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95.真っ黒お化け

 前を歩く四人は、他愛もない話をしていた。

 さっきのギディオンの一喝にはびっくりしたとか、イークの石頭がどうとか。スミッツの安否が気になるとか、昨日の宴は楽しかったとか。

 脈絡があるようでないような、そんな会話。中でも特にお喋りなのはカミラだった。元々賑やかな娘だとは思っていたものの、ルミジャフタ訛りというらしいあの独特の抑揚が、ケリーには一種の歌に聞こえる。


 カミラはさしずめその歌でもって場の空気を華やがせるムードメイカーだ。きっと本人もそういう自分の使い方(・・・)を心得ているのだろう。

 だから先程からああして喋り倒している。例の手紙の件で不安そうな顔をしているフィロメーナの気を紛らわすために。

 聞けば彼らの支部をまとめているスミッツという男は、救世軍初代総帥ジャンカルロ・ヴィルトの古い友人で、彼を失った当時のフィロメーナを支えた大事な仲間なのだとか。もしもそれが事実なら、フィロメーナが動揺した様子なのも無理はないだろう。


 しかしそのスミッツという名前には聞き覚えがある、と彼らの会話に加わっていったのはジェロディだ。たった今、彼が腰に佩いている黒鞘の剣。

 元々ガルテリオのものであったそれを打ったのがスミッツという鍛冶師らしいことは、ケリーも知っていた。そして救世軍の仲間のスミッツも、どうやら表向きの職業は鍛冶師らしい。


「そう言えば私、前に聞いたかも。スミッツって昔は黄都に工房を構えてて、ガルテリオ将軍の剣も打ったことがあるって言ってなかったっけ?」

「あー、そういやそんな話を俺も聞いたな。ってことは同一人物か?」

「だとしたらすごい巡り合わせだ。僕、そのスミッツさんっていう人に一度会ってみたかったんだ。こんなすごい剣を打つ人って、どんな人なんだろうって」


 ちょっと昂揚した様子で声を弾ませながらジェロディが言う。それを聞いたフィロメーナが少し笑って、スミッツの経歴や人となりを話し始めた。

 ケリーはそうした四人の会話に注意深く耳を澄ます。ここ一月ほどの付き合いで、救世軍(かれら)が悪い人間でないことは分かった。

 だが、だからと言って完全に心を許したわけではない。彼らだっていざとなればこちらに牙を向くかもしれないのだ。ゆえに決して油断はしない。ジェロディを守るために。


 年が明けて二ヶ月余り。暦は既に豊神の月に入っている。

 春の訪れまでもう少し。最近では陽射しを暖かく感じることが増えた。とは言え芽吹きの時はまだ遠く、原野は枯れ草に覆われているけれど。


 現在ケリーたちは、その枯れ草色のエオリカ平原を北西へ向かって進んでいる。ロカンダから北へ伸びる街道をしばらく歩き、途中でタリア湖の方へ折れるのだそうだ。

 湖畔には小さな漁村がある。何でも救世軍はそこに小型船を隠しているとかで、フィロメーナたちはそれを使ってタリア湖を縦断すると言った。

 どうも救世軍が神出鬼没と謳われているのは、全国各地にそういう移動手段を隠し持っているかららしい。てっきりロカンダの町中からベネデット運河経由で湖へ入るのだと思っていたケリーは、これには少し驚いた。


「ロカンダには軍や商人の輸送船しか出入りできませんから、船に乗って町を出たければ水運業者を掴まえるしかありません。中にはもちろん私たちに協力してくれる業者もいますけど、運河の上流には黄皇国軍の水門兼関所がある。そこを通るには毎回、郷庁で発行される航行許可証を取得しなければなりません。それを待っていたのでは、さすがに時間がかかりすぎます」


 とはフィロメーナの言だ。つまりロカンダからも船に乗ることは可能だが、そのためには面倒な手続きが必要で、急を要するときには向いていない――ということらしかった。

 そこで漁村の小型船だ。村には救世軍に協力的な住人がいて、ボルゴ・ディ・バルカまでは彼らが運んでくれる。

 問題があるとすれば最近タリア湖上を荒らし回っている湖賊のライリー一味くらいで、彼らと遭遇することさえ避けられれば現状、それが北までの最短ルートだと言えるだろう。


 ゆえにケリーたちはせっせと歩いている。さっきまでは馬に乗って馳せていたのだが、一刻(一時間)以上駆けさせると馬が潰れる恐れがあるので、途中で徒歩に切り替えた。

 それぞれが持ち馬の手綱を曳き、進む。再び馬に乗れるのは、早くても半刻(三十分)後だろう。


(ティノ様はもうすっかり救世軍に馴染んでおられるな……)


 と、前を歩く主人の姿を眺めながらケリーは思う。別にその件を責めるつもりはない。少し複雑な思いがあるのは否定しないが、黄都であんなことがあったあとだ。彼が救世軍の理念に傾倒してしまうのは無理からぬことだろう。

 実際、ケリーも昨今の黄皇国の在り方には疑問を持っていたのだ。西で国境を守っている間は、ただただ目の前の敵を打ち払うことに集中していれば良かった。ガルテリオについてゆけば間違いなんてものはなかったし、グランサッソ城は軍しか知らないケリーにとって居心地のいい場所だった。


 しかしだからこそ、たまに黄都へ戻ると強く感じた違和感。

 ソルレカランテ城や司令部を歩いていると嫌でも聞こえてくるようになったガルテリオへのひがみ。おもねり。軽視。嘲笑。

 残虐で執拗なシャムシール砂王国から祖国くにを守る、ガルテリオの苦労を偲ぶ者はここ数年でほとんどいなくなった。貴族どもの関心と言えばいずれも国防上の問題ではなく、いかにすれば『黄帝の懐刀』の気を引けるかどうか。


(いや、あるいはどうすればガル様を失脚させられるか、か)


 と思い直して、ケリーは口の端に自嘲を刻む。自分は今の今まで、そんな浅はかな連中を守るために日夜命を削ってきた。

 心の片隅に残る矜持が、違う、私が戦ってきたのはガル様とティノ様をお守りするためだ、と叫んでいるが、その結果がもたらしたものに大した差などありはしない。

 だから正直、何が正しいのか分からなくなった。ケリーだって救世軍が謳う世直しには心惹かれるものがある。あの性根の腐った恥知らずどもを叩きのめせるのなら、彼らに力を貸してもいい。


 けれどかつての上官が――ギディオンが言っていた。ガルテリオはたとえ過ちだと分かっていても、きっと陛下を守り抜く。それがあの男の忠義だ、と。

 残念ながらケリーもそう思う。だって自分はガルテリオのそういう愚直さ、潔癖さに惹かれて忠誠を誓ったのだから。


 ――そのガル様に矛を向けるのか?


 ケリーはそう自問する。ガルテリオだって黄皇国の現状を指を咥えて見ているわけじゃない。叶うことなら主君オルランドとこの国の民、双方を守ろうとしている。

 救世軍かれらはそれをわらうだろうか。そんなやり方はぬるすぎる。どちらかを捨てる覚悟もないから、結果として腐敗の原因をのさばらせているのだと。


 そういったことを考えながら、黙々と青天の下を歩く。……そう言えば今日はマリステアが大人しい。彼女もカミラほどではないにしろ、お喋り好きな方なのに。

 自分が黙りこくっていたせいで、変に気を遣わせてしまっただろうか。そう思いながら振り向くと、マリステアはケリーのすぐ隣をうつむきながら歩いていた。

 その横顔が、どこか暗い。体調でも優れないのだろうか。ケリーは少し心配になり、前を行くジェロディがまだカミラたちとの話に夢中なのを確かめてから声をかける。


「マリー」

「……」

「マリー?」

「……」

「おい、マリー」

「……はっ!? はい、何でしょう!?」


 なかなか気づかないので肩を揺すったら、マリステアはびっくりした様子で振り返った。彼女が救世軍から借りてきた鹿毛もその声に驚いて、ブルルルッと首を振っている。


「大丈夫かい? 何だか顔色が優れないみたいだけど」

「あ……す、すみません、ぼーっとしてしまってて……」

「体調が悪いなら、ティノ様に言って少し休もうか? それでなくともこのところ色々とありすぎた。あんたも疲れてるだろう?」

「い、いえ、違うんです! わたしは、ただ……」


 言いさして、マリステアはまたうつむいてしまった。その横顔は心なしか先程よりも苦しそうだ。


「ただ、少し……ガルテリオさまのことが心配で」

「ガル様が?」

「はい……わたしたちが黄都を出てから、もう一月が経ちました。あっという間の一月でしたけど……きっとガルテリオさまのところにも、そろそろ事件の知らせが届いているはずですよね?」

「ああ……詳報が届くのはまだ先だろうが、私たちが黄帝暗殺の嫌疑をかけられて出奔したことは知らされているだろうね。何せ黄都からグランサッソ城までは鳩が飛ぶ。早ければ私たちがソルレカランテを出た十日後には知らせが行っただろう」

「そ、それじゃあ……それじゃあガルテリオさまは今、どんなお気持ちでいらっしゃるのでしょうか。ガルテリオさまならきっと、わたしたちのことを信じて下さっていると思いますけれど……でも、ずっと忠誠を尽くしてきたお国に裏切られて、たった一人のご家族は行方知れずで……また、後悔していらっしゃるんじゃないでしょうか。ティノさまを置いて黄都を出てきてしまったことを……」


 マリステアが涙声で紡いだ言葉が、ぐさりとケリーの胸に刺さる。……考えないようにしていた。ガルテリオが今、グランサッソ城で一人何を思っているのかは。

 だってマリステアの言うとおりだ。きっと彼は今頃、ジェロディの身を案じると同時に後悔しているに違いない。また自分のせいで・・・・・・・・、と。


「アンジェを死なせたのは私だ。私があのときアンジェを選ばなかったからだ。彼女は死の間際、何を思って逝ったのだろうな」


 ――私を恨んで逝ったのだろうか。


 かつて遠い昔に一度だけ、ケリーはガルテリオの後悔を聞いたことがある。あれは正黄戦争が果てたあとのことだっただろうか。

 立ち尽くしたケリーの隣にはマリステアもいた……ような気がする。ただ一人、彼の息子であるジェロディだけがいなかった。


 そう、あのときジェロディは黄都へ戻ってきて初めて母親アンジェの死の事実と直面したのだっけ。

 そのせいで泣き疲れて寝てしまい、ガルテリオはそんな息子の幼い寝顔を眺めながらぽつりとそう漏らしたのだった。


 ケリーがガルテリオの口から弱音らしきものを聞いたのは、あとにも先にもあの一度きりだ。たぶんマリステアもそうだろう。彼は家族の前で自分の弱さを曝け出すような人ではなかったから。

 だからマリステアは心配している。きっとあの日のことが頭から離れないのだ。ガルテリオはいつだって悲しみや苦しみを胸の内に隠してしまう。いや、人の上に立つ者は得てしてそう在らねばならないのかもしれないが、とにかく何でも一人きりで抱え込もうとする人だった。


「マリーは、このままガル様のところへ急いだ方がいいと思うのかい?」

「……分かりません。最初はそうすべきだと思っていました。ティノさまとガルテリオさまが……家族が離れ離れになる必要なんかない、ガルテリオさまを信じていれば大丈夫って。でも、ビヴィオでの一件があって……」

「考えが変わった?」

「いいえ、変わってはいません。わたしは今でもガルテリオさまを信じています。ですが今は、ガルテリオさまとフィロメーナさん……どちらの主張も正しいと思ってしまって……わたしたちは、どちらか一方を必ず滅ぼさなければいけないのでしょうか?」

「マリー」

「わたしはただ、ガルテリオさまに会いたいです。官軍とか救世軍とかそんなの関係なく、ガルテリオさまに会いたいです……」


 そう言ったマリステアの瞳から、ぽろり、と涙が零れた。

 瞬間ケリーは息が詰まる。……こんなとき、すぐに気のきいた言葉が出てこない己の無粋が憎らしい。

 自分だって知っているのに。たった一人取り残される寂しさや、家族との絆を引き裂かれる悲しみを。


「す……みま、せん……わたし、何だか今日は変ですね。今朝、懐かしい夢を見たせいでしょうか」

「懐かしい夢?」

「はい……わたしがガルテリオさまと、初めてお会いしたときの夢です。ガルテリオさまが、砂王国兵に人質に取られたわたしを身を挺して助けて下さって……そのせいでアンジェさまがカンカンで……とても怖かったけど、思い出すと何だか幸せな、夢、です」


 笑ってそう言いながら、マリステアは更にぽろぽろと泣く。――ああ、そうか。ジェロディが北で救世軍の盾になると言い出したとき、彼女が妙に歯切れの悪い返事をしていたのはそういうことだったのか。

 ジェロディはそれに気づいているだろうか。……いや、彼に気づかれたくないからこそ、マリステアも今朝はいつもどおりの振る舞いを心がけていたのだろう。


 けれどケリーは知っている。マリステアはとても繊細で寂しがりやだ。

 どこか大雑把な自分と違って思い詰めやすいのは、ガルテリオに似たのだろうか。ということは自分は豪放磊落だったアンジェに似たのだな、と思いながら立ち止まり、ケリーは小さく苦笑する。


「マリー」

「は、はい……?」

「私はティノ様についていくよ。あの方がどんな決断を下そうと、それを信じてついていく」

「が……ガルテリオさまと敵対することになっても、ですか?」

「ああ。そのガル様から頼まれたんだ。ティノ様を支えてやってくれ、と。だから私は主命を守る。それが私の忠義だ」

「……」

「だけどそれとは別に約束する。マリー、あんたを一人にはしないと」

「え……?」

「だって私たちは〝家族〟だ。そうだろ?」


 ケリーがそう尋ねれば、マリステアは束の間ぽかんとした。けれど大きな瞳はすぐに涙でいっぱいになる。今よりもっとずっと泣き虫だったあの頃と同じように。


「だからそんな顔するんじゃないよ、マリー。ガル様にだって、もう二度と会えないと決まったわけじゃないんだ。あの方のお顔を見て安心したいのは私だって同じさ。それにきっと、ティノ様も……」

「はい……」

「だけど今は状況が状況だ。時間はある……とは言えないが、私たちはもう少し、この国の現状を見つめる必要がある。だから――」

「――うわあああああああああ!?」


 そのときだった。

 ケリーの言葉を遮って、尋常ならざる絶叫が道の先から轟いた。

 はっとして振り返る。今のは男の悲鳴に聞こえたが、ジェロディは無事だ。ウォルドも異常ない。とすれば声が聞こえたのは、前方左手に見える小高い丘の向こうだろうか。現在ケリーたちのいる街道は丘を迂回するように伸びていて、向こう側の景色はまだ見えない。


「い、今の悲鳴は……!?」

「あの丘の向こうからよ!」


 真っ先に駆け出したのは、先頭にいたカミラだった。彼女は瞬時に馬の背へ飛び乗ると、丘へ向かって一直線に馳せていく。

 街道に沿って迂回するより、馬の脚ならその方が早いと判断したのだろう。ケリーもそれには賛成だ。素早く背中の槍を抜くと、同じく馬の背に跨り、マリステアを見下ろして言う。


「マリー、あんたはティノ様のお傍にいな!」

「は、はい……!」


 マリステアの返事が聞こえると同時に馬腹を蹴った。途中、カミラを追って先行していたウォルドと並び、そのまま丘を駆け上がる。

 高さ二アナフ(十メートル)もないだろうと思われる丘の天辺では、馬を止めたカミラが麓を見つめて立ち尽くしていた。彼女に追いつきさっと手綱を絞ったところで、ケリーも思わず絶句する。


「あ、あれは……!?」


 それ・・は人の形をしていた。


 丸みを帯びた楕円形の頭に、ひょろ長い腕。

 同じく長い両脚は、まるで夕日を浴びて伸びた人影のよう。

 その人影が立ち上がり、実体を持ち、巨大化したのに似た真っ黒な肢体。

 顔はのっぺらぼうで黒い口だけが裂けている、あの化け物は――


「〝真っ黒お化けランキー・ブギー〟……!」


 逃げ惑う地上の人々をゆっくりと追いかけながら、天に向かって魔物が吼えた。

 咆吼が大地を震わせる。聞く者の頭蓋をち割らんとする。

 ケリーは顔色を失って、慄然と麓を見下ろした。

 そこには世界の終焉のような、おぞましい景色が広がっている。



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