79.一悶着
広げていた荷物を片づけ、急ぎ脱出の準備を整えた。
向こうでジェロディが腰に剣を佩いている。隣ではケリーが外套を羽織り、マリステアは寝台の皺を伸ばしている最中だ。
この部屋には初めから誰もいなかった。
追っ手の目を誤魔化すために、そうしようと皆で決めた。だからここに自分たちがいた痕跡は徹底的に排除する。カミラは窓の傍らに張りついて外の様子を窺いながら、ざっと室内を見渡した。
……私物の置き忘れはもうない。あったとしても多少のものなら前の客の忘れ物として誤魔化せる。
ジェロディたちがくつろいでいた寝台も、あと少しで元どおりになりそうだ。そのあたりはさすがお屋敷のメイドと言うべきか、マリステアが慣れた様子でてきぱきと対応してくれた。
そんなカミラたちを眺めつつ、部屋の片隅でジョンが怯えている。彼の話によれば、現在ロビーでカールが足止めしているという黄皇国兵はこの町の地方軍らしい。
人数は二十人ほど。それがジェロディを捜索するため、宿中の部屋を改めると言っている。抜かったな、とカミラは内心舌打ちした。この宿が救世軍の拠点であることは町の郷守も知っている。
だから踏み込まれることはないと油断していた。救世軍を率いるフィロメーナ・オーロリーはロカンダにいる――という噂が全国に広まっていながらこれまで地方軍が動かなかったのは、救世軍から郷守へと賄賂が渡っているからだ。
「毒をもって毒を制す」
と、フィロメーナは言っていた。いずれこの国を根底から改革するためには、小さな汚点になどかかずらってはいられないと。
つまり彼女は黄皇国の腐敗を逆手に取り、救世軍を守るための盾としたのだ。だから郷守はこれまでどんなに通報が行こうと、それを握り潰して動かなかった。救世軍を庇護していれば自分が襲われることはないし金まで転がり込んでくる。そんなうまい話があれば、まあ大抵の者が同じ選択をするだろう。
けれど今回の通報はカミラたち救世軍に関わるものではない。あくまで黄都から通達のあった謀反人ジェロディ・ヴィンツェンツィオに関するものだ。
だから動かなければ怪しまれる。恐らく郷守はそう判断したのだろう。おかげで下手をすれば救世軍も共倒れだ。それだけは何としても避けなければならない……。
「カミラ、準備できたよ」
部屋の奥からジェロディが声をかけてきて、カミラは小さく頷いた。三人は元の旅装に戻り、荷物もまとめていつでも動ける状態でいる。
それを確認したカミラは、腰の物入れから一本の鍵を取り出した。
『022』という札が下がったこの部屋の鍵だ。カミラはその鍵を握り締めると、顔を上げてジョンを呼んだ。
「ジョン、聞いて。あなたにお願いがあるの」
「な、何?」
「この鍵を、黄皇国兵にバレないようにお父さんへ返してきて。帳場へ行ってこう言えばいいわ。〝お父さん、これお母さんに頼まれたよ〟って」
「お、お父さんに……?」
「そう。そう言えばお父さんもすぐに分かってくれるから。お願いできる?」
「……」
「もしも難しいようなら――」
「――だ、大丈夫。ぼくがやる」
上擦った声でそう言うが早いか、ジョンはカミラの手から鍵を受け取った。その目は戸惑いで揺れているものの、引き結ばれた唇に彼の覚悟が滲んでいる。
「こ、これを、お父さんに渡せばいいんだよね」
「ええ、そうよ。だけど本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ。だってぼくも、お姉ちゃんたちみたいな立派な戦士になるんだもん。だから、これくらいなんてことない」
精一杯の虚勢を張って、ジョンは決意の眼差しを向けてきた。それを見たカミラは微笑んで、ジョンの前にしゃがみ込む。
「じゃあお願いね、小さな戦士さん。だけど危ないと思ったら無理しちゃダメよ」
「うん。でも、本当に危ないときはお姉ちゃんたちが助けてくれるでしょ?」
「もちろん。だから何も心配いらないわ」
やわらかなジョンの頬を両手で挟み込み、カミラはにっと笑ってみせた。するとジョンも勇気づけられたようににっと笑い、素早く身を翻す。
彼が廊下の向こうへ走り去っていくのを見届けて、カミラは部屋の扉を閉めた。しっかりと鍵もかけ、そこに覚悟の吐息を落とす。
「しかしカミラ、逃げると言ってもどこへ? 恐らく外はもう軍に包囲されている。だとすれば身を隠せる場所はこの宿の中しかないぞ」
「……それなんですけど」
と、背後にいるジェロディたちを振り返り、カミラは最後の迷いを捨て去った。こうなった以上はケリーの言うとおり、宿の中で身を隠すしかない。そして追っ手の目を確実に欺ける場所と言えば……。
「隠れる場所についてはあてがあります。少し待っててもらえますか?」
「それはいいが、恐らくもうそんなに時間はないぞ」
「大丈夫です。すぐに準備できますから――」
言うが早いかカミラは歩き出し、まっすぐ奥の衣裳棚へ向かった。
そうして扉を開け、慣れた手つきで仕掛けを操作する。下段の引き出しを引っ張り出して、中にある鍵を二つ外し、更に物干し棒を右へ押し込む……。
すると「ガコッ」と音がして、底板がわずかに浮き上がった。カミラはそこに指をかけ、衣裳箱でも開けるみたいに持ち上げる。
冷たい風がふっと階段を駆け上がってきた。
その風に髪を攫われながら振り向けば、ジェロディたちが唖然としている。
「ここです」
「え……い、いや、〝ここ〟って……?」
「この下が私たちの本当のアジトなの。仲間しか知らない抜け道だから、ここに逃げ込めば追っ手に見つかることもない」
「つ、つまり地下ってこと? どうしてそんなところに……」
「説明はあと。とにかくまずは入って、時間がないから!」
カミラは混乱している三人を衣裳棚へ押し込むと、最後に自分も穴へ下りた。棚の直下には扉と底板を開閉するための槓桿があって、迷わずそれを引き下ろす。
最後に聞こえた「カチッ」というのは、再び鍵がかかる音だ。カミラは間違いなく仕掛けが作動したことを確かめると、右手に炎を呼び出した。闇に埋もれていた階段が赤色に照らされる。
「これでもう大丈夫。ほとぼりが冷めたら知らせが来ると思うし、しばらくはここで待ちましょう」
「そ、それはいいが、この階段の先にあんたらの拠点があるのかい?」
「はい。たぶんウォルドもこの先に……」
「で、ですが、それならどうして先に教えて下さらなかったのですか? こんなところに隠し部屋があるなんて……」
「ごめんなさい。ここのことは、団長の――リーダーの許可がない限り教えちゃいけないことになってるから」
答えながらどうにか平静を装って、カミラは自分の旅荷をあさった。そこから小さな角灯を取り出し、右手の炎を中へ移す。
それをジェロディたちに差し出して、立ち上がった。自分の明かりはこの神術で十分だ。カミラは一同の先頭に立ち、慎重に階段を下り始める。
「とにかく、詳しい事情は下りてから話します。ついてきて下さい」
ジェロディたちは困惑したように顔を見合わせていたが、やがて従うしかないと判断したのだろう、大人しくカミラについてきた。
一方のカミラは階段を一段下りるごとに、動悸が早鐘になっていく。――どうしよう。ついに連れてきてしまった。まだフィロメーナの許可も出ていないのに。でも、他にどうしようもなかった。
ここまで来たらもういっそ正体も打ち明けてしまおうかと思ったが、さすがにそれは気が早いか。何しろ階段は足場が悪いし、今のままでは三対一だ。
そんな状況でもしも戦闘になったりしたら、確実にカミラの方が分が悪い。打算的な自分にうんざりしつつも、やはり今はまだ真実を話す勇気がなかった。
そうしてしばらく階段を下っていくと、やがて『始まりの広間』に辿り着く。五百人程度なら一度に収容できる、元は神殿だったと噂の広間だ。
そこへ至ると、ジェロディたちは感嘆の声を上げて広間を見渡した。幸い今は広間に人はいない。いや、それが本当に〝幸い〟なのかどうか、カミラには判断しかねるけれど。
「す、すごい……これ、カミラたちが造ったのかい?」
「ううん。これは元からここにあったの。大昔の町が《大穿界》のときに灰を被って、そのまま埋もれちゃったんだって」
「《大穿界》? それより前にあった町、って……つまりここはハノーク大帝国時代の遺跡ってこと?」
「そう。まだ一度も公にされてない秘密の遺跡よ。ロカンダは古代人の遺跡の上に造られた町なの」
カミラがフィロメーナたちから聞き囓った知識を披露すれば、ジェロディたちは絶句していた。しかしやがて何かに呼ばれたように、ジェロディがふらふらと歩き出す。
彼は広間の壁に近づくと、混凝土に半分埋もれた柱を見上げた。それからそっと手を伸ばす。わざわざ手套を外し、ザラザラとした壁の感触を確かめ、かと思えば今度は頭上の燭台へ目を移す。
「……これ、常灯燭だ。クアルト遺跡にあったものと同じだよ」
「スカンス?」
「それにこの壁と柱……彫刻の造形を見る限り、始世期末期のセレン様式だ。まさか町の地下にこんな遺跡が眠っていたなんて……今まで読んできたどの文献にもそんな記述はなかった。いや、だけど復元された大帝国時代の地図を見れば、あるいはこの町の名前も載ってるかも――?」
すらすらとジェロディの口を衝いて出てくる謎の言葉に、今度はカミラが疑問符を振り撒いた。当のジェロディは何故かいたく感激した様子で、更に奥まで勝手に歩いていってしまう。
「あ、あの、ティノくん!? 待って、勝手に歩き回ると迷子に……!」
「大丈夫、ちょっと向こうの柱も見るだけだから」
「は、柱って……」
「悪いね、カミラ。ティノ様はああ見えて考古学者も顔負けの遺跡愛好家なんだ」
「い、遺跡愛好家?」
「ティノさまのお母さまであるアンジェさまは、優秀な考古学者だったんです。ティノさまもその影響で、昔から古代ハノーク人にまつわるものが大好きで……」
「こ、コーコガクシャ……?」
「まあ、簡単に言えばハノーク大帝国の歴史や遺跡を研究する人のことだね。古代ハノーク文明は未だに謎が多いからね。ティノ様はその謎を解き明かそうと献身するアンジェ様のお姿を見て育ったんだ。もしも軍人になる道を選ばなかったら、きっと今頃は学者になっておられただろうさ」
……やっぱりよく分からないが、とりあえずジェロディは母親の影響で遺跡が大好きということか。変わった趣味だなと思いつつ、それじゃあウチの郷なんかに来た日にはどんな反応をするんだろう――などと想像しかけて首を振る。
いやいや、冷静になれカミラ。今はそんなことを考えてる場合じゃない。ここは救世軍本部のど真ん中で、いつその辺やあの辺からひょっこり仲間が現れるとも分からないのだ。
そうして誰かと鉢合わせでもしようものなら、きっとすぐに騒ぎになる。だけどカミラとしてはできる限り穏便に話を済ませたい。
そのためにはさっさと先へ進まなくては。カミラは「それならあとでじっくり案内するから」という甘言でどうにかジェロディを呼び戻すと、急いで神殿の外を目指した。つまり町へ出たということだが、言わずもがなそこに広がるのはロカンダの町並みではなく土に埋もれた古代の町だ。
あちこちに燭台――確かジェロディはさっき〝スカンス〟とか呼んでいた――が設けられた古き都は、カミラが初めて訪れた頃と変わりなかった。町中に張り巡らされた水路、乱雑に立ち並ぶ民家、かつては多くの商店が軒を連ねていたと思しい目抜き通りに入り組んだ路地……。
カミラはその中から敢えて迷路のような路地を選んで槍兵屋敷を目指した。理由は人目を避けるためと、ジェロディたちに遺跡内部の構造を把握されないようにするためだ。
我ながら狡猾だと思うが、もしこのまま彼らを屋敷まで連れていき、交渉が決裂したら戦いになる可能性がある。そうなったときまんまと脱出されては困るのだ。
いかな黄皇国の腐敗を憎む同志とは言え、彼らは元々軍の人間。しかも父親はあの国士無双のガルテリオ・ヴィンツェンツィオだ。そんな者たちを生きて返せば、後々救世軍の命運を左右しかねない……。
(でも、ティノくんは生命神の神子だわ)
神に選ばれし者を己の都合で闇に屠る。
そんなことが果たして許されるのだろうか? どのみち神子を手にかければ神々の怒りを買い、救世軍の命運は尽きるのでは……?
悶々としたまま、ついに槍兵屋敷の前まで辿り着いた。
現代の建物に比べれば小さいが、かつての権力者の屋敷らしく堂々とした佇まいのそれを見て、ジェロディたちは圧倒されている。
だがカミラは入り口を潜る前に青褪めた。
何故って聞こえる。屋敷の奥で、誰かと誰かが激しく言い争っている声が。
いや、この際敢えて〝誰かと誰か〟なんて言い方をしなくてもいい。これは間違いなくアレだ。イークとウォルドだ。
さすがに細かい話の内容までは聞き取れないが、明らかに不穏な空気が屋敷の奥から漂ってくる。ああ、やばい。これはやばい。何だか気が遠くなってきた。叶うことなら、今すぐ走って逃げ出したい。
「……おい、カミラ。どうも中で何か揉めているようだが……?」
「う、うん……まあ、大丈夫です、これはなんというかその、ハノーク語で言うところの〝日常茶飯事〟というやつで今に始まったことじゃないというか……」
「だけどここには、団長さんの許可が下りた人しか入れないんだろ? そんなところに僕らを連れ込んだと知れたら、カミラの立場が危ういんじゃ……」
「そ、そうね……立場というか、命というか……」
「い、命まで取られるんですか!? そ、そそそれならわたし、ここまで見聞きしたものは頑張って全部忘れますよ……!?」
「い、いや、一度知っちゃったものはさすがに忘れられないと思うけど……でも、見なかったふりならできる、かな」
「ですが上にはまだ追っ手がいます。しばらくはここに身を隠すしか――」
「――おい、そこに誰かいるのか!?」
そのときだった。
突然屋敷の奥から殺気立った声が聞こえて、カミラたちは仲良く跳び上がった。
――まずい。この声はイークだ。
気取られた。足音が向かってくる。
まずい。ほんとにまずい。とてもまずい。死ぬほどまずい。
(この状況でイークとティノくんたちが鉢合わせたら……!)
まず間違いなく、問答無用で殺し合いになる。そう悟ったカミラは慌てて一歩踏み出した。とにかくまずはイークを止めなければならない。そのためには自分が行って時間を稼ぐしかない。
彼を説得できる自信は残念ながら皆無だけれど、せめて何か弁明くらいは――
「あ」
――と思って、屋敷の正面に飛び出した矢先のことだった。
扉のない入り口から、イークが姿を現した。
一歩遅かった。
彼の視線はまずカミラを見、それからちょっと離れたところにいるジェロディたちへ向けられる。
「あ」
そこでジェロディたちも同じ声を発した。カミラは頭を抱えた。
ジェロディとイーク、双方の眼がみるみる見開かれていく。
……終わった。
カミラがそう確信した刹那、古の町にマリステアの絶叫が響き渡る。
「あ、あ、ああぁあぁああっ!? あっ、あっ、あなたはこの前、ビヴィオでオーウェンさんをひどい目に遭わせた……!?」
「ジェロディ・ヴィンツェンツィオ……!? なんでお前がここにいる!?」
「そ、それはこっちの台詞です! どうしてカミラさんのお仲間がいるはずの場所からあなたが……!?」
「カミラ? お前がこいつらを連れてきたのか? お前はまだ上にいろって、カールにそう伝えただろ!」
「カール? ということは、あの亭主も……!?」
「か、カミラさん……まさか、カミラさんは反乱軍の一員だったのですか……!?」
「なら傭兵団に所属しているというあの話は嘘か……!」
「そ、そんな……それじゃあわたしたち、今までずっと騙されて……!?」
「そういうことなんだろ、カミラ!」
「カミラ、どういうことだ! 説明しろ!」
カミラはますます頭を抱えた。そのまま小さくなって消えてしまいたかった。
だから嫌だって言ったのに、だから嫌だって言ったのに、だから嫌だって言ったのに! どうしてこうなったかって? そんなのはウォルドに訊けと言いたい。声を大にして言いたい。
けれど当のウォルドは一向に姿を見せる気配がない。さては自分だけ火の粉を免れるつもりか、あの卑怯者!
「くそっ……やっぱり最初の自分の勘を信じるべきだったよ。どうりで話がうますぎると思ったんだ……!」
「い、いや、あの、ちょっと待って下さいケリーさん――」
「私たちをここへ連れ込んだ理由は何だ? ティノ様を人質にガル様を強請るつもりか? だとすればこっちも容赦はしないぞ!」
「い、いえ、ですからその――」
「何だ、やる気か? だとしたら好都合だ。この場所を知られたからには、お前らを生かして帰すわけにはいかない。ついでにビヴィオでの借りを返してやる……!」
「ちょ、だからイークも少し落ち着いて――」
「ティノ様、お下がりください。ここは私が!」
「ティ、ティノさまをお守りするためならわたしも戦います!」
「そ、そんな、マリーさんまで――」
「ふん、女に守られて震えてるだけとはいいご身分だな、ジェロディ。悪いがこっちも手加減はしないぞ」
「あのー、皆さーん、まずは私の話を――」
「行くよ、マリー!」
「はいっ!」
「来い。一瞬で終わらせてやる……!」
「ああ、もう! だから私の話も聞いてって言ってるのに――!」
「――ストップ!!」
瞬間、思いがけないほど大きな声が、カオスに陥りつつあったカミラたちの頭を打った。
耳鳴りを呼び起こすほどのその声に、全員がぴたりと動きを止める。と同時にカミラは安堵しすぎて泣きそうになった――ああ、私の救世主!
「ど、どういうことなの、これは……」
イークに続いて屋敷の入り口から現れたフィロメーナは、そう言いながらしばらく胸を押さえていた。どうも今まで出したこともないような大声を出したせいで、ちょっと息切れしているらしい。
「あ、あの、えっと、ただいま、フィロ。勝手に人を連れ込んでごめんなさい。だけどこれにはナンディラの滝より深い理由があって……」
「おかえりなさい、カミラ。大丈夫よ、話はウォルドから聞いているわ」
「で、でも、私……」
「あなたが言いつけを破ってここにいるということは、上で何かあったのね?」
「う、うん……」
「だとしたら仕方がないわ。イーク、まずは剣を収めて」
「待て、フィロ! こいつらは……!」
「いいから収めて。それからそちらのお三方……ケリーさんとマリステアさんと、ジェロディだったかしら? 仲間の非礼はお詫びします。ですから一度武器を収めていただけませんか?」
「〝フィロ〟……ということはあんたが今の反乱軍を率いてるっていう、フィロメーナ・オーロリーか」
「ええ、そうです。できれば〝反乱軍〟ではなく〝救世軍〟と呼んでいただけると嬉しいのですけれど」
そう言って、ようやく息を整えフィロメーナは笑った。
その笑顔にジェロディたちは意表を衝かれたらしい。何せ今は状況が状況だ。こんなときに何を笑っているのだこの女は、と思われても仕方がない。
けれどカミラは知っている。絶世の美女であるフィロメーナの笑顔の破壊力を。
あんな笑顔を向けられたら、男だろうと女だろうと戦意喪失して当然だ。現にカミラはもうジェロディたちと争う気など失せている。
「イーク」
続いて彼女の叱るような声。それを聞いたイークは「チッ」と露骨に舌打ちし、けれどついに剣を収めた。
そこでジェロディたちは更なる衝撃を受けたようだ。まあ、さっきまであれだけ殺意を剥き出しにしていた男が、女の命令に従って大人しくなったのだから無理もない。
一度槍を抜いてしまったケリーなどは、穂先を向ける相手を失って困惑している様子だった。しかしそのとき、カミラは気づく。
――ジェロディ。
驚いた。よくよく見れば、彼は初めから剣を抜いていないではないか。
「ケリー。今はあの人の言葉に従おう」
「ですが、ティノ様……!」
「前門の虎に後門の狼。ここで戦って逃げたところで、今の僕らに安全な場所なんてないだろ?」
「そ、それは……」
「それに――やっと会えた」
「え?」
「あなたの噂を聞いてから、ずっとお会いしてみたいと思っていたんです、フィロメーナさん」
予想を越えたジェロディの言葉に、カミラは更なる驚愕を覚えた。――ジェロディは会いたがっていた? 救世軍の総帥に?
そんなジェロディへ向き直り、フィロメーナも微笑み返す。少しの迷いも気負いもなく――まるで初めからジェロディと出逢うことを運命づけられていたみたいに。
「はじめまして、ジェロディ。あなたがガルテリオ将軍の息子さんね」
「はい。黄都にいらした頃にはご挨拶もせず、大変失礼しました」
「いいえ、それは私も同じ。だけどお会いできて嬉しいわ。私も一度会ってみたかったの。あのガルテリオ将軍のご子息と」
「父をご存知なんですか?」
「ええ。あの方には姉が大変お世話になりました。そのお礼もせずに黄都を飛び出してきてしまったことが、ずっと心残りだったの」
どうせ出逢うのなら、もっと別の形が良かったけれど。そう言ってフィロメーナが苦笑すると、ジェロディも笑い返した。
他方カミラたちは呆気に取られているしかない。……これがトラモント貴族の流儀というやつなのだろうか? 気づけば二人の間の空気はすっかり打ち解けて、先程までの乱痴気騒ぎが嘘みたいだ。
「だけどごめんなさい。こんなことになって、あなたたちも混乱しているでしょう? ウォルドったら、あなたたちのことがよっぽど気に入ったみたいで……それにしてももう少し他のやり方があったと思うのだけど、とにかく分かってほしいのは、私たちにあなた方を傷つける意図はないということ。これはいわゆる事故みたいなもので……正直私もまだ混乱しているわ」
「つまりここは、あなた方救世軍のアジトだということですよね? そしてウォルドが言っていた傭兵団の団長というのはフィロメーナさん、あなたのことだった」
「ええ、そのとおりよ。既に言うまでもないことだけれど、ここにいるカミラやウォルドも私たち救世軍の仲間。そしてこちらは副帥のイーク。あなたたちとは一度、ビヴィオで会っているそうね」
フィロメーナが紹介と共に一瞥しても、イークはすこぶる不機嫌そうにジェロディたちを睨んでいた。その手は未だ剣の柄にかかったままで、彼らが何か妙な動きを見せようものならすぐにでも叩き斬る、という意思をありありと示している。
「それでカミラ、一体地上で何があったの?」
「え、えっと、実はティノくんたちを追って宿に地方軍が押しかけてきて……カールさんが時間を稼いでくれたおかげで何とか見つからずに逃げてこられたけど、上ではまだ捜索が続いてると思う。だから当分地上には出られないわ」
「チッ……次から次へと厄介事を持ち込みやがって。それでなくともこっちは今、こいつらのせいでキリキリ舞いだってのに」
「だけどこうなってしまった以上は仕方がないわ。そういうことなら彼らにも、ほとぼりが冷めるまでここに留まってもらわないと……」
怒りを滲ませているイークを宥めるようにフィロメーナは言い、改めてジェロディたちへ向き直った。そうして少し困ったように眉尻を下げながら、微苦笑を浮かべてみせる。
「ねえ、ジェロディ。申し訳ないのだけれど、そういうわけだから少し私たちの話を聞いていってくれないかしら。あなたたちが地方軍に見つかってしまうと、こちらとしてもとても困るの」
「それは構いませんが、僕らはその……あなた方にとって仇敵じゃありませんか? なのに匿って下さると……?」
「言ったでしょう、ウォルドから話は聞いていると。ビヴィオでのことなら、あなたたちに郷守を担ぐ意図はなかったと聞いたわ。そのあたりの話もぜひ詳しく聞かせてほしいの。せっかく時間もあることだし、ね」
フィロメーナがそう言って微笑んだことで、話は決まった。ジェロディは少しほっとしたように力を抜くと、改めてケリーに武器を収めるよう命じている。
おかげでどうにか一難は去った。カミラもようやく緊張がほどけて、良かった、と胸を撫で下ろす。
「それじゃあ奥へ案内するわ。ようこそ、救世軍へ」
いつかフィロメーナにかけてもらった言葉を口にして、カミラは一歩踏み出した。和解の印に、トラモント人風の挨拶――握手を求めてみる。
するとジェロディはその手を見やって、小さく笑った。
差し出した手がそっと握り返される。
カミラはそれが嬉しかった。
何故かは分からないけれど、とにかく無性に嬉しかったのだ。
――これでまた共にいられる、と。