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不屈の葵  作者: ヌマサン
第4章 苦海の章
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第127話 竹千代仲間の危機

 永禄四年四月十五日に勃発した善明堤の戦いにおいて、頼みとする深溝松平家の当主・松平大炊助好景をはじめ、一門重臣が数多討ち取られ、東条城攻略の方策を練り直そうとしていた元康。


 そんな彼のもとへ西尾城を任せている酒井雅楽助政家よりの使者が告げた内容を受け、自ら岡崎城を出陣。西尾城へ入城したのであった。


「殿!よもや御自ら参られるとは……!」


「なんの、ここが正念場じゃ。先日、深溝松平家が吉良義昭家老の富永伴五郎相手に手痛い敗北を喫し、当家に与する者らの士気が下がっておる。ここで士気を回復させる一手を打てなければ味方は瓦解することとなろうゆえな」


「なるほど。然らば、赤羽根城の高橋政信。これを滅することが反撃の狼煙となりましょうか」


 重臣・酒井雅楽助の申し分に静かに頷く元康。力強く頷く様に、此度の赤羽根城攻めは何が何でも成功裏に終わらせねばならぬと思う酒井雅楽助なのであった。


「わしはさっさと東条城を攻め落とし、西三河における敵対勢力を屈服させるつもりであった」


「されど、先般の善明堤の合戦の結果から考えを改められたのでございますな」


「そうじゃ。東条城を攻めきれなかったのならば、その周辺でわしに従わぬ者共を各個撃破していくよりほかはない。こうも兵力を分散させていては東条城は攻略できぬと判断したゆえな」


「さすがは殿。然らば、此度の赤羽根城攻めはこの酒井雅楽助めに先鋒をお申し付けくださいませ!」


「無論じゃ。西尾城へ入った酒井雅楽助はなかなかの強者じゃ。これでは西尾城を攻めとることなど到底かなわぬと東条城の奴らに思い知らせてやるほどの勝ちをおさめて参れ!」


 元康に発破をかけられる形となった酒井雅楽助は勇躍して西尾城を出陣。すかさず元康も後詰めとして後に続いていく。総勢一千にも満たない小勢であったが、油断している赤羽根城の高橋政信への不意打ちとしてはこれ以上ないくらいに機能した。


「者共!殿の御為、本日中に赤羽根城を攻め落とすのだ!かかれっ!」


 突如、北東より攻め寄せた松平勢の勢いに押され、瞬く間に外郭が突破され、城内の殺戮を許してしまう事態となった高橋政信。懸命に城方も松平勢に抗おうとするも、松平の目は東条城にばかり向いていると認識していたことによる油断は今さら戦況を覆す一手とはなり得なかった。


「酒井様!城主高橋政信が降伏を願い出ておりまする!」


「許さぬ!使者はただちに斬り捨て、本丸屋敷へ斬り込め!」


 冷酷に降伏を拒絶した酒井雅楽助は、心のうちでは無益な殺生を神仏に詫びていた。されど、そのようなことはおくびにも出さず、総攻撃の命を下し、その日のうちに赤羽根城の高橋政信は攻め滅ぼされることとなった。


「殿!赤羽根城主、高橋政信が首にございまする」


「雅楽助、見事な勝利であった」


「ありがたき仕合わせ!これにて西尾城周辺の敵対勢力は一掃できましたゆえ、東条城攻略にこれまで以上に兵力を回せまする!」


「うむ。じゃが、東条城南部に位置する幡豆郡寺部城の小笠原安芸家の小笠原左衛門佐広重と欠城の小笠原摂津守家の小笠原高安を野放しにもしておけぬ。雅楽助には幡豆小笠原氏攻めを命ずる。ここが攻略できれば形原松平とも連携しやすくなるゆえな」


「はっ、しかと承りましてございます!」


 幡豆郡における街道の要所を抑える幡豆小笠原氏。ここを下すことができれば、東条城は一層陸の孤島と化す。そうして戦意を挫いておいたうえで再度東条城攻略へ動く、というのが元康の構想であった。


 そうして、四月も瞬く間に月日が過ぎていき、梅雨が訪れる五月となる。今川三河守義元が亡くなって以来、わずか一年で三河情勢は激変してしまっていた。


 かつての三河忩劇を遥かに上回る規模で発生している三州錯乱に対処するべく、東三河の吉田城では今川方の軍議が行われていた。


 集まったのは吉田城代・大原肥前守資良、その嫡子・三浦右衛門大夫真明、牛久保城主・牧野民部丞成定であった。


「牧野殿、先月はまこと大変にございましたな」


「うむ。西尾城だけでは飽き足らず、牛久保城まで攻め込んでくるとは松平蔵人佐、許すまじ!」


「いかにも。我ら父子も逆賊松平蔵人佐が首を一刻も早く駿府の御屋形様が元へ届けたい気持ちにござる」


「一昨日いただいた書状には、野田城の菅沼新八郎定盈を攻める策が決まったと記してござったが……」


 この日、吉田城に牧野民部丞が自ら赴いたわけは、大原肥前守より野田城の菅沼新八郎を攻める策が定まったとの書状を受け取ったからでもあった。


「うむ。まず、野田城より東、遠江国境に近い宇利城を陥落させ申す」


「ほう、第一の狙いは宇利城であると!」


「そうじゃ。宇利城攻略が成せれば、堅牢な野田城攻めに遠州勢を用いることも叶う。すなわち、遠江よりの援軍が入りやすくするためにも、宇利城をまずは攻略しておかねばならぬ」


 大原肥前守の描いた策は当初は不服そうであった牧野民部丞に笑顔を取り戻させるほどに手落ちのないものであった。


「して、宇利城攻めにはどなたが向かわれるのか。牛久保や二連木からでは八名郡の西郷領を通過せねばならず、そもそも宇利城までたどり着くことすら危ぶまれまするが」


「そうじゃで、白倉城の鈴木重勝殿と近藤平右衛門為用殿ら遠州勢に向かっていただく。よもや宇利城から攻略されるとは夢にも思わぬであろうから、さほど時をかけずに攻略できよう」


「さすがは大原肥前守殿。亡き義元公より東三河を託されただけの御仁にございまする」


「ははは、そう褒めるでない」


 牧野民部丞よりの賛辞に謙遜する大原肥前守。照れくさそうに頬をかいていたが、まだ策には続きがあるのだと、照れ隠しもかねて強引に本筋へ話を戻す。


「我らも宇利城攻めと時を同じくして、野田城攻めに動く。とはいえ、某は西郷勢が軟化してこぬよう見張らねばならぬゆえ、吉田城から離れられぬ。したがって、野田城攻めには牧野殿に向かっていただくこととなるが、よろしいか」


「承知いたした!牛久保城を攻められたお返しをせねば、腹の虫がおさまらぬゆえ、断るいわれが見つからぬ!」


「よくぞ申された。然らば、牧野民部丞殿率いる牧野勢は牛久保城より伊那街道を北上し、野田城を攻めてくだされ」


「うむ、しかと承った。では、ただちに出陣の支度にかかりまするゆえ、これにて失礼いたす!」


 まずは憎たらしい野田城の菅沼新八郎から攻められることに歓喜して牛久保城へ戻った牧野民部丞は、ただちに出陣の支度にかかった。


「殿、此度は野田城へ出陣なされるとのこと!この稲垣平右衛門、先鋒を務めたく存じます!」


「おお、さすがは稲垣平右衛門じゃ!そなたの父、重宗も従軍することになるゆえ、父子揃って先鋒を命じるとしようぞ!」


「ありがたき仕合わせ!必ずや野田城を攻め落とし、憎き菅沼新八郎が首を挙げてご覧にいれまする!」


 先月の牛久保城防衛においても多大な功績を残した稲垣平右衛門の勇猛さを高く評価している牧野民部丞は先鋒を命じ、大原肥前守より宇利城攻めの日時を知らされると、その日に合わせて牛久保城を出陣。


 だが、そんな牛久保城の動きは菅沼新八郎が放っていた草の者によってただちに野田城へ注進された。


「ほう、この野田城を攻めるべく牧野民部丞自ら軍勢を率いて向かってきておるか!ははは、ならば先月討ち損ねた牧野民部丞が首!此度こそ挙げてみせようぞ!」


 牛久保牧野の主力が続々と伊那街道を北上し、野田城へ向かいつつあるとの知らせを受けた菅沼新八郎は臆することはなかった。ただちに、家臣らへ戦支度を命じ、対応策を講じ始める。


 一方、牛久保牧野勢の先陣を任された稲垣重宗・平右衛門長茂父子はうっそうとした森林地帯を抜け、少し開けた野田城南の広瀬川中の地に入っていた。


「父上!我らだけで野田城を攻め取り、殿を喜ばせましょうぞ!」


「たわけ!先陣だけであの堅牢な野田城が落とせるわけなかろう。すでに本隊から離れてもおるゆえ、殿がこの広瀬川中へ入られるまで待機じゃ」


 父より先駆けをたしなめられ、思わず舌打ちする稲垣平右衛門。だが、父の言葉に逆らってまで野田城へ攻めかかるような愚か者ではなく、大人しく主君が本隊を率いて到着するのを待っていた。


「おう、出迎えご苦労であった。では、稲垣隊は先行して野田城へ向かうように」


「はっ!然らば、殿が到着するまでに野田城包囲は完了させておきまする!」


 牧野民部丞が意をくむ重臣・稲垣重宗が先陣へ進軍再開を命じた刹那、左右の藪から幾つもの矢が飛来する。


「敵襲!」


「左右の藪から矢が飛んでくるぞ!気をつけろ!」


 左の藪からは先陣目がけて、右の藪からは本隊目がけて矢が射かけられている。この状況を敵は待ち構えていたのだと察知した稲垣重宗は倅・平右衛門長茂に先陣の指揮を任せ、防戦に努めさせる。そのうえで、自らは本陣へ馬を走らせ、退却を進言したのである。


「殿!どうやら我らの進軍は敵に読まれていた様子!これより先は一層道幅も狭く、大軍でも行軍には不向き。敵は数的有利を活かしづらいここで仕掛けて参ったのです!ここは退却すべきかと!」


「だっ、黙れ!ここまで来て無様に撤退など、できるわけなかろうが!」


 稲垣重宗に怒鳴り返す牧野民部丞。だが、彼が怒号を発している間に近侍の一人が敵の矢を受けて絶命。足軽をまとめる家臣も敵の矢を受けて倒れるなど、状況は悪化するばかり。稲垣重宗の言う通り、これ以上の進軍は困難だと判断するに至った。


「致し方ない!者共、退却じゃ!牛久保城まで退けっ!」


「殿!殿しんがりは某が務めまするゆえ、ここは一刻も早うお立ち退きくだされ!」


「すまぬが、頼んだぞ!」


 稲垣重宗は主君が騎乗して北上してきた伊那街道を逆に南へ駆けていく様を見届けると、息子が懸命に防戦している先陣へと戻っていく。


「父上!敵の矢が絶えることがございませぬ!」


「左様か。ひとまず、殿より牛久保城まで退却せよとの命を受けた。我らは敵の追撃を防ぎながら後退することといたす!」


「しょ、承知!くそっ、ここまで来て撤退とは無念じゃ!」


 稲垣平右衛門は地団太踏みながらも父から伝えられた主命を受け入れ、敵の追撃を防ぎながら後退を開始。父・稲垣重宗も息子の奮戦に負けまいと、幾度となく馬を返して追い討ちを防ぐ活躍を見せたのである。


 そんな牧野勢は見事な退却戦を展開し、全軍牛久保城まで撤退することに成功し、菅沼新八郎率いる野田菅沼勢は追撃戦において思うような戦果は挙げられずに終わった。


 此度の待ち伏せで牧野民部丞を討ち漏らし、舌打ちしている菅沼新八郎のもとへ野田城より衝撃的な報せがもたらされる。


「申し上げます!宇利城に鈴木重勝と近藤平右衛門康用ら遠州勢が襲来!衆寡敵せず、宇利城は陥落と相成りました!」


「ちっ、さては牧野勢と同調しての侵攻であろう。くそっ、宇利城が落ちたとなれば、野田城の防衛に支障をきたす!追撃はやめじゃ!ただちに野田城へ退却する!急げ!」


 川を挟んだ一鍬田の地まで敵が進んできたとすれば、野田城が危うい。敵がどこまで接近してくるか読めない以上、これ以上牧野へ構っている余裕など菅沼勢にはなかった。


 かくして牛久保牧野勢による野田城攻めは失敗に終わったものの、吉田城代・大原肥前守の要請を受けた鈴木重勝と近藤平右衛門康用らによる宇利城攻めは成功し、見事城を攻め落とす功績を挙げた。


 その後、五月二十八日にも牧野民部丞ら牛久保牧野勢を含む今川軍諸隊は富永口に出撃し、松平軍と交戦したが退却させられるなど、五月時点では思うように戦局を進められなかった。


 それはさておき、宇利城が今川方の遠州勢に攻められて陥落させられたとの一報は当の菅沼新八郎より岡崎城にいる元康へ注進される。


「くっ、宇利城陥落とは野田城が危ういではないか。何より、これ以上野田菅沼領が侵されては菅沼新八郎殿が西郷弾正左衛門殿と連絡を取ることも難しくもなろう」


「いかにも。ここは蔵人佐殿御自ら東三河へ救援の兵をお出しくださいませ!」


 幼名が同じ『竹千代』であることから親近感を感じている元康であったが、東三河へ自ら出兵できる余力は未だなかった。


 それゆえに、傍に仕える西郷弾正左衛門正勝の次男・孫九郎清員の進言を容れて救援に向かいたい気持ちはあっても、西三河すら鎮められていない状況では実行に移すことは困難を極めていたのである――

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