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72.どうかいい子で

 カミラはまず、イメージした。

 トラモント黄皇国の都ソルレカランテ。そのあちこちを流れる水路の上に、アーチ型の橋が架かっている。そこにウォルドがいたと仮定しよう。

 やつを発見したらまず、足音を忍ばせて接近する。ある程度距離を詰めたら背後から飛び蹴り。真冬の水路へ突き落とす。

 いや、それじゃ生温いか? あの男は意外と反射神経がいいから避けられても困る。じゃあ神術で丸焦げにしてやろうか。そうだ、そうしよう。


 そんな計画を着々と脳裏に思い描き、不穏な笑みを零しながら、カミラは宿屋チッタ・エテルナの一階へ下りた。出発の準備は万端。元々任務から戻ったばかりだったので、新たに用意しなければならないものがほとんどないことが功を奏した。


 どうしても必要なものは、町を抜けるときに通りで買えばいい。その点、ロカンダは物を買うのに困らない。

 大通りに出ればこの寒空の下でも多くの行商人が商品を広げているし、商店の種類も豊富だ。この町での生活にも慣れたもので、カミラは購入する必要があるものを心のチェックリストに書き込みながらロビーへ出た。と、そこで声がかかる。


「カミラちゃん」


 呼びかけてきたのは、帳場で帳台カウンターに囲まれたカールだった。いつもの白い襟つきシャツに毛織のカーディガン、そして緑の腰巻きエプロンをしたチッタ・エテルナの若き亭主は、目が合うとうっすら苦笑する。


「フィロメーナ様から聞いたよ。またウォルドさんを探しに行くんだって?」

「あははー、そうなんですよ。さっき任務から戻ったばっかりなのに、ひどいと思いません? いや、ひどいのはフィロじゃなくてあの筋肉ダヌキなんですけど」

「この寒いのに災難だね。代われるものなら代わってあげたいけど、ウォルドさんが私の言うことを聞いてくれるとは思えないしなぁ。というわけで、コレ」

「え?」

「とりあえず六日分の食糧と路銀が少々。フィロメーナ様に言われて用意しておいたから、持っていって」

「か、カールさん……!」


 差し出されたのはそこそこ大きい革袋と小さな布袋、それから水筒。痒いところに手が届くとはまさにこのことで、カミラは感激に打ち震えた。

 さすがはフィロメーナと言うべきか、細かいところまでよく気がついて根回ししてくれる。そしてそれを受けて即座に路銀と食糧を工面してくれたカールの気遣いも心憎い。

 何故なら受け取った革袋型の水筒が、ほんのり温かかった。どうやらこの寒さで凍えないようにと、冷水の代わりに熱した香茶を入れてくれたらしい。


「手鍋を持っていけば焚き火で温めて飲めるし、ただの白湯よりよっぽどいいでしょ? 体があったまりやすいように生姜茶ゼンゼロ・ティーにしておいたから、食糧袋に入れておいた蜂蜜と一緒に飲んで」

「ううっ……ありがとうございます……! 何だか今日はカールさんが天使に見えます……!」

「フフ、そうでしょ? デキる男って感じでしょ? 惚れた?」

「いえ、そういうのはないです」

「冷たいっ! この時期のタリア湖のように冷たいっ!」

「カールさん、こないだも女性のお客さんに鼻の下伸ばして、あとから奥さんに引っ叩かれてたでしょ。あんまりふらふらしてるとそれこそタリア湖に突き落とされますよ」

「だってしょうがないじゃないか。美人やかわいい子を見かけたら口説きたくなるのが男のさがってやつなんだよ」


 いやそれはあんただけでしょ、と呆れながら、カミラは頬杖をついてぶーぶー言っているカールを眺めた。確かにトラモント人の男は女に弱いと聞くものの、そこに全世界の一般的な男性までひっくるめないでほしい。少なくとも兄はそんなんじゃないし。


「ま、そうは言っても、やっぱり世界で一番愛してるのはロザンナなんだけどね」

「って今度はノロケですか……聞いてられないんで私もう行きますね」

「ああっ、冷たいっ! やっぱりタリア湖のように冷たいよカミラちゃん!」

「カールさんだって次の出兵のための物資を集めたり経費の計算したりで忙しいでしょ? それをお邪魔しちゃ悪いですから」

「ああ、そのことを考えると頭が痛いから現実逃避してたのに……」

「そんなこと言ってるとまたイークにしばかれますよ? それじゃ、本部こっちのことはよろしく頼みます」

「ああ、分かったよ……気をつけていってらっしゃ――」

「――えーっ!? カミラお姉ちゃん、どこ行くの!?」


 刹那、いきなり後ろから呼び止められてカミラは目を丸くした。振り向いた先には奥へと伸びる通路があり、その真ん中に一人の少年が立っている。

 身長は今カールがいる帳場の帳台よりちょっと低いくらい。母親譲りの茶色い目をした彼は、カールの一人息子のジョンだ。


「なんだ、ジョン。お前そこで何してる?」

「何してる、じゃないよ! ぼくはこのカギをお父さんに渡すよう言われてきたの! それよりカミラお姉ちゃん、さっき帰ってきたんじゃないの? なのにまた行っちゃうの……!?」


 父親へ鍵を突き出しつつ、困惑と焦りを露わにしているジョンを見て「しまった」とカミラは思った。そう言えば例の魔物退治が終わったら、ジョンに剣術の稽古をつけてあげると約束してたんだっけ。

 この宿で働いている人間はカール一家を含め、皆がカミラたち救世軍のことを知っている。中でもとりわけジョンは救世軍の活動に興味津々で、将来は自分も世直しのために戦う戦士になると言って憚らなかった。


 どうやらジョンの中で救世軍は〝悪をやっつける正義の味方〟ということになっているらしい。それでいかにも子供らしい憧れを募らせているのだ。

 とは言え彼はまだ十一歳。救世軍に加わるにはあまりに幼い。だから大人になるまで待ってねとフィロメーナが言えば、「じゃあ立派な戦士になるために今から特訓する!」と聞かなくなった。


 で、その〝特訓〟のために選ばれたのがカミラだ。ジョンから執拗な「剣を教えて」攻撃を受けたカミラはついに折れ、今年から稽古相手になってやる約束をしていた。

 それをいきなり破って出かけようとしているのだから、ジョンが失望した表情で立ち尽くしているのも無理からぬことだ。カミラはちょっと困りながらも、苦笑して彼の猫っ毛を撫でた。


「あー、ごめんね、ジョン。帰ってきたら稽古をつけてあげる約束だったけど、すぐにまた次の用事が入っちゃったのよ。それもフィロメーナさまの大事なお願いだから、断れなくて……」

「……。お姉ちゃんが〝いい子で待ってたら剣を教えてあげる〟って言うから、ぼく、ちゃんといい子で待ってたのに……」


 父親のカールそっくりな亜麻色の前髪かみの下で、ジョンは半眼になってむくれた。子供にそんな顔をされてしまうと、さすがのカミラも良心が痛む。が、すべてはあの筋肉の申し子のせいであって、ウォルドが戻ってこないことにはどうにもならない。


「ジョン、あんまりわがままを言ってカミラお姉ちゃんを困らせるなよ。お姉ちゃんは次の作戦のためにフィロメーナさまからお願いされて黄都へ行くんだ。それを邪魔しちゃダメだろ?」

「それは分かってるけど……」

「分かってるならそんな膨れっ面をしない」


 カールからそうたしなめられても、やはりジョンはぶうたれたままだった。それだけ剣を習うのを楽しみにしていたということだろう。

 そう思うとカミラは少し気の毒になって、ジョンの前にしゃがみ込む。


「ねえ、ジョン。約束破っちゃってごめんなさい。だけど今度帰ってきたら、そのときはジョンが欲しがってたあの太陽のバッジ、お詫びに買ってあげるから」

「……え!? ほんと!?」

「もちろんほんとよ。私がジョンに嘘ついたことある?」

「ない!」

「でしょ? だからもうちょっとだけいい子で待ってて。なるべく早く帰ってくるから」

「分かった! 待ってる!」


 子供特有の大きな瞳をキラキラさせて、ジョンは嬉しそうに頷いた。

 〝太陽のバッジ〟というのはこの間ジョンが見つけた道具屋の商品で、太陽をかたどった金ピカの鋳物に青や緑や橙色の硝子を嵌め込んだものだ。


 六聖日のお祭りの最中にそれを見つけて、ジョンはあれが欲しいと駄々をこねた。しかし色硝子を使っていることからも分かるように、そこそこ値が張る。確か一つ六青銅貨ペニナ。一日にかかる食費と同じくらいの値段だ。

 だから彼の両親は我が子を宥めすかし、「また今度な」とお預けにした。そのときカミラも彼らと一緒にお祭りを見て回っていたから、しょんぼりしたジョンの顔が記憶に残っていたのだ。


「いいのかい、カミラちゃん? 確かあれ、結構な値段がしたような……」

「いいんですよ。カールさんが救世軍わたしたちの活動資金のために倹約してくれてるの、知ってますから。だからたまにはこれくらいさせてもらわないと」

「聞いたか、ジョン。カミラお姉ちゃんがお前のために高いお金を払ってバッジを買ってくれるってさ。だからちゃんと言われたとおり、いい子で待ってるんだぞ」

「分かってるよ!」

「お母さんに叱られても泣かないで、素直に言うこと聞くんだぞ」

「な、泣いてないもん!」


 顔を真っ赤にして反論するジョンを見て、カミラは笑った。それからもう一度わしゃわしゃと彼の頭を撫で回し、気が済んだところで立ち上がる。


「それじゃ、カールさん。改めまして行ってきます」

「ああ、気をつけて。どうか無事にウォルドさんが見つかりますように」

「見つけたらバッジ代は半分あいつに払わせますね」


 笑いながらそう言って、カミラは二人に背を向けた。扉を出るとき「待ってるからねー!」とジョンの声が追いかけてきて、軽く手を振り返す。

 そのまま宿の裏手にある厩舎を目指した。ロカンダに来てからの愛馬である芦毛の背に鞍を乗せ、荷物を積み、くつわを曳いて外へ出す。


「ちょっと急ぐけど、頑張りましょうね」


 そう言って愛馬の鼻面を撫でてから、カミラは例の髪紐を取り出した。両端に緑玉がついた赤い髪紐。勝負服でも勝負下着でもない、幸運を呼ぶ勝負紐。

 それで髪を一つに結わえ、芦毛の背に跨った。

 見上げた空は、青い。

 吹きつける風は冷たいけれど、旅にはもってこいの天候だ。


「よし、行きますか」


 不敵に笑い、気合いを入れて、カミラは愛馬の腹を蹴った。

 石畳の道を芦毛が速歩はやあしで走り出す。


 目指すは黄都ソルレカランテ。


 そして、救世軍の雪辱だ。



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