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74.運命

 実を言うと、カミラの首には現在十金貨シールの賞金が懸かっている。

 この国には色んな賞金首がいるけれど、十金貨ともなればまあまあ大物だ。フィロメーナは八十金貨、イークは五十金貨だから、それに比べたら大したことないように思える。でも十金貨もあればそこそこの剣が一本買えるし、場合によっては馬だって買えるはずだ。とすれば必然的に、追う方も血眼になる。


「おい待てクソガキ! 神妙にお縄につけ!」

「うっさい、クソ憲兵! ていうかあんたらしつこいのよ……!」


 カミラは走っていた。

 雨降りしきるソルレカランテを、とにかく死ぬ気で走っていた。

 後ろには同じく全力疾走してくる憲兵隊。確か彼らはさっきまで黄帝暗殺を目論んだ謀反人とやらを追っていたはずなのだが、標的が完全にすり替わっている。それもそのはず、できたてホヤホヤでまだ賞金もかけられていない謀反人と十金貨もの賞金首なら、後者を追った方がいいと断じるのは人のさがというものだろう。


 それにしたところでしつこい。最初は一人一人叩き伏せれば何とかなるだろうと思っていたのだが、憲兵はそこらじゅうにいて、騒ぎを聞きつけるとすぐに集まってきた。

 で、多勢に無勢で逃げるしかない状況に追い込まれ今に至る。もう黄都中の憲兵がこちらに向かっているのではないかと思いたくなるほどのしつこさだ。


 対するカミラはこの二日、移動でまともに寝ていない。その前は魔物との連戦で、正直体力は限界だった。

 このままではいずれ追いつかれ、取り囲まれる。そうなったら一巻の終わりだ。だから早く何とかしなければならない。そのためには――。


「いたぞ! こっちだ!」


 瞬間、前方から声がした。はっとして振り向けば、先の横道から飛び出してきた憲兵が数人、剣を抜いて向かってくる。

 挟み撃ち。非常にまずい状況だった。しかしカミラは、


「愛してるわ、神様!」


 ニヤリと口角を上げ、一気に走る速度を上げた。そうしてまっすぐ正面の憲兵たちに突っ込む――と思わせておいて跳躍する。

 狙ったのは道端に積まれた木箱の山。カミラは軽やかにその山を登ると勢いをつけ、山頂から飛び降りた。そうして落下した先にはもちろん――憲兵。


 先頭を走っていた男の顔を、カミラは容赦なく踏みつけた。「ぐえっ」と足の下から声がして、けれどお構いなしに次へ飛ぶ。

 一人、二人、三人と、カミラは飛び石を渡る要領で憲兵の頭を踏み台にした。おかげで前方を走っていた憲兵数人が崩れ落ち、あとに続いていた兵たちも次々とドミノ倒しになる。


やったクェマ!」


 作戦は大当たりだった。後ろから迫っていた憲兵たちも転倒する仲間に巻き込まれ、次々とひっくり返っている。

 着地と同時にそれを確認したカミラは、一目散に駆け出した。追っ手が折り重なって動けなくなっている間に、どこかへ身を隠すのだ。


「こ、こら、待てーッ!」


 後ろから悲痛な叫びが聞こえたが、カミラは意に介さなかった。〝三十六計逃げるに如かず〟――とは、フィロメーナから教わったエディアエル兵書の一節だ。


(それにしても……)


 と、走りながらカミラは思った。

 どうにも厄介なことになっている。憲兵隊に見つかってしまったこともそうだがそれ以上に、


(……ここどこ?)


 カミラは迷子だった。

 どうやら憲兵隊からデタラメに逃げている間に、完全に方角を失ったらしい。

 いや、思えばウォルドを探して猛然と街中を走り回っていた時点で迷子だったかもしれない。カミラは救世軍に入ってから三回ほど黄都へ足を運ぶ機会があったが、そのときはいつも誰かが一緒だったし、行動範囲も限られていた。だから一度訪ねたところは大抵記憶しているつもりだったのだけど。


(ここ、暗いし狭いし、来たことない……)


 相変わらず人気はなく、シンと静まり返った狭い裏路地。石畳には穴が開き、あちこち水溜りだらけになっている。

 おまけに道の両脇には古くて背の高い建物がそそり立っていて、ひどく圧迫感があった。道幅の分だけ視界も狭く、ソルレカランテ城を目印にしようにもまず視認のしようがない。


(どこか高いところから見渡さないと……)


 冷静にそう判断しながら、しかしカミラは意識がくらっと揺れるのを感じた。息も上がっているし、さすがにもう限界だ。

 とにかくまずはどこかに身を隠し、少し休んでから動かないと……。

 冷たい雨が、ただでさえ磨り減った体力を容赦なく奪っていく。早くウォルドを見つけなきゃいけないのに――と忌々しいことこの上ないが、無理をして倒れでもしたら本末転倒だ。


 カミラはそれからしばし道なりに走り、数軒先に軒のある建物を見つけた。

 見た感じ、恐らく民家だろうが有り難い。あの下で少し雨宿りさせてもらおう。

 近づいてみると、ちょうど隣家との間に人一人通れそうな隙間がある。しかも〝どうぞ隠れて下さい〟と言わんばかりに樽や木箱まで積まれているではないか。


(良かった、ここなら――)


 隠れられそう、とカミラが一歩路地へ足を踏み入れた、刹那だった。

 前方から、殺気。

 ゴウッと風が鳴った。

 聴覚がその風鳴りを捉えるより一瞬早く、カミラは体を倒していた。


 雨に濡れた地面を転がり、とっさに剣を抜く。そこへ更にもう一撃。槍だ。カミラは立ち上がりざま穂先を弾いた。何だ、と思考している暇もない。

 物陰から飛び出してきた誰か・・が、殺意を剥き出しにして向かってきた。相手の槍を弾いた反動でわずか体勢を崩していたカミラは、三撃目をギリギリのところでかわし、瞬時に回し蹴りをお見舞いする。


 だが相手も素早くそれを躱した。今のを躱すなんて、と、カミラは内心驚いた。

 何者かは知らないが、かなりの手練れだ。ならば悠長に構えてはいられない。

 向こうが槍を構え、踏み込んでくる。同時にカミラも踏み出した。

 そのまま互いに乾坤一擲の一撃を繰り出そうとして、


「――ケリー、待って! その人は憲兵じゃないよ!」


 突如響き渡った制止の声に、二人の武器がぴたりと止まった。

 カミラの剣は相手の喉元に。

 相手の槍は、カミラの喉元に向いている。


「……憲兵じゃない?」


 と、相手が意外そうに呟いたのを聞いて、カミラも驚いた。

 この槍手――女だ。すらっとした長身で、身のこなしも男の戦士さながらだったのに。


「あ……す、すまない、こちらへ向かってくるものだから、てっきり……」


 驚きのあまり言葉を失っていると、相手が先に槍を引いた。カミラもそこで我に返り、慌てて剣の構えを解く。


「こ、こちらこそごめんなさい。いきなり襲われたから、とっさに体が動いちゃって……」

「いや、そちらが手練で助かった。下手な相手だったら突き殺してしまっていたところだった……しかしあんた、何しにここに?」


 と尋ねられて、カミラは一瞬言葉に詰まった。「実は憲兵に追われてまして~」なんて馬鹿正直に答えようものなら、再び槍を向けられそうな雰囲気だ。

 その証拠に相手の女は穂先こそ引いたが、またいつでも踏み込める構えでいた。こちらを見据えるフードの向こうからも警戒を感じるし、下手に刺激するとまずい。

 

「あ、あの……実は、道に迷ってまして……」

「道に迷った?」

「は、はい……人を探してあちこちうろうろしてたら、知らない道に入り込んじゃって……それで一旦雨宿りしようと思ったんですけど、そういうあなたは?」


 我ながら上手い切り返しだ。内心そう自画自賛しながら、カミラは無難に話題を逸した。途端に相手が後込みしたのが分かる。

 ――なるほど。向こうも訳あり・・・か。

 カミラはそう推測しながら、背伸びして相手の背後を覗き込んだ。確かさっき向こうから声がしたような……。


「その、あんたが探してる相手ってのは?」


 と、ときに女がカミラの視線を遮るように、一歩動いて尋ねてきた。

 うわ、相手もなかなかやる。どうも彼女がこちらを警戒している理由はその背後にあるようだ。


「えっと、もしご存知だったら教えてほしいんですけど……ウォルドって名前の大男を知りません? ボサボサの黒髪で、顔のこの辺に古傷があって、無駄に筋肉ムキムキの……」

「いや……悪いが知らないね」

「そうですか……」


 やっぱりあの木偶の坊がそう簡単に見つかるわけないか。カミラは落胆のため息と共に肩を落とした。

 まあ、元々すぐに見つかるとは思っていなかったから別にいい。それよりも気になるのは目の前にいるこの女と、彼女が背に庇っている何か・・だ。


「あの、ところでつかぬことをお訊きしますが――さっきから憲兵隊が血眼になって探してるのって、もしかしてあなたたちだったりします?」


 瞬間、下を向いた穂先がぴくりと動くのを、カミラは見た。

 それと同時に、たちまち女が殺気立つ。どうやら当たり・・・だ。ということは、この女とその連れが黄帝の命を狙ったという……。


「あ、いや、待って下さい、別に憲兵隊に通報しようとかそういうんじゃないんです。ただこのご時世に黄帝の暗殺を試みるなんて、剛毅な人たちがいるなぁと思って……」

「陛下のお命を狙った? ……まさか、そういうことになっているのか?」

「え? 違うんですか?」

「ち、違います! 濡れ衣です! ティノさまが陛下のお命を狙うだなんて、そんな馬鹿げたことがあるわけありません……!」

「ちょ、ちょっとマリー……!」


 そのとき俄然、女の背後から飛び出してきた影があった。見ればそちらもフードを被った怪しい人物だ。

 けれど話し声から察するに、そちらも女。それも目の前にいる槍手よりだいぶ若そうな印象を受けた。

 そして少女を止めようとしたのは少年の声。こちらも声変わりしたてといった感じでかなり若そうだ。他に何人隠れているのか分からないが、そこでカミラはついに剣を収める。


「やっぱり。そんなことだろうと思った」

「え?」

「憲兵隊の常套手段でしょ、ありもしない罪をでっち上げて逮捕逮捕って大騒ぎするの。そもそもこのご時世に黄帝暗殺なんて無謀なことする人がいるわけないじゃない。もしそんなことができるなら、とっくに誰かがやってるでしょうし」

「……君は陛下が暗殺されるべきだって思ってるの?」


 尋ねてきたのは、先程の少年の声だった。それと同時に少女が飛び出してきた物陰からもう一人、小柄な人物が姿を見せる。

 カミラはちょっと目を丸くした。現れたのは、黒髪に朱色のバンダナを巻いた凛々しい顔の少年だった。

 つまり彼は顔を隠していない・・・・・・・・

 この状況で自ら面相を晒したのだ。単に考えなしなのか――はたまた、何かの覚悟の表れか。


「まあ、こんな話を聞かれると、それこそ憲兵隊に〝逮捕!〟って騒がれそうだけど――今この国が荒れてるのは、政治を顧みなくなった無能な黄帝のせいでしょ。そのせいで、黄都の外では大勢の人が飢えや寒さに苦しんでるのよ。だったらそろそろ悪の黄帝をやっつける正義の味方が現れてくれないかなーと思うのが人情ってものじゃない?」

「僕はそうは思わない。陛下は確かに以前ほど聡明ではなくなられた。だけど悪いのは陛下だけじゃない。陛下の耳元で甘言を囁き、惑わせている佞臣ねいしんたちだ。そいつらをどうにかしない限り、この惨劇は繰り返される。……まあ、君の今の言葉が民たちの正直な想いなんだろうけどね」


 そう言って寂しそうに微笑んだ少年に、カミラは図らずも胸を衝かれた。

 フィロメーナにそっくりの、滑らかなハノーク語。歳はたぶんカミラより下――なのに浮世離れして大人びた雰囲気。


 誰だろう、この子。

 そう言えばさっきは〝ティノさま〟と呼ばれていたっけ?

 目が合うと、何だか無性に胸がざわめく。それに懐かしい。

 ……懐かしい?


(どうして?)


 自分はこんな少年は知らない。胸を張って言える。

 彼と会うのは今日が初めてだ。なのに何故?

 懐かしい。その感情は郷愁に似ている。胸を締めつけられるような想い。


 ――会いたかった。


「だけどありがとう、貴重な話を聞かせてくれて……僕が陛下の暗殺を企てた謀反人なんてことになってるなら、いよいよ本気でどうにかしないとな」

「あ、あの……」

「うん?」


 まっすぐに見返してくる眼差しに、またもカミラの心臓が跳ねた。

 ありえない。自分でも分かっている。けれど訊かずにはおれない。

 カミラは発作的に、自らの顔を覆っていたフードを剥いだ。

 そうして勢い込んだまま、言う。


「あの、私、カミラっていいます。変なこと訊くやつだなって思われるかもしれないけど、私たち、前にどこかで――」

「――いたぞ! あそこだ!」


 はっとした。耳障りな怒声。左手から聞こえた。振り向けば、そこにぞろぞろと駆け出してきた憲兵隊の姿がある。


「しまった……! やつら、こんなところまで……!」

「今度こそ逃がすか! 取っ捕まえろ……!」


 憲兵の怒号を聞きながら、槍の女がフードを外した。途端に零れた草色の髪に、「あ、綺麗」とカミラは場違いなことを思った。

 カミラの赤髪もそうだが、珍しい有色髪だ。それが雨に濡れて艶めいている。馬の尻尾のように結ばれた後ろ髪が雨粒を弾いて翻る様に、カミラは一瞬見惚れていた。


「カミラ、君は逃げて!」

「……え?」

「ここにいたら君まで僕らの仲間だと思われる! だから早く……!」


 叫んだのはティノと呼ばれていた少年だった。彼も気づけば剣を抜いて、応戦する構えを見せている。

 そうこうしている間にも、喚声を上げた憲兵たちが向かってきた。人数はざっと二十――いや、三十はいるか。

 十倍の敵。狭い路地。逃げ場はない。状況は最悪だ。


 けれど、その戦況を覆す一手がある。


「テオ・エシュ・コントラティア・ヤオック――大火箭ガドル・ナール・ヘッツ!」


 カミラが頭上高く掲げた両手の上に、燃え盛る球体が生まれた。

 それは大人が体を丸めたくらいの大きさで、メラメラと通りを照らし出した。

 直後、カミラは両手を思い切り振り下ろす。

 炎の弾丸が飛んだ。赤い塊は突っ込んできた憲兵たちの目の前に落ち、炸裂した。


 激しい爆音が轟き、憲兵と石畳とその他諸々が吹っ飛ぶ。瓦礫が熱風と共にこちらまで吹きつけて、ティノたちが悲鳴を上げる。

 一瞬の静寂。

 一同の眼前を、濛々と噴き上がる蒸気が覆っていた。

 それをしばし唖然と眺めていたティノたちが、ゆっくりこちらを顧みる。


「あの……カミラ、もしかして?」

「はい。私、神術使いです。せっかくだから助太刀します」


 カミラはそう言って微笑んだ。

 向こうでティノたちが若干怯えているように見えるが、気にしたら負けだ。

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