【どうにも〜シリーズ化】本編で描かれなかった小話や閑話休題を載せております。
【シリーズ】ご子息とお嬢様の一日
ウィリアムの場合
「ウィリアム様、おはようございます」
使用人の声がドア越しに聞こえる。
その声に、まだぼんやりと夢の中にいるような心地のまま、瞼を上げる。うつ伏せで寝ていたようで、枕の下に入れていた手が軽く痺れている。
白い寝巻きのような柔らかい素材でできたシャツがはだける。黒髪に寝癖がついており、ぴんと立っているそれをぐしゃり、と撫でつけながら体を捻って上半身を上げると、ドア越しに使用人同士で何か話しているのが聞こえた。
「も、もう入ってもいいんですかね」
「まだだめよ!あの色気にあてられたら確実に業務忘れてウィリアム様に襲いかかるでしょ」
「ですが・・・あんな美しいウィリアム様を間近で見られるチャンスなのに・・・・!」
「私だって我慢してるんだから、声がかかるまで待ちなさいっ!」
ウィリアムの起床呼びかけは使用人が順番に行っている。専属をつけていない理由は、その希望者が後を絶たないということと、それがきっかけで不必要な小競り合いが発生するからだ。
コールマン公爵が呆れて使用人には順番に担当をつけるということでなんとか話し合いは決着したが、それでも毎日ああやってドア越しでさえも聞こえる会話にウィリアムは頬をぽり、と掻くと、はだけたシャツを整え、使用人に声をかける。
「入っていいよ」
「し、失礼します!」
「失礼いたします」
「おはよう」
「(ウィリアム様におはようって言われた・・・・幸せすぎる・・・・!)」
「おはようございます、ウィリアム様。今日も外は晴れておりますよ」
「ああ」
「ウィ、ウィリアム様っ、モーニングティーです」
「ありがとう」
「(ありがとうって・・・・ありがとうって言われた!!)」
おそらく最近入った使用人と、そのお目付役の使用人だと思われる女性がベッドの脇に立ち、にこにことウィリアムを見守る。熱烈な好意が頭から飛び出している新人使用人に内心困りながらティーカップを受け取ると、それに口をつける。寝ぼけた頭がスッとするような気がした。
何気なく窓の外を眺める。快晴だった。雲ひとつない青空に、ああ、あの子はどうしているだろうかと何となく思った。
ぼーっと窓の外を眺めるウィリアムに、使用人二人が胸の前で手を合わせて眉を顰める。どうしてこの方は何をしているわけでもないのに絵になるのだろうか。
幼い頃から天使は天使だった。まだあどけなさの残る顔立ちではあるが、柔らかく微笑むと綿のようなふわふわとした黒髪が揺れ、眠たげな瞼がどうしようもなく子どもとは思えない艶やかさを持っていた。
しかし、幼い頃に起こった『出来事』をきっかけに、ウィリアムからは柔らかい笑顔は消えた。
「ウィリアム様、本日のご予定は執事から後ほどご連絡させていただきます」
「午後は空けてもらえるかい、外出したい」
「かしこまりました。そのように伝えます」
「昼前に使いの者をスペンサーの屋敷まで向かわせてほしい」
「承知しました。その際何か言伝はありますか?」
「ああ、一時間後に行くからと」
「承知しました」
そう言って、再びウィリアムはモーニングティーを口に含む。その優雅な姿に新人使用人は夢中なようだが、お目付役の使用人はティーカップをじっと眺めるウィリアムの表情に、どこか安堵を覚えた。
最近、子爵のお嬢様に会いに行っているようだ。
そのお嬢様の名前は『ジェニファー』と言うらしい。すでに屋敷では周知のことで、いつ婚約を申し込むのかとその話で持ちきりだった。
ウィリアムを幼少の頃から知っている面々は、氷のように凍てついた表情が最近柔らかくなったことをとても喜んでいた。お目付役の使用人もその一人で、どんなに優しい言葉をかけても目に光がないウィリアムがこんなにも嬉しそうにする姿を見ているとどうしても胸が締め付けられた。
「(早く手込めにでもしてしまえばいいのに・・・・・)」
物騒なことを考える。ウィリアムの美しさと、聡明さと、優しさがあればお嬢様なんてころっといってしまう。なのにウィリアムはそうはせず、そのジェニファーというお嬢様が自由に生きていられるように見守るつもりでいるらしい。
ジェニファーとはどんな女性なのか。このウィリアムを前にしても、どうして他のお嬢様のように夢中にならないのか。
お目付役の使用人はまだジェニファーを見たことがない。ただ噂で聞くだけだ。一度晩餐会にも参加したとのことだが、その日は給仕の仕事が忙しくてほとんど参加者の顔を見ていない。どうせなら時間をつくって見ておくべきだったと思った。
「ウィリアム様、失礼しても?」
「ああ、いいよ」
そこに執事が現れる。燕尾服を着込んだ男性が一礼をしてから部屋に入る。手には紙があるので、これから今日の業務を伝えるのだろう。
ウィリアムがベッドの脇に座り、そのリストを受け取る。コールマン公爵の指示もあり、領地での新規事業支援を主な業務としているウィリアムのスケジュールは仕事で埋め尽くされることも多い。
眉を顰めながら執事へと視線を向ける。執事はその美しい深緑の瞳に一瞬言葉を詰まらせながらも、コホンと咳払いをしてから話し出す。
「本日は午前中は新規事業申請の書類に目を通していただきます。昼前には王都で洋服店を営むデザイナーがいらっしゃいます。新作をお届けしたいとのことです」
「ああ・・・頼んでいたものが届くのか・・・・」
「午後からは少し時間をつくれるかと思いますが、お出かけになりますか?」
「うん。それについては彼女に聞いてほしい」
「承知しました。・・・・あまり長いこと外出されますと仕事が溜まりますのでお早めにお戻りください」
「・・・・・・」
「・・・・最近外出が多いように思いますが、もう少し減らせませんか?」
「・・・・減らすと思う?」
にこり、と有無を言わさない笑みに執事がゔ、と黙り込む。新人使用人はその笑みに口を押さえてぷるぷると震え、お目付役の使用人はあまりにもお美しい姿に胸に手をあててほろり、と涙を溢した。
ウィリアムが立ち上がり、リストを執事へと返す。そのままシャワーを浴びるのか、裸足のままシャワールームへと向かっていく。
「ほら、行くわよ!」
「ま、待って・・・せめてチラ見だけでも・・・・!」
「させるわけないでしょう!」
ずるずると新人使用人を連れてお目付役の使用人が執事と共に部屋を出る。
ドアがぱたん、と閉められたことを確認してからシャツのボタンに手をつける。以前、ドアが閉まるのを確認しないでシャツを脱いでいたらじっとドアの隙間から覗かれたことがあるのでそれ以降気をつけているのだ。
火属性の魔力を放出し、蛇口をひねる。そうするとすぐに湯が出たので、頭から浴びる。柔らかい香りの成分が含まれているシャンプーで髪を洗い終わると、体も洗い、ささっと済ませてしまう。それから鏡の前で歯を磨く。男性のシャワーシーンなど素早く終わってしまうが、その様子を見られるものなら罪を犯してもいいと思う使用人は多い。
タオルを頭から被りながらバスローブを着込み、部屋へと戻る。そのまま椅子に腰掛け、執事が置いて行った新聞を読みながら少し冷えたモーニングティーを飲む。
それからスーツを着込み、いつもとは逆の分け目で髪を整える。あの子はそれに気づくだろうか。
「(気付かなさそう・・・・・)」
思わず無表情のお人形さんを想像して、笑ってしまう。
それから執事が再び部屋まで現れ、一緒に執務室へと向かう。申請書の量にげんなりとしながらも、一つ一つ丁寧に確認していく。
以前、ブライトの店の近くにある路地裏に、無許可で店を営んでいた娼婦店があった。あの一角はすでに取り壊しを命じており、そこに新しい店がぽつぽつとできているようだが、その影響もあって申請が多くなっているようだ。優先的に魔術に関する店の申請許可を出しているので、いつかあの子を連れて行きたいと思っている。
それから昼前になると王都に店を出すデザイナーが三人のモデルを連れて執務室に現れる。ウィリアムがいつも贔屓にしている店なので、すでに顔見知り以上の関係がある。
「ウィリアム様っ、今回も私の考案したお洋服をご希望いただいてありがとうございますっ」
「あ、ああ・・・・・」
デザイナーは見た目は男性であるが、心は女性である。ぐいぐいと身を寄せてくるデザイナーに引きつった笑みを向けると、キラキラ目を輝かせて腰に触れられる。思わずぞっと鳥肌を立てれば、デザイナーが自分の唇に人差し指をあてながらウィンクをしてきた。
「ふふ、・・・・かぁわいい・・・・っ」
「・・・・・・・」
「今日はモデルに新作を着させて来たんですのっ。いかがですか?」
「・・・・ふむ、この季節の流行色が入っていますね」
「ええ、やはりお目が高いですわぁ。ネクタイと、この袖の裏地、あとベルトに流行色を入れてみました」
「・・・・いいですね、全ていただきます」
「ありがとうございますぅ!ウィリアム様がお相手なので、少しお安くしておきますわっ」
「ありがとうございます・・・・」
「もう少し一緒にお喋りさせていただけるなら・・・タダにしてもいいんだけど・・・んふ!」
「・・・・すみません、この後出かけるので」
「もうっ、いけずなんだからっ。私の気持ちも分かっているでしょうに・・・・んふふ・・・・!」
「・・・・・・」
最後に投げキッスをし、デザイナーが執務室から出ていく。ウィリアムと執事が顔を青ざめながらそれを見送る。
頭を抱えながらモデルが着ていた服と同じものが入っている箱を掴む。どうせならこの服で出かけようかと掛け時計を見ればすでに昼を過ぎていた。早速着替えないと遅れてしまう。
「このまま着替えて外出するから、仕事が入ったらデスクに置いてくれ」
「承知しました」
「今日の髪型ならこれが似合うか・・・・」
「・・・・・ウィリアム様」
「うん?」
「・・・・そのスペンサー家のお嬢様ですが」
「・・・・・うん」
執事が急に改まってあの子について話し出す。また仕事が溜まるから早く帰って来いとでも言うのだろうか。少し構えながらウィリアムが執事を見る。すると、なぜか嬉しそうに眉を下げて微笑んだ。
「一度、お屋敷でお茶会を開き、お招きされてみてはいかがでしょうか?」
「・・・・・・」
「使用人や執事一同、お嬢様にお会いしたいと思っております・・・・特に使用人たちが振る舞いたいようでして」
「・・・・・そうか」
「はい。・・・・ああ、決して邪険に扱いたいという意味合いではありません。発起人は先ほどの使用人です。新人じゃない方の」
「なるほど」
執事や使用人も、あの子に会いたいのだと知る。
それはとても良いことだ。ウィリアムがコクンと頷くと、執事は嬉しそうに顔を綻ばせて執務室から出て行った。きっとあのお目付役の使用人に報告でもしに行くのだろう。
ウィリアムが愛するものを、屋敷の者も大事にしたい。
その気持ちが届き、ウィリアムも新作の洋服を手にしながらにこりと微笑む。
「・・・・早く会いたいよ」
無表情で、人形のようなあの子に早く会いたい。抱きしめれば困惑し、おろおろと視線を泳がせる姿が好きだ。それでも手をとって馬車に乗り込み、ブライトの店でオルトゥーに笑いかける姿も。
何をしても好きなのか。
なんとも照れ臭い。ウィリアムは口元を拳で覆うと、幸せを噛み締めるように目を閉じた。
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ジェニファーの場合
「お嬢様っ!もう朝ですよ!んもうっ、どんな動きをすればそのような寝相になるのですか!」
シャッとカーテンを開けられ、横を向いて寝ていたジェニファーの顔に朝日が強烈に届けられる。顔を顰めて枕をぎゅう、と抱きしめる様子にケイトが目を吊り上げた。
ケイトによって枕とシーツを奪われる。そして寝巻きが捲れて見えている腹部をぺちん、と叩かれる。そのまま脇の下に手を入れられ、上半身をぐいっと起こされる。
「ケ、ケイト・・・・激し・・・・」
「はい、モーニングティーですよ!」
「うぐ・・・・」
「今日は寝覚に良いハーブティーをご用意しましたから、ぐいっと行ってください!」
「(扱いが雑すぎる・・・・)」
ティーカップを口元に無理やり押し付けられる。ジェニファーは急に口に入ってきたハーブティーにむせ返りそうになると、その手が緩んでケイトがどこかへと向かう。
ぽいぽいとクローゼットから洋服を用意されるが、それはもちろん商人の息子のような服だ。さすがは専属使用人。主人が何を着たいのかよく分かっている。
「まぁっなんですかその寝癖は!こちらに来てください、整えますから!」
「・・・・・・」
「お母様に叱られますよ、もう少し清楚にしなさいと!」
「・・・・・」
「ジョージさんが先ほどお嬢様宛の招待状や手紙を受け取ったようなので、後ほど確認してくださいね」
「・・・・・・・」
「ほら寝ない!」
「ゔぅ・・・・・・」
ぺちん、と額を叩かれる。すぐにシャワールームへと運ばれると、全裸にさせられて湯船に漬け込まれた。それから複数の使用人が入ってきて、風属性の魔力で素早く髪を乾かされる。ちゃちゃっと髪をケイトが結う。ジェニファーが商人の息子のような格好に着替えたのを確認すると背中を押して部屋から放り出す。
ばたばたと廊下を進み、朝食の席に座る父と母の横に向かうよう言われ、まだ寝ぼけ眼のままジョージからジェニファーは水の入ったグラスを手渡される。
母が乱れた前髪を整えてくれた。父がその様子にクスクス微笑みながら、今日の朝刊を手渡してくる。
「ジェニファー、王都に植物園が新しくできたんだ。今度一緒に行こうか」
「・・・・はい」
「なんでも、火属性の魔力を含んだ草があるみたいで、茎を折ると火が出るんだって」
「なんと!」
「これは植物園に行かずにはいられないだろう!」
「はい!いつ行きますか!」
「今週の日曜だ!すでにチケットはとってある!」
「ありがとうございます!お父様大好きです!」
「(ああ・・・・娘に大好きと言われた・・・・)」
じーん、と涙を溢しながら父が余韻に浸る。その様子にケイトとジョージがほわほわと微笑む。
母も一緒に行きたいのか、うずうずしているようだった。そんな母に父がキスを落とす。きゃっきゃとしている母を見て、ジェニファーは今日も仲が良いなと思った。
それから研究室へと向かい、ジョージから手渡された招待状や手紙をぽいぽいと返していく。その様子にジョージが悲しそうに皺くちゃな瞼を下げながら去って行った。
「・・・・・ふむ」
庭へと向かい、薬草の育ちを観察する。しっかりノートにその成長記録を取りながら、早く実験をしたいとジェニファーは胸を躍らせる。
そこにケイトが現れる。やけに慌てた様子でこちらに駆け寄ってくるので、嫌な予感がして研究室へと逃げ込もうとするが、腕をがっしり掴まれる。
「ウィリアム様が今から一時間後にいらっしゃるそうです!」
「・・・・今日は実験を・・・・・」
「さぁ!お部屋に戻りますよ!」
「・・・・・・」
再び湯船に漬け込まれ、複数の使用人に髪を乾かされ新作のワンピースを頭の上からずぼっと着せられる。ケイトの巧みな技でヘアセットをされ、化粧をされる。
最後にピンクの口紅を塗って、肩をぽんと叩く。
「はいっウィリアム様が放っておかないお嬢様の完成です!」
「・・・・ありがとうございます」
それからウィリアムが屋敷に到着する。今日も美しい姿にケイトと母が見惚れる。その姿にうんざりしながらワンピースの裾を掴み、膝を曲げて優雅に会釈をする。
ウィリアムも胸に手を当て、ゆっくりとお辞儀をする。美しい姿に、どこからか花弁が飛んできたような気がした。気がしただけだ。
「お人形さん」
「ご、ごきげんよう・・・・」
なんだかいつもと雰囲気の違うウィリアムにジェニファーはどきまぎする。何だろう、何がいつもと違うのか。分からないのでウィリアムをじっと見上げる。
するとウィリアムもその視線に気付き、にこりと微笑まれる。そしてそのまま抱きしめられる。
「会いたかったよ」
「(何が違うんだろう・・・・)」
「行こうか」
「は、はい・・・・」
馬車に乗り込み、ブライトの店『ブランシュ・ネージュ』へと向かう。
母とケイトが手を振って見送る。その蕩けた表情に眉を顰めながら手を振り返す。
向かいに座るウィリアムがこちらへと笑みを向ける。その笑みにぐにゅりと『あいつ』が現れたところで、ジェニファーはぷい、と視線を逸らすと窓の外を眺めた。
何が違うのだろうか。結局、その答えは出なかった。
そんなジェニファーの様子に、ただただウィリアムは愛おしいものを見るように深緑の瞳を細めた。
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物語も進んできたので、短編を書いてみました。今後も本編の閑話休題や主要キャラクター外視点の話も書いていこうと思っています。よろしければ本編もご覧ください。