第6話 ある日、森の中……
第6話 ある日、森の中……
時折風で揺れる草むらから、私達の命を奪う魔物が出てこないかと怯えながらも朝と夜を繰り返し1週間が経過しただろうか。そろそろ大事に消費していたアプルの実が底をついてしまいそうなので、私達の胃袋のためにも食料の補充が欲しいところ。
相変わらず鬱蒼と生い茂る木々の間から時々顔を覗かせる太陽の位置から正午が近い事が推測できる。
「ねえアンナ、なんだか変なニオイがしない?」
「うーーーん……私には分からないんだけど、マリアはどうしたい?」
「ちょっと危険だけど、見に行った方が良い気がするんだよね」
これが何かの兆候であれば見逃してしまうのはあまりに危険だ。それに木々の間から流れてくる鉄っぽいニオイ、これは血のニオイだ。2年前、辺境の村で嫌と言うほどに嗅いだ死のニオイ。
これで魔物同士の争いの痕跡があれば非情に不味い状況に陥ってしまう。もしかしたらニオイに釣られた魔物と鉢合わせてしまう可能性だってある。
「――という感じだから、どちらにせよ状況を把握しないと危険なんだよね」
「うん、マリアの言いたい事は分かったよ。よし、行こう」
「念のために石とか持って行こう、私が逃げてって言ったらとにかく逃げる事。お願いね?」
そうして私達は周囲の気配を確認しながらジリジリと異臭の元へと近付いていく。
そうして少し開けた木の根元にソレは居た。
全身を血で真っ赤に染めた私達2人を合わせたよりも大きな身体の狼と、恐らくその狼と争った末に敗れたと思われる山のような巨体を持つ猪。こちらは恐ろしい形相のままこと切れて転がっていた。
「グルウゥゥ……」
「魔物……!?」
「待ってアンナ、あれは魔物じゃない。魔物はもっとこう身体の芯から恐怖が駆け巡るような気配があるの。あの狼は悪い存在じゃないと思う」
「マリア……えぇ!? ちょっと待ってよ!」
私達が話していた声が聞こえたのか大きな耳をピクリと振るわせた後、私達の方に顔を向け牙を剝いて威嚇してくる。私は狼を刺激しないようにゆっくり、ゆっくりと距離を詰めていく。
背後で木に隠れたままのアンナがかなりハラハラしている気配が伝わってくるが気にしない。気にしないったら気にしない。
そのまま文字通り狼の目と鼻の先の距離まで近付いた私は、あれほど慎重に狼と距離を縮めたのに急に鼻先に触れてしまった。だけど何故かそうしなければいけない、という衝動に支配された次の瞬間、狼の身体がまばゆい光に包まれた。
「うっ……」
「いやっ!! マリアァァァ!!」
私の全身から力が抜けて、無様にも地面に倒れ込んでしまった。アンナの悲鳴が聞こえるけど、全身が鉄に代わってしまったかのように重く、指の一本に至るまで動かすという行為がひどく億劫に感じてしまった。
無遠慮に狼に触れてしまったから攻撃されたのか、とも嫌な考えが頭をよぎったのだけれどいつまで経っても目の前に居たはずの狼が私のお腹を食い破ったりアンアに襲い掛かったりする気配はない。
まだまだ歩いて距離を稼がなければいけないと思うのだけど、そんな私の意志に反して私の瞼はゆるゆると視界を閉ざし眠りの世界へいざなおうとする。
『今は眠るのです愛し子よ』
私の意識が途切れる寸前、全身を包む温もりとともに聞き覚えの中女性の声が頭の中に響いた気がした。
◇◇◇
(あれ……私、何してたんだっけ? というか私って誰?)
いやいやいや、私の名前は上田……?
違うでしょ、私の名前はマリア。
そう、現在アルマニア王国の樹海を無謀にも5歳の幼女2人で踏破しようとしている貧民のマリア。
スラムで過ごしていた1年と少しの期間で、お爺ちゃんから多くの知識を学びアンナというかけがえのない家族も出来た。
なのになんでだろう……。
(私の中に別の記憶を持ったもう1人の自分が存在しているみたいな奇妙な感覚だ)
もう1人の自分によれば私はどうやら地球の日本、という国に生きていた少女であったらしい。未だにもう1人の自分と、私自身の記憶がランダムに掘り起こされているみたいで何だか出来の悪い映画を眺めている気分。
もう1人の私は『異世界転生キタコレ!』とか『成り上がりザマァ』とか『ヒロイン転生!?』とか興奮しているようなので好きにさせておこう。本当に私の前世であるなら、その内落ち着くでしょ。
というか現在進行形で、前世の私の知識がインプットされているのかもう1人の私がやけに騒がしい理由も理解できた。
『うぅぅ……グロ画像キッツ……異世界、トラウマよ……』
ほら、大人しくなった。私がもう1人の私の人格と共に一緒になりつつある現在、もう1人の私が何の記憶を見ているのか分かってしまった。
貴女は私で、私は貴女……って事で良いのよね?
『ええ、何の因果か知らないけど私はこの世界でマリアとして生を受けたみたい』
それにしても前世の私が住んでいた世界は随分と発展していたのね。今の私の暮らしを見て随分とガッカリしたでしょう。
『うーん、そういうのは良く分かんないかなぁ。記憶の融合が完了しつつある今、私は貴女なんだから。今の私も不便だ、とは思いつつも5年も生きてるんだし今更でしょ』
まあそれもそうか。ってもう1人の私、何だか気配が薄くなってない
?
『それは当然じゃない、だって私は貴女なんだから。こうして会話が成立している事自体異常だと思うわ、でも私は記憶の融合が終わったら貴女と完全に1つになるはずよ』
ふーん、まあ私はどうなったって私だし今後の事なんて気にしても無駄かな。まあ何にせよ前世の私の記憶が流れ込んできた影響で精神年齢はかなり成長したし、今後の計画がより安全になったと考えるべきだよね。
『それじゃあ、もう会う事はないと思うけど今世の私、頑張ってね。前世の私は自分の――物――失っ――――手遅れ――ね』
◇◇◇
うーん、なんだか身体が重たいな……。
ん、急に倒れた事だしアンナにかなり心配させてしまった。
呻きながらうっすらと瞼を開けると、涙を流しながら私の名前を呼ぶアンナがぼんやり見えた。すると頭の奥がズキンと痛み、思わず顔を顰めてしまう。
私の意識が戻った事に反応したのか、アンナが私の名前を仕切りに叫ぶ。
「マリア! マリアっ!?」
「アンナ……ごめん」
「マリア、大丈夫なんだよね!? 死んだりしないよね!?」
「アンナ、少し……静かに……して」
「えっ!?」
「アンナの声が頭に響いて……頭がガンガンするぅ」
何とかアンナに静かにしてもらうようお願いをして、少し自分の脳が急激な負担に慣れるのを待つ事数分。
どうやら私はアンナに膝枕されていたみたいで、アンナに手伝ってもらいながらよっこらせっと身体を起こす。
そうして辺りを見渡すと、私が倒れる前に見ていた景色とは雰囲気がかなり変わっている事に気付いた。森の中である事には変わりないが、迫力抜群な猪の死体も存在しないし、狼と争った形跡も確認できない。
おまけに目の前には小さいけど泉が存在していた。
「アンナ、ここは一体……?」
とアンナに尋ねようとしたタイミングでそれまで生き物の気配が微塵もしなかった泉が爆ぜた。泉の水が無くなってしまいそうなほど高々と水柱が上がり、少しして霧状になった水が私たちに降り注いでくる。
『無事に目が覚めたのですねご主人様、おはようございます』
脳に直接語り掛けるような声と共に泉から現れたのは、全身から水滴を滴らる銀の毛並みが美しい狼。赤黒い毛だと思っていたけど、大量の血液を浴びていたから染まっていただけのようだ。
私が意識を失う前に満身創痍で死にかけていた狼……のはずだ。
禍々しい気配を纏っていた猪とは逆に、狼からは神聖な気配を感じる。
……そして、気のせいか目の前の狼から話しかけられている気がする。




