『泣いた王子さま』 ☆
むかしむかしある王国に、ヘヴェルという名の王子さまがいました。
ヘヴェルは生まれたときからたくさんの家来に囲まれ、
着るものにも食べるものにも困らず、王さまにたのめば、
ほしいものはなんでも手に入るくらしを送っていました。
そんなくらしのせいで、ヘヴェルはとっても
傲慢な王子に育ってしまいました。
お城ではいつもいばってばかり。
家来もみんなヘヴェルをこわがっています。
とある冬の日、ヘヴェルは町へ出かけました。
するとひとりの物乞いが、道ばたからヘヴェルを呼び止めて言いました。
「王子さま、王子さま。わたしは見てのとおり貧乏で、
とてもおなかがすいています。どうか食べものをめぐんではいただけませんか」
物乞いには家がありません。
おかげで服はボロボロ、髪やヒゲはのび放題です。
そのあまりにみすぼらしいすがたに、ヘヴェルは足を止めて言いました。
「物乞いよ。たとえおれがここで食べものをめぐんでも、
明日になればおまえはまた飢えるだろう。
それでもおれに食べものをよこせと言うのか」
「ですが、なにか食べるものがなければ、わたしは死んでしまいます」
「そんなに苦しい思いをしてまで生きるくらいなら、
死んでしまった方が楽になれるだろう。
おれがじきじきに死をめぐんでやる。ありがたく思え」
ヘヴェルはそう言って、腰におびていた剣を抜き、
物乞いの首をはねてしまいました。
ところが、これを空の上から見ていたハイムという神さまが、
たいへん怒って王さまに言いました。
「王よ。おまえの息子は大きな罪をおかした。
今すぐ息子を追放するのだ。
むろん、金や食べものをあたえてはならぬ」
王さまはびっくりしてハイムの前にひざまずきました。
たとえ王さまであっても、神さまの命令にはさからえません。
けれども王さまはハイムにこう言いました。
「ハイムさま。お怒りはごもっともですが、
あれはいずれわたしのあとをつぎ、この国の王となるものです。
その息子を追放してしまったら、次の王になるものがいなくなってしまいます」
「では一年間、おまえの息子に旅をさせよ。たったひとりで旅をさせ、
やがて生きて戻ったならば、あれを王にするがよい」
王さまはしかたなく、ヘヴェルを一年間だけ王国から追放することにしました。
国を追い出されたヘヴェルは、天に向かってのろいの言葉を吐きました。
「まったく、おれはみじめなものごいを苦しみから救ってやったというのに、
そのおれを追放するとはなんということだ。
まあ、しかし、となりの国の王ならおれを知っている。
あの王をたよればなんとかなるだろう」
ヘヴェルはさっそく、となりの国の王さまがいるお城へ向けて出発しました。
ところがその道の途中、ヘヴェルの前に盗賊があらわれました。
盗賊はあっという間にヘヴェルを取り囲み、笑いながらこう言います。
「へっへっへっ。あんた、となりの国のヘヴェル王子だな」
「いかにも、おれは王子ヘヴェルだ。このおれに、なにか用か」
「おれたちは盗賊だ。あんた、ずいぶんと上等な服を着ているな。
売ればいい金になりそうだ。
そいつをこっちに渡してくれたら、いのちだけは助けてやる」
「おれからものをうばおうと言うのか。
そんなことをすれば、おれの父がだまってはいないぞ」
「知ったこっちゃないさ。だって、ここはあんたの国じゃないんだから」
盗賊はそう言って、ヘヴェルに剣を向けてきました。
ヘヴェルはとてもおそろしくなりました。
故郷ではたくさんの家来に守られていましたが、
今のヘヴェルはひとりぼっちです。
「わかった。服はやるから、見のがしてくれ」
しかたなく、ヘヴェルは着ていた服をぬいで盗賊に渡しました。
おかげでいのちは助かりましたが、これでヘヴェルは無一物です。
お金も着るものもうばわれてしまったヘヴェルは、
すぐにこごえてふるえだしました。
おまけに町へ入っても、食べものを買うお金がありません。
「おい、おれはとなりの国の王子、ヘヴェルだぞ。
なにか食べるものと着るものをもってこい」
「あっははは。おかしなことを言うひとだ。
王子さまがそんなみすぼらしい格好をして、物乞いをするわけがあるかい」
ヘヴェルは町のひとたちに声をかけてみましたが、
だれもヘヴェルの言うことを信じてはくれませんでした。
ヘヴェルはとってもみじめな気持ちになりました。
これまでならヘヴェルが望めば、ほしいものはなんでも手に入ったのに、
今ではパンひとつすら、めぐんでもらうことができません。
けれどもとなりの国の王さまがいる町はまだまだ先。
ヘヴェルは旅をつづけるうちに、
おなかがすいてうごけなくなってしまいました。
おまけに冬の冷たい風が、容赦なくヘヴェルに吹きつけます。
「ああ、おれはこのまま死んでしまうのか。
もっともっと長生きして、やりたいことがたくさんあったのに」
ヘヴェルはそのときはじめて、
あの物乞いの首をはねたことを後悔しました。
死を前にして、苦しくても生きたいと願っていた
物乞いの気持ちがよくわかったからです。
ヘヴェルは神に祈りました。
「ハイムさま。わたしはとても大きなあやまちをおかしました。
その罪を悔いあらため、
もう二度と同じあやまちはくりかえさないと誓います。
ですから、どうかわたしを助けてください」
すると目の前にハイムがあらわれ、こう言いました。
「ヘヴェルよ。
おまえはまだ本当のいのちのおもさというものをわかっておらぬ。
それがわからぬかぎり、わたしがおまえを助けることはない」
「わたしはもうじゅうぶん苦しみました。
なのにあなたは、もっともっと苦しめと言うのですか」
「おまえのあじわった苦しみなど、人生の苦しみのほんの一部にすぎぬ。
そんなちっぽけな苦しみにもたえられぬものに、
どうして王として民をみちびくことができようか」
ハイムはそう言いのこすと、ヘヴェルの前からすがたを消してしまいました。
ヘヴェルは寒さと飢えに苦しみ、なみだをながしました。
やがてこんなに苦しい思いをするくらいなら、
早く死んでしまいたい思うようになりました。
けれどもそこへ、ひとりのむすめがあらわれました。
むすめはこごえているヘヴェルを見つけると、
すぐにあたたかい場所へつれていき、服を着せ、
食べものをわけあたえてくれました。
「むすめよ。おまえの名はなんという」
「わたしはリナといいます。
あんなところでたおれているなんて、さぞやお寒かったことでしょう。
行くところがないのなら、この家で冬を越してゆかれなさい。
でないとまたこごえてしまいますよ」
リナはとてもやさしく、うつくしいむすめでした。
ヘヴェルはひとめで恋におちました。
「おれは、となりの国の王子ヘヴェルだ。
おれが次の王になったら、きっとおまえを妃にしてやるぞ」
ヘヴェルはいばってそう言いましたが、リナは笑って信じようとしません。
けれどもリナの笑った顔を見るだけで、
ヘヴェルは心が満たされるような気持ちになりました。
だれかに対して、こんなにやさしい気持ちになれたのははじめてです。
ヘヴェルはその冬を、リナの家ですごすことに決めました。
リナといっしょにすごす日々は、ヘヴェルの心をとてもゆたかにしました。
しかしあるとき、
ヘヴェルはリナがおもい病気にかかっていることを知りました。
春になるとリナは床にふせり、起き上がることもできなくなってしまいました。
ヘヴェルは必死でリナの病気をなおす方法をさがしました。
けれども、どこをさがしても見つかりません。
ヘヴェルは深い悲しみにうちひしがれました。
そんなヘヴェルにリナが言います。
「ねえ、ヘヴェル。もしもあなたが王さまになったら、
わたしと同じ病気に苦しむひとびとを、その手で救ってくださいますか」
「ああ、ああ、かならず救ってみせるとも。約束だ」
「ありがとう。あなたとすごしたひと冬は、とても楽しかったわ」
それからほどなく、リナは息をひきとりました。
ヘヴェルはたくさんの涙をながしました。
けれどもヘヴェルは胸を裂くその苦しみから、
もう逃げようとはしませんでした。
ヘヴェルはふたたび天に祈ります。
「ハイムよ。わたしは今、生まれ変わった。
おろかであった王子ヘヴェルは、リナとともに死んだのだ。
さあ、わたしを王国へかえしてくれ。
わたしには、このいのちにかえてもなさねばならぬことがあるのだから」
ハイムはこれをゆるし、ヘヴェルは自分の王国へと戻りました。
やがて王となったヘヴェルは、世界中からすぐれた医者をあつめ、
ひとびとが病気に苦しむことのない王国をつくりました。
リナのいのちをうばった病気も、今では薬でなおすことができます。
ヘヴェルがきずいた王国は、ひとびとが飢えや病気に苦しむことのない、
平和な国になりました。
そののち、うつくしいお妃さまをむかえたヘヴェルは、
生まれたむすめにリナという名前をつけて、
家族みんなでしあわせに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
(エマニュエルの童話『泣いた王子さま』より)