89.神子ふたり
地平線がうっすらと黄金の輝きを帯びていた。
雲一つない空に、ほうっと白い吐息が浮かぶ。
星明かりは透き通るような青に溶けて、いつの間にか見えなくなった。
この青さを、何と呼べばいいのだろう。
見上げると心が洗われるような、切なく締めつけられるような。
そんな青を瞳に写し取った少女が今、ジェロディの目の前にいる。
夜明けの色。
その色はどんな夜にも朝が訪れることを教えてくれる。希望の神たるオールの神子にはぴったりの色だ。
たぶん彼女はこの世に生まれ落ちた瞬間から、オールの神子となることが決まっていたのだろうとジェロディは思った。そう考えると、不思議にすとんと納得がいく。それじゃあ自分はどうなのだろう、という疑問が浮かばなくはないけれど。
「なるほどの。よもや黄都がそのようなことになっておったとは……わーたちが最後にオルランドを訪ねたときには、昔と変わりにゃー様子でおじゃったというに」
その美しい瞳をわずか細めながら、光の神子――ロクサーナはそう言った。
ジェロディが語ったこれまでの経緯を彼女なりに俯瞰し、咀嚼し、じっと考え込んでいるようだ。
救世軍によるビヴィオ解放戦の幕は下りた。
彼らは現在ビヴィオの丘の麓に集まり、着々と撤収の準備を進めている。
あちこちで声を張り上げているのは、救出した人々を誘導する若い兵士たち。彼らは事前に用意していた幌馬車の傍に立って、この馬車はどこ行き、あと何人は乗れる――と案内に精を出している。
一方でギディオンを始めとする熟練の戦士たちは、郷庁で捕らえた者たちの監視をしていた。救世軍に生け捕りにされた地方軍兵はざっと三、四十人ほど。その中には当然ながら、女装姿のまま縄を巻かれたあの郷守の姿もあった。
旭日を待ち侘びるように風が吹く。
その風が、馬車のすぐ傍に立てられた一本の旗を揺らした。
白地に青で、翼と星が描かれた旗。
救世軍旗。それが黎明の空にはためくのを、ジェロディは太陽でも見つめるような眼差しで仰ぎ見る。
「ですが驚きました。まさかあのガルテリオ将軍の息子さんが生命神の神子になっていたなんて……さっきカミラさんがおっしゃっていたのは、そういうことだったんですね」
「はい。突然のことで僕自身、正直まだ呑み込めていません。自分が神子に選ばれるなんて、今でも信じられなくて……それでなくともここしばらく、色んなことがありすぎましたから」
言いながらジェロディが右手に視線を落とすのを見て、トビアスは複雑そうに頷いた。少しずつ白み始めた空の下で、青銀色に輝く《命神刻》。
ジェロディはここまでの道すがら、自分が神子に選ばれたこと、そしてそれが原因で黄都を追われたことを光神真教会の二人に打ち明けていた。ロクサーナも同じ神子なのだから、話せば何か力になってくれるのではないか、とフィロメーナが勧めてくれたのだ。
その言葉に背中を押され、ジェロディが真相を吐露すると、二人は驚きこそすれ冷静に話を聞いてくれた。聞けば彼らはこれまでの旅の途中、ジェロディの他にも何人かの神子と出会っているのだという。
たとえば南西大陸にてシャマイム天帝国を打倒し、博愛の国アビエス連合国を築き上げた愛神の神子。たとえば百年以上もの間、アマゾーヌ女帝国に華帝として君臨している美神の神子。
それどころか六百年も前から生きているというロクサーナは、このトラモント黄皇国を築いた太陽神の神子フラヴィオ一世とも共に戦った仲間だという。
どれもにわかには信じ難い話ばかりで、これにはジェロディの方が眩暈を覚えた。この国の始祖を旧友のように「ヴィオ」と呼び、「懐かしい名前でおじゃるの」と笑うロクサーナには脅威すら覚える。
けれど同時に、自分もいずれ彼女のようになるのかと思うと背筋が寒くなった。
これから先、永遠のような長い歳月を生き、いつか今いるこの場所を遠く懐かしむ日が来るのだろうか。それとも長すぎる時間の彼方に、少しずつ何かを置き去りにしてしまうのだろうか……。
「浮かぬ顔じゃの。普通は神子に選ばれたら、もそっと喜ぶものじゃがのう」
と、ときに先輩神子から指摘され、ジェロディはギクリと固まった。
けれど恐る恐る顔を上げてみたところで、ほんの少し拍子抜けする。何故ならそこではロクサーナが、悪戯っぽい笑みを浮かべてこちらを覗いていたからだ。
「まあ、それも無理はにゃーかの。そもじはわーと違ってあらかじめ神子となることが決まっておったわけではにゃーからの。あたじゃ神の代わりに人の子を導けと言われたところで、戸惑うのも道理でおじゃろうもん」
「ロクサーナは、自分が神子になると分かっていたの?」
「無論。わーの一族は代々光の神子として小国を治める碧血の系譜であった。ゆえにわーは幼き頃から、先代の神子である父様の世継ぎとして育てられた。いずれはそなたが次代の神子となり、この国を治めてゆくのじゃとな。じゃけん、己が神子となることに疑いはにゃーったし、父様の跡を継げたことが誇りでおじゃった」
「……怖くはなかった? 人間として生まれたのに、人間ではないものになれと言われても?」
「そうさの。当時はそれが当たり前じゃったき、恐ろしいとは思わなんじゃ。じゃけんじょ今は――ちぃとばかし恐ろしいやもしれんの」
「え? ロクサーナにも怖いと思うことがあったんですか?」
と、トビアスが大袈裟に驚いた瞬間、ロクサーナの右足が彼の脛を思い切り蹴飛ばした。途端にトビアスは「いたっ!!」と叫び、足首を押さえてうずくまる。
そのときジェロディは、「誰のせいじゃと思っとるんじゃ」というロクサーナの悪態を聞いた。ぷいっと顔を背け、かなりの小声で吐き捨てられた悪態だったので、トビアスには聞こえなかったかもしれないけれど。
「しかし厄介なのは、《命神刻》が初めて世に出た大神刻であるということじゃの。こればかりはさすがのわーもその力の仔細を知らぬ。ヴィオが刻んでおった《金神刻》や、ユニウスが生まれ持った《愛神刻》ならば助言のしようもあるんじゃけんじょ……」
「やっぱりロクサーナでも知らないんだね。《命神刻》の力の使い方は」
「うむ。生命神ハイムは死者の魂を導き、命なきものに命を与える神。ならば恐らくそれに類する力が備わっておるはず――じゃけんじょ力の使い方が分からぬというのは、ある意味幸いやもしれんの」
「……どういう意味?」
言葉の意図を計りかねて聞き返すと、ロクサーナはちょっと眉を寄せて自身の胸元を見た。
そこには現在夜明け色のケープがあって、彼女の胸に輝く《光神刻》の姿は見えない。けれどもロクサーナはそれを意識したのだろう、一つため息を落とすと、急に深刻な表情をして顔を上げた。
「ジェロディ。そもじ、神話には詳しいけ?」
「え? うん、まあ……人よりちょっと興味がある程度だけど」
「ならば知っておろうもん。わーを神子に選んだ光神オールは、どちらかと言うと戦いに向かぬ神でおじゃった。歌の神でもあるオールは、戦うことより歌うことで神界戦争に臨む兄神たちを励ましておったそうな」
「うん、それは聞いたことがあるよ。オールの歌には聞く者の心を動かす力があったって。かの神が戦いの歌を歌えば人々は勇気を奮い起こして戦い、祈りの歌を歌えばどんな絶望的な状況でも誰もが希望を失わなかった……確かそんな神話があったよね?」
「いかにも。ゆえにわーの歌にもそのような力が備わっておる。されどいずれにせよ戦いには向かぬ力、それほど強力な力とは言い難い。じゃけんじょ、これがヴィオの刻んでおった《金神刻》ともなると話は別じゃ。この地上にラムルバハル砂漠を生み出したと言われるシェメッシュの《太陽の槌》、ヴィオの振るう剣にはそれと同等の力があった。ゆえにヴィオは己が力を恐れておった――あの者の力は油断すると、味方をも焼き尽くさんとしたからの」
ぞっ、と、背中を再び悪寒が舐めた。彼女がヴィオと呼ぶのはこの国を創り給うた黄祖フラヴィオのことだ。頭の中で再度その事実を確認する。
――だがフラヴィオは恐れていた。己が持つ《金神刻》の力を。
確かに《金神刻》は数ある大神刻の中でも特に強大な力を帯びていたと聞いている。それが味方をも焼き尽くそうとした……?
「大神刻が持つ力というのは、人の身には余るものじゃ。いかな神子と言えどわーたちも元は人間、ゆえに神の力を収めるには卑小すぎる。それが《金神刻》のような、強大な力を持つ大神刻ならばなおのこと。ここだけの話、ヴィオは一度その力を暴走させ、村を一つ焼いておる。始祖の名に傷をつけるので、史書に語られることはにゃーがの」
気がつくとジェロディは、背中に汗をかいていた。神子となった今、この肉体は外気の寒暖を感じないはずなのに、その汗だけがやけに冷たい。
「ヴィオは大きすぎる《金神刻》の力を制御しきれんかったのじゃ。そしてそれと同じことが、いかなる大神刻でも起こり得る。実際、わーはヴィオの他にも同じような神子の姿を見かけた。ゆえにジェロディ、そもじもその大神刻の力は極力使わんようにしんしゃい。さもにゃーと――失わなくて良いものを失うやもしれぬぞえ」
そう言ってロクサーナが目をやった先には、救世軍の手伝いに励むマリステアやケリーの姿があった。
彼女たちは心に傷を負った娘らに寄り添い、努めて笑いかけたり話し相手になったりしている。救世軍には女性が少ないので、彼女たちを慰めるには自分が適任だと考えたのだろう。
そんな二人を見やるロクサーナの眼差しが警告している。
大神刻の力を頼ろうと思うな、と。
それを見たジェロディはもう一度、自身の右手へ目を落とす。途端に手の甲で輝く神の紋章が、ひどく恐ろしいものに思えた。
「――ティノくん」
そのとき背後から名を呼ばれ、ジェロディはびくりと跳び上がる。一瞬大神刻が喋ったのかと思ったが、違った。ジェロディを呼んだのはカミラだった。
「話は終わった? 私たち、そろそろ出発するけど……」
「あ、ああ……それなら僕も行くよ。ロクサーナにはまだまだ聞きたいことがたくさんあるけど、いつまでも引き留めておくわけにもいかないし……」
トビアスとロクサーナは、このままソルレカランテを目指す。そこでオルランドの前にビヴィオの郷守を突き出し、彼の裁決を仰ぐと言う。
第四郷区の真の解放を求めるならば、彼らをこれ以上引き留めるわけにはいかない。そう思ったジェロディが二人に別れを告げようとすると、ときにカミラが何か物言いたげな顔をした。
「……? どうかした?」
「いえ、あの……ティノくん、本当にこのまま私たちと一緒に来る気?」
「え?」
「その、ロクサーナは神子なんでしょ? しかも黄帝と面識がある。ってことは彼女たちと一緒に行けば、今度は黄帝もティノくんの話を聞いてくれるんじゃない? ティノくんだって、なりたてとは言え神子なんだし」
そう話すカミラの口調は何故かちょっとぎこちなかったが、予想外の話を振られてジェロディは目を丸くした。
……そう言われてみれば確かにそうだ。自分は救世軍と共にここまで来たのだから、帰りも彼らと一緒だと無意識に思い込んでいたが、何も絶対そうでなければならないという制約はないのだった。
トビアスやロクサーナの話しぶりから察するに、彼らはたぶん、父と同じかそれ以上にオルランドへ顔が利く。さすがのルシーンも神子の言葉には耳を傾けざるを得ないだろうし、仮にあの女が神殺しを狙う魔女だとしたら、大神刻を持つロクサーナの到来をむしろ好機と捉えるだろう。
そうなればルシーンはロクサーナを殺し、大神刻を奪おうとするかもしれない。しかし彼女の狙いが分かっている今、こちらもその動きに備えることができる。
そこでルシーンが魔女である証拠を掴み、世間に公表することができれば……。
ジェロディはそう順序立てて考えたのち――やがてゆっくりと首を振った。
「いや。僕は行くよ、君たちと一緒に」
「え? で、でも――」
「確かにこのチャンスを逃す手はないのかもしれない。だけど僕には、助け出した人々を故郷まで送り届ける義務がある。彼女たちをあんな目に遭わせてしまったのは、他でもないこの僕だからね」
「い、いや、でも、それなら私たちが代わりにやっておくし、何もティノくんがそこまで責任を感じることは……」
「それでも行きたいんだ。ちゃんとこの目で見届けたい」
「だ……だけど、ティノくんが村へ行ったら、その……前回の戦いで、ティノくんの顔を知ってる人たちがいるかもしれないわ。彼らは地方軍に加勢したティノくんたちのことを、たぶんすごく憎んでる。だから……」
ジェロディはまたも目を丸くした。
そうか。カミラがどこか言いづらそうにしていたのはこのためか。
確かに彼女の言うとおり、これからジェロディたちが向かう村々には、先の戦から生きて逃げ帰った者もいるだろう。そうした者たちがもしジェロディの顔を覚えていたら……。
(いや、というより、まず確実に記憶されてるだろうな)
何せ黄金竜を駆って戦場に降り立ち、ヴィンツェンツィオの名を叫ぶというあの登場は派手すぎた。加えてジェロディの出現と同時に救世軍は劣勢へ追い込まれ、結果多くの村人が虐殺される事態になっている。
彼らにとってジェロディは家族や仲間の仇。そんなところへのこのこと出ていけば、罵詈雑言どころか刃物が飛んできてもおかしくはないだろう。
(カミラはそれで僕を心配して――?)
目の前のカミラは意味もなく前髪を弄りながら、下を向いて居心地が悪そうにしている。余計なことを言ってしまった、と思っているのかもしれない。
けれどジェロディはそのとき、自然と口元が緩むのを感じた。
彼女の言うとおり、この先、村へ向かえばきっと自分はひどい目に遭う。
だけど――。
「ありがとう、カミラ。だけど僕なら大丈夫」
「……本当に?」
「うん。元々僕はあの戦いの責任を取るためにここへ来たんだ。なのに今更逃げ出すわけにはいかないよ。それじゃあ女装までして保身に走った郷守と変わらない」
言いながらジェロディが見やった先には、ギディオン隊の兵たちに囲まれうなだれている郷守の姿があった。自分はあんな恥知らずにはなりたくない。ジェロディのそんな思いが通じたのか、どうか。
「……分かったわ。ティノくんがそう言うなら」
言って、カミラは長い息をついた。そうして顔を上げた彼女は呆れているようでもあり、初めからこうなることを分かっていたようでもある。
微苦笑という表現がぴったりの笑い方で、カミラは笑った。かと思えばつと光神真教会の二人へ向き直り、口を開く。
「ロクサーナ」
「何じゃ?」
「黄帝はあなたたちの話に耳を傾けると思う?」
「あの城にいるのがわーの知るオルランドならばの。わーたちと共に行く仲間の心配をしておるなら安心しんしゃい。護送の任が済んだら必ずそもじらのもとへと帰す。オールの名に懸けて、決して黄皇国軍に手出しはさせぬと約束するき」
「じゃあついでにティノくんたちのことも頼んでいい?」
「うん?」
「彼らが私たちに協力したのは、あの悪徳郷守の手から民を救うためだったって。黄帝にそう伝えてほしいの。元からお尋ね者の私たちはともかく、濡れ衣で追われてるティノくんたちの罪がこれ以上重くなるのは、魔女の思うツボって感じで面白くないから」
「カミラ」
面食らって振り向くと、カミラはニッと笑ってみせた。
その屈託のない笑みに、ジェロディは言葉を詰まらせる。
――どうして僕たちのためにそこまで?
そう尋ねたい衝動に駆られたけれど、答えなんて訊かずとも分かっていた。
たぶんそれが救世軍という組織なのだ。
悪を破り正しきを布く。彼らはそのために戦っているのだから。
「そういうことなら任せんしゃい。オルランドがそんなことも分からんほど耄碌しておるようなら、わーたちがきつーく灸を据えておくき。のう、トビー?」
「あははは……ロクサーナの折檻は洒落になりませんからね。陛下にはそうなる前にお話を聞いていただけるよう努力します。でないともう二度と黄皇国の地を踏めなくなる可能性がありますので」
「大袈裟じゃのう。わーは別にオルランドを取って喰おうなぞとは思っとらんぞえ」
「いつも口より先に手が出る人がそれを言いますか」
「あれはそもじ限定じゃき。わーはその腑抜けた根性を鍛えてやっとるんじゃ、少しは有り難く思いんしゃい!」
「痛いっ!?」
今度はバシン!と背中を叩かれ、トビアスが跳び上がった。そんな二人のやりとりを見てカミラが笑っている。ジェロディもつられて笑った。
それから二人はロクサーナたちに別れを告げ、救世軍と合流する。ジェロディとカミラが肩を並べて戻ってくるのを見たフィロメーナは、何故だか少し微笑ましそうにしていた。
「全員揃ったわね。それじゃあ、出発!」
そのフィロメーナの号令が朝焼けの下に響き渡り、救世軍はゆっくりと動き出した。武装した兵士の列が娘たちの乗った馬車を挟み込む。彼らは皆胸を張り、先頭の馬車が掲げた白い旗を誇らしげに見つめている。
――これが救世軍か。
ジェロディは改めてそう思った。空が白く滲み始める。
彼らの進む先、地平線の彼方から黄金が溢れた。
もうすぐ、夜が明ける。
◯ ● ◯
「……大丈夫ですかね」
夜明けに向かって行進していく彼らを見送りながら、トビアスはつい不安を零した。フィロメーナ率いる救世軍の姿は、少しずつ遠のいて朝日と溶け合っていく。
それが白い太陽に吸い込まれていくように見えて、トビアスの胸はざわめいた。だってこの国では古くから、太陽は王権の象徴だから。
「ティノ坊のこときゃえ?」
「はい。私たちもここまで色んな神子を見て来ましたけど、まさかたったの十五歳で神子に選ばれるだなんて……」
「わーが神子の座を継いだのは十三のときじゃったぞえ?」
「それはロクサーナくらい図太くて無神経なら問題ないでしょうけど、彼はあのガルテリオ将軍の息子さんですから――いたっ!?」
またうっかり口が滑った。おかげで左足を踏み抜かれ、トビアスはその場にうずくまる。
この神子はどうしていつもこう暴力的なのだろう。いや、思ったことがつい口から出てしまう自分にも非はあるが、それは彼女へ向かう信頼と親愛の裏返し。
何せ彼女とはもう二十年も共にいるのだ。だったらもう少し優しくしてくれてもいいだろうに、今更この関係を改めるのは照れくさいのか、ロクサーナは一向に愛情表現の手法を変えようとしない。
「まあ、確かにガルテリオは思い詰めやすい男でおじゃったからの。父親の悪癖を倅が継いでおらねば良いのじゃけんじょ」
「……心配事は他にもあります。一つの土地に二人の神子。乱れた土地に知らず集ってしまったということは――」
「うむ。どうやらわーたちはまた招かれたようじゃの」
腕を組んで佇みながら、ロクサーナはちょっとうんざりした様子でそう答えた。嫌ならば神の声など振り払ってしまえばいいのに、とは、トビアスには言えない。
何せ自分は神僕。ここで神の御心に逆らえば、それはこれまでの己の人生を否定することになるのだから。
「この内乱、もはや小勢力同士の小競り合いだけでは済まぬじゃろう。わーたちも早う黄都へ行って見極めねばならんの。己の身の振り方を」
「ロクサーナは疑っているんですか、あのオルランド陛下を?」
「わーはそもじほど純粋ではにゃーからの。これだけ長く生きておると、嫌でも人間は変わってしまう生き物じゃと思い知る。あの男を一途に信じるには、わーは少々人の世を見すぎてしもうたようじゃ。あるいは人の定命というものは、世界を知りすぎぬために定まっておるのやもしれんのう」
「……」
「そんな顔をするでにゃー。そもじの純粋さは美徳じゃ、と申しておるのじゃ」
「……ロクサーナの褒め方は相変わらず分かりにくいですね」
立ち上がりながら――心が翳ったのはそのせいではない、とトビアスは苦笑した。自分が愚直で単純な人間であることは先刻承知だ。それを今更何と言われようと、別に傷つかないし動じない。
ただ、神の使いとしてこの世を浄化すべく遣わされた彼女の目に、世界が色褪せて見えているのが悲しかった。
彼女が隣にいるだけで、自分の世界はこんなにも鮮やかなのに。
「ま、とにかくまずは黄都へ向かわんことには、にっちもさっちもいかにゃーき。わーたちもそろそろ出発するとしようかの」
「ええ、そうですね……あ、そう言えば、ロクサーナ」
「何じゃ?」
「あのカミラという女性……似ていると思いませんでしたか?」
「あ、めった。わーもそう思うて、別れる前に両親の名を訊くつもりでおじゃったのに、トビーのせいですっかり失念してしもうたわ」
「私のせいにしないで下さいよ」
「そもじがけったいなことを言うて、わーの話の邪魔をしたのが悪いのでおじゃろ? まあしかし、あの者たちとはいずれまた会うことになりそうじゃ。あの娘の出自はそのときに確かめてみればよかろうもん」
「そうですね。ヒーゼルさん、お元気にしてるかなぁ――」
そんな言葉を交わし合いながら、二人は救世軍から借り受けた兵たちのもとへ向かった。彼らは捕らえた郷守と黄皇国兵の傍らに、しゃんと背筋を伸ばして立っている。
こうなると郷守もついに観念したようで、先程からずっとうなだれたままだった。……彼は己の罪を認め、改心してくれるだろうか。でないときっとその罪の重さで、彼の魂は死したのち魔界へ転がり落ちてしまう。
『金と権力に目が眩んで領民を虐殺したような男を、あんたらは許すつもりか!?』
あのイークという青年の怒号が脳裏に響いた。
……分かっている。
それでも自分たちは、迷える魂を救わなければならない。
(そうですよね、ロクサーナ)
だって神々がそのようにおっしゃるのだから。
◯ ● ◯
すべては《神々の目覚め》のために。




