きじゃ。じゃが、戦場においては別儀。武士として、弓矢をもって会うことになれば容赦はせぬ」
それだけ言い残して、織田信長と名乗った奇天烈な格好をした青年は竹千代のいる庭から立ち去っていく。
その目的を達成した満足げな表情は、まるで竹千代に会うためだけに加藤図書の屋敷を訪れたと言わんばかりであった。
「竹千代殿。今、誰かこちらに来られましたかな」
信長が立ち去った後に、足早に歩いてきたのは屋敷の主、加藤図書であった。竹千代は問いに対して、首を縦に振り、織田信長と名乗る青年が先ほどまでここに居たことを正直に伝える。
すると、加藤図書は血相を変えて竹千代の前から姿を消していく。おそらく、信長がこちらに来なかったか、竹千代との話で確認しようとしていたのであろう。
そして、案の定、こちらに来ていたのだ。それが分かって急いで追いかけていったところであろう。そう、竹千代は推測した。
こうして、竹千代はこれから三十五年の後まで深くかかわりを持つことになる織田信長という男と出会ったのである。
そんな竹千代の織田家での人質生活が始まった天文十六年も終わり、明けて天文十七年。
この年の正月二十六日、竹千代から見て従叔父にあたる奥平仙千代、後の奥平定能が今川氏への人質として三河国吉田へと提出されている。
奥平仙千代の母は今は亡き水野妙茂の妹。つまりは、竹千代の生母・於大の方とは従弟にあたる間柄なのだ。
それはともかく、竹千代が人質に出されている織田家はといえば。信長の父・信秀は西三河へと勢力を拡大した勢いで、美濃へと意識を集中させていた。
尾張の虎が目を向けるのは美濃の蝮こと斎藤利政。織田信秀に対抗すべく、蝮は織田信秀の主家である織田大和守家や西三河で信秀と争う松平広忠とも気脈を通じて対抗する手を講じつつあった。
そして、尾張の織田信秀が美濃に気を取られていることを知った駿河の戦国大名が、ついに本格的に動き出そうとしていた――
「崇孚よ。予は松平広忠の態度、殊勝であると見るが、お許はどう思うぞ」
「我が子を人質に取られようとも当家への恭順を示す。子をなんとも思わぬ人非人とも見れますが、我が子のせいで家を滅ぼすような愚将ではないことの表れとも見受けられましょう」
「お主の煮え切らぬ言葉が聞きたくて意見を求めたのではないぞ。予の質問に応えよ」
「然らば、ここらで織田の出鼻を挫く必要がありましょう」
答える気がないと思わせ、いきなり本題に切り込んでくる。この掴めなさが今川義元の右腕たる太原崇孚であるともいえる。
「織田の出鼻を挫くか。ならば、予自ら西三河へ乗り込み、那古野城を奪い返すとするかの」
「恐れながら治部大輔さま自らの出馬はお控えなされるがよろしいかと。未だ背後固めが成せておらぬ状況ですゆえ」
「それもそうじゃのう。ならば、太原崇孚よ。お許が大将として出陣するはいかがじゃ。予が出向かぬというならば、お許か朝比奈備中守のどちらかを大将とせねば織田信秀とは渡り合えまい」
今川義元が言う朝比奈備中守泰能は義元の父・氏親の代からの宿老である。遠江の要衝・掛川城を居城とし、今川領西方の遠江・三河の戦略では重要な立場にあった。外交文書などでは太原雪斎と共に名を連ねている今川家の重鎮なのだ。
そんな朝比奈備中守か太原崇孚でなくては勢いに乗る織田勢に太刀打ちできないと三十歳の今川義元は判断したのだ。
「では、大将の任をお受けしましょう。そして、副将には朝比奈備中守殿をお付けいただければ、まず織田勢に後れを取ることはありませぬ」
「相分かった。お許の言うとおり、朝比奈備中守を副将をすることを認めようぞ。必ずや勝ちを収めて参れ」
「ははっ!お任せくだされ!」
こうして太原崇孚を大将に、副将は朝比奈備中守泰能とする総勢一万の今川軍が編成された。この軍勢には朝比奈備中守の甥にあたる朝比奈親徳、親徳の子・元長、岡部元信らも従軍していた。
天文十七年三月。西三河へ向けて進軍を開始した今川軍の主力は六日には三河国額田郡藤川に進出し、太原崇孚が松平広忠の使者・阿部大蔵と対面した山中城に本陣を構えた。
今川軍が三河に入り、主力が山中城に集結しつつあることを知った織田信秀。彼の動きはまさしく電光石火、諸長子の織田三郎五郎信広を先鋒として三河国安城城へ自ら進出してきた。
「父上、斥候からの報せによれば、松平広忠は岡崎城にて籠城の構えとのこと」
「そうか、ならば矢矧川を渡河し、上和田へ布陣するとしようぞ。さすれば、今川の奴らにも十分な威嚇となろう」
織田信秀自ら矢矧川を渡って今川軍を牽制する。今川軍にとっては威嚇でもあり、敵の総大将が目の前におり、あわよくば討ち取ることができるという絶好の機会でもある。
それを承知の上で、渡河するというのだから、実に肝の座った決断といえるのではなかろうか。
「恐れながら、今川との決戦はなされぬので?」
「一万を超える敵と真正面からぶつかり合うなど愚策であろう。そもそも、我らの敵は今川のみに非ず」
「そうでしたな。然らば、来る九日には上和田に陣取るという段取りで進みましょうぞ」
「それでよい。ただし、対岸に敵の伏兵が潜んでおらぬか、よく物見を放って確認するのだぞ」
父の言うことに素直にうなずきながら、織田三郎五郎率いる織田の先陣は矢矧川を渡っていくのであった。刻一刻と織田と今川、決戦の時が近づきつつあった――