第128話 西美濃侵攻と築山での考え事
永禄四年五月十一日。今川方の反撃により、松平元康に味方する東三河の国衆らへの締め付けが強化される頃、左京大夫に任じられた美濃国主・一色義龍が病死。享年三十五。跡を継いだ一色龍興はまだ十四歳という若さであった。
桶狭間合戦後より美濃へ度々侵攻していた元康の同盟者である織田上総介信長がこれほどの好機を逃すはずがなかった。
信長は一色義龍の死から二日後の十三日に森三左衛門可成、柴田権六勝家、池田勝三郎恒興、佐々内蔵助成政、木下雅楽助といった武勇に優れた者らを引き連れ、木曽川を渡河。千五百で森部の地に着陣。
これに対し、墨俣の地から稲葉一鉄の叔父・稲葉又右衛門常通や長井衛安、日比野景直らが六千という大軍で応戦したのである。
「殿、敵は我らの四倍。いかにして攻めまするか」
「案ずるな。すでに手は打ってある」
「は、はは」
四倍の敵を相手にするうえでの策を知りたがる柴田権六であったが、信長にあっさり退けられてしまう。しかし、その信長の答えはまもなく聞こえた銃声にてはっきりとした。
「殿!斎藤軍がこちらへ進軍して参りましたぞ!」
「うむ、三左衛門に陽動を命じたのじゃ。権六には三左衛門とともに向かってくる敵を正面から受け止めよ」
「ははっ!お任せくだされ!鬼柴田と攻めの三左が恐ろしさ、斎藤の奴らに教え込んできまするぞ!」
織田家中でも猛勇で知られる柴田、森の両名を駆け向かわせ、斎藤軍を阻む信長。信長が高らかに総攻撃を命じたのは、まんまと誘い出された斎藤軍が足場の悪い泥地へと踏み込んだ時であった。
「おう、あの中央で采配を握っておるが長井衛安と日比野景直であるか。よし、鉄炮隊はあの栗毛に跨った将二名に狙いを付けよ!今じゃ、放てっ!」
信長の号令が高らかに発されると、泥に足を取られて思うように軍勢を展開できずにいる長井衛安や日比野景直めがけて鉛玉を見舞う。織田軍より放たれた弾丸を受けて斎藤方の長井衛安・日比野景直の両名が討ち死すると、いよいよもって斎藤軍が崩れ立つ。
「申し上げます!森三左衛門様!柴田権六様!斎藤勢を悉く押し返しております!」
「で、あるか。今こそ好機!全軍に前進を命じよ!美濃の奴らを一兵たりとて生きて返すでないぞ!」
信長の号令一下、これまで守勢に回っていた織田軍が反転攻勢に出る。先頭で勇ましく槍を振るう森三左衛門や柴田権六も武功の稼ぎ時だとばかりに突出していく。
そんな敗色が濃厚となりつつある斎藤勢の中で、奮戦する将がいなかったわけではない。長井新八郎という一色龍興の家臣は敗軍の中にあっても、勇猛果敢に織田兵へ槍を付け、並みの者では太刀打ちもできない有り様であった。
そこへ、桶狭間合戦にて前田又左衛門利家や毛利河内守長秀らとともに暴れまわった木下雅楽助がりゅうりゅうと槍をしごいていく。
互いに槍による突きを繰り出し、敵の体躯を一突きせんものと気迫に満ちた一騎打ちが展開される。しかし、互いの力量は想定よりも上であったことから、決着がいとも簡単につくようなことはなく、長引きつつあった。
「やあっ!」
長井新八郎の槍を横へ薙ぎ、当人も驚くほどの素早い動きで槍を引き戻し、長井新八郎の反応速度を上回る速度で胸板を貫いてみせたのであった。
この豪傑・長井新八郎を討ち取ったことで高名した木下雅楽助はこの頃に信長の赤母衣衆に選抜されたという。
そして、崩れ立つ味方を励ましながら、なおも抵抗を続ける稲葉又右衛門常通のもとへも、生気に満ち溢れた若武者二人がその首を挙げんと斬りかかっていく。
一名は信長の乳兄弟にして今年で齢二十六となった池田勝三郎。もう一名の若武者は池田勝三郎と同い年で、桶狭間合戦において千秋加賀守季忠とともに討ち死を遂げた佐々隼人正政次の弟・佐々内蔵助成政であった。
気力・体力ともに十分な池田勝三郎と佐々内蔵助の連携攻撃に晒される稲葉又右衛門常通であったが、そこは経験豊富な老将らしく、これまでの戦で培った技術で若さを武器として向かってくる相手を迎撃していく。
老巧な抵抗を見せる稲葉又右衛門常通に、若武者二人は組み難しと思いながらも離れることはなかった。何せ、目の前にいるのは西美濃三人衆の一人・稲葉右京亮良通の叔父なのである。その首を討てさえすれば、西美濃の一色氏の威信低下に繋げられるのだ。
それゆえに、二人にとっては主君が美濃を手に入れるためには何が何でも打ち倒さなければならない敵なのだと映っていた。それだけに、稲葉又右衛門が激しく抵抗すれば抵抗するほど、池田勝三郎と佐々内蔵助は若さを活かして相手の技を吸収し、適応していく。
そんな激しい高度な駆け引きの末に、稲葉又右衛門は池田勝三郎と佐々内蔵助、織田家を担う若武者たちの手によって打倒されたのであった。
そして、池田勝三郎と佐々内蔵助が大物の兜首を挙げた頃、美濃一色氏の重臣・日比野清実の家来で、「頸取足立」なる異名を持つ足立六兵衛という怪力の豪傑を相手に死闘を演じる若武者の姿があった。
その若武者は細身で端正な顔立ちに似合わぬ六尺近い恵まれた体格でもって、三間半柄の長く派手な造りの槍を振り回し、豪傑・足立六兵衛と激闘を繰り広げていた。
互いに周囲で戦う者らよりも頭一つ抜けた高身長に、鍛え抜かれた肉体と槍技をぶつけ合い、周囲の者が近づこうとも思わぬほど激しい攻防を繰り広げる。
「貴様っ、前田又左衛門とか申しておったな!なかなかやるではないか!敵ながら天晴じゃ!」
「黙れっ!敵に褒められても嬉しくもなんともないわ!褒められてよいのはそなたの首を挙げ、殿の御前に献上した時だけじゃ!」
互いに息切れし始めるまでに決着がつかず、もつれこんでいる一騎打ち。そんな巨人同士の勝負は次の瞬間、鋭い突きを放った前田又左衛門の勝利で幕引きとなったのである。
「敵将、足立六兵衛!この前田又左衛門利家が討ち取ったり!」
前田又左衛門が死ぬ気で足立六兵衛を討ち取った頃には、周囲にはほとんど一色家の兵は残存していなかった。すなわち、森部の戦いは織田軍勝利で決着していたのである。
戦いに勝利した信長本陣に、先ほど討ったばかりの足立六兵衛の首級ともう一つの首級を持参した前田又左衛門の姿があった。
「又左、またしても無断で参陣したな」
「はっ、此度ばかりは切腹にございまするか!」
「たわけ!それなら、本陣に入る前に斬り捨てておるわ!」
ひと際高く通る声を持つ信長が発するからこその怒鳴り声。だが、一括した後の信長の表情は穏やかそのものであった。
「前田又左衛門利家」
「ははっ!」
「此度は戦功を認めるとする。これまでの知行百五十貫に三百貫を加増とし、四百五十貫文とする。加えて、帰参することを許す」
「有り難き仕合わせ!」
「又左、以後はこの信長の家臣としてより一層精進せよ。良いな?」
「はっ、ははっ!」
思いがけず帰参を許された前田又左衛門利家は二年前に起こした同朋衆の拾阿弥と諍いを起こし、拾阿弥を斬殺したまま出奔した「笄斬り」の件を許され、長い長い浪人生活に終止符を打ったのであった。
そうして織田上総介信長が自ら西美濃へ侵攻し、森部の戦いにて勝利を収めた六日後の五月十九日。
そう、駿河・遠江・三河の太守であった今川三河守義元討ち死より一年が経過したのである。その日、元康は築山の地に築かれた屋敷にて瀬名や亀姫とともに平和なひと時を過ごしていた。
四つん這いで移動する速度の上昇が顕著となり、柱などをつたって歩くことができるようにもなった好奇心旺盛な亀姫の行動範囲は広がり、元康も瀬名も目が離せなくなっていた。
「殿、岡崎へ参った折には私に抱かれていた於亀もあのように活発に動き回っております。まこと、時の流れというものは早いものにございまする」
「そうじゃな。岡崎へ参った折の瀬名は駿府で見たままの煌びやかな女子であったが、今では家臣の妻たちに混じっても違和感のない三河の女子になっておる」
「ふふ、殿。古来より朱に交われば赤くなる、と申すではありませぬか」
「まこと、瀬名の申す通りじゃ。ははは」
瀬名と談笑している元康のもとへ、一直線に四つん這いで突っ込んできた亀姫をそっと受け止め、父親らしい満ち足りた表情で笑う元康。そんな夫と娘を見て笑う妻。三河岡崎の築山。そこには誰しもが夢に見る理想の夫婦の姿があった。
「瀬名、日々の暮らしで何ぞ不自由なことはないか」
「ございませぬ。こうして雨風を凌ぐ屋敷があり、時に侍女らに混じって屋敷を掃除し、食事の支度をしてみたりと駿府で過ごしていた時よりも充足した日々を送っております。何より、岡崎は駿府よりも四季が感じられ、夜も静かで美しい満天の星空を夜ごと眺めることができます」
「それならば良い。近ごろは戦続きであまり顔も出せなんだゆえ、こうして顔を出してみたのじゃ。そなたや於亀の達者な姿が見れて、わしは嬉しく思う」
感慨深げに発した元康の言葉ににこりと応じた瀬名は、視線を曇天模様へ向けながら次なる言葉を紡いでゆく。
「私も殿とこうして腰を落ち着けて話ができて仕合わせにございまする。さりとて、本日は太守様の御命日。あの衝撃的な報せを受けてより、早一年。実に様々なことがございましたなぁ」
「まことじゃ。よもや、わしが織田と同盟を組んで今川と戦っておろうとは、一年前では考えもしなかったことじゃ。今わしがあの世へ行ったならば太守様から大目玉をくらうであろう」
「ええ、そうなりましょう。その時は私も同罪。ともにお叱りを受けると致しましょう。さりとて、私が一番気がかりであるのは駿府に残してきた竹千代がこと。すでに三ツとなったあの子が無事に過ごせておるのか、母として心配でなりませぬ」
「それはわしとて同じこと。じゃが、解せぬことが一つある」
元康の言う『解せぬこと』。それがなんであるのか、理解に苦しむ瀬名。そんな愛妻にしばし考える猶予を与えた後、元康は再び語り始める。
「わしが清洲の織田殿と結んで駿府の今川氏真殿に背いたのは四月。それまでも旧領回復と称して今川領内の城を攻め取っておった」
「はい。それは瀬名もよう存じております」
「普通、人質はその知らせが入った段階で処刑されて然るべきなのじゃ。されど、報せが入ってより一月以上経過しておるであろうに、そのような素振りは微塵もない。それがわしの中で解せぬことなのじゃ」
「そう言われてみれば確かにそうでございます。何か意図があってのことでしょうか」
意図があるとすれば、それは誰の意図であるのか。人質を処断する判断をするのは駿府の御屋形、すなわち今川氏真の意図か。
「瀬名は殿の御言葉を聞き、一つ思い当たる節がございます」
「ほう、それはいかなるものじゃ」
「駿府の御屋形様は殿との和平を成したいのではございませぬか。だとすれば、竹千代が今日まで生かされているわけにも合点が行きまする」
「ふむ……」
今でも瞼を閉じれば、兄貴分のように接してくれた氏真の優しい顔が思い浮かぶ。争いごとを好まず、何事も和することを心掛ける御仁であったと。
「御屋形様は殿のことを信頼しておいででした。それは私が駿府を発つ時にも仰せでした。その信頼が一瞬にして憎悪や敵対心へ変貌することはなかろうかと」
「で、あろうか。じゃが、今さら和するなど思いも寄らぬこと。何より、わしは竹千代が生きながらえておるのは今川御一家衆である関口刑部少輔氏純が外孫であるからとも解釈できよう」
「それは……そうでございます。殿を高く買っておられる父のことです。周りから何と言われようが、竹千代を庇っておりましょう」
「なんであろう。そんな舅殿の姿が容易に想像できてしまう。加えて、そう言われて困り切った顔をする御屋形様に、猛烈に竹千代殺害を唱える他の重臣らの姿も目に浮かぶわ」
思い出が一度蘇り始めると、なんとも情に訴えかけるものがある。
さりとて、今の元康は今川家親類衆にして今川家従属国衆・松平蔵人佐元康ではない。今の元康は海道一の弓取りを破った尾張の織田信長の同盟者・松平蔵人佐元康なのである。
「じゃが、竹千代が生きておる今が好機やもしれぬ」
「こ、好機とは!?」
「案ずるな。瀬名が思うような残忍なことではない。今ならば竹千代を取り戻す手段を講じることもできる、ということじゃ」
竹千代が生きてくれてさえいれば、何らかの交換条件で織田家との同盟を維持したまま竹千代を取り戻すことができる。
そのために、今何ができるのか。元康はそちらへも思案を巡らせていくのであった――