78.義を見てせざるは
太陽の光が、色を帯びて注いでいた。
赤、青、黄色、緑、橙、紫、白――。
彩色硝子と呼ばれる、着色された硝子の絵画だ。
トラモント黄皇国は比較的豊かな国だからかどの教会へ行ってもそれがあって、違うのは大きさと描かれている神様くらい。ここ聖オリディア修道院にあるのは頭に太陽の冠を被った、太陽神シェメッシュの彩色硝子だ。
いかにも神様といった感じの白い長衣に身を包み、雲の上から昂然とこちらを見下ろす初老の男。
いや、確かにいかついし髭まで生えているけれど、神に雌雄はないというから正確には男じゃない。
手には杖のように握られた、神の身の丈をも超える巨大な槌。
ラムルバハル砂漠の神話で有名な《太陽の槌》だ。あの槌が振るわれると地上のあらゆるものは蒸発し灰と化す。ラムルバハル砂漠はそうした灰が降り積もってできた――というのが通説らしいが、真偽のほどを知る者はない。
神位第十九位という弟神でありながら、その強さは兄神たちをも凌駕したという太陽神シェメッシュ。
そんなシェメッシュが見つめる先、整然と並んだ聖堂の椅子の最前列にジェロディはいた。
彼の隣に座って笑っているのはこの修道院の院長だ。修道服と呼ばれる白と紺の一風変わった服を着ていて、頭にはベールを被っているから髪型までは分からない。
おかげで修道女というのはどうも見分けがつきにくいのだが、カミラも彼女のことだけは一目で院長だと判別できた。
何故なら彼女は盲いている。そのためいつも瞼を閉じて、白濁した目を隠しているのだ。
それでも足音や空気の揺れで人の気配が分かるらしく、驚くほど正確な動きでカミラたちを顧みた。どうやら皆で湯を借りている間、院長自らジェロディの話し相手になってくれていたようだ。
「お待たせしました、ティノ様」
「おかえり、みんな。少しは旅の疲れを癒せたかい?」
「おかげさまで。お先に湯を頂戴してしまい、申し訳ありませんでした」
「気にしなくていいよ。その間に院長さんと有意義な話ができたしね」
ジェロディが笑ってそう言えば、隣で院長も微笑んだ。一体どんな話をしていたのかは分からないが、この半刻(三十分)ほどの間に二人はずいぶん打ち解けたようだ。
「おくつろぎいただけたようで何よりです。湯加減はいかがでしたか、カミラさん?」
「今日もいいお湯でした。というかすみません、いつもご好意に甘えちゃって……」
「いいえ、むしろお役に立てて光栄ですわ。わたくしたちの務めは隣人を愛し、いつでも手を差し伸べることですから」
普段と変わらぬ穏やかな声で院長は言う。日頃の信仰の賜物……なのだろうか、妙齢の彼女は見た目も声も実年齢よりずっと若々しく、それでいて修道女としての落ち着きと包容力を併せ持っていた。
この修道院にはそんな彼女の人柄に惹かれている者が大勢いる。フィロメーナも元は東方金神会の教徒だったのに、彼女と出会って金神正教会へ宗旨変えしたほどだ。
「今の東方金神会は、信仰よりも黄皇国との癒着に忙しい。あれは神の愛よりもお金を求める人々の集まりよ。それに比べたら、たとえ小さくとも敬虔な信仰を貫いている金神正教会の方がよっぽど尊敬に値するわ」
……と、確かそう言っていたっけ。
思い返せばさっきケリーも東方金神会の教徒だと吐露していたが、それを思うと何だか少し哀れだった。何せ信仰が既に腐り、神の愛が遠ざかっているとも知らずにそのような教会の教えを信じている人たちがこの国には大勢いるのだから。
「あーっ、カミラさんだぁ!」
ところが刹那、後ろから幼い声が聞こえて、カミラははたと我に返った。
振り向けば奥の修道院へとつながる扉から、わらわらと子供たちが駆け込んでくる。いずれも五歳から十歳くらいの、年端もいかない少女たちだ。
その少女らにわっと取り囲まれ、「しまった」とカミラは思った。今日は見つからずにアジトへ戻るつもりだったのに、カミラをすっかり〝遊び相手〟と認識している少女たちは、大はしゃぎで押し寄せてくる。
「カミラさん、カミラさん! いつ戻ったの!?」
「ずっとお出かけしてるって聞いたよ? また悪者をやっつけてきたの!?」
「ねーねー、今日は遊んでくれる!?」
「このあいだのあやとりのつづきおしえてー!」
「あやとりなんてイヤよ、それより追いかけっこしよ!」
「あー……げ、元気そうね、あなたたち。変わりないようで安心したわ」
四方八方から一斉に話しかけられ、カミラは苦笑いすることしかできなかった。少女たちは押しくらまんじゅうでもするみたいに殺到してきて、こうなるともう身動きが取れない。
遊び盛りの子供たちは粛々とした修道院での毎日がよほど退屈なのか、救世軍の面々を見かけるといつもこうだった。聖典を読んだり、喜捨のための菓子を焼いたり、裁縫を習ったりという日々は、彼女たちにとってちょっと窮屈らしい。
「カミラ、その子たちは?」
「あー、えっと、この子たちはここの修道院に引き取られた孤児よ。未来の修道女様って言えばいいかしら?」
「孤児……?」
「近頃は国内の治安が乱れ、多くの村で盗賊や魔物による被害が出ています。そのせいで帰る家を失くした子供たちが増えている……。そうした子供たちを、わずかですが当院でも引き取っているのですよ。孤児院は既にどこも満杯で、新たな子供の受け入れが難しくなっていますから」
穏やかに紡がれた院長の答えに、ジェロディたちが凍りつくのが分かった。もしかして彼らは、近年増え続けている難民や孤児の問題も今初めて知ったのだろうか? カミラは一人旅をしていた頃から噂で聞いていたけれど。
「そ……そう、なんですか……ですが修道院では孤児院ほどの寄付は集まらないでしょう? ここは清貧を信条とする場ですから……」
「ええ。しかし我々も神の下僕として、苦しみ惑う人々を見捨てることはできません。ここには彼女たちのような孤児の他にも、貧窮して暮らしが立ち行かなくなり、救いを求めに来た者が多くいます。わたくしたちの使命は、そうした人々の心から不安や苦悩を取り除くこと……そのためにできることがあるならば、助力は惜しまないつもりです」
――義を見てせざるは罪ですから。
そう言って微笑む院長の前で、ジェロディは赧然とうつむいていた。
そんな彼の膝の上。そこで両手が固く握られているのをカミラは見る。
彼は今、悔いているのだろうか。己の無知を。無力を。
「ねーカミラさん、この人たちだあれ? カミラさんたちの新しいなかま?」
と、ときに少女の一人からそう尋ねられ、カミラは一瞬返答に困った。
仲間……ではないけれど、今のところ敵でもない。むしろ志という意味で言えばジェロディたちは同志だ。
それを「違う」と切って捨てるのも何だか気が引ける。だからカミラは束の間の逡巡のあと、ついに意を決すると、子供たちの前にしゃがみ込んで微笑んだ。
「この人たちはね、仲間とはまた違うんだけどいい人たちよ。この国をもっと良くするために、悪いやつらをやっつけようって戦ってる人たち。まあ、言うなればあなたたちの味方ね」
「へえ……でも、カミラさんたちだって悪者を倒すために戦ってるんでしょ? そしたら仲間じゃないの?」
「うーん、そうね、確かにある意味では仲間と言えなくもないけど……その辺はほら、色々大人の事情ってもんがあるのよ」
「えーっ、なにそれ?」
「オトナだけのヒミツってこと?」
「ずるいずるい!」
「こら、あなたたち」
カミラが子供たちに詰め寄られている気配を感じ取ったのだろう、ついに院長が声を上げ、ゆっくりと立ち上がった。そうして子供たちの声を頼りに歩み寄るや、奥の扉を示して言う。
「今日はもうそのくらいにして、奥へお戻りなさい。カミラさんは大事なご用でいらしたの。お邪魔してはいけません。それにもうすぐ手習いの時間でしょう?」
「えーっ、でもぉ……」
「でもじゃありません。カミラさんも今日はお忙しいの。遊んでもらうのはまた今度。あまりわがままばかり言っていると、神様にそっぽを向かれてしまいますよ」
「はぁい……」
やんわりと窘められた子供たちは、不承不承といった様子ではあるものの、院長の言葉に従って奥へ戻った。そのうちの一人に「カミラさん、また今度ね!」と手を振られ、カミラも笑って手を振り返す。
「ごめんなさい、皆さん。子供たちがお騒がせして」
「いえ、賑やかなのはいいことですから。だけど少し意外でした。家族や故郷を失ってここへ来たというわりには、とても元気なんですね、あの子たち……」
「ええ。彼女たちもここへ来た当初は寂しがって泣くばかりでしたけど……ああしてまた笑えるようになったのは神のご加護と、カミラさんたちのおかげです」
「カミラたちの?」
「はい。わたくしは目がこのとおりですし、修道女の多くは走り回ったり戯れたりするのがあまり得意ではありません。そんなわたくしたちに代わって、カミラさんやウォルドさんはいつもあの子たちの遊び相手になって下さって……おかげであの子たちも、とても気が紛れているようですよ」
「いやぁ、それほどでも」
目の前でそんな風に言われると何だか照れくさくて、カミラはしゃがんだまま頭を掻いた。元々子供が好きで、だから一緒に過ごすことを楽しんでいただけなのだが、それがかえって良かったのかもしれない。
いくらまだ幼子とは言え、周囲から腫れ物を触るように扱われたら、あの子たちもきっと殻に閉じこもっていくばかりだっただろう。
でも、一人残される寂しさはカミラもよく知っている。その悲しみや孤独を少しでも取り払ってやれたのなら良かったと、素直にそう思う。
「それでは、ジェロディさん。浴室は自由に使っていただいて構いませんから」
「ありがとうございます。だけどその、本当によろしいんですか? 男の僕が女子修道院に入っても……」
「ええ、その点はどうかお気になさらず。確かに会則には反しますが、今回は特別です。わたくしたちの暮らしを守るためにいつも身を挺して戦って下さっているカミラさんのお願いとあらば、聞き入れない方が神意に背きますわ。何より直接お話させていただいて、ジェロディさんが信用に足るお方だということはよく分かりましたから」
「恐縮です。では、僕からも心ばかりのお礼を」
言って、立ち上がったジェロディが、驚くほどさりげなく院長の手を取った。
そうして何かを握らせる。彩色硝子から注ぐ光を受けて、チカリと金色に閃いたのは――たぶん金貨だ。
院長はその表面にそっと指を這わせ、手触りですぐに理解したようだった。何せトラモント黄皇国の貨幣は、種類ごとに刻印が違う。
金貨に描かれているのは、彼女たちが崇める太陽の刻印……。院長はそれを確かめると、ちょっと困ったように眉根を寄せる。
「ジェロディさん、これは……お気持ちは大変嬉しいのですけれど、こんなにはいただけませんわ」
「いいんです。どうか受け取って下さい。あの小さな修道女たちのために……今の僕にできることは、これくらいしかありませんから」
「……本当によろしいんですか?」
「はい。こう言うとちょっと嫌味っぽいけど、幸いお金には困っていません。黄都へ戻れば、むしろ有り余っているくらいですから」
……本当にそうなのだろうか。ジェロディたちは今や追われる身。ましてや国の追及を躱して西を目指そうと思ったら、かなりの路銀が必要になるはず。
それでもジェロディは迷いなく院長を見つめていた。彼女もその眼差しを感じ取ったのかどうか。
最後は受け取った金貨を大事そうに握り込むと、白い手を胸元に当てて言う。
「ありがとうございます。ではこのお金は、あの子たちの未来のために……」
「はい。ぜひそうして下さい」
「神のご加護に感謝を。どうか太陽神があなたの道行きを照らして下さいますように」
そっと修道服の裾を摘み上げ、院長が軽く膝を折った。それが修道女の礼だと分かったのだろう、ジェロディも穏やかに微笑んでいる。
(……ティノくんの道行きを、か)
カミラはそんな二人の様子を見守りながら、眉を曇らせた。
自分はこれから、彼を死地へと連れてゆく。
◯ ● ◯
「――おかえり、カミラちゃん!」
チッタ・エテルナへ戻ると、真っ先に迎えてくれたのはカールだった。
宿はいつもどおりの大繁盛。……と言っても利用者の大半は救世軍の関係者なのだが、今はちょうど昼時だ。
ロビーの隣にある食堂には大勢の客が集まっていて、談笑の声で溢れている。その賑やかさに一瞥をくれながら、カミラは帳台の傍まで歩み寄った。
「お疲れ様です、カールさん。ウォルドのおたんこなすは戻ってますか?」
「ああ、話は聞いてるよ。何だか色々と大変だったみたいだね」
「大変なんてもんじゃないですよ! まったくウォルドのせいで今回も散々な目に遭いました。食い逃げの弁償はさせられるわ、憲兵隊には追われるわ、帰りの食糧はなくなるわ……今度からあのアホのことは疫病神って呼びません?」
「あはは、そのウォルドさんもさっき同じことを言ってたよ。〝これからはあいつのことを疫病神と呼ぼう〟って」
「あら、そうなんですかぁ。それじゃああとでぶん殴ろっと」
笑顔でそう誓い、カミラは心の復讐メモにウォルドの名前を書き留めた。本当はあとでと言わず今すぐにでも飛んでいって殴りたいが、今はジェロディたちを見張っていなければならない手前、そうもいかない。
「それで、そちらが噂の?」
「はい。左からジェロディくん、マリステアさん、そしてケリーさんです。今は別名で呼んだ方が都合がいいので、ジェロディくんのことはティノくんって呼んでますけど」
「そうか。ようこそ、チッタ・エテルナへ」
そう言って三人を迎えたカールの目は、珍しく冷たく値踏みするように彼らを見ていた。
けれどそれも一瞬のことで、瞬きする間にいつもの亭主の顔へと戻っている。彼は長年の客商売で培った営業用の笑顔を貼りつけると、何の変哲もない朗らかな口振りで言った。
「皆さんのことはウォルドさんから伺いました。私はこの宿の亭主でカールという者です。どうも身内がお世話になったようで」
「あ、い、いえ、むしろお世話になったのはこちらの方で……カミラやウォルドがいなければ、僕たちは今頃どうなっていたか分かりません」
「憲兵隊にあらぬ嫌疑をかけられているそうですね。ですがどうぞご安心下さい。皆さんはウォルドさんの大事なお客様ですから、私も歓迎致します。ときにご昼食はもう召し上がりましたか?」
「いえ、まだです」
「それは良かった。実はウォルドさんに言われて、あちらにお席とお料理をご用意しておきました。黄都の名店に比べれば味は劣るでしょうが、でき得る限りのおもてなしをさせていただきます」
そのときカミラは初めて、「ああ、カールさんってこの宿の亭主なんだな」と思った。いや、もちろん事実として知ってはいたものの、普段の軽口と浮気性のせいで何だかそんな実感が湧かなかったのだ。
けれど爽やかな笑顔を貼りつけて、当たり障りなく客を捌く姿はまさに商売人のそれ。こんな状況でも顔色一つ変えず応対して見せるカールを、カミラは少しだけ尊敬した。少しだけ。
その後カミラたちはカールに勧められるがまま食堂で昼食を取り、腹を満たし終えると客室へ向かった。
客室、というのは言うまでもない。地下のアジトへと続くあの『022号室』だ。
そこでウォルドからの連絡を待つようにと言われ、カミラは三人と共に部屋で待機することとなった。そこそこの上部屋に通されたジェロディたちは恐縮しているようだが、カミラの方は気が気じゃない。
何せ一体いつあの衣裳棚の扉が開いて、ウォルドが顔を覗かせるか。そう思うと気持ちが浮足立って、つい何度も棚の方へ目が行った。
これじゃ怪しまれるな、と頭では分かっているのに、どうしてもそちらが気になってしまう。果たしてウォルドはフィロメーナたちを上手く説得できるのだろうか? ただでさえビヴィオの件でピリピリしているイークの怒りに油を注いでいないだろうか……?
「だけどおいしかったですね、さっきの果物の糖蜜がけ! まさか旅先であんな贅沢なものを口にできるとは思っていませんでした」
「うん、確かに。料理の盛りつけも華やかだったし、部屋は広くて綺麗だし、いい宿だね」
「しかしカミラやウォルドは、あの亭主とずいぶん親しいみたいだな。さっきは〝身内〟と呼ばれていたが、亭主とはどういう関係なんだい?」
「……えっ?」
と、客室に入って半刻ほどが過ぎた頃。円卓の傍で一人椅子に座っていたカミラは、突然話しかけられ我に返った。
ジェロディたちは三人とも寝台を腰掛け代わりにしていて、だいぶくつろいだ様子でいる。黄都からここまでは野宿続きだったから、久しぶりに屋根のあるところで休めてほっとしているのだろう。
だから尋ねてきたケリーの口調も、出会った当初の勘繰るようなものではない。ただ純粋にカミラとカールの関係が気になっているようだ。
まあ、当然と言えば当然だろう。何しろカミラは彼らの中で〝さすらいの傭兵団の一員〟ということになっているのだから。
「あ、ああ、えっと、カールさんは団長の昔馴染みで……それで今はこの宿をうちの団で借り切ってるんです。一応他のお客さんも泊まってますけど、大半はうちの団員で」
「へえ。どうりであんたの知り合いが多いと思ったよ。食堂に傭兵風の客が多かったのもそのせいか」
「え、ええ、まあ……」
「だけど宿を丸々一つ借り切るなんて、よほどの稼ぎがないと難しいよね。傭兵団にはそんなに仕事が入ってくるの?」
「そ、その辺はその、カールさんが色々とサービスしてくれてて……私は詳しいことは知らないけど、部屋代とか食事代とかはかなりまけてもらってるみたい?」
「へえ……団長さんとの誼でそこまでしてくれるんだ?」
「う、うん……まあ、誼というか、カールさんもさっきの院長さんと同じで、私たちの活動に賛同してくれてるの。だから色々と助けてくれてるっていうか……」
「……それだけ皆がこの国の現状に危機感を持ってるってことだね。だけどすごいよ、カミラたちは。余所から来た傭兵団なのに、こんなにたくさんの人から信頼されてるなんて。そのくらい多くの人たちを助けてきたってことだよね」
「そ、そうね……」
「僕も君たちを見習わないと。黄都の外を知れば知るほど、そう思う」
「……」
「僕はこの国を……この国に暮らす人々を守るために軍人になった。だけど民を守るっていうのがどういうことか、ちゃんと分かっていなかったんだ。ただ外敵と戦って、国を戦火から守り、平和を保つことだけが軍人の仕事だと思ってた。でも、そうじゃない。もちろんそれも国を守るためには必要なことだけど、今、この国が本当に必要としているのは……」
そこから先の言葉を濁し、ジェロディはうつむいた。その横顔には思い詰めたような気色があって、カミラはつと胸を衝かれる。
――やっぱり、ダメだ。
脳裏でもう一人の自分が叫んだ。こんなのはダメだ。カミラたちと同じくこの国のために心を痛め、懊悩する彼らを騙して利用するなんて。
今の彼らならきっと自分たちのことを分かってくれる。話に耳を傾けてくれる。
それから彼らがどのような道を選ぶのかまでは分からない。だけど――。
「あ、あの……あのね、ティノくん。実は――」
「――カミラお姉ちゃん!」
そのときだった。にわかに部屋の扉が音を立てて開き、はっとしたジェロディたちが身構えた。
だがカミラも振り向き、目を丸くする。いきなり部屋へ飛び込んできたのが、カールの息子のジョンだったからだ。
「じょ、ジョン? どうしたの、そんなに慌てて?」
「大変、大変なんだ! 今すぐどこかに隠れて……!」
息を切らし、血相を変えてそう叫ぶジョンを見て、只事ならぬ事態だとカミラは察した。何が起きたのかまでは分からないが、立ち上がりざま卓に立てかけていた剣を取り、素早く腰に差して言う。
「落ち着いて、ジョン。カールさんに言われて来たのね? 何があったの?」
「そ、それが……!」
なおも肩で息をしながら、ジョンは怯えて震えていた。彼は青い顔で部屋の中を見渡し、やがて視線の先にジェロディたちの姿を捉える。
「あ、あの人たち……あの人たちが〝ジェロディ・ヴィンツェンツィオとその一行〟だよね?」
「え?」
「今、ロビーに――その人たちを探して、ロビーに兵隊が来てるんだ! だから隠れて! 王さまの命令で、これから宿の中を全部調べるって!」




