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83.牢の中

 頼りない灯明かりの中で、誰かがずっと啜り泣いていた。

 獄舎は嘆きと悲しみで満ちている。喪失、絶望、諦め、怨嗟……。

 それらの坩堝るつぼと化した闇の中に、三つの足音が響いていた。一つは明かりを手にした獄吏のもの。一つはその後ろに続く細面の男のもの。そしてもう一つが、最後尾を歩くビヴィオの郷守のものだ。


 くりんと先端が巻き上がった顎髭以外、特にこれといった特徴もない中肉中背の郷守は今すこぶるご機嫌だった。場所が場所なら小躍りし、鼻歌でも歌っていたかもしれない。

 何しろ目障りだった反乱軍は蹴散らし、面倒ばかり言う領民どもを黙らせ、中央にコネもできた。あの憲兵隊とかいうやつらは最高だ。


 彼らは〝調査〟という名目で賄賂をせびり、こちらも喜んで金品を差し出したら、今回のことは一切お咎めなしとしてさっさと引き上げていってくれた。なんともまあ話の分かる連中だ。この国も生きやすくなったものだな、と思う。

 それもこれも、すべては先帝フラヴィオ六世陛下のおかげ。

 黄皇国の史官どもはあのお方を歴代黄帝に数えないなどと抜かしているらしいが、とんでもない。


 郷守たちのような人種にとって、あのお方はカリスマだった。

 何せ策謀だけで金と権力を得るためのノウハウをいくつも編み出し、自らが手本となって、あとに続く者たちもそのようにせよと推奨して下さったのだから。


 おかげで郷守も首がつながった。おまけに明日にはまた大金が転がり込む。

 何を隠そう、たった今郷守の目の前を歩いているひょろ長い男は長年懇意にしている奴隷商だ。彼は鉄格子の下りた檻の中を一つ一つ確認し、そこにいる女どもの数、年齢、質を確認している。いわゆる値踏みというやつで、これが済めばあとは具体的な商談を残すのみだ。


 郷守たちが牢の中を覗き込めば、中にいる女たちは抱き合うようにして怯えた。いずれも田舎の娘といった感じの野暮ったい女ばかりだが、目の前の奴隷商は砂王国の人間だから気にはすまい。

 何せあの国の都には女が二割しかいないという。他はみんな傭兵と言う名の砂賊で、街にいる女は娼婦か性奴隷だけだ。

 だからとりあえず女なら何でもいいといった感じで、彼はほとんど選り好みしない。あの国では女は消耗品だから、大量に仕入れられればそれでいいのだろう。


 やがて最奥の牢の中まで見終えると、奴隷商は「ふむ」と顎へ手をやった。いかにもやり手の商人らしい、老獪そうな横顔だ。

 それから腰の物入れへ手をやると、折り畳み式の算盤を取り出し何やら珠を弾き始めた。その珠捌きがまた実に見事で、砂王国にも学のある者がいるのだなと郷守が改めて感心している間に、パチンと最後の珠が音を立てる。


「締めて四十三名、金額にすると五十七金貨シール。まあこれに色をつけて六十金貨ってことでどうでしょう?」

「おお、三金貨も上乗せしてもらって構わんのかね?」

「郷守殿には毎度ご贔屓いただいてますから、これくらいは。それにこの時期、アマゾーヌ女帝国やエレツエル神領国では奴隷の値が吊り上がりますからね。これでも安い方ですよ」

「そういうものか?」

「そういうものです。砂王国ウチの奴隷商は一度に大量の奴隷を買うんで、すぐにシャムシール人だとバレちまいましてね。そうなるとヤツら、決まって足元を見てきやがる。もうすぐ竜人ドラゴニアンの繁殖期が明けて、人間にくが入り用になるのを知ってるんですよ。卵が孵ると、竜人どもはいつもの倍の食糧を要求してきますから」

「ならばこの女どもも竜人にくれてやるのか?」

「さあ、どうでしょ。買い手のつかなかった女はそうなりますかね。あとは肉づきがいいのは竜人の餌にした方が――」

「――やい、そこのヒゲ! そもじがこの町の責任者きゃえ!?」


 と、俄然隣の房から聞こえた声に、郷守たちは目を丸くした。

 見れば鉄格子に取りつくようにして、小柄な人影がこちらを見ている。まなじりを決し、昂然とこちらを睨んでいるのは一人の少女だ。

 途端に郷守は驚いた。見たところ少女は齢十四、五歳程度と思しいが、その見目の何と美しいことか。


 まるで星の光で編んだような白に近い銀髪に、曇りを知らない夜明け色の瞳。肌は砂糖のように白く、それでいて唇は可憐な桃色をしている。

 更に長く反り返った睫毛やほっそりとした指の形……いずれを取っても奇跡のような造形だ。

 まさかあれらの村から攫ってきた娘の中に、こんな上玉がいたとは。郷守がそんな驚きを込めて少女を見やった直後、


「聞いておるのか、そこのボンクラそうな白痴者たわけもの! そもじ、わーをこのような目に遭わせてただで済むと思っておるのきゃえ? さっさとここから出しんしゃい、さもないと生まれてきたことを後悔することになるぞえ!」


 ――とんでもない罵声が飛んできた。

 しかも聞いたことがないようなひどい訛りだ。一体どこの国の者だろうか?

 少なくとも彼女がこのトラモント黄皇国の生まれでないことは、その奇妙な発音と言葉遣いからすぐに知れた。

 どうりであのような田舎に似つかわしくない容姿をしているわけだ、と納得しつつ、この美貌に強烈な異国訛りというのはかなりもったいない。いや、それ以前に何故異国の少女が田舎の村娘たちに混じってこんなところにいるのだろうか?


「おい、娘。私を郷守と知っていてその暴言とは恐れ入るな。悪いが私は今大事な商談の最中なのだ。少し大人しくしていたまえ」

「そう言うそもじはわーが何者かちーとも理解しておらんようじゃの。ようやく姿を現したかと思えば見上げたぽんけでおじゃる」

「何だ、その〝ぽんけ〟というのは」

「そもじらの言葉で言うならば〝手の施しようがないアホんだら〟という意味じゃ!」

「おい、誰かこの小娘を黙らせろ」

「まあまあ、郷守殿。面白い娘じゃないですか。砂王国ではこういう娘の方が高値で売れるんですよ。見目はもちろんですが、気の強い女を屈服させるまでの過程が愉しいとかで」

「悪いけんじょ、わーはそもじらの冗談に付き合うてやれるほど暇じゃにゃー。とにかく早うわーをここから出しんしゃい! もちろん他の娘たちもでおじゃる!」

「それはできない相談だ。一体どこから紛れ込んだのか知らないが、今の話を聞かれてしまった以上はお前も一緒に砂王国へ売られてもらう。まあ、さっき彼が提示した以上の額を身代金として支払ってくれると言うのなら考えないこともないが」

「ならばそれはオルランドに請求するが良い。わーの名前を出せばあやつは百金貨であろうが千金貨であろうがぽんと出そうもん」

「オルランド? オルランドというのはまさか、我が国の黄帝陛下のことを言っているのではあるまいな?」

「わーもずいぶん長く生きておるが、知り合いにオルランドというのはそやつしかおらん。今すぐ黄都へ人をやって〝ロクサーナが来た〟と伝えんしゃい。さすればわーの言葉の真偽も分かろうというものじゃ」


 両手を腰に当て、ふんぞり返って言う少女を前にして、郷守と奴隷商は顔を見合わせた。

 かと思えばどちらからとなく噴き出し、獄舎には二人の男の笑い声がこだまする。途端にロクサーナと名乗った少女が形のいい眉をぴくりと上げた。


「お嬢ちゃん、その機転と度胸は買うがね。時間を稼ぎたいならせめてもう少しマシな嘘をつくことだ。そんな嘘じゃ今時ガキだって騙されやしないぜ」

「……なるほど。そもじらはよほど神罰を受けたいと見ゆる」

「ああ、そうか、今のは神子のフリだったのか。すまんすまん、まあその歳にしては上出来の演技だったぞ」


 郷守が抱腹しながらそう言えば、手を腰に当てたままのロクサーナが深い深いため息をついた。

 かと思えば彼女は半眼になり、呆れとも憐れみともつかぬ眼差しを投げかけてくる。その手がおもむろに胸元へ移った。そこには彼女の瞳と同じ夜明け色のケープがある。


「しょーがにゃーの。ほいなら刮目して見よ。わーこそは――」

「――きょ、郷守様!!」


 そのときだった。

 突然悲鳴じみた声が飛び込んできて、郷守たちは喫驚した。

 何事かと振り向けば、外からやってきたと思しい兵が獄舎の入り口でくずおれている。両手を石の床につき、激しく肩で息をしているところを見ると、どうやらよほど取り乱しているようだ。


「何事だ、騒々しい」

「そ、それが……! ……です……!」

「は? 何だ、聞こえん」

「は……は……――反乱軍です! 反乱軍が夜陰に紛れて、総攻撃をかけてきましたぁっ!」

「……何ィ!?」

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