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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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64.命神刻

 世に大神刻グランド・エンブレムと呼ばれるものがある。

 それは神々の力の欠片だと言われるごく普通の神刻エンブレムとは違う。

 大神刻はこの世のあらゆる力の源。

 エマニュエルにたった二十二個しか存在しない、二十二大神の魂そのもの――。


 その大神刻に選ばれた人間は〝神子〟と呼ばれ、神の代理人として人々を導く。

 《神々の眠りエル・エレヴ》からおよそ千年、今日こんにちまで歴史に現れた神子は数知れず。


 中でもジェロディにとって最も馴染み深いのが《金神刻シェメッシュ・エンブレム》――太陽神シェメッシュの御魂と言われる神刻だ。

 黄皇国の祖、竜騎士フラヴィオは今から三百年前《金神刻》を刻んでエレツエル神領国と戦い、この地を独立へ導いた。

 彼はルミジャフタと呼ばれる伝説の村に黄金竜オリアナを駆って降り立ち、そこでシェメッシュの神託を受けた――〝黄昏の騎士よ、民を解き放つ王となれ〟と。


 今、ジェロディの目の前で浮いているそれは《命神刻ハイム・エンブレム》。

 トラモント黄皇国の歴史に残る《金神刻》と同じ、大神刻の一つだ。

 エマニュエルのすべての命、生きとし生けるものを司る生命神ハイム。

 天樹エッツァードに宿った魂を導き、再び地上へいざなって肉体に宿す命の神。


 その神の魂が今、自分たちの目と鼻の先にある――。


 ジェロディにはそれが信じられなかった。これまで大神刻を求めて数多の遺跡や秘境に潜り続けた冒険者は星の数ほど存在する。

 そのうちの一体何人が、果たして本物の大神刻と出会えただろうか?

 ジェロディの知る限り、大神刻を求めて手に入れられた者などいない。そんな記録はエマニュエル史上、どこにも存在しないのだ。なのに。


「ぶ……ぶは、ぶはははははは!! 見つけた!! 本当に見つけたぞ、大神刻!! やはりルシーンさまのお言葉は正しかった!! これでおれさまも大将軍だ……!!」


 巨大な円筒のような空間。

 そこにこだまするランドールの絶叫を聞いて、ジェロディは凍りついていた。

 大神刻。見つけた。――つまり彼はこれを探していた?

 しかも今、こいつはルシーンと言ったのか。あの居丈高で恐ろしい黄帝オルランドの寵姫。


 あの女の言葉が〝正しかった〟?

 それならルシーンはここに《命神刻》があることを知っていたのか?

 だから自分の傀儡かいらいであるランドールを派遣した?

 ということはこの遺跡に起こっていた異変の原因は、大神刻――?


「おお、おおおお、そうと決まればこうしてはおれん! ジェイク、ジェロディ! 今すぐあの台座へ近づく方法を探せ! 何としてもあの大神刻を手に入れる! そして黄都へ持ち帰り、おれさまの手でルシーンさまに献上するのだ……!」


 隣でランドールが何か喚いている。しかしそれが意味を成してジェロディの脳に届くまで、しばらくの時間を要した。

 《命神刻》をルシーンへ献上する? ――冗談じゃない。

 大神刻を手にすれば、あの女が宮中でますます力を持つことは目に見えている。神子の言葉にはどんな大国の王ですら逆らうことができないのだから。


 そうなれば彼女の暴走はもう止められない。

 ただでさえ腐敗に蝕まれつつあるこの国が、完全に傾くことになる。

 そんなことが許せるか。ジェロディが拳を震わせてそう思った、そのときだ。


「――ジェロディ、行くぞ。あんたはそっちから、俺はこっちから。ぐるっとこの部屋を回って、怪しいもんがないか探せ。今のままじゃあの祭壇には辿り着けない。だがよく探せば、どこかに足場を作るための仕掛けがあるはずだ」


 興奮状態のランドールとは打って変わって、冷静な声があたりに響いた。

 促してきたのは言うまでもなく、ジェイクだ。


「ジェイク」

「いいから行くぞ。他の連中はここで待ってろ。下手に動かれるとまたどんな罠に嵌まるとも分からん。ここは俺とジェロディで行く」


 ――どうして?

 この男は自分が黄皇国の腐敗を憂えていることを知っているはずだ。

 それどころかその腐敗の原因も、深度も。

 なのにランドールに肩入れするというのか?

 ジェロディは更に拳を震わせ、怒りの眼差しでジェイクを見た。が、対するジェイクはそんなものなど痛くも痒くもないといった様子で無視すると、先程自分で示した方角へと歩いていく。


「ティノさま」


 マリステアの心配そうな声が響いた。

 円形をしているからだろうか、ここは声がよく響く。

 その残響の雨を浴びながら、ジェロディは激情をこらえて歩き出した。とにかく今は考えるしかない。ランドールに従うふりをして、時間を稼ぎながら。


 慎重にあたりを調べている風を装い、ジェロディは可能な限りゆっくりと歩いた。広間の外周は一周しようと思ったら結構時間がかかりそうだ。

 だが今回はジェイクと分担しているので半周。彼と合流する前にランドールをどうするか考えなくては――あの男に《命神刻》を渡すわけにはいかない。それならあの台座へ至る道をなくしてしまえばいいのでは?


 台座を囲むように走った溝は、明らかに大神刻への人の接近を拒むものだ。《命神刻》がいつからここで眠っていたのかは分からないが、仮にあれが古代ハノーク人によって封じられたものだとしたら、彼らは神の御魂をやましい人間から守るためにこんな設計をしたに違いない。

 ならば自分は彼らの遺志を継げばいい。ジェイクを何とか説得し、道を作る仕掛けを見つけて破壊できれば、あるいは……。


「あの扉、さっきあのターシャとかいうガキに案内された扉と同じだな。ということは、帰りはあそこから出られそうだ」


 と、ときに前方から声がして、ジェロディは顔を上げる。そこには今し方来た道を見つめるジェイクがいた。

 彼の視線の先にあるのは巨人ナフィールでも通れそうな巨大な扉。確かにあれはターシャが示していた扉と同じだろう。

 彼女はまだあの扉の向こうにいるだろうか。そんなことを考えながら、ジェロディは足を止めた。


 ターシャのことも気になるが、それより今は《命神刻》だ。

 自分はこれからジェイクを説得しなければならない。

 《命神刻》がルシーンやランドールの手に渡らないように……。


「……ジェイク。何かそれらしいものはありましたか? こっちは特に何もありませんでした」

「ん」


 と生返事をしながら、ジェイクが軽く顎をしゃくる。

 そうして示された先に、何かあった。先程ジェロディたちが出てきた扉のちょうど反対側。ジェイクの目線より少しだけ低い位置。

 そこに掲げられていたのは、またしても石版だった。

 版面には短い一文と窪みが彫られている。まるで何かを嵌め込むような……。


「それは?」

「たぶん、これがこの広間の仕掛けだろうな」


 ジェイクがそう言うので、ジェロディは石版の前に立ってみた。窪みの上に刻まれた古代ハノーク文字を解読する。


「証明……証拠……表す……? あ、〝証を示せ〟ってことでしょうか。だけど〝証〟って、一体何の……?」

「さっきあんたに渡しただろ」

「え?」

「ゴーレムの心臓。たぶんアレだ。見ろ。窪みの形があの石によく似てる」


 言って、ジェイクが指差した石版の窪みは、確かにあの石がぴったり嵌まりそうな形状をしていた。深さ、大きさについても申し分ない。途端に緊張がジェロディを支配する。

 ――それなら、あの心臓を破壊してしまえば。ジェロディはゴーレムの心臓が収まっている腰の物入れへ、再びそっと手をやった。

 いや、これならわざわざ破壊するまでもない。すぐそこにある底の見えない深い溝。その中へ心臓を放ってしまえばいい。そうすれば……。


「ジェイク」

「石を貸せ」

「ジェイク、聞いて下さい」

「聞けねえ。いいから早く石を貸せ」

「それは学者としての知的好奇心からですか?」

「そうだ、と言いたいところだが、違う」

「違う? それじゃああなたは、やっぱり――」


 ――ランドールたちの肩を持つのか。

 ジェロディはみなまで言わず、ただ強い非難の眼差しをジェイクへ向けた。

 仮にそうだと言うのなら、この男にも石は渡さない。今すぐ背後の深い穴へと石を投げ捨てる覚悟がある。


「全部あの人の言うとおりだった」

「……え?」

「そんな馬鹿な話があるかと、鼻で笑ってやるためにここまで来たが……参ったね。これが〝運命〟ってやつなのか……」


 何の脈絡もなくジェイクが零した言葉は、濃い自嘲の色に塗れていた。

 いや、それはあるいは悲愴?

 彼は口の端に投げやりな笑みを浮かべると、うつむいて深いため息を漏らす。そんな彼の姿を見て、ジェロディが何と声をかければいいか分からずにいるうちに、再びジェイクが口を開いた。


「いいか。俺はあんたが何を考えてるか手に取るように分かる」

「……!」

「だが馬鹿な考えは捨てろ。その石をどうにかしたところで、あの台座へ近づく方法がなくなるわけじゃない。あのターシャってガキが地下を経由しないで俺たちをここへ案内しようとしてたってことは、ゴーレムの心臓以外にもこの仕掛けを動かす鍵はあるってことだ。だったら石を捨てたところで意味がない」

「そ、それじゃあどうすれば……!」

「方法はある。要はあの大神刻がランドールの手に渡らなきゃいいんだろ?」

「え、ええ……それはもちろん、そうですが……」

「なら、今はまず石を嵌めろ。俺に考えがある。信頼しろとは言わねえが――信用しろ」


 ジェロディは言葉に詰まった。信用しろ? この男を?

 ビヴィオでの件と言い先程の海賊たちとの交渉と言い、この男はどうも胡散臭い。考古学者としての実力は認めるが、腹の内では何を考えているのかまったく読めない。


(だけどこの人はさっき、ゴーレムから僕を助けてくれた……)


 それだけじゃない。ビヴィオでの件だってあの少年からジェロディを守るためだったし、郷守の不正の証拠を燃やしたのもこの国がこれ以上の混乱をきたすことを避けるためだった。

 加えて海賊との交渉だって、ジェロディがどんなに知恵を絞っても、あれ以外の方法は浮かばない。何しろこちらには全員分の命をあがなう金がなかったのだから。


 ……そうだ。思えばジェイクはいつだって皮肉や憎まれ口を叩きながら、それでもジェロディが不利になるようなことは一切してこなかった。

 先程の戦闘でもこちらの言うことに従ってくれたし、あの部屋を脱出するヒントを示してくれたのも彼だ。

 だとしたら、自分は……。ジェロディは意を決し、ジェイクを見据えた。

 彼の青鈍色の瞳が見返してくる。どうする、と尋ねるように。


「……分かりました。今回はあなたを信用します」


 言って、ジェロディは物入れからゴーレムの心臓を取り出した。

 光を失った黄色い石を、目の前の石版の窪みに嵌める。

 瞬間、閃光が炸裂した。悲鳴を上げて、ジェロディは思わず腕をかざす。

 だがあたりが光に包まれたのは、ほんの一瞬の出来事だった。閃光が矢のように行き過ぎると、今度は床が微かに震動し始める。


 地を震わす音がした。それはジェロディたちの足元から迫り上がってきた。

 あれは――橋だ。

 ちょうどジェロディたちのいる石版のあたりから、台座を乗せた中央の床まで伸びる石の橋。それが溝の底からゆっくりと迫り上がってきて、高さが合ったところでぴたりと止まる。


「お、おおおお……! ついに来たか!」


 穴の向こうでそれを見たランドールが、ものすごい勢いで駆けてくるのが見えた。マリステアたちも続いてやってくるが、溝の中央へと向かう橋はかなり細い。人一人がようやく立って歩けるかという程度だ。

 ジェロディはまずその橋の安全性を確かめるために、軽く右足を乗せてみた。そうして力強く踏み締め、橋が揺れたり崩れたりしないことを確かめてから――


「――どけっ! ここから先はおれさまの仕事だ!」

「わっ……!?」


 いきなり真横から突き飛ばされ、ジェロディはたたらを踏んだ。そのまま何とか踏み留まろうとしたが体は止まらず、左足が宙を踏む。


「ティノ様――!」


 ケリーたちの悲鳴が聞こえた。

 落ちる。

 深く暗い溝の底へ、真っ逆さまに――


「――っ!」


 ガクンと腕を引かれて、右肩に激痛が走った。

 だがそこで落下が止まる。見上げれば床の縁から身を乗り出して――ジェイクがジェロディの腕を掴んでいる。


「じ、ジェイク……!」

「信用しろって言ったろ?」


 そう言うが早いか、ジェイクは見た目から想像するよりずっと強い力でジェロディを引き上げた。マリステアたちもすぐに駆け寄ってきて、「大丈夫ですか!?」と声を揃える。


「おい、ランドール! てめえ、ティノ様に何てことを……!」

「ブヒヒヒヒ! おれさまにそんな口をきけるのも今のうちだぞ、オーウェン。じきにおまえはおれさまに刃向かったことを後悔することになる……!」


 激昂したオーウェンが振り向いた先には、既に橋を渡って台座の傍まで移動したランドールがいた。そこまで全力疾走したためだろう、ランドールは息を切らしながらも、こちらを振り向きニタァと笑う。

 ――まさか。

 嫌な予感がした。全身が粟立った。そしてそんなジェロディの予感に応えるように、ランドールが両腕を広げて《命神刻》へと向き直る。


「さあ、生命神ハイムよ! 今こそおれさまの体に宿れ! おまえの主にふさわしいのは、このおれさまだ……!」


 声高に叫び、狂喜の笑みを湛え、ランドールは《命神刻》へと手を伸ばした。

 それを見たジェロディがあっと身を乗り出した刹那、何かが弾けるような音と共に閃光が走る。


「うおっ……!?」


 次いで聞こえたのは、ランドールの悲鳴だった。

 眩しさのあまり一瞬背けた視線を戻せば、そこではランドールが尻餅をついている。《命神刻》は未だ台座の上で輝いたまま――つまりランドールは今《命神刻》に拒絶され、弾き飛ばされたのだ。


「な、何故だ……!? 何故だ、ハイム!? 何故おれさまを拒絶する……!?」

「そりゃつまり、あんたに神子となる資格はないってことですよ、ランドール殿」

「な、何……!?」


 答えたのはハイムではなくジェイクだった。彼は危なげなく細い石の橋を渡ると、どこか優雅ささえ感じさせる足取りで台座へ近づき、《命神刻》を仰ぎ見る。


「あんただってご存知でしょう。誰が神子になるのか、それを決めるのは人間じゃない。神だ。神は己の認めた相手にしか宿らない。つまりあんたはハイムから、自分の器には・・・・・・小さすぎる・・・・・と言われたんですよ。態度と図体は必要以上にデカいのに、残念ですね」

「な、な……何だと、きさま……!」


 あからさまな嘲笑を向けられたランドールは、腰を抜かしたまま体中の肉を震わせた。が、対するジェイクはひょいと両手を上げて、ちょっと戯けたように言う。


「おっと、怒るなら俺じゃなくてハイムに怒って下さいよ。今のは俺じゃなくてハイムの言葉ですから」

「な、ならば、この神刻石エンブレム・ストーンごと《命神刻》を黄都へ運ぶ! これにはおれさまの昇進が懸かっているのだ、こんなところで諦めてたまるか!」

「あー、そりゃ名案ですが、物理的に無理じゃないですかね?」

「何ぃ!?」

「だってたった今、ランドール殿はこいつに触れなかったでしょう? つまり資格ある人間しか、この神刻石には触れないってことです。それじゃあ運びようがないし、仮に触れたとしても、こんなデカい石を担いだままあの橋を渡るなんて無理ですよ」


 言って、ジェイクはジェロディたちがまさに今渡ろうとしている橋を見た。確かに自分一人で渡るだけでも恐ろしいのに、あんな大荷物を担いでこれ・・の上を歩くなんて、そんなのはもはや自殺行為だ。

 しかしランドールはやはり納得がいかないのか、なおも怒りに体を震わせた。そうして顔を真っ赤にするや、更に理不尽なことを喚き立てる。


「それをどうにかするのがきさまの仕事だろう、ジェイク! 考古学者ならこれくらい何とかしてみせろ!」

「あのですね、ランドール殿。考古学者も人間です。どんなに太古の知識があろうと、全能なる神の前じゃ無力同然ですよ」

「う、うるさいうるさい! いいから言われたことをやれ! これは命令だ! この調査隊の隊長はおれさまだぞ!」

「はは、部下を身代わりにして自分だけ生き延びるような野郎が一丁前に隊長面ね。こいつは傑作だ」

「何だと……!?」

「ランドール殿。僥倖にして俺は本物の神子を三人ほど知ってるが、おかげであんたが神に選ばれない理由がよく分かるよ」


 ランドールはいよいよ絶句した。怒りのあまり声が出ないといった様子だ。

 対するジェイクはここまで溜まりに溜まった鬱憤を、皮肉に乗せてすべて吐き出したといった様子だった。途端に彼はすっきりした顔になると、極端すぎるくらいけろりと態度を変えて言う。


「ま、しかしそこまで言うならやれるだけやってみましょう。ジェロディ。この石に触れるかどうか、まずはあんたから試せ」

「え?」

「お、おい! なんでティノ様からなんだ!? だったら言い出しっぺのお前がまず試してみろよ!」

「年功序列ってやつだ。あんたらも少しは年長者を敬え」

「な、何ぃ……!?」

「そんな年功序列、聞いたことないよ……」


 ちょうど橋を渡り切ったところでオーウェンが拳を震わせ、ケリーも呆れ顔をした。しかしさっきの様子では、どちらにせよこれを運び出せるかどうか試さなければランドールが納得すまい。

 それならここで拒んでも同じこと。ジェロディは仕方なく進み出て、ジェイクの傍らに立った。


 ――本当にこれでいいんですよね?


 彼がここからどうやってランドールを言いくるめるつもりか知らないが、そう目だけで確かめる。するとジェイクも頷いた。その瞳に迷いはない。

 ならば今は、彼の言葉を信じるのみだ。

 ジェロディは頭上の《命神刻》を振り仰ぐ。

 痛みを覚悟しながら手を伸ばし、


「――っ!?」


 にわかに、閃光の渦に巻き込まれた。

 突風が吹く。マリステアの悲鳴が聞こえる。

 溢れ出す閃光。広間が、世界が真っ白に染まる。


 そのときジェロディは、硝子が少しずつひび割れていくような微かな音を聞いた。何の音だ、と、光の中辛うじて目を開ければ、目の前で神刻石に細かい亀裂が走っている。


 ――そんな馬鹿な。


 それを知ったジェロディが目を見開いた、直後だった。

 突風が勢いを増す。

 吹き飛ばされそうなほど強い風が、正面から叩きつけてくる。

 ジェロディは顔の前に両腕を翳して、耐えた。

 神刻石が罅で覆われる。


 そして、炸裂した。


「きゃああああ……!?」


 それはまるで竜巻だ。

 円筒状の広間を逆巻く風が、割れた神刻石の破片を巻き上げて吹き荒れる。

 そうやってどれほどの間耐えただろうか。

 ふと気がつくと、広間は静寂に包まれていた。

 風は止み、破片が降る音も止まって、静けさだけがあたりを満たしている。


 恐る恐る、ジェロディは腕を解いた。

 そうして見やった台座の上からは、神刻石が消えていた。

 それだけではない。

 《命神刻》。

 同時に消えている。

 跡形もなく――まるでそこには初めから何も存在しなかったかのように。


「え、神刻石が……」


 粉々になり、あたりに散らばったそれを見渡して、ジェロディは茫然と呟いた。

 どうしてこんなことになったのか。《命神刻》は何故消えた? 先程ランドールが触れようとしたときには、石が彼を拒絶しただけだったのに。

 これじゃまるで、ジェロディが神刻石を破壊したみたいだ。

 そんな風に解釈されたらどうする?

 ルシーンはあの大神刻を求めていた。

 なのにそれがジェロディのせいで消失した、なんてことが知れたら――


「ティ……ティノさま……」


 戦慄し、立ち尽くしたジェロディの背後から、呼び声が聞こえた。

 この声はマリステアだろうか。

 しかしあまりの事態に硬直したジェロディは、振り向けない。


「ティ、ティノさま……それ……」

「……え?」

「ティノさまの、右手に……!」


 ――自分の右手?


 そこでようやく、ジェロディはわずかだが自我を取り戻すことができた。

 言われるがまま、自身の右手へ目を落とす。

 そして絶句した。


 ジェロディの右手の甲には、青銀色に輝く《星樹ラハツォート》があった。


 それは生命神ハイムの神璽。

 この世に二十二個しか存在しない大神刻の一つ。


 《命神刻ハイム・エンブレム》。



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