緩やかな恋
さらさらの黒髪と白い肌。書類をめくる手は長く細い。銀縁のフレームが似合うその人を見つめるのが、私……藤田桜の1ヶ月前からの趣味。
私が勤める本屋の隣にはカフェが併設されていて、買ったばかりの本を読むことは勿論、仕事中の人が使うこともある。
彼は本を読むこともあるし、仕事なのかああやって書類を読んでいることもある。
そのしなやかな手で頬を撫でられたら一発で心を奪われる自信があり、彼の姿を見かける度に恍惚のため息をはく。
「はぁ、良いな……」
名前すら知らないその人の姿を見ると心が踊る。高校生にしてまだ恋すら知らない身としては、ただ見つめるだけで精一杯で、先輩から話し掛けて来いよ!と言われてもそんな度胸はどこにもなかった。
「何歳だろうね?」
「綾さん!」
「んー、30はいかないか……」
先輩の綾は二つ年上で、私に良く話し掛けてくれる優しい先輩だ。
二人してカフェの方ばかり見ていて仕事になるのか?とも思って、本屋の店内を見渡しても、ピークも過ぎた今はお爺さんが1人いるくらいだった。
「店長が休憩行って良いってさ。どうせなら彼の近くに座っちゃえ」
「えっ!?流石にそれは……」
勇気が出ないと思いつつも、魅惑的な誘いに乗ってみたい気もする。いつも勇気が出ないけれど、今日は少し頑張ってみたい。
急ぎ休憩室でエプロンを脱ぎ、姿見の前で髪型を整える。
よし!と気合いを入れて隣のカフェに入ると、顔馴染みの店員が手を振って挨拶をしてくれた。
サンドイッチとカフェオレを頼み、カウンター席に座ると、顔馴染みの店員でしかも高校の同級生である亮介が話し掛けてきた。
「また観察?」
「……」
からかうような口調は彼を見始めてからすぐのこと。ニヤニヤと楽しそうに笑う姿を、軽く睨みながらサンドイッチを頬張る。
全くもって楽しくないのに、亮介はどうして面白がるのか。
「なんでそんな楽しそうなの?」
「んー?だってさ……」
カウンターに頬杖を付き、まるで内緒話をしているかのように顔を近付けてくる。
離れようとした瞬間、背後からガタン!と大きな音が鳴り肩を震わせる。
恐る恐る後ろを振り返ると、彼が焦った表情で私と亮介を見ていた。
「亮介……!」
「はいはい。もう止めるよ亮さん」
お互いに名前を呼んでいることに気が付き亮介を見ると、ニヤリとした意地悪そうな笑みを浮かべ壮真と呼ばれた彼を指差した。
「亮さんは俺の従弟」
「へ?………嘘!」
「本当。亮さんこっち来て!」
困ったような表情で近づいてくる壮真さんは、私に目をやり恥ずかしそうに微笑んだ。
「一緒の高校の藤田桜」
「初めまして…畑山亮です」
周りにいる高校生よりも少しだけ低い声。
柔らかな微笑みと銀縁メガネ。
彼の動作1つ1つが胸に突き刺さる。
これが恋というものだろうか。
「好きです」
「……え?」
ポカンと口を開けている姿ですら愛しい……いや、今私は何て言った?と数秒前に思考を戻してみようとすると、その前に亮介が口に出してきた。
「好き?」
「なっ!亮介は黙って!」
何てことを言ってしまったんだ!と頭を抱えたくなる。
どうしよう……と悩みながら亮さんを見ると、頬を真っ赤に染めて私を見ていた。
その姿に胸がぎゅうぎゅうと締め付けられる。
「好きです。初めて見た時からずっと、好きです」
「……っ!」
ガタガタっと私から距離を取った亮さんは、困った表情で口元を隠している。
突然そんなことを言われても困るだろうな。と理解出来るし、困らせるつもりも無かった。
それでも何か寂しくなり俯いていると、亮さんの焦ったような声が聞こえてきた。
「泣かせるつもりはないんです!その、驚いたのと、嬉しかったのと……えっと……」
顔をあげると泣きそうな表情の亮さんがいた。
「君のことが気になっていたのは私が最初です」
真摯に伝えようとしてくれている姿にまた胸が高鳴る。
「亮介が働いている所で休憩を…って思って来たら、迷子の子供に話し掛けて、笑顔で挨拶をする君がいて……好きになりました」
迷子がいたのはもう2ヶ月前。その頃から私を知っていてくれて、同じように視線をくれていたのだと思うと恥ずかしい。
「お前が亮さんがいるとき来ないから橋渡しも出来なかったんだけど、漸く来たら来たでこれか」
カウンターで呆れ顔を見せた亮介に釣られ周囲を見回すと、嬉しそうな顔でこちらをみる綾さんの姿と、微笑ましそうに見るカフェのお客さん達。
怒濤の展開を見守っていた人々が多かったことに気が付いた私と壮真さんは、お互いに顔を真っ赤にしながら見つめあう。
「これから宜しくお願いします」
どちらともなく握手を交わし、こうして緩やかな恋はスタートしていった。