茶聖・千利休
天正6年、その日、堺の街は針の巣をつついたような大騒ぎとなり、商人も武士もその姿を一目見ようと、我先に港へと駆け寄る。京都を制し、多くの武将を従え天下に号令を下した織田信長公の鉄甲船の艦船式がとり行なわれていたのだった。
「はっはっはっは! どうじゃ、これほどの物は、他にあるまい! 南蛮の船も名物も、この鉄甲船と比べたら、すっぽんじゃ! はっはっはっは」
巨大な鉄甲船を前に両手を広げて高笑いをする人物こそ、時の天下人、織田信長公であった。金属の同当ての付いた鎧にビロードのマントをはためかせた姿は、他の者を圧倒する威風を備えていた。
「今井宗久、津田宗及、千宗易、貴様ら茶坊主共は、この鉄甲船をどう見る?」
天下人の何気ない質疑、だが、答えを誤れば首が飛ぶ。
「私どもには、大きすぎて、手に余りまする……」
確かに船と呼ぶには巨大すぎる。まるで水上に現れた城の如く、蜃気楼に浮かぶ宮殿の如し、天守閣の如く天高くそびえる厳めしい姿は見る者を圧倒し言葉を奪う。
言葉も無く鉄甲船を見上げる茶人たちの姿に、機嫌をよくした信長公は、口元を歪めてニヤリと笑った。
「はっはっは、貴様らでもぐうの音も出まいか! 今日は、特別に南蛮茶を振る舞ってやろうぞ!」
信長公が取り出したるは、天下の大名物、九十九茄子!
見慣れぬ茶葉が取り出され、沸かした湯に無造作に放り込まれた。そして、真っ白な陶器に血のように赤く透き通った茶が注ぎ込まれると、周囲に甘い花の蜜の香りが立ち込める。一瞬にして、周囲の空気を一変させる、まさに、天下人に相応しき高貴な香り。
「どうじゃ、貴様らの入れる茶など、これと比べると出がらしと同じじゃろうて!」
一口口に含めば、さらに、香りが増し、天井の花畑の中にいるような、仏の手のひらの上で涅槃の時を過ごすがごとき心持になる。いや、それは、雷鳴のような高笑いを上げ、天を覆い尽さんばかりの信長公の威光があってこそなのか。
「見える! 信長公の背後で茶をたてる百万の兵の姿が!」
これぞ、流の背に乗り天へと飛翔する天下人の姿であるのか。
「はっはっはっは! これぞ、覇道の茶道、天下布武よ!」
だが、何かが……。
そう、この真っ白である筈の陶器の側面に、入れられた、緑の模様。
これは何だ?
真っ白であるが故の物足りなさを埋めるためのワンポイント、しかし、緑であるが故、絡みついた蔦のように、不揃いに生えた雑草の如く、己を主張して来る。
天へと飛翔する龍に絡みつく蔦は、宿り木自体を蔦へと変え、これでは、天空を舞うどころか、斧で斬り倒されるのを待つ、豆の木でしかない!
ならば、もしこの緑のワンポイントがなければ、静かに虚無の如く広がる真っ白な大地、しかし、それだけでは、何も始まらず、天下人の威風を示すには、物足りない。
これが雷鳴のように天を裂く黄色ならば、大海から立ち上った青ならば、気品高き紫ならば……。
どれも今一つ……。
「…………物足りませぬ」
千宗易が小さく呟いた言葉は、まるで、どらを叩きならしたかのように周囲に響き渡った。
「何だと? ……いま、何と言った?」
今や仏の姿は仁王の如く、天空を覆い尽す信長公が巨大な厄災となって地上へと舞い落ち、ありとあらゆる物を焼き払わんとしていた。
だが、ここまで圧倒的な力の差を見せつけられても、千宗易は一歩も引かなかった。いや、それどころか、身を焼かれるほどの信長の眼力を前にして、さらに、前へと進んだ。
「物足りませぬ!」
(ここで引く訳にはいかない、今の俺には、師・武野紹鴎から受け継いだ紹鴎茄子がある!)
師より授かりし時より茶道の修練を極めた紹鴎茄子が、今、光を放つ!
吹き荒れる暴風雨、業火の中であってさえ静かに飛び石の上を歩くが如く、天空を覆い尽す信長公に向かって、千宗易は歩き出す。
「貴様、わしの天下布武に逆らえばどうなるか分かっているのか!」
怒号が上がり、猛り狂う信長公の雷が、千宗易の体を貫いたかに見えたが、ゆらりと消えた体は別の場所に姿を現し、さらに貫かれてもまた別の場所へと姿を映す。
「ぬう、これはどういう事じゃ!」
「これぞ、変幻自在に光を取り入れる、我が茶道、WABI!」
「ならば、すべて撃ち抜いてくれよう! 第六天魔王・三段撃ち!」
「WABI!WABI!WABI!WABI!WABI!WABI!WABI!WABI!WABI!WABI!WABI!WABI!WABI!WABI!SABI!!」
茶器が乱れ飛び、静と動の空間を醸し出す、そこに宇宙があった!
最早、常人には入り込めぬ、究極の茶道が繰り広げられていた。
「信長公、全てを黒く染め上げるがよろしいかと」
「これが貴様の茶道か……、面白い。次の茶会、貴様が茶頭だ! とくと茶を振る舞え!」
「ははっ、ありがたき幸せ」
こうして、鉄甲船艦船式は幕を下ろした。
ヾ(。`Д´。)ノ彡WABI!