71.ウォルド探し
「ええっ!? ウォルドがまた行方不明!?」
とカミラが素っ頓狂な声を上げたのは、黄暦三三六年、始まりの月である賢神の月がもうすぐ終わろうかという頃だった。
そこはチッタ・エテルナの地下にある古代遺跡――もとい救世軍本部作戦会議室、通称〝槍兵屋敷〟。
古代、恐らくはハノーク人の権力者が暮らしていたと思しいその屋敷の最奥で、カミラはわなわなと肩を震わせていた。そうして見つめる先には困り顔のフィロメーナと、不機嫌以外の何ものでもなさそうなイークと、哀れみの眼差しを注いでくるギディオンがいる。
「まあ、何だ、行方不明って言うと語弊があるが……要するにいつもの音信不通だ」
「ウォルドったら、六聖日が明ける頃には戻ると言っていたのに、それがもう一月よ。彼の〝予定〟があてにならないのはいつものことだけど……」
「……で、また私に探して来いと?」
会議室の卓に両手をついたまま、カミラはひくりと口角を上げた。それに対し、苦笑しつつ向かいで頷いたのはフィロメーナだ。……信じられない。新年早々貧乏籤を引くなんて。
そもそもあの筋肉ダヌキはこの非常時にどこをほっつき歩いているのだろうか。年末にアジトを出ていったときには、「ちょっと黄都の偵察に行ってくる」なんて軽い調子で話していたくせに。
「――フィロメーナ様、大変です! 北西のメリ村が、魔物の大群に襲われました……!」
その報せが救世軍本部に届けられたのは今から十日前。カミラが北東の町ビヴィオを目指すべく出動準備を進めていたときのことだった。
〝トラモント黄皇国第四郷区〟。
そう呼ばれている地域の真ん中に、ビヴィオという町はある。
ジョイア地方中部に位置する丘の町。そこに居館を構える郷守に対し、第四郷区の領民が一揆を企てているという情報が入ったのは六聖日が明けた翌日だった。
年の始め、第四郷区出身の兵が故郷の様子を見に帰省したところ、村民たちが反乱を計画していることを知り、慌ててフィロメーナに知らせにきたのだ。
郷守の圧政に耐えかね、立ち上がった村は全部で三つ。そこから三百人ほどの村民が一揆に加わると聞いたフィロメーナは眉を曇らせた。
ビヴィオに拠る地方軍の数は二百程度で、確かに数の上では一揆衆に分がある。しかし相手は曲がりなりにも軍隊としての訓練を積んだ将兵の集まりだ。
対する一揆衆はろくな武器も持たない烏合の衆。いくら過去に兵役の経験がある者もいるとは言え、現役の軍隊と農具で戦うというのはあまりに頼りない。
そこでフィロメーナは第四郷区の民を救うべく、本部から兵を出すことを決めた。一揆衆の代わりに救世軍が戦うことで、被害を最小限に留めようとしたのだ。
彼女の判断に従って、まず出動したのは軽装の百人を従えたイークだった。
先発した彼は一揆を企てている村々を回り、蜂起を思い留まるよう説得。その間にカミラがもう百人の兵と糧秣・武具を整えイーク隊を追跡、合流する――という作戦だった。
ところが、だ。折悪しく、カミラがロカンダを発とうとした矢先に先述の報告が飛び込んできた。ロカンダの北西六〇幹(一二〇キロ)くらいのところにあるメリという村が魔物の襲撃に遭い、潰滅したというのだ。
その報に接したフィロメーナは悩んだ末、出動準備が整っていたカミラ隊にギディオンをつけて魔物討伐へ向かわせた。黄皇国軍による村民の早期救出は望み薄だったため、そうする以外に方法がなかった。
で、帰ってきてみたらこれだ。
なんとイークはビヴィオで地方軍に大敗を喫し、とんでもない損害を出して戻ってきていた。カミラ隊が届け損ねた物資はアルドがあとから送り届けてくれたはずだが、それでもイークは戦局を覆すことができなかったらしい。
その原因というのが、竜だ。
馬鹿でかいトカゲに角と翼と鬣が生えたような生き物。自由自在に空を飛び、火を噴いたり突風を巻き起こしたりできるという神の創造物。
イークの報告ではビヴィオで救世軍と地方軍が衝突するとほどなくその竜が現れ、味方が蹴散らされた。更に驚いたのは、戦場に竜を駆って現れたという一人の少年の名だ。
彼は戦場でこう名乗ったらしい。
〝ジェロディ・ヴィンツェンツィオ〟と。
〝ヴィンツェンツィオ〟と言えば、黄皇国の内情に疎いカミラだって知っている。遥か西のイーラ地方でシャムシール砂王国との国境を守っている常勝将軍。その将軍の名が確か〝ガルテリオ・ヴィンツェンツィオ〟だったはずだ。
「つまりそのジェロディ・ヴィンツェンツィオとかいうのは、あのガルテリオ将軍の身内ってことよね? 年齢的に親子って考えるのが妥当だけど……ギディオン、知ってる?」
「無論。名は変わっておりますが、恐らくはティノ・ヴィンツェンツィオ――ガルテリオの倅でしょう。しかし気になるのは、あのティノが竜を従えていたという点ですな」
「戦闘を妨害してきた竜は全部で四頭。俺も本物の竜を見たのはあれが初めてだが、どの個体も体色が違った。緑と赤と白……あとの一頭は他の三頭より一回り大きくて、鱗が黄金だったな」
「それはたぶん竜族の王――竜父よ。竜父と現黄帝は正黄戦争以来の友人だと聞いているわ。その竜父が戦場に現れたということは、ジェロディは勅命によって動いていた可能性が高いということ……」
「……考えられるのは、一揆衆の計画が黄皇国に漏れてたってことだな。だから黄帝が先手を打って竜を寄越した。そこにあのガキまで一緒だったのは、ヴィンツェンツィオの名前を聞けば大抵の勢力が怯むからだ。それ以外考えられない」
「そうね……だけど、あるいは……」
言いかけて、フィロメーナは顎に手を当てたまま黙り込んだ。何か気になることでもあるのかと思ったが、彼女の口からそれ以上の言葉は出てこない。
「とにかく、だ。そういうわけで、俺たちは軍備を整えてもう一度ビヴィオへ戻らなきゃならない。だから急いでウォルドを探して来いと言ってるんだ」
「い、いや、それは分かるんだけど、だからってなんで私なの?」
「お前ならまだ装備を解いてないからすぐ出発できるし、さすがのあいつもお前に騒がれたらうるさくて従うだろ。現にこれまでもそうだった。だからだよ」
「カッチーン」
なんだその不名誉極まりない理由は。カミラは再び口元を引き攣らせ、見るからに不穏な顔をした。
ウォルドを探しに行かなければならない理由は分かる。郷守に虐げられている民を救うためにも、このまま負けっぱなしではいられない。再戦のためには隊長であるウォルドの存在が不可欠だ。
しかしだからと言ってその言い草は何ということか。こっちだって信じられない数の魔物と戦って戦って戦いまくったあとで、正直くたくただというのに。
「そういうことだから、分かったらさっさと出立しろ。お前がウォルドを見つけて戻ってくるまでの間に、俺たちは戦支度を進めておく。お前らが戻ってきたら即出発だ」
「いやいやイークさん、私はまだ承服してませんけど? そもそも見つけてこいって簡単に言うけどね、前回も前々回も私があのアンポンタンを引っ張ってくるのにどれだけ苦労したか分かってる?」
「ヤクザ者に絡まれたって話ならお前の自業自得だろ。尻を触られたとか何とか、そんなくだらない理由で連中に喧嘩を売りやがって……」
「くだらなくないですぅ! あれは正当防衛ですぅ! だいたいそれを言うならウォルドだって大概よ。酒場で気持ち良く飲んでたところを邪魔されたからって、知らない傭兵団の幹部を二人もボコボコにして……おかげで帰り道で待ち伏せされて、それはもうひどい目に遭ったんだから」
「そうか。お前ら、よっぽど相性がいいんだな」
「ぶん殴るわよ?」
カミラはついに全身から負のオーラを垂れ流した。が、そんな二人の間に漂う一触即発の空気を危惧したのだろう、ときにフィロメーナが取りなすような口調で言う。
「ご、ごめんなさい、カミラ。あなたも疲れて戻ってきたところに無理を言ってしまって……だけど今回は時間がないの。蜂起した村の人々のことは、今はアルドたちが守ってくれているけれど、そこにいつまた黄皇国軍が攻めてくるとも分からない。だからどうしてもあなたの力が必要なのよ」
「分かったわ。フィロがそう言うなら」
「おい。俺のときとはえらい態度の違いだな」
「よーし、そうと決まれば早速準備してこないとね」
イークの抗議をさらりと無視し、カミラは足元に置いていた旅嚢をひょいと拾い上げた。それを軽く肩に担いで、一旦自室へ戻ろうとする。
が、そこではたと気がついた。……待てよ。そもそもウォルドは本当に黄都にいるんだろうか?
確かに彼はアジトを出る前、「黄都へ行く」とはっきりそう言っていた。だが救世軍に入って早九ヶ月、カミラはその間に二度も〝ウォルド探し〟という栄誉ある任務を賜って、いい加減気がついている。ウォルドの言うことは信じたら負けだと。
だってカミラは、現に二回も彼の発言に裏切られた。あの男は事前にどこどこへ行くと言っておきながら、あとを追ってみるとなんとそこにいないのだ。
というか本人の気まぐれでふらふらと予定を変えたり違う町へ移動したりするので、追跡するのが難しい。もっと正確に言うとめんどくさい。見つけた瞬間、発作的に飛び蹴りを食らわせたい衝動に駆られる程度には。
だから今回も「黄都へ行く」というあの発言を信じていいものかどうか。前二回の捜索のときは地道な聞き込みと野生の勘を駆使して何とか見つけ出すことができたが、今回はそんな時間はない。
そもそも黄都ソルレカランテと言えば、世界に類を見ない巨大都市だ。噂によれば人口は百万人。それほど膨大な人の海から、果たして目的のたった一人を見つけ出すことができるのか……。
「……ちなみになんだけど、どうしてもウォルドが見つからなかった場合はどうすればいい?」
「そのときは諦めて別の策を練るしかないわね。カミラ、黄都までは馬を使って何日で行ける?」
「うーん、普通なら急いで三日ってところだけど……」
「もっと急げば二日で行けるだろ。待てるのは来月永神の日までだ。それまでに見つからなければ戻ってこい」
「イークさんあなた鬼ですか?」
「俺だってビヴィオから三日で戻ってきたんだ。お前も隊長になったなら、それくらいやってみせろ」
ぐぎぎぎ……と歯ぎしりしながら、しかしカミラは反論できなかった。実を言うと去年のゲヴラー一味救出戦での功績を買われ、カミラは晴れて一隊を率いる隊長になっている。
イークなどはまだ早いと渋っていたが、それでもカミラを隊長にと推してくれたのはフィロメーナだった。そのフィロメーナの期待に応えるためには、たとえ副帥からの理不尽な要求であっても飲まねばなるまい。
「あーもう、分かったわよ! それじゃあ私は四日で黄都とロカンダを往復して、なおかつ二日でウォルドを探してくればいいのね!?」
「そういうことだ。分かったらさっさと行け」
「ええ、言われなくてもそうしますとも! その代わり、私の隊の指揮はイークがちゃんと執っといてよね!」
カミラは憤慨しながらそう言うと、荷物を引っ提げ踵を返した。そうして足音荒く部屋をあとにするカミラを、フィロメーナが苦笑と共に見送っている。
「だけどイーク、たった六日でウォルドを探すなんてやっぱり無茶だわ。それならせめて何人か、カミラに同行させた方がいいんじゃないかしら?」
「そうは言っても、今すぐ動けるやつなんてあいつの他にいないだろ。本部にいる四百の兵のうち二百は東、百はメリ村救出作戦で消耗中。加えて残りの百は全軍の戦支度に当てなきゃならない。どこもかしこも手一杯だ」
「でも、それを言うならカミラだってかなり疲弊しているはずよ。報告を聞く限り、あちらもかなりの激戦だったようだし……」
「あいつはその程度でへたばるほどヤワじゃない。現に今も大騒ぎしてただろ? こんな状況なのにキャンキャンと……」
「まあ、カミラ殿が気力体力共に並の兵士以上だということは認めますがな。しかし先程のあれはイーク殿、貴殿を気遣ってのことかと存じますぞ」
「は? アレのどこが?」
「先に地上で貴殿の敗報を聞いたとき、カミラ殿はずいぶん取り乱しておられました。だのにその動揺をここで見せなかったのは、貴殿がこれ以上思い詰めるのを避けるためではありますまいか」
ギディオンの言葉に意表を衝かれ、イークは目を丸くした。聞けばカミラはビヴィオでの敗報を知るや血相を変えて、「イークは無事なのか」とカールに掴みかかったという。
そんな話を聞かされたら何だかばつが悪くなって、イークは目を泳がせた。隣でフィロメーナが笑っている気配があるが、直視できない。
「いや、まあ、思い詰めるというか……俺のせいで一揆衆の中から百人近い犠牲者を出したのは事実だからな……」
「それはあなたのせいじゃないわ、イーク。ビヴィオでの戦に竜父やガルテリオ将軍の息子さんまで出てくるなんて、誰にも予測できなかったことでしょう? それさえなければ勝てていた戦だったのだし……」
「だが俺があのとき、一緒に戦うと食い下がった一揆衆を説得できていれば……」
「同じ状況で、儂も民の熱意を拒めたかと言われたら怪しいものです。正義は人を酔わせますからな。その上で貴殿は、民の犠牲が最小限で済むよう策を練り戦われた。それが覆されたのは不測の事態ゆえです。ならば何もかも背負い込まれる必要はないのではありませんか」
いつもと変わらぬ自若とした態度でギディオンが言った。それでもなお釈然としないものを抱えていると、不意に左手を握られる。
ふと目をやれば、すぐ横でフィロメーナが微笑んでいた。彼女のいたわりの表情を見たイークは、ついにふっと抱えていた荷を下ろす。
「……分かったよ。確かにいつまでも敗戦を引きずってる場合じゃないしな」
「そうよ、イーク。作戦は決まったのだし、まずは体を休めてちょうだい。ビヴィオからここまで、ほとんど休まずに駆けつけてくれたのでしょう?」
「フィロメーナ様のおっしゃるとおりです。我ら救世軍の名に懸けて、次こそは何としても勝利せねばなりません。そのためにはまず、副帥であるイーク殿の体調を万全にしていただかなくては」
二人からそう促され、イークは一度自室へ戻ることにした。
正直ビヴィオで大敗を喫してから眠りたくても眠れなかったのだが、今なら多少の睡眠は取れそうな気がする。
指示待ちしていた兵たちに途中で声をかけ、地上へ戻った。三階を目指して階段を上る。
が、ちょうど二階に差し掛かろうかというところでカミラが下りてきた。大袈裟なほど重ねた衣服の上に外套を羽織って、襟巻まで巻いている。
完全防寒の構え。イークはもう四年目なので慣れたものだが、故郷を出てから一年と経たないカミラには、北の寒さがこたえるらしい。
「カミラ」
……そんなやつに無茶を言ったな。イークも一応その自覚はあったので、何か言葉をかけようとした。ところがカミラは半眼でこちらを見下ろすと、ムスッとしたまま何も言わずに下りていく。
――ご機嫌斜めか。
そう思っていたらすれ違いざま、ドンッと胸を殴られた。
予想外の一撃に咳き込んだところで、後ろから声がする。
「行ってきます」
振り向くと、カミラの姿はもうなかった。
代わりに赤い髪の先が手を振るように、ひらりと舞って階下へ消える。
「……ヘマするなよ」
一拍遅れて、イークも答えた。
その声がカミラに届いたのかは分からない。
届いていればいい、と思う。




