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誘われるうんこ

 


 朝から予想外の精神的ダメージを受けてしまったけれど、その痛みも昼休みになる頃にはだいぶ回復してきていた。

 また不意にあの意地の悪い茶髪ゴリラがやってくるのではないかと気が気ではないが、向こうも向こうできっと忙しいことだろう。この自動うんこ垂れ流しマシーンを弄り回す暇が彼にないことを祈るだけだ。


「あー、おかえり。やっと戻ってきた。またうんこ? なんか久瀬って便秘とかならなそうでいいね」


 そして昼休みになったということで、とりあえず日々の日課を行ってきた僕が教室に戻ると、行儀悪く机の上に足を乗せた生意気な女の姿が見えた。しかもその机は僕の机だった。


「ちょっと邪魔だよその足どけて。人の机に足を乗せるなんて信じられない。君はいったい何様のつもり?」

「えー、だって空いてたから。ちゃんと上履き脱いでるしいいじゃん。それに女子高生の生足だよ? むしろ感謝してもいいくらいじゃない?」


 本当に糞みたいな性格をした女だ。

 菖蒲沢の一件で一瞬良い奴なのではないかと勘違いしそうになるけれど、これがこの小野塚周という女の本質だ。騙されてはいけない。朝のあれもべつに僕を助けようという意図はなく、ただ思ったことを素直にそのまま口にしただけだったのだろう。

 

「うるさいうるさい。ほらどいてどいて」

「あー、うんこ帰りの手であたしの足触らないでよ。ちゃんと手洗った?」

「本当に君は失礼な奴だな。小野塚の足なんてトイレットペーパー程度の価値しかないんだからべつにいいでしょ」


 うんこみたいな事を言う小野塚の足をむりくり手でどけて、やっと僕は自分の席に腰をおろす。

 思ったより彼女のふくらはぎの感触が柔らかく、少しだけドキリとしたのは秘密だ。


「それはそうと小野塚、実は君に訊きたいことがあるんだ」

「ん? あたしに訊きたいこと? 珍しいね。なに?」


 コッペパンのようなものを頬張る小野塚に向かって、僕は姿勢を正す。

 彼女に尋ねたい事とは当然、僕がどんな人間なのかということだ。

 自分自身がどういった特徴を持つのか結局今の僕にはいまいちよくわかっておらず、公平な第三者の意見を必要としていた。そして悲しいことに僕は意見を伺うことのできる知人の選択肢が異様なまでに少なかったのだ。


「なあ、僕ってどんな奴? 小野塚から見て僕がどんな特徴を持った人間なのか、率直な意見をききたい」

「は? なにその変な質問。もしかしてそれプロポーズのつもり? だとしたらまじクソセンス」

「違うよ。なにをどう解釈したらこれがプロポーズになるんだ」

「なんだぁ、違うのか」


 耳にうんこでも詰まってるのか、わけのわからない事を小野塚は口走る。

 それでも僕は我慢を続ける。これは郡司真結衣に自己アピールをするためには必要不可欠なことなのだから。


「うーん、そうだねぇ。一言でいうなら、うんこ、って感じかな」

「僕がうんこなのは百も承知だ。僕にうんこ以外の何かしらの印象はないの?」

「あ、自分がうんこなのは百も承知なんだ。一応軽いボケのつもりだったんだけど、なんかごめんね久瀬」

「うるさいよ。謝られると余計惨めだろ。いいから僕に対するうんこ以外の印象を教えてくれ」


 組んでた足を離し、やけに神妙な雰囲気で小さく頭を下げる小野塚を見て僕は悲しくなる。

 僕だって、僕を象徴するもっとも大きなものが何かと問われたら秒でうんこと即答する。だけど今知りたいのは僕の中に眠るうんこ以外の可能性なのだ。


「そっか。でもうんこ以外と言われても、なかなかパッとは思いつかないねぇ。久瀬ってべつに勉強ができるわけでもないし、運動音痴だし……あ、うんちだし」

「そこべつに言い直さなくていいからね? 僕との会話の時は必ずうんこ成分を入れなきゃいけないなんていうルールはないからね?」


 うんこみたいに怠惰でだらしない性格とは裏腹に小野塚は中々に成績優秀だった。それこそ単純なペーパーテストでなら学年でも一、二を争うほどだ。

 運動神経も悪くなく、むしろかなりいい。体育祭のリレーランナーに推薦されている様子も毎年見る。体育祭当日に小野塚の姿を見たことは一度もなかったけれど。


「顔も……悪くはないけど、特別良いかっていったら、また微妙なとこだもんねぇ。あたしは愛嬌があって結構好きだけど」

「もしかして小野塚ってナメクジとか好き?」

「え? なんで?」

「僕の顔、ナメクジに似てるってよくいわれるから」


 ブフォ、と急に聴こえたのは下手糞なフルートに似た音色。どうやら小野塚が急に噴き出して笑ったみたいだ。

 僕の言葉の何かが琴線に触れたのか、それとも唐突に思い出し笑いでもしたのか僕にはわからないし、興味もべつにわかなかった。


「もう、いきなり笑わせないでよ。腹筋緩んでうんこ出るかと思った」

「その発言は女性としても人としてもどうかと思うよ」


 とても下品な事を口から漏らしながら、小野塚はなぜか若干潤んでいる目元を手で拭う。

 こう見えて僕の鼓膜は綺麗好きなので、できるだけ不潔な言葉は慎んでもらいたいものだ。


「でもわかったかも。久瀬の特徴、というか長所」

「本当に? 教えてよ」


 ここでやっと小野塚は僕という人間を構成しているうんこ以外の要素を思いついたらしい。

 しかも単純に僕へ抱く印象ではなく、ストロングポイントになりうる印象だという。これは是非教えて欲しい。


「久瀬はねぇ、やっぱり面白いなぁって思う。うんこ並みに面白い」

「うんこ並みに面白いって……それどう考えても長所じゃないよね?」

「えー、そんなことないって。久瀬は面白い。一緒にいて楽しい。これは明確な長所だよ。皆もうんこだからって避けてないで、試しに触ってみればいいのにねぇ。そうすれば案外うんこも悪くないなって分かるのにさ」


 小野塚は腕を組みながら、軽く鼻を鳴らす。

 まったく褒められている気がしないが、どうやら彼女は本気で今僕の長所を述べているつもりらしい。

 うんこと同程度の愉快さ。果たしてそれをアピールしたところで、郡司真結衣が僕に好意を抱くことなどありえるのだろうか。というよりうんこを面白い、うんこと一緒にいて楽しいと断言する小野塚の頭がおかしいだけの気がしてならなかった。他に選択肢がないとはいえ、話を訊く相手を間違えたかもしれない。



「……あの、久瀬くん? 今、大丈夫かな?」



 するとそんな笑いのツボがうんこに特化した女子高生とうんこレベルのユーモアを武器にする男子高校生の下に、耳クソを宝石に変えてしまうほど神聖な響きを秘めた声がかかった。

 忘れることのない女神の如きメゾソプラノに、僕は殻を失ったカタツムリみたいな顔を向ける。


「あっ、あっ、あっ、郡司さん。どどどどどうしたの?」

 

 僕としたことが郡司真結衣の接近に気づかないなんて。

 恥ずべき失態に僕は今すぐ肛門をケルヒャーの高圧洗浄機で洗いたい衝動に駆られるが、そんなことをして贖罪したつもりになっている場合ではないと尻の穴を引き締める。


「あれー、真結衣じゃん。久し振り」

「久し振りって、周。一応毎日顔は合わせてるじゃない。そんな寂しいこと言わないでよ」

「そうだっけ? ごめん。たぶん視界に入ってなかったのかなぁ。気づかなかった」

「ふふっ、相変わらず周は私に冷たいね。せっかく今年は同じクラスになれたのに」


 口元を手で抑えて、郡司真結衣は貴族のような上品さで笑みをお零しになる。

 幼馴染だからって調子に乗っているのか、傍に座るうんこ女が失礼な態度を見せていたが、緊張で声帯の使い方を忘れた僕はそれを咎めることができない。


「それでどうしたの? このうんこに何か用事? あたし外した方がいい?」

「ううん、べつに大丈夫だよ。それに周とも少しお喋りしたかったし」

「……いや、やっぱあたし外すわ。久瀬、うまくやんなよ」

「あ、周っ」


 小野塚はうんこでもしたくなったのか自席を離れ、ひらひらと手を振りながらどこかに消えてしまった。

 それを見送る郡司真結衣は明らかに落胆したような表情を見せながらも、やがて生唾を飲み込むばかりの僕の方へ向き直った。


「ねえ、久瀬くん。私ってやっぱり周に嫌われてるのかな?」

「へ? い、いやいや、そんなことないと思うけど。だ、だって、郡司さんのこと嫌いになる人なんていないよ」

「そうかな?」

「いや! 絶対そうだって! 僕が断言する!」

「そっか。ありがとね、久瀬くん」


 郡司真結衣のうんこになりたい。

 ふいに見せつけられた可憐過ぎる微笑みに脳味噌が機能不全を起こし、意味不明な思考が一瞬頭の中を支配してしまう。 

 

「あ、あの、それで僕に用事っていうのは?」

「私ね、久瀬くんに謝りたかったの」

「え?」

「ほら、朝に私のせいで菖蒲沢くんに絡まれてたでしょ? ごめんなさい。ただでさえ久瀬くんには迷惑かけてるのに」

「いや、そんな、迷惑だなんて!」


 心底申し訳なさそうな表情を浮かべて、郡司真結衣は僕に綺麗な姿勢で頭を下げてくる。

 彼女に謝罪の言葉を口にさせるなんて僕の方が罪悪感で死にたくなってくる。

 郡司真結衣と会話しているというだけで突き刺さってくるクラスメイトたちの視線はただでさえ鋭いのに、これ以上鋭利さを増してしまったら僕の身体は穴だらけになってしまう。


「ううん、謝らせて。本当にごめんなさい」

「い、いいっていいって! 全然気にしてないし。だから頭を上げてよ。というかお願いします! 頭を上げてください!」

「ふふっ、なんで久瀬くんがそんなに必死になってるの? やっぱり久瀬くんって面白い人だね。周が気に入るのもなんかわかるな」


 いよいよ教室に満ちる僕への敵意のムードが危険域に突入しつつあったので、僕はなんとかして郡司真結衣の謝罪を止める。

 無邪気に笑う姿は最高に可愛らしかったが、僕のようなオモシロうんこが彼女という奇跡を独占し続けるのはなんだかまずい気がしていた。


「あ、そうだ、久瀬くん。もしよかったらなんだけど、今度家に来ない?」

「……へ?」


 するといきなり、何やらハピネス過ぎてここが死後の世界なのではないかと不安になるような誘いが聴こえた気がした。

 もしかしたら耳クソが詰まっているのかもしれない。あれ。耳クソを綺麗にするのに必要なのは綿棒だったっけ。それともトイレットペーパーだったっけ。いとも簡単に混乱した僕は何がなんだかわからなくなる。


「ほら、コンクールの詳しい話もまだしてないし、これからの打ち合わせとかもしなきゃでしょ?」

「あ、でも、それは、さすがに、だって、ほら……」


 キュッと、五臓六腑が締め付けられる感覚がする。

 液体窒素より冷たく取扱注意な空気が教室中に満ちるのがわかる。

 だけどそんな極寒の地でも僕の大天使だけは暖かな眼差しを保っていて、そして小首を傾げてまたもや僕に選択肢のない二択を迫る。

 


「だめ、かな?」



 だめなんて言えるわけがないし、実際のところ全然だめじゃなかった。

 


 



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