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80.たとえ愚かであろうとも

「――ほらな、ギディオン。だから言ったろ。この賭けは俺の勝ちだ。お客様・・・は全員ご無事のようだぜ」


 数日ぶりに訪れる救世軍の作戦会議室。その入り口をくぐると、真っ先に聞こえたのはそんなウォルドの軽口だった。

 見れば部屋の真ん中に置かれた机を挟んで、ウォルドとギディオンが向かい合うように座っている。フィロメーナがジェロディたちを連れて外から戻ると、ギディオンはわずか目を細め、ウォルドは満足そうにニヤリとした。


「よう、カミラ。お務めご苦労さん。お前ならきっと上手くやると思ってたぜ――いてっ!?」

「なーにが〝上手くやると思ってた〟よ。大変な役回りを全部私に押しつけといて、よくもまあそんな口がきけるわね! さあ、焼かれるのと爆破されるの、どっちがいい!?」

「お、おい待て、とにかくその暑苦しいのをしまえ。結果として上手くいったんだからいいじゃねえか」

「いいわけないでしょ、このすっとこどっこい!」


 合流するなりウォルドの背中を蹴りつけたカミラは、なおも威嚇しながら左の拳を燃え上がらせた。この腐れ筋肉を焼き殺すための神力は満タンだ。あとは生焼けレア丸焼けウェルダンか、どちらかを選べばいい。

 さーてどちらにしようかな、とカミラが悪鬼さながらの笑みを浮かべていると、ジェロディに少し遅れてケリーが入ってきた。どうやら退路を塞がれぬよう最後にやってきたようだが、途端に彼女の上げた驚きの声がカミラの公開処刑を中断させる。


「な……!? あ、あなたは、ギディオン将軍……!?」


 予想外の反応に、皆が彼女を振り向いた。ケリーとはまだほんの数日の付き合いだが、彼女がこんなに取り乱すなんて珍しいな、とカミラも目を丸くする。

 そんなケリーの視線の先には、相変わらずしゃんと背筋を伸ばして座るギディオンがいた。彼は腕組みしたままジェロディたちへ目をやると、微かに口元を綻ばせる。


「久しいな、ケリー。まさかかような場所でかつての部下と再会することになろうとは、さすがの儂も予想できなんだ」

「えっ、部下!? ケリーさんてギディオンの部下だったの!?」

「さよう。そこにいるティノ……いや、ジェロディの父であるガルテリオは、かつて儂が近衛軍団長の座にいた頃の部下でした。ケリーはその当時、ガルテリオの従者をしておりましてな」

「ということは、あなたが先代近衛軍団長の……?」


 茫然と立ち尽くしたジェロディが呟けば、「いかにも」とギディオンは頷いた。――あれ、そう言えばティノくんって、黄都を出る前は近衛軍にいたって言ってなかったっけ……?


「八年ぶりだな、ジェロディ。お前は覚えておらぬだろうが、当時私はオルランド陛下の下で偽帝軍と戦っていた。お前の顔を見るのはあの戦争以来だ。ずいぶんと立派になったではないか」

「そ、そんな……ですが、かつて近衛軍団長を務めておられたお方が、どうして反乱軍に……?」

「そうです、将軍。私は将軍が軍団長の座をご勇退されたあと、隠居のために黄都をお離れになったと伺いました。なのにこれは……」

「はっ、〝ご勇退〟ね」


 と、ときに奥の壁に凭れたイークが冷笑を漏らした。どうやら彼はそこを当座の定位置として、ジェロディたちと同じ席に着くつもりはさらさらないようだ。


「ケリーさん。ギディオンは表向きには後進に軍団長の座を譲ったという形になっていますけど、真実はそうではないんです。彼は軍団長を辞めさせられた・・・・・・・

「フィロメーナ様、そのお話は」

「いいえ、ここは真相を話すべきよ、ギディオン。あなたの気持ちも分かっているつもりだけれど、私は救世軍の総帥として――いえ、あなたの仲間の一人として、これ以上あなたの名誉に傷がつくのは耐えられないわ」


 フィロメーナがきっぱりとそう言えば、ギディオンもそれ以上は何も言わなかった。ただ諦めたように嘆息をつき、静かに瞼を伏せただけだ。


「待て。将軍が軍団長を辞めさせられただと? そんな馬鹿な話が――」

「そんな馬鹿な話が罷り通るのが、今のトラモント黄皇国という国です。彼は今から二年前、公衆の面前で黄帝を諫めたの。腐敗しきった黄皇国の内情を見かねて、汚職に手を染める佞臣ねいしんたちから弱き人々を守るべきだとね」

「そしてその結果、黄帝は近衛軍団長の更迭という形でそれに応えた。二十年もの間自分に仕えてくれた男を、邪魔になった途端ゴミのように捨てたんだ。余計な騒ぎが起きないよう、表向きには〝本人の意向による勇退〟ということにしてな」


 棘のある言葉つきでイークが言い、それを聞いたジェロディたちは絶句した。ただでさえ不測の事態の連続で混乱しているというのに、もはや何から驚けばいいのか分からないといった様子だ。

 けれど、ギディオンが軍を辞めて救世軍に入った経緯はカミラも知っている。黄帝がギディオンを追放したのは、保身に走った奸臣どもに讒言ざんげんを吹き込まれたからだ、とギディオンは言った。悪いのは黄帝ではなく、彼を操り利用せんとする貪官汚吏たんかんおりの方だ、と。


 その話を聞いたときには、カミラも腸が煮え繰り返った。そんな目に遭わされてなお主を庇おうとする忠義の士を、あのオルランドとかいう暴君はあっさりと切り捨てたのだ、と思った。

 だからカミラには今の黄帝が暗愚に思えて仕方ない。ギディオンはそれは違うと言うけれど、黄皇国がこんな有り様になった責任はやっぱり国を治める王にある、と。


「で、では将軍は、その件が原因で陛下を見限られたと……?」

「まさか。ガルテリオはお前たちに教えなかったか。主が道を過とうとしているときにはそれを諫め、正しき道へいざなうのが臣下の務めだと」

「……確かに父もそう言っていました。つまり将軍は、もう一度陛下へ呼びかけるために……?」

「さよう。たとえ咎人とがびとに身を落とそうと、儂の忠義は常に陛下の下にある。フィロメーナ様はそんな儂の我が儘を快く聞き入れて下さった。ゆえにお前たちがこのお方を害そうと言うのなら、儂も手心は加えぬ。たとえかつての部下とその身内であろうともな」


 瞬間、ギディオンの体からぶわっと発せられた殺気に、ジェロディたちが凍りつくのが分かった。それでなくとも彼は軍人時代に『剣鬼』と呼ばれ、その圧倒的な強さから皆に恐れられていたという強者だ。

 元近衛兵のジェロディたちも噂は知っているのだろう。彼らは最後の戦意も挫かれたように立ち竦んだ。もっともギディオンも、よほどのことがなければ剣を抜いたりはしないだろうけど。


「で、ですが将軍、ならばその一件をセレスタ将軍はご存知で……?」

「ああ、もちろんあれ・・も知っている。他でもない離縁の理由だからな」

「そんな……だとすればあのお方は、すべて知っていてなお近衛軍を率いておられるのですか? ご夫君と敵対することになるというのに?」

「ふふ、あれ・・は元々そういう女よ。だからこそ儂も一時はあれを伴侶とした。陛下のお傍にあの偏屈がついておるのなら、むしろ安心というものだ」


 ギディオンが口髭を綻ばせてそう言えば、ケリーがぎゅっと唇を噛んだ。彼女の拳は体の横で握り締められ、小刻みに震えている。

 そう言えば前に、ギディオンには妻がいたと風の噂で聞いたっけ。それがケリーの言うセレスタという名の将軍ということか。

 しかしギディオンの元妻が軍人というのは、カミラも初めて知る事実だった。しかもその人は今の近衛軍団長? ということはジェロディたちはついこの間までギディオンの元妻の部下だったということか……。


「まあ、とにかくこのまま立って話すのも何だわ。あなたたちもどうぞ座ってちょうだい。そしてもう一度聞かせてほしいの。黄都を追われたいきさつを」


 フィロメーナに勧められ、ジェロディたちはおずおずといった様子で空いている席についた。カミラはフィロメーナと共に、そんな彼らの向かいの席へ腰を下ろす。

 それから三人は訥々と、自分たちが謀反の濡れ衣を着せられるに至った経緯を話し始めた。カミラやウォルドには既に知られてしまった手前、隠しても無駄だと思ったのだろう、話の最中にジェロディは右手の手套を外す。


 そこに刻まれた《命神刻ハイム・エンブレム》を目にすると、これにはさすがのフィロメーナたちも息を飲んだ。カミラも姿を拝むのはこれが二度目だというのに、やはり全身に粟が立つ。

 この世にたった二十二個しかないと言われる、幻の大神刻グランド・エンブレム。そのうちの一つがたった今、自分たちの目の前にある。

 途端にフィロメーナは神妙な面持ちになり、ギディオンも低く唸った。イークだけはカミラたちの背後に佇んでいるので、彼がどんな表情をしているのかは分からない。


「なるほど……それであなたは黄都から落ち延びてきたのね、ジェロディ。その大神刻をルシーンに渡せば、今度こそ取り返しのつかないことになると思って……」

「はい。だけどそれもウォルドの話を聞いて確信に変わりました。もしもルシーンの目的が神の魂の破壊なら、なおさらこの神刻エンブレムを渡すわけにはいかない……ハイムはすべての生命いのちを司る神です。そのハイムの魂が破壊されれば、魂の循環は途切れ、種は芽吹かず、きっと世界中が死の荒野になってしまう」

「そうなったら世界の終わりだ。なのにお前はその大神刻を持ったまま、またほいほい黄皇国くにに戻るつもりか?」

「ウォルド」

「ここまで来たら腹を探り合ったってしょうがねえだろ。単刀直入に言うぜ。ティノ、お前このまま救世軍に入らねえか?」


 カミラの制止をものともせず、身を乗り出してウォルドは言った。すると案の定と言うべきか、ジェロディは目を見開き、ケリーは殺気立ち、マリステアに至っては髪の毛を逆立てている。


「な、な……何を言い出すんですか、藪から棒に! 冗談じゃありませんよ、どうしてティノさまが反乱軍なんかに入らなくちゃいけないんです!?」

「ルシーンを倒して、エマニュエルを守るためだ。知ってのとおり、大神刻ってのは神子が死なねえ限りその身を離れることはねえ。つまり普通の神刻と違って、好きなときにつけたり外したりできる代物じゃねえってことだ。それは言い換えれば、ティノとルシーンが生きてる限りハイムの魂が危険に晒されるってことだろ。だが俺たちならお前を守ってやれる。ついでに言えば、ルシーンを討つのも手伝ってやれる」

「そんな口車に私たちが乗ると思うか。ティノ様のお父上は、天下の大将軍ガルテリオ・ヴィンツェンツィオ様だ。お前はそのお父上に矛を向けろと言うつもりか」

「なら逆に訊くが、その天下の大将軍サマはお前らを守ってくれるのか? 黄帝暗殺なんてとんでもねえ罪を犯して、自分の顔に泥を塗ったお前らを」

「馬鹿な、それは濡れ衣だとお前も知っているだろう!」

「濡れ衣だろうと何だろうと、ルシーンの手にかかればすべて真実だ。お前らはあの女の本当の怖さを分かってねえんだよ。だいたいさっきのギディオンの言葉を借りるなら、馬鹿をやらかそうとしてる主君を諫めるのが家来の役目だろ? なのにお前らの父親ときたら、あの女を野放しにしっぱなしだ。本当にこの国のことを想うなら、たとえ汚名を被ってでもルシーンを討つのが本物の忠臣ってもんなんじゃねえのか。ここにいるフィロやギディオンのようにな」

「お前……! ガル様を愚弄する気か!」

「落ち着け、ケリー。ガルテリオに儂と同じ道を歩めとは言わぬ。だがウォルド殿の言うことも決して的外れではない。たとえ息子の命を危険に晒すと分かっていても、あやつにルシーン様は斬れんだろう。ガルテリオはそういう男だ」

「ギディオン将軍……!」

「そんな顔をするな。あの男を腰抜けと嘲笑っているわけではない。むしろそれがあの男の忠義だ。たとえ国を滅ぼす悪女と分かっていても、陛下が守りたいとおっしゃるのなら、あの男は命を懸けてルシーン様を守り抜く」


 ギディオンの言葉は、カミラも胸を衝かれるほどの重みを帯びていた。長年上官としてガルテリオを見てきたからこそ断言できる、確固たる真実……。

 これにはケリーも唇を噛み、それ以上反論しなかった。隣ではマリステアが物言いたげにしているが、やはり言葉は出てこないようだ。


「愚直だな。長年外敵から国を守ってきた男が、今度は国を滅ぼすために戦うのか。そんなのは自分のこれまでの生き方を否定するようなもんだろうが」

「それを矛盾と分かっていながら、曲げられないのがガルテリオという男なのです、イーク殿。端から見れば、あの男の生き方は実に愚かしい。しかしだからこそ、あれは儂の自慢の部下です」

「……もしもこの場にいたら、父もきっとあなたを自慢の上官だと言うはずです、ギディオン将軍」


 ジェロディが静かにそう言えば、ギディオンも目尻の皺を綻ばせた。やはり元軍人同士、この二人には何か通じ合うところがあるのだろう。


(……私だったら、どうするかしら)


 と、カミラは思う。

 たとえばもしフィロメーナが、この先道を過つことがあったら。

 そのとき自分は彼女を止めるだろうか?

 それとも共に堕ちることを選ぶだろうか……?


「とにかく事情は分かったわ。だけど急に仲間にならないかと言われたところで、あなたたちも困惑するだけでしょう。今は相談する時間が必要なはず。どのみち地上うえでは地方軍による捜索が続いていて身動きが取れないし、その間にどうすべきか考えてみたらどうかしら?」


 と、そこでフィロメーナが穏やかに言い、ジェロディたちが顔を上げた。場の空気がピリピリし始めたので、渡りに船だと思ったのかもしれない。


「フィロメーナさんは、どう思っているんですか? やっぱり僕たちを仲間に加えたいと……?」

「いいえ。もちろんあなたたちが味方になってくれたら嬉しいけれど、無理にとは言わないわ。私もかつてガルテリオ将軍から恩を受けたの。返しきれないほど大きな恩を……それを仇で返すつもりはないわ。だけど、一つだけ言わせてもらってもいいかしら?」

「何ですか?」

「あのね、ジェロディ。たとえあなたが国へ戻ろうと戻るまいと、これだけは覚えておいて。あなたが今日までに見たもの、聞いたものは紛れもない真実なの。それから目を背け、口を噤むと言うのなら、あなたも国を腐らせる佞臣たちと同じ。もしもあなたがそうすることを選ぶなら――そのときは民の敵として、私たちはあなたを討つ」


 ぞっと、ジェロディがフィロメーナに圧倒されたのが分かった。彼を見つめるフィロメーナの眼差しは真剣で、少しの嘘も迷いもない。人生を捧げる覚悟で救世軍を率いている彼女の、白刃にも似た言葉。

 それに胸を貫かれ、ジェロディは赧然とうつむいた。たぶん、彼は恥じているのだろう。ビヴィオの真実を知りながら口を噤み、郷守の不正を認めた自分を。


「私から言うべきことは以上よ。カミラ、あなたは彼らをどこか静かなところへ案内してあげて。きっと三人だけで話せる場所が必要でしょうから」

「分かった。それじゃあ、行きましょうか」


 たぶんこのままここにいても、空気が悪くなるだけだ。そう判断したカミラはフィロメーナの指示に従い腰を上げた。今のところ彼らと救世軍カミラたちは水と油。すぐに歩み寄れるとは思っていない。

 けれど、彼らはカミラたちの話を聞いてくれた。そしてフィロメーナも彼らに手を差し伸べてくれた。

 あとはジェロディたちがどんな結論を出すのか、それだけだ。

 ふと目をやった先ではイークがまだ殺気立っていたけれど、そちらはひとまず無視するしかない。いくらジェロディたちと因縁があるとは言え、彼もいきなり斬りかかるほど馬鹿ではないだろうと信じつつ。


「――カミラ。そいつらが妙な真似をしないよう、お前が責任を持って見張っておけよ」


 ……ほら、ちゃんと前置きしてくれた。何かあったら全部お前の責任だと言われたような気がしなくもないけど、逆に言えば、何もなければジェロディたちを斬ったりしないと言ってくれたのだ。たぶん。


「イークさん」


 と、そこで突然ジェロディがイークを呼ぶので、カミラはぎょっとした。できれば今はイークの神経を逆撫でしないでほしいのだけど、そんなカミラの心配を知ってか知らずか、ジェロディは言う。


「ビヴィオでのことは、本当にすみませんでした。謝って済むことじゃないのは分かっています。開き直るつもりもありません。ただ……あのときあなたに言われたことを、もう一度よく考えてみます」


 ジェロディの言葉に、イークは何も返さなかった。

 ただ灯明かりに照らされた青い瞳が、炯々とジェロディを見据えている。

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