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91.積もる話

 それはジェロディがフィロメーナと共に、ウェリエ村、というところを訪ねたときのことだった。

 ウェリエ村は第四郷区の南西部、ビヴィオから約一五〇ゲーザ(七五キロ)くらいのところにある。先日の一揆に加わった集落の一つで村人の数も多く、一揆の主導的立場にあったという村だ。


 しかしジェロディらが攫われた娘たちを連れて赴いたとき、村は既に集落としての形を失っていた。

 きっとのどかで美しい景色が広がっていたのであろう村は無残な焦土となり、生き残ったわずかな村人たちは焼け残った小さな家で肩を寄せ合い、震えながら救世軍の帰りを待っていた。


 そんな彼らと村娘たちが涙の再会を果たしてからほどなく。生き残りの村人の一人が、彼らの様子を見守っていたジェロディの存在に気がついた。

 先のビヴィオ防衛戦でのジェロディの姿は、やはり一揆衆の目に焼きついていたらしい。彼は半狂乱になって喚き立てると、「お前のせいで村は滅んだ!」と叫んだ。それからガルテリオをも侮辱し、この国にはほとほと失望した、とも。


 状況を理解すると、一揆には加わっていなかったという他の村人たちも怒り出した。彼らから浴びせかけられる罵詈雑言を、ジェロディは終始黙って聞いていた。

 自分にはそうすることしかできない、と思ったからだ。この件とは直接関係のない父のことをどれだけ悪しざまに言われても、耐えた。途中で反論に出ようとしたマリステアも押し留めた。


 やがてどこからともなく小石が飛んできて、ジェロディの頬を掠めた。

 切れた皮膚から青い血が滴ったが、村人たちはその血の色も見分けられないほどに激昂していた。


 今更何をしに来た。詫びのつもりならお前に殺された村の者たちに詫びてこい。

 そんな言葉と共に次々飛んでくる石の雨にも耐えた。

 この程度のことじゃ神子は死なない。そう分かっていたから耐えられた。彼らの気が済むまで耐え切るつもりでいた。


 ところが、だ。


 いくつもの小石に紛れていよいよ人の拳ほどもある石が飛んできたとき、突然ジェロディの視界にカミラが飛び込んできた。大きな石はカミラの額に当たり、彼女はよろめきかけたが、しかし毅然と踏み留まった。

 そうして血を流しながら叫んだのだ。

 あなたたちには分からないの。彼は自分の命も名誉も捨てて過ちを償った。そしてこれからも償い続けようとしている。だったら責めるべき相手は彼じゃないでしょう、と。


 ジェロディは正直、呆気に取られた。どうして、という言葉が出かかったが、それより先に村人たちが怒号した。

 彼らの怒りは救世軍の一員でありながらジェロディを庇うカミラにも向いたのだ。村人たちはカミラにも石を投げつけようとした。お前にこの苦しみが分かるのか、と。


 それを止めてくれたのはフィロメーナだ。

 彼女は馬を駆って村人とカミラの間に割って入ると、自分たちの非力を詫びた。

 あなた方に一揆という手段を選ばせてしまったのも、その結果村を守り切れなかったのも、すべては力なき救世軍わたしたちの責任です。ですから責めるならば彼らではなく、どうか私を責めて下さい、と。


 だが村人たちにとって彼女は恩人であり、この国で唯一の希望だった。

 ゆえに彼らはそこでたじろぎ、ついに振り上げていた拳を下ろした。

 フィロメーナを馬から叩き落としてまでジェロディに復讐しようという者は、一人としていなかった。


 あれは今から何日前のことだったか。

 とにかくそれ以来、ジェロディはカミラとろくに口をきけていなかった。

 彼女がジェロディを避けたわけじゃない。ジェロディがカミラを避けたのだ。

 だってあんなことがあったあとで、どんな顔をして彼女と向き合えばいいのか分からなかった。

 罪悪感と無力感。自分への苛立ち。惨めさ。

 カミラと向き合おうとすると、そういう感情に押し潰されそうだったから。


 だけど、いつまでもそうして女々しく逃げ惑っているわけにはいかない。

 もう一度彼女にちゃんと謝らなくては。

 そう意を決してジェロディは現在、若い兵たちに囲まれているカミラのもとへと向かっていた。緊張で歩き方が少々ぎこちない気がするが、しょうがない。それでも今は進むのだ。前へ。


 何せここで引き返したりしたらきっとウォルドに笑われる。ジェロディは背中に彼の視線を感じていた。きっと今頃はニヤニヤしながら、面白半分にジェロディの動向を観察しているはずだ。

 それがちょっと腹立たしくはあるものの、彼はカミラのもとへ向かうきっかけをくれたわけで、責めるよりは感謝せねばなるまい、とジェロディは己に言い聞かせた。


 カミラに群がっていた兵たちの列は、思いのほか早くはけている。わざわざ宿を貸切ということにして手伝ってくれている従業員たちのおかけだろうか。カミラの手料理は手際良く配られているようだ。

 おかげであっという間にジェロディの番が近づいてきた。まずい。まだ心の準備ができていない。だけどここまで来て引き返すわけには……そんなのはあまりにも情けなさすぎるし、逃げたらまた振り出しだ。


 とは言えどんな顔で声をかけよう。そもそも第一声はどうする?

 彼女の前に出ることで頭がいっぱいで、そこまで考えていなかった。

 あ、これはまずい。思考が浮足立っていて上手くまとまらない。

 そんなこんなしているうちに目の前の兵が料理を受け取って歩き去った。

 自分とカミラを隔てる壁がなくなる。

 目が合った。

 瞬間、カミラは「あ、」とちょっと間の抜けた声を上げた。


「……ティノくん?」

「や、やあ、カミラ……君の料理って、まだ残ってる?」

「うん、ちょうどこれで最後だけど……食べに来てくれたの?」

「あ、ああ……その、なんて言うか、ウォルドに勧められて……」

「ウォルドに?」

「う、うん……カミラの作る料理はおいしいから、この機会に食べとけって」

「へえ。それはまた珍しいことがあったもんね」


 ウォルドが私を褒めるなんて、明日は槍が降るのかしら。カミラはそう言ってジェロディを――いや、恐らくそのずっと後ろにいるのであろうウォルドを半眼でめつけた。

 ……いけない。ついついウォルドをダシに使ってしまったが、彼はきっかけをくれただけ。カミラと会ってこよう、と決めたのは他ならぬジェロディだ。


 これで今度こそウォルドが火刑に処されたりしたら寝覚めが悪い。訂正しなくちゃ。ジェロディは早くも及び腰になっている思考を叱咤して言葉を探した――そう言えば僕、歳の近い女の子と対等に口をきくのって初めてなのかもしれない。だから緊張しているのか。今まで同じ年頃の相手と言えばマリーを始めとする屋敷のメイドたちか、僕の機嫌を取ってこいと寄越された良家のお嬢様ばかりだったから。


「あ、の……カミラ、僕――」

「まあ、でもちょうど良かったわ」

「え?」

「ルミジャフタ料理、実はティノくんたちにも食べてみてほしかったの。この辺じゃ手に入らない食材もあったから、埋め合わせの材料で作ったものだけど……」

「そ……そう、なんだ」

「それに私もずっと料理してたから、まだ何も食べてなくて。おかげでお腹ぺこぺこなの。良かったらあっちで一緒に食べない?」

「あ、ああ、君がいいのなら」


 と、思わず答えてしまってから、


(……本当にこれでいいのか?)


 とジェロディは自問した。気づけば完全にカミラのペースに乗せられてしまっている。自分は一体何をしに来たのやら。

 そんな己を情けなく思いつつ、しかし内心ほっとしている自分に気づいた。何故ならカミラの態度が口をきかなくなる以前のままだったからだ。

 こちらはあんなにあからさまに避けてしまっていたのに、彼女は気に留めた様子もなく接してくれた。それが嬉しい反面、恥ずかしくもある。ただこうして言葉を交わせばいいだけなのに、変に身構えてしまっていた自分が。


「はい、どーぞ召し上がれ」


 やがて二人並んで座った席で、カミラが差し出してきたのは白くて薄いパンのようなものだった。

 いや、それはパンというよりもはや何かの皮のようだ。表面が白く粉を吹き、香ばしく焼けた匂いがするからパンのようだと思ったが、摘んでみると思ったより薄っぺらい。


 カミラはその上に水洗いされた葉野菜や味つけ肉、細切りされた乾酪チーズなどをせっせと乗せて、器用にくるくる巻いてみせた。

 完成したそれを受け取ってみると、まだほのかに温かい。加えてこのタレと香辛料の香り――口に含む前から分かる。これは間違いなく、おいしい。


「この料理はね、サクっていうの」

「サク?」

「そう。ルミジャフタ語で〝白い食べ物〟っていう意味。これがうちの郷の主食でね。本当はその皮は黄黍を挽いた粉を使って作るんだけど、黄皇国には黍粉が出回ってないみたいだったから、今回は小麦粉を使ってみたわ」

「へえ……珍しい料理だね」

「このあたりじゃ見かけないでしょ? お口に合えばいいんだけど」


 少し面映そうにそう言ってから、カミラはぱくっと自分のサクにかぶりついた。サク、というらしい外側の皮は思ったよりモチッとしていてやや伸びる。よほど丁寧に生地をこねたのだろう。薄いのに弾力がありそうだ。

 ジェロディも早速カミラに倣って、彼女が巻いてくれたサクを頬張った。

 途端にピリッとした香辛料の辛みとスッと鼻を抜ける香り、そして甘辛いタレの味が舌に絡みついてくる。そこに葉野菜の瑞々しさと乾酪の酸味が加わって――おいしい。何と表現すればいいのだろう。この絶妙な味の溶け合いを。


「ど……どう? 辛すぎない?」

「……。あのさ、カミラ」

「は、はい」

「ルミジャフタ料理って、敢えて濃いめに味つけするのが普通だったりする?」

「えっ? い、いや、そんなことはないけど、もしかしてしょっぱかった!?」

「いや、ごめん、そうじゃなくて……ちょっと驚いた」

「へ?」

「神子って人より味覚が鈍いんだ。食べることを必要としない体だから、らしいんだけど。そのせいでハイムに選ばれてからは、何を食べてもどこか味気なかった。でも、これは――」


 ――すごくおいしい。

 ジェロディが率直にそう言うと、カミラは一瞬ぽかんとした。

 たぶん前置きの部分を理解するのに時間がかかっていたのだろう。やがてジェロディが伝えようとしたことに気がつくや、みるみる顔が赤くなる。受粉の時期を迎えると、一斉に赤く色づくシャイネスの花みたいに。


「え、あ、そ、そうですか……! そっ、それは何より……!」

「……なんで敬語?」

「だっ、だってティノくんがさらっと褒めるから……!」

「もっともったいつければ良かった?」

「い、いや、そういうことじゃなくて……さ、郷を出てから料理を褒めてもらったの、何気にこれが初めてのような気がしなくもなくて……」

「さっきウォルドも褒めてたよ?」

「あ、あいつは打算でしか物を言わないからダメ!」


 カミラがあまりにもきっぱりとそんなことを言うので、ジェロディはつい笑ってしまった。どうやらウォルドはまったく信用されていないようだ。互いに信頼はしているのに信用はないなんて、本当に奇妙な二人だな、と思う。


「だけど、良かった」

「え?」

「カミラが思ったより元気そうで」

「私が?」

「この間の傷はもういいの?」


 覚悟を決めてそう尋ねると、カミラもすっと神妙な顔になった。ジェロディが言う〝この間の傷〟というのは、ビヴィオでの戦いで負った傷――ではないことは、彼女なら既に察しているだろう。


「やっぱりティノくん、あのときのこと気にしてたのね」

「……うん。ごめん」

「謝らなくていいわよ。あれは私がそうしたくて勝手にやったことなんだから」

「だけど、女の子の顔にあんな大きな傷を負わせるなんて……」

「ふふっ、顔って言ったって前髪の生え際あたりだったし、あのあとすぐにマリーさんが治してくれたから大丈夫よ。ほら、痕だって残ってない」


 言って、カミラはジェロディを顧み、ぺろっと自分の前髪を上げてみせた。あの日おびただしい血を流していたはずの額の傷は、なるほど、確かに跡形もない。


「……良かった。痕なんか残ってたら、イークさんに殺されるんじゃないかと思った」

「私もそう思って、イークには話してないからご安心下さい。あの場にあいつがいなくて良かったわね。でなきゃ今頃どうなってたか」

「少なくとも僕はここにいなかっただろうね」

「そうならなくて良かった」


 そう言ったカミラと顔を見合わせ、ジェロディは悪戯っぽく笑い合った。この会話を本人に聞かれたらそれこそ一巻の終わりだが、幸いイークはまだギディオンと同じ卓にいて、こちらの話に聞き耳を立てている様子はない。

 しかしカミラの言うとおり、あの場にイークがいなかったのは不幸中の幸いだったなと、ジェロディは改めてそう思った。あのときイークとギディオンは銘々別の村へ向かう馬車を護衛していて、ジェロディたちとは別行動だったのだ。


 噂で聞いたところによれば、イークは同郷のカミラにはかなり甘いという話だったし、もしもあの場で彼女が血を流しているのを見たら黙ってはいなかっただろう。そしてその怒りの矛先はウェリエ村の人々ではなく、そもそもの原因であるジェロディへ向いたはず……。

 そう考えるとぞっとして、ジェロディは笑みが強張った。……のんきに笑っている場合ではない。今後は彼の逆鱗に触れないように、更なる注意を払わなくては。


「ていうか、そもそもね。謝らなきゃいけないとしたら、それはティノくんをこんなことに巻き込んだ私たちの方でしょ。ティノくんがあんな目に遭ったのは、私たちが騙してここに連れてきたのが原因なんだから」

「それは違うよ。僕はビヴィオでの過ちを君たちのおかげで償うことができた。もちろんこれで償い切った、なんて言うつもりはないけど……それでも君たちには感謝してるんだ。僕にチャンスをくれたこと。あのとき君とウォルドがここへ連れてきてくれなかったら、僕はあのあとビヴィオで何が起こったのかも知らずにのうのうと生きていくところだった。だから、ありがとう」


 ジェロディが改まってそう伝えると、カミラはまたぱっと頬を染めた。それはさっきとは違ってほんのわずかな変化だったけど、うつむいて髪を耳にかけたカミラの横顔は、心なしか嬉しそうだった。


「こちらこそありがとう。そう言ってもらえると、ちょっとだけ肩の荷が下りるわ。私たちのせいでティノくんをひどい目に遭わせちゃったって思ってたから……」

「それこそカミラが気にすることじゃないよ。今回の件は僕の自業自得なんだから」

「というより、だいたいあの腐れ郷守のせいだと思うけど――でも、ティノくん」

「うん?」

「ここだけの話、ウォルドには気をつけてね」

「……え?」

「ティノくんたちが初めてここに来た日、地上うえの宿に地方軍が押し寄せてきたでしょ? あれね、ちょっとタイミングが良すぎたんで気になって、ウォルドを問い詰めてみたの。そしたらあっさり白状したわ。あれはウォルドの自作自演。チッタ・エテルナにティノくんたちがいるって通報したのは、あいつだったのよ」


 え、ともう一度聞き返したつもりが、声になっていなかった。

 一拍遅れてぞっと背中を駆け上がってきた悪寒に、ジェロディは思わず振り向いてしまいそうになる。

 いや、ダメだ。ここで露骨にウォルドを振り返ったりしたら怪しまれる。

 だけど、あのとき地方軍を呼んだのがウォルドだった、って――?


「か、カミラ、それって……」

「あいつの目的はね、ティノくんたちに恩を押し売りして無理矢理仲間に引きずり込むこと。国の追っ手から私たちがあなたを救ったって既成事実を作り上げて、こっちの誘いを断りにくい状況を作ったのよ。まあそれ以外にも、軍が追いかけてきたとなれば、さすがのイークもティノくんたちを地下ここへ連れ込むことに反対できないだろうって狙いもあったんでしょうけど」

「……」

「そういうことに関しては嫌に頭が回るのよねー、あのデカダヌキ。悪いやつじゃないんだけど、やり方が汚いっていうか、目的のためなら手段を選ばないというか……」

「だ……だけどウォルドは、どうしてそこまでして僕を?」

「分からない? 天下のガルテリオ・ヴィンツェンツィオ、その一粒種まで救世軍に賛同したなんて噂が流れれば、私たちの有利に働くでしょ? 人心はますます国を離れて救世軍につく。それにティノくんの身柄が私たちの手中にあれば、ガルテリオ将軍に対する人質として使えるかもしれない。息子を殺されたくなければ官軍から離反しろ、ってね」


 とんでもないことをしれっと言ってのけるカミラを前にして、ジェロディは言葉に詰まった。彼女は事態を大事にしないために、敢えて軽い調子を装ってくれているのだろうか。それでもジェロディは全身に粟が立って仕方なかったけれど。


「だから、ウォルドの言うことはあんまり鵜呑みにしないで。さっきティノくんを私のところに寄越したのも、きっと何か企んでるからよ。大方ティノくんが私たちにほだされて、このままずるずる居座ってくれればいいとか思ってるんだわ。まったく、これだからあのタヌキは……」

「……でも、ウォルドの考えは正しいよ」

「え?」

「息子の僕が言うのも何だけど、父さんは強い。本当に。何せ平和ボケした黄皇国軍の中で、唯一実戦の経験を積み続けているんだ。たぶん互角の兵力でまともに戦って、父さんに勝てる人なんてこの国にはいないんじゃないかって思ってる。その父さんを抑えて国を倒そうと思ったら、僕を引き込むか人質にするのが一番手っ取り早い。ウォルドには勝利への最短距離が見えてるんだ」

「ティノくん」

「合理的、だね。ちょっとびっくりするくらいに」

「だけどそのためなら人の道に反することも平気でやるの? 勝つためには手段を選ばないなんて、ジャンカルロさんを殺した黄皇国軍のやり方と同じだわ。甘いと言われようがガキだと笑われようが、私はそんなの絶対嫌。だって私たちは、そういう黄皇国軍が許せなくて戦ってるんだから」


 ぴしゃりと頬を打った強い言葉に、ジェロディは少し驚いてカミラを見た。彼女はそこで自棄っぱちのようにモシャモシャとサクをたいらげると、小麦粉のついた手を払いながら更にご立腹の様子で言う。


「だいたいね、一緒に戦ってほしいなら正面から堂々と誘うべきよ。それでなくともティノくんは損得とか関係なく自分の意思で民のために戦ってくれたじゃない。そんな人まで騙して利用するなんて、救世軍の名が廃るわ。あいつのせいでもしもフィロの名前が汚れたりしたら、そのときはギッタギタにしてやるんだから」

「……カミラは本当に救世軍が好きなんだね」

「当然! だってフィロは私に生きる理由をくれたんだもの。お兄ちゃんがいなくなって途方に暮れてた私に、新しい居場所を与えてくれた。こんな生き方もあるんだって教えてくれた。そのフィロのためならいくらでも戦えるって、そう思うの」


 だからね、とカミラは言う。


「私はこの先もフィロについていくわ。誰に何と言われようと関係ない。だって私がそうしたいから。それが自分にとって一番正しい道だって思うから」

「自分にとって、一番……?」

「そうよ。だからティノくんも他人の言うことに惑わされたりしないで、自分が一番正しいと思う道を選び取って。その結果がどんなものでも私は文句言わないし、もし言うやつがいればぶっ飛ばしてあげる。他人が選んだことにケチつけんな! ってね」


 そう言ってカミラは屈託なく笑った。

 共にビヴィオ郷庁の獄舎を解放したあの夜のように。

 その笑顔がやっぱり眩しい。それは彼女に迷いがないからだ。

 自分自身の生き方に誇りを持っているからだ。

 僕もこんな風になれるだろうか。

 眩しさに当てられた頭の片隅でぼんやりそう思ったとき、不意に父の声がした。


『ジェロディ。お前はまだ若い。結論を出すための時間はたっぷりとある――その先にある答えがどんなものでも、私は父としてお前の選択を祝福しよう』


(……父さん)


 あの日の父に、心の中で呼びかける。

 お前はお前の人生を生きろ。父は自分にそう言ってくれた。

 ならばたとえその道が理想とはかけ離れていても、父は許してくれるだろうか。

 もしも許されるのなら……。


「……ありがとう、カミラ。僕は――」


 と言いかけたところで、ジェロディはふと背後からの視線に気づいた。

 ……この視線はまたウォルドだろうか?

 いや、さっきジェロディたちは場所を変えたから、ウォルドはここから向かって右手の方向にいるはず。……だとしたらこの視線は?


 そのときカミラも同じ視線を感じたのだろう。

 二人は顔を見合わせて口を噤むと、同時に後ろを振り向いた。

 そこには卓に頬杖をつき、にこにことこちらを眺めるフィロメーナがいた。

 途端にガタッ!と音を立て、カミラが弾かれたように立ち上がる。


「フィ、フィロ!? いつからそこに!?」

「あら、残念。気づかれちゃった。二人ともせっかくいい雰囲気だったのに」

「な、何を言っておられるのでしょうかあなた様は!?」

「そんな風に身構えないでちょうだい。私はあなたの料理がとてもおいしかったからお礼を言いに来ただけよ、カミラ。ただ話かけるタイミングが掴めなくて〝イークがいなくて良かった〟ってあたりからこうして待っていたけれど」

「わりと最初から聞かれてた……!!」


 この世の終わりのような顔をして、カミラは頭を抱えた。……これはしまったな、とジェロディも思う。何せ半分冗談とは言え、副帥であるイークの陰口を言っていたのを総帥のフィロメーナに聞かれてしまったのだから。


「あ、あの、フィロメーナさん、さっきの話は……」

「いいのよ、ジェロディ。心配しないで、本人に告げ口したりはしないから。というか私がここへ来たのは、そのイークが二人を睨み殺しそうな目で見ていたからでもあるの。放っておいたら本当にあなたに危害が及ぶんじゃないかと思って」

「えっ」

「あ、ダメよ。今は振り向かないで。目が合ったら今度こそ殺されるわ」


 美しい声色で紡がれた物騒極まりない言葉に、ジェロディはその場で固まった。隣ではカミラも体を強張らせ、引き攣った笑みを貼りつけている。


「まあ、それはそれとして、宴の方はどう、ジェロディ? 楽しんでもらえているかしら」

「は、はい、それはもちろん……だ、だけど僕がこんな席にお呼ばれするなんて、やっぱり問題があったのでは……?」

「あら、そんなことはないわよ。だってこれはビヴィオでの戦勝を祝う宴。だったらあのとき私たちの勝利に貢献してくれたあなたを招くのは当然のことでしょう? 第一今回の宴の経費はすべてトビアスさん持ちだもの。こんな贅沢ができる機会なんて滅多にないんだから、あなたも思う存分楽しんだ方がいいわ」

「は、はあ……そう、ですね」


 そこに至って、ジェロディはようやく小さな異変に気がついた。――何だかフィロメーナの様子がおかしくないか?

 彼女の性格ならきっと、こんなときに「贅沢をしよう」なんて言わない……ような気がする。ジェロディはまだ彼女と知り合って一月しか経っていないから、断言はできない。でもジェロディの知る彼女なら、教会に内緒で小切手を切ってくれたトビアスに申し訳ないとか、遠慮しようとか言うはずだ。それなのに……。


「あのさ、フィロ。もしかしなくても酔ってるでしょ?」


 と、ときに呆れ顔のカミラが発した一言が、ジェロディに衝撃を与えた。

 ――酔ってる?

 顔色からはとてもそうは見えないが、でも確かにフィロメーナはいつもより断然にこにこしている。何故そんなに機嫌が良いのだろう、と思っていたらそういうことだったのか。


「いやね、カミラ。私は酔ってなんかいないわよ。ただ久しぶりにお酒を飲んで、ちょっと気持ち良くなっているだけ」

「そういう状態を世間的には〝酔ってる〟って言うんじゃないの? だいたいフィロは酔うといつもにこにこしながら変なこと口走るでしょ。それが何よりの証拠!」

「まあ、心外だわ。私、そんなに変なことを言ったかしら?」

「そりゃあフィロは酔った次の日には前日の記憶を綺麗サッパリ失くしてるからね! それでこないだもイークとウォルドを大喧嘩させたばっかりでしょ?」

「あの二人ならいつでも喧嘩しているじゃない。今更問題にすることじゃないわ」

「ほら! そういうの!」

「ふふ、カミラは心配症ね。そこまで言うならどこかで酔いを醒ましてくるけれど、その間ちょっとだけジェロディを借りてもいいかしら?」

「えっ」


 と、ジェロディは二度目の驚きの声を上げた。その声が綺麗にカミラと揃った。


「い、いや、それは別にいいけど、〝どこか〟ってどこで?」

「うーん、そうね。そう言えばジェロディは、古代ハノーク人の遺物に興味があるって言っていたかしら?」

「え、ええ、それはまあ……」

「なら、太古の儀式場なんてどう? ここから歩いてすぐのところにあるのだけれど」

「儀式場――」


 という言葉を聞いて、ジェロディは図らずも胸が高鳴った。未だ世に出ていないハノーク大帝国時代の地下遺跡。そこに眠る古代人たちの儀式場……。

 そんな場所があると言われたら、当然行ってみたくなるのが古代文明愛好家のさがというものだ。そこでジェロディが思わず頷くと、フィロメーナは「決まりね」と笑って立ち上がる。


「それじゃあ、カミラ。私とジェロディは少し席を外すから、その間のことはお願いね」

「え? いいけど〝その間のこと〟って? これから何かあったっけ?」

「そうじゃなくてイークのことよ。彼、私がジェロディと二人きりで中座したなんて知ったら血相を変えて飛んでくるでしょう? だから彼の足止めをお願い」

「さすがにそれは殺されますが!?」

「大丈夫よ。イークはああ見えてあなたには特別甘いんだから。そんなかわいい妹に命懸けで阻まれたら、さすがの彼でも踏み留まるでしょう?」

「今さらっと命懸けろって言ったわよね!?」

「なるべくすぐに戻るから。それじゃ行きましょうか、ジェロディ」

「ちょっ、まっ、待ってってば、フィロ……!」


 カミラの泣き言を笑顔で聞き流して、フィロメーナは歩き出した。一方ジェロディはどうしたものかと迷ったが、振り返った彼女に「早く行きましょう」と催促され、仕方なくついていくことにする。

 ――ごめん、カミラ。

 後ろで困り果てている彼女に謝罪して、ジェロディは内心合掌した。


 どうかカミラに五武神の加護がありますように。



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