第15話 遥かな森にて戦士は踊る
このような感情のことを絶望と言うのだろう。自分が手を差し伸べたモノが、自分の不甲斐なさゆえに失ってしまうことを。
ずっと同じ光景が、頭の中を回っている。
見たことのない姿の敵と剣を打ち合い、現れたその親玉に負けたその記憶が、壊れた歯車のように空回りしている。
もう何も生きる理由はない。絶望に染まった目はそう言っていた。
それから僕は、ただ呆然と過去の記憶に浸っていた。楽しく過ごしたあの日々を、共に暮らした時間を。現実から少しでも目を背けるために。
何時間、何日経ったかもわからない頃、彼にとある考えが舞い込む。
それは、「あの山の中にある湖まで行けば、また彼女に会えるかも知れない」という正気ではないようなものだった。
当然、そんなことは出来ない。4年近く前から突然現れた魔獣がいるためだ。
だがその頃の僕に物の真偽を判断出来るほどの冷静さを持っていなかった。
大した用意もせず部屋を出ようとする。ここ数日歩いていなかったためか前のように足はふらつくが、そのまま歩いていく。
家の中からは誰の声も聞こえなかった。皆出払っているらしいが、僕は気にも留めずにリビングを抜け外へ出る。
僕は家を出てから森へと抜ける村の出口まで、誰とも会うことが無かった。そこを出ればあとは歩いて行くだけで森に行くことが出来る。
20分も歩けば森へ着く、いつかの僕はそう言っていた。だがそれは通常の速さで歩いた時の計算だ。今、僕の足はその速度で歩けるものではない。
そのため。
「待ってよ! カルム!!」
異変に気付いた幼馴染が全力で追いつくには十分な時間があった。
ゆっくりと振り向いた僕が彼女を見て、何を思ったかはわからない。なぜ追ってきたのか、あるいはそれすら思わなかったか。
彼女は肩を上下させていたが、再び走り出し────。
僕の胸へ飛び込んだ。
「もう、家族を失いたくない……」
消え入りそうな声で呟く。彼女がどんな表情をしているかは僕の目線から見ることができない。しかし、小刻みに震えるその背中を見て彼女がどんな気持ちでここまで追ってきたのかを知る。
そんな姿に僕は────。
「……ごめん。レン」
正気に戻って始めて発したその言葉が、今の僕が出せる唯一のものだった。胸に顔を押し付けるレンフォードの背中をそっと撫でる。すると一層、抱きしめる力が強くなった。
しばらくしてから、肩に手を回してゆっくりと離す。まだレンは俯いているが、先ほどまでの震えは無くなっていた。
「なんで、森に────剣を持って、行こうとしてるの?」
この時に初めて自分の左腰に木剣、もといそれが鞘となっている鉄剣がさがっている事に気付いた。昔の感覚で森に行く時は剣を持つ、というのを意識が虚ろの中にしていたことに驚く。
「いや……剣は関係ないよ。僕はただ、確認しに行くだけなんだ」
さっきまでの僕が何を考えていたか、それだけは確かにわかる。
森の、あの湖まで行って心の整理をつける。
僕の言葉を聞いたレンは、おおよそ予想がついたのだろう、わずかに頷いて、
「……わかった。あたしも連れていって」
と言った。当然断る理由もない。今度は僕が頷き返し、レンの手を取り歩き出す。
そこからは今までの速さより少し足を速めて進んだ。手は繋がれたまま、僕がレンを引っ張る形で森へと向かった。
山のふもとまで来るのは僕たちがガイコツと戦った日以来だ。だが今は、いや、前に来た時でさえ懐かしいという気持ちはあまり湧かなかった。
入ることに一瞬さえ躊躇わずに僕らは進んで行く。
湖があるのは、山の中腹より少し上がったところだ。しかし、まだ湖から距離がある場所にいる時点で昔と確実に違う様子が2つあった。
1つ目は、以前までの澄んだ空気が薄れ、代わりに重い魔力が立ち込んでいること。
そして2つ目は、森のところどころに根元から折られた木が倒れていること。僕らが今通っている道は舗装こそされていないが、歩くのに何不自由ない道である。その道を塞ぐような形で木が倒れていることもあった。幸い、太さはほどほどだったために2人で乗り越えることは困難ではないまでも、僕はこの現象の張本人の事を想像して気が滅入る。
その張本人は、間違いなく4年前に現れた魔獣だろう。かつて偶然にも見かけたその姿を何かに例えるなら、「大きいイノシシ」としか言いようがない。それが強大な力で木々をなぎ倒して進む様を僕は見た。
レンと繋いでいた手がさらに強い力で握られていた。それの事を考えているのは僕だけではないようだ。
万が一その魔獣と出くわしたとしたら、レンだけには危害を加えさせられない。自分の身勝手に彼女を巻き込むわけにはいかないんだ。
そう決心して、ゆっくりと手を握り返した。
かつてはあっという間にたどり着いていたはずのその湖への道も、今だけは果てしなく遠く感じてしまう。1歩奥へ進むごとに足が重くなって、胸の中に恐怖が募る。
足元だけに注意を向けていたせいで、僕らは道の先がわずかに光っているのに気づくのが遅れた。その光が意味するものに、忘れかけていた本来の目的を思い出す。
すぐさま後ろを振り向き、レンに前を見るよう促す。彼女もその意味に気づき表情を変える。そして2人でその光を目指して走る────。
走り抜けた先にあった光景に、目を疑った。かつてからある湖に、その奥にある大樹は以前と変わらない姿である。しかし、それ以外の全ては変えられていた。
周辺の木々は倒され、穴を穿たれ、無残な状態となっていた。そして、人の手に一切触れていないはずの湖が、紫色に濁っている。
奥へ進んで、湖と大樹に歩み寄る。その時は既に、握っていた手は脱力によって離れていた。
その場所に膝をついて、しばらく目の前の光景を目の当たりにする。
すると突然、後ろにいたレンが、僕たちが抜けた道を見ながら後ずさった。立ち上がって振り向くと、そこにいたのはあの「魔獣」であった。
あまりの驚きに、僕は即座に行動できなかった。背丈は4本足で立っている今でさえ僕より大きく、鼻を挟むように2本のツノが伸びている。
その魔獣は足を進める。静かに、そしてゆっくりではあるが、目に映っているのは確実に僕たちだ。
魔獣の歩みが湖に差し掛かったあたりでようやく頭を動かせた。すぐにレンの手を握り、なるべく警戒をさせないように湖をはさんで真逆の位置に移動する。急に手を引かれたレンは少々驚いたようだが声は上げずにおとなしく付いてきてくれた。
湖を正面にそれと対峙する。どうにかきた道から戻りたいのだが当然近くにはその魔獣がいる。
どうするべきか……。そう考えていた瞬間────。
ズシャア!!という大きな音を立てて入水した。その足で水面を荒ぶらせなが近づいてくる。
刹那、今までに感じたことのない恐怖に見舞われた。それでも反射的に、レンと自らの身を魔獣の突進の射線上から大きく飛び退けさせる。レンを引き寄せ、身体を抱え込むようにして思い切り飛んだため反動で倒れこみ、数回、地面に転がった。そのおかげか、わずかではあるが魔獣との距離が離れる。しかし依然、魔獣の目線はこちらにある。
ここで終わり、なのだろうか────。
自らの不甲斐なさを認められず、自分勝手に森まで来て、さらにはもう1人の家族まで危険に晒している。虚ろな状態だった僕が、気持ちの整理などという理由で行動したためにこんなことになってしまった。
もし今、彼女がいたならどうしていただろうか。森に来て、彼女と再会できた後に今の状況になっていたら。おそらく彼女は無抵抗でいるわけがないだろう。最後の最後になっても諦めないはずだ。それならば。
「僕も君を、信じるよ」
小声でそう呟き、レンの前に立つようにして魔獣と向き合う。体の下半身から滴る水も、こうして対面した今では威圧すら感じる。怖気付く暇なんてない。腰にかかる鉄剣を鞘から抜く。
「これ以上お前の好きにはさせない! 僕のこの手で、倒す!」
声を張ってそう叫ぶ。魔獣は意図を汲み取ったか臨戦状態になったか、禍々しい目を爛々と光らせた。勝算はない。だが、ここで背を向けて逃げれば僕は死んでも死に切れない後悔を負うのは目に見えてわかる。
もう一度、覚悟を決める。今、ここで。
走り出す。迷いはない。メイに、そしてこの森にこれ以上の醜態を晒すわけにはいかない!
剣を握る手だけではない。身体全体に自らの力を宿らせる。
その時。僕の心に聞き覚えのある声が聞こえた。
『あなたならきっと、大丈夫。さぁ、行って』
次の瞬間、周囲の木々が一斉にざわめく。時を同じくして僕の中に力が、流れ込んでくる。
ありがとう、メイ。ありがとう、森よ。力を分けてくれた皆に答えなければ。
「はあああぁぁぁ────ッ!!!」
自分の、そして与えられた力を込め、白く発光している剣を魔獣のツノとツノの間、すなわち鼻の真上に向かって突き出した。一瞬前までは刺さるとも思わなかったその剣は……。
視界は、剣を突き出したあたりで途切れていた。まばゆい光は僕の目を焼き焦がしたのだろうか?だとしたら魔獣の全てをも焼き尽くしていてほしいな────。
気がつくと僕は、場所は変わらずに木々を仰ぐ形で寝転がっていた。しかし頭には砂利や石の感覚がない。その答えは簡単で、頭を少しずらすとレンの顔があった。彼女の膝の上に頭があるようだ。まだ顔がはっきりと見えていないが、じきに目の焦点も合う。すると、最近になってよく見るようになったレンの涙が視界に映る。
「ありがとう、レン。君は無事……だね」
手を伸ばして涙を拭おうとして、自分の腕が傷1つ付いていないことに気がついた。あれほどの力を使った代償が今の倦怠感だけであるとは思ってもみなかった。
「そうだ……! あいつは!?」
身体を思い切り起こそうとしたが力が足りずに空回りし、レンに背中を抑えられながら起き上がって見ると……。
あの魔獣が、そこにいた。しかし色を灰に変え、一切動かない状態で。
どういう訳かレンに聞こうとした。が、彼女は、
「ほんとうに……よかった……」
と、再び僕のことを抱きしめてくれている。先程まであった邪気も今では完全に消えた。だから僕は、今までの苦労は終わった。森から恐怖は去ったんだ。そう信じて静かにレンを抱き返した。




