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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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62.願われし者

 ケリーがヴィンツェンツィオの屋敷へやってきたのは、ジェロディがまだ三歳の頃だった。

 彼女はジェロディが物心ついた頃には当たり前のように傍にいて、母のアンジェにも、父のガルテリオにも、実の娘のように可愛がられていた。

 だからジェロディにとってもケリーは姉だ。たとえ血のつながりはなくたって、どんなに歳が離れていたって、姉弟は姉弟だ、と自負している。


 彼女は近衛軍の将校だった実父ちちを十四歳の頃に失い、上官であったガルテリオに引き取られた。ちょうどその頃オルランドの命を狙った賊軍の襲撃があり、ケリーの父は混乱の中でガルテリオを庇って死んだのだ。

 ガルテリオがケリーを養女として迎えた理由はそれだった。ケリーの母はもうずいぶん前に他界し、他に兄弟もなく、ガルテリオが屋敷に迎え入れなければ彼女はひとりぼっちだった。彼女自身、そのことをよく分かっていたのだろう。


 ケリーは成人するとすぐさま軍に志願し、ガルテリオの従卒となった。元々実父ちちの背中を追いかけて軍人になることを夢見ていたという彼女は、独学で鍛えた槍術で瞬く間に功績を挙げ、幾度もガルテリオの戦いを支えた。

 それがガルテリオから受けた恩に応えたいという、彼女の強い意思の表れであることはジェロディにも分かっている。彼女がいつだってジェロディの味方で、傍にいるときは何があっても守ってくれる、その理由も。


「ケリー」


 そんな優しくて頼もしい姉の名を、ジェロディは呼ぶ。

 けれどケリーは動かない。

 傲然とそそり立つ遺跡の壁。その麓に倒れたまま。

 動かない。ケリーが。何度呼びかけても。


 動かない――。


「ケリーさん……!!」


 甲高いマリステアの声が聞こえて、ジェロディはびくりと震えた。

 我に返った刹那、目の前をゴーレムが通り過ぎていく。

 ……素通りされた?

 いや、違う。岩の人形がドンドンと重い足音を立てて向かっていく先には、ケリーに駆け寄ろうとするマリステアの姿――。


「マリー!!」


 ゴーレムの拳が空を衝いた。はっと振り向いたマリステアの眼前に岩が迫る。

 ところが拳は空振りし、再び壁を殴りつけた。慌ててマリステアを追いかけたオーウェンが彼女の腕を引き、連れ戻すことでどうにか危機を免れたのだ。


「は、放して下さい、オーウェンさん! ケリーさんが、ケリーさんが……!」

「分かってる! だが今あいつに近寄ればお前も死ぬぞ!」


 〝死〟。そのときオーウェンが発した言葉が、ものすごい衝撃を伴ってジェロディを襲った。


 死。死ぬ。死んだ。――ケリーが?


 途端にジェロディの全身を、おこりのような震えが伝っていく。

 死んだ。ケリーが。

 幼い頃からずっと一緒に育った、いつだってジェロディを見守ってくれていた、あのケリーが――


「う……そ、だ……」


 吐き出した声が、情けないくらいに震えていた。

 意識がぐらぐらと揺れて、呼吸の仕方もよく分からない。

 ゴーレムがこちらを向いた。赤い両眼と目が合った。

 瞬間、ジェロディの中で何かが爆ぜる。それは体中の血を沸騰させ、言葉にならない激情を呼び起こし、ジェロディを駆り立てる。


「よくもケリーを……!!」


 直後、ジェロディは剣を手に駆け出していた。喊声を上げ、正面からゴーレムに斬りかかる。

 自分でも何をしているのかよく分からなかった。けれど体が勝手に動いていた。まるで何か別のものに体を乗っ取られたみたいに、とにかく剣でゴーレムの胴体からだを打って打って打ちまくった。


 だがそんな攻撃がゴーレムに通用しないことは、ここまでの戦いで嫌になるほど理解している。

 案の定、岩の巨兵は痛くも痒くもなさそうな顔でジェロディを見下ろし、拳を上げた。


 岩の塊が降ってくる。

 まるでうるさい蝿を叩き潰すかのように、ジェロディ目がけて降ってくる。

 ジェロディがそれに気がついたときには、もう遅かった。

 衝撃が来る。横から。床を転がった。だいぶめちゃくちゃに転がった。

 打ちつけた肩が痛い。けれど生きている。


 ――生きている? あの岩に殴られたのに?


「いってぇ……おいあんた、どうせ突っ込むならもう少しマシなやり方にしろ! 危うく俺まで死ぬとこだぞ!」


 刹那、すぐ傍から怒声が上がって、ジェロディは目を丸くした。

 ――ジェイクだ。彼は頭を摩って座り込みながら、もう一方の手で服についた砂やら埃やら人骨ほねの欠片やらを払っている。

 ……まさか今のは、この男に助けられたのか?

 そう言えばさっきの衝撃は横から来た。けれど横からというのはおかしい。だってあのゴーレムはジェロディの目の前で、真上に拳を振り上げていたのだから。


「じ……ジェイク、どうして……」

「はあ? どうしてもクソもあるかよ、ここであんたに死なれたら俺が陛下に絞られるだろうが! ったく、これじゃほんとにどっちが護衛なんだか……」


 とんでもなく不機嫌そうな顔でそう言って、舌打ちと共にジェイクは立ち上がった。彼は足元に落ちていた剣を拾い、再びゴーレムへ向き直る。

 だがゴーレムの狙いは既にジェロディたちから逸れていた。代わりに追われているのはランドールだ。彼は最後の一人になった部下と共に、悲鳴を上げて逃げ惑っている。


「ひ、ひいぃぃぃ……!! い、いやだ、いやだ!! おれさまはまだ死にたくない!! おいおまえっ、一緒に逃げてないで戦え!! おれさまを守れ……!!」


 今にも転がりそうな姿勢で走っていたランドールが、前を行く憲兵の軍服を引っ張った。おかげで憲兵はひっくり返り、転倒した彼を置いてランドールは逃げていく。

 そこへすぐさまゴーレムが迫った。やはり先程より動きが機敏になっている。歩く速度も段違いだ。おかげで憲兵が体を起こした頃には、すぐそこに彼を見下ろすゴーレムがいる――まずい。


「ひっ……や、やめろ……来るな……」


 憲兵は床に尻をつけたままあとずさった。腰が抜けて立ち上がれないのか。

 逃げろ。叫びながらジェロディは立ち上がった。そうして彼を助けようと、


「い、嫌だ……死にたくない……死にたくな――」


 弱々しい命乞いの声が、ジェロディの目の前でグシャッと潰えた。血なのか肉片なのかよく分からないものが飛んできて、ジェロディの頬にびちゃりと当たる。

 再びマリステアの悲鳴が聞こえた。ランドールも絶叫している。

 これで三人目。またも救えなかった。

 しかしそんな絶望に打ちのめされている暇もない。


「ティノ様、そいつから離れて下さい!」


 オーウェンの声で我に返った。

 目の前の巨兵はまたもジェロディに狙いを定めている。

 振り下ろされた拳をかわし、ジェロディは舌打ちした。そうして素早く距離を取り、ゴーレムに視線を向けたまま、言う。


「ジェイク、交替スイッチ!」

「は?」

「少しの間ゴーレムの気を引いて下さい! 僕に考えがあります!」

「か、考えって……それはいいが、だからって何で俺なんだよ?」

「さっきのあの身のこなし、あれだけ動けるならゴーレム相手でも少しは持つでしょう? お願いします!」

「気を引くだけならランドール殿に頼めば? 赤いし目立つし、死んでもいいし」

「ジェイク!」

「はいはい分かったよやればいいんだろやれば。おらデカブツ、分かったらこっちを向きやが――れっ!」


 ジェイクは投げやりに応じると、やおらその場で腰を屈めた。かと思えば足元に転がっていた頭蓋骨を拾い上げ、それをゴーレム目がけて投げつける。

 綺麗な放物線を描いて飛んだ頭蓋骨は、見事ゴーレムの側頭部に命中した。赤い眼光がギラリと動く。


「あー、彼または彼女が安らかでありますように」


 粉々に砕けた頭蓋とゴーレムを見やって、ジェイクがぼそりと呟いた。そうして胸に《星樹ラハツォート》――死者の安息を願う生命神ハイム神璽みしるし――を切っているところを見ると、意外に信心深いらしい。

 だがおかげでゴーレムの注意はジェイクに向いた。彼は赤いを明滅させてジェイクを視界に捉えると、凄絶な勢いで突撃していく。

 しかしジェイクは怯まなかった。彼はその突進をひらりと躱しながら更に足元の骨を拾い、それを振りかぶって言う。


「おいジェロディ、言っとくがそんなに長くは持たねえぞ!」


 言いながらジェイクが投げた誰かの骨は、またもゴーレムの顔面に命中した。馬鹿にされたゴーレムはいよいよ激昂し、ジェイクへと殴りかかっていく。

 だがジェロディの思ったとおりだ。ジェイクはかなり機転が利いてすばしっこい。やる気のなさそうな言動に騙されていたが、あれは相当戦い慣れている。

 考古学者というのは、ときに遺跡で財宝を狙う冒険者と争いになることもあるというからそのためだろうか? そう言えば母のアンジェも、女ながらなかなかの剣の使い手だったと父が昔言っていた。


 とにかく、あの分ならしばらくはジェイクに任せておいても大丈夫だ。

 ジェロディはそれを確かめるとすぐさま身を翻し、オーウェンとマリステアのもとへ向かった。二人はゴーレムの注意がジェイクへ向いた隙に、倒れたケリーの傍へ移動している。ジェロディもそこへ駆け寄ると、膝をついたマリステアが泣いているのが見えた。


「マリー、オーウェン! ケリーは……!?」

「ティノさま……大丈夫です……! ケリーさんは気を失っておられるだけで、まだ息があります……!」

「え……!?」


 図らずも間抜けな声が出た。一拍遅れて今聞いた言葉の意味を理解し、その場に座り込みそうになる。

 ケリー。生きていた? 気を失っているだけ……?

 途端に体の力が抜けた。と同時に笑いが込み上げてきて、はは、と更に間抜けな声が出る。


「ケリーが、生きてる……? そうか……良かった……良かった……!」


 心の底から安堵して、ジェロディはマリステアの隣に膝をついた。そうして倒れたケリーの手を取ると、確かにまだ温かい。

 それを確かめた刹那、こらえる間もなく涙が溢れて、ジェロディは目を拭った。ふと目に入った床の上に、先程ケリーが装備していた円盾ラウンドシールドが転がっている。


 その盾の中心に嵌め込まれた鋼の円盤は無惨にへこみ、木製の部分も大破していた。恐らくケリーはゴーレムの一撃をこの盾で受け止め、体への直撃を免れたのだろう。

 加えて十代の頃から戦場に出ている彼女のことだ。きっと壁に激突したときも、上手く受け身を取ったに違いない。

 そう思うとやっぱり笑いが込み上げてきた。ジェロディは触れたままだったケリーの右手を一度、ぎゅっと握る。


「本当に良かった。てっきり、僕はもうダメかと……」

「俺もですよ。ったくこのバカ、無茶しやがって……!」


 ときにジェロディは視界の端で、オーウェンも乱暴に目元を拭っているのを見た。いつもは憎まれ口ばかり叩き合っていても、やはり二人は戦友だ。ケリーが生きていると知って、オーウェンもどんなにか安心したに違いない。


「よし。マリー、水刻ウォーター・エンブレムは使えるね?」

「はい! すぐにケリーさんの手当てに取りかかります!」

「いや、その前に、君にやってほしいことがあるんだ」

「え? わ、わたしに……ですか?」


 負傷したケリーの治療よりも優先すべきこと。そう言われてマリステアは少し戸惑ったようだった。

 けれどこの役目は、水刻の使い手であるマリステアにしか頼めない。ジェロディは奥でゴーレムに追い回されているジェイクを一瞥してから、改めて口を開いた。


「ほんの少しの間でいいんだ。マリー、君の神術であのゴーレムの動きを止められないかい?」

「ご、ゴーレムの動きを止める……?」

「ああ。確か水の神術の中には、対象を凍らせる術があったろ? あれを使えばあるいは……」

「た、確かに水系神術にはそういう術もありますが、その、わたしは攻撃系の術があまり得意ではなくて……仮に上手くできたとしても、動きを止められるのはほんの少しの間だけだと思います。たぶん、長くても十拍(約十秒)くらい……」

「いや、それでいいんだ。僕がゴーレムの懐に飛び込む隙が作れれば。その一撃で、必ず決めてみせる」

「な、何ですって!?」


 瞬間、マリステアとオーウェンの声が綺麗に揃った。向こうではドゴン!とすさまじい音がして、ゴーレムがまたも壁を殴っているのが見える。


「ダメですよ、ティノ様! ティノ様自らあの化け物の懐に飛び込むなんて、いくら何でも危険すぎます! それなら代わりに俺が……!」

「ううん。確実にあいつを仕留めるためには、僕が行かなきゃ。――何せ僕には、オーウェンを持ち上げられないからね」

「え?」


 言葉の意味を図りかねたのだろう、二人は揃って目を丸くした。そんな彼らに悪戯っぽく笑ってみせてから、ジェロディはついに作戦を話し出す。

 ジェイクからついに声がかかったのは、ちょうどその作戦の内容を話し終え、二人の了解を得られた頃だった。彼は部屋の奥でぜえはあと息をつきながら、さすがにもう限界の顔色をしている。


「おいあんたら、いつまでそこで休憩してるつもりだ!? 年長者はもっと労るもんだぞ!」


 それでもそんな軽口を叩く程度の余裕はあるようで、ジェロディは小さく笑った。ならばもう少し活躍してもらっても不都合はあるまい。マリステアとオーウェンに目配せし、二人が作戦を理解してくれたことを確かめると、剣を掴んで立ち上がる。


「ジェイク、準備はできました! そのままゴーレムをこちらへ誘導して下さい!」

「くそっ……なんで俺がこんなことを……さすが未来の大将軍サマは、人使いの荒さが違う――なっ……!」


 そう悪態をつくが早いか、壁際まで追い詰められていたジェイクが突然ゴーレムの間合いへ飛び込んだ。

 それを好機とばかりに、ゴーレムが両手を組んで振りかぶる。だが拳が直撃する寸前、ジェイクは素早く背中から倒れ込み、足を出して地面を滑った。ザザザッと音を立て、彼の体がゴーレムの股下を潜り抜ける。


 まったく見事な芸当だった。彼はそこからバネのように立ち上がるや反転し、ジェロディたちに背を見せながら後退してきた。

 しばらくジェイクを探してきょろきょろしていたゴーレムも、ついにその居場所に気づいたようだ。大袈裟な足音を立てながら、体ごとこちらを振り向いてくる。


「はあ、はあ……くそ、やっぱ歳には勝てねえな……おいジェロディ、俺は言われたとおりのことはやったぞ」

「ありがとうございます。ここからは僕たちに任せて下さい。準備はいいね、マリー?」

「はい……!」


 疲れ果てた様子のジェイクを下がらせ、ジェロディはマリステアを一瞥した。彼女はその表情に緊張を漲らせながらも、覚悟を決めた様子ですっと両腕を前に出す。


「この身に眠る水の精霊よ。どうか我が手に氷結の力もたらしたまえ――」


 マリステアの祈唱が始まった。目を閉じ、集中力を高め、水神マイムに祈り始めた彼女の右手で水刻が光を帯びる。

 するとそれに呼応して、マリステアの足元にも光が浮き上がった。まるで神の加護のように、蒼白い光が彼女の周囲に円を描く。

 その円から見えない力が噴き上がり、マリステアの髪を浮き上がらせた。ゴーレムが一行目がけて突っ込んでくる。


「今だ、マリー!」


 ジェロディの合図に、マリステアが常磐色の瞳を見開いた。 

 その瞳に彼女の決意が燃え上がり、水刻に蓄えられた神の力が放たれる。


「――氷霜の枷ケラハ・エースール!」


 マリステアの足元から伸びた光が、一際強く閃いた。こちらへ迫りつつあったゴーレムの足元にも、同時に光がほとばしる。

 いや、それはただの光ではなかった。ゴーレムの巨体を囲んだ光の円は、たちまち氷の華と化し、パッと彼の足元に咲いた。


 そこから尋常ならざる冷気が立ち上ぼり、たちまちゴーレムの両足を絡め取る。血で汚れた岩肌に霜が張りつき、みるみる凍りついていく様がジェロディの位置からもよく見える。

 それでもゴーレムは抗う素振りを見せていたが、氷霜の侵蝕はあっという間に胸元まで達した。途端にゴーレムの動きが鈍り、ゆっくりと活動を停止していく。


「よし! 行くよ、オーウェン!」

「任せて下さい!」


 チャンスは数瞬。ジェロディはゴーレムが完全に動かなくなったのを見計らい、すかさず石の床を蹴った。

 その先でオーウェンが待ち構えている。彼は両手を組んで股の間に垂れ、ジェロディと目線を合わせるようにすっと腰を落としている。


 ――いつでもどうぞ。


 ニヤリと笑ったオーウェンにそう言われたような気がして、ジェロディは跳んだ。

 そうして勢いのついたジェロディの右足を、オーウェンの両手が受け止める。


「ぅぉおおらっ!!」


 腹の底から咆吼し、オーウェンが渾身の力で両腕を持ち上げた。そのまま背を反らして一気に振り上げ、ジェロディの体を放り投げる。

 助走が生んだ勢いと、類稀なるオーウェンの膂力りょりょく。それらすべてを味方につけて、ジェロディは跳んだ。

 体が小さいという欠点も、使い方を考えれば利点になる。打ち上げられたジェロディの体は高々と宙を舞い、真下にゴーレムの姿を、捉える。


「行っけええええええ!」


 オーウェンの絶叫がジェロディの背中を押した。

 手の中にある父の剣。それに己の体重と、落下の勢いをすべて乗せる。

 そのときジェロディのすぐ下で、ゴーレムを覆っていた氷がわずかに割れた。再び自我を取り戻した彼の目が、ジェロディを見上げてくる。

 けれどジェロディは、迷わなかった。

 パキパキと氷の割れていく音を聞きながら――この一撃に、すべてを懸ける。


「はあああっ!」


 頭上高く振り上げた剣を、叩きつけた。

 ガギッと硬い音がして、刃が岩の額に受け止められる。

 だがその刹那、ジェロディは確かに見た。

 すべてを懸けた父の剣は、確かにデオルスの文字にめり込んでいた。


 ――やった!


 それを見て、確かな手応えを感じた瞬間。

 突如ゴーレムの額に刻まれた文字が光を放ち――直後、岩の巨兵が爆発する。


「うわっ……!?」


 まだ宙空にいたジェロディは、まんまとその爆発に巻き込まれた。

 とっさに両腕で頭を庇ったものの、巻き起こった突風に一アナフ(五メートル)ほども吹き飛ばされる。

 そのまま背中から床に落ち、一緒に飛んできたゴーレムの欠片と共に転がった。ちょうど後転するような形でごろごろと後ろに転がりながら、やがてゴツン!と壁に当たってようやく止まる。


「いっ……たたたたた……」

「ティ、ティノさま!」


 どこかでマリステアの声がした。しかし派手に地面を転がったジェロディはぐわんぐわんと耳鳴りがして、ろくに体も起こせない。

 仰向けに倒れたまま、頭上に見える常灯燭スカンスの明かりを掴むように手を伸ばした。完全に目が回っている。それでもどうにか起き上がろうとして、


「ティノさま、ご無事ですか……!?」


 その手を、何か温かいものに包まれた。

 視界が明滅するのを堪えて目を凝らせば、すぐそこにマリステアの顔が見える。

 ジェロディはその段になって、ようやく自分が生きていることを実感した。すると自然笑みが零れて、全身から力が抜ける。


「マリー、ゴーレムは……?」

「大丈夫です、無事にティノさまが倒されました! それよりお怪我は……!?」

「平気。体中あちこち痛いけど、一応無事だよ」


 背中の痛みをこらえながらそう伝えると、マリステアがたちまち大きな瞳に涙を溜めた。

 かと思えば次の瞬間、彼女がいきなり抱きついてくる。これにはジェロディも虚を衝かれた。もう一度起き上がろうと試みた体を抱き竦められ、身動きが取れず、思わずその場に硬直する。


「よ、良かった……本当に良かった……! ティ、ティノさまにもしものことがあったら、マリステアは、マリステアは……!」

「まっ……マリー、苦しいよ……!」


 ぎゅうぎゅうと力いっぱい抱き締められ、ジェロディは情けない声を上げた。でも正直本当に苦しいし、自分の胸にマリステアのそれが押し当てられて何かもういたたまれないし、とにかくまずは放してほしい。

 果たしてジェロディのその訴えは聞き届けられた。ようやく我に返ったらしいマリステアはハッとジェロディから離れるや、たちまち顔を赤くする。


「あ、も、申し訳ありません……! わ、わ、わたしとしたことが、はしたない……」

「ですが本当にお見事でしたよ、ティノ様。今の活躍、ガル様にもお見せしたかったくらいです」

「いや、今のはマリーとオーウェンの協力があってこそだよ。一人じゃどう足掻いたってゴーレムは倒せなかった。それに、ジェイクもよく働いてくれたしね」


 ちょっと揶揄を含んだ口振りでそう言えば、向こうでジェイクが苦々しげな顔をした。しかしさっきの陽動でよほど消耗したのだろう、いつものような皮肉や軽口は飛んでこない。

 代わりに「チッ」と舌打ちすると、彼は遺跡の壁に背を預けて、再び葉巻を取り出すかに見えた。

 ところがそこでふとジェイクの動きが止まる。彼はまるで何かに引き寄せられるように手を下ろすと、そのままつかつかと歩き出した。


 ジェイクが向かっていく先には、先程までゴーレムだったものの残骸がある。床の上で小さな山を作ったそれはもう、命を持たないただの石くれだ。

 しかしジェイクはその山を掻き分けて、中から何か拾い上げた。

 彼が手に取り、常灯燭の灯りに翳したのは、淡い黄蘗色きはだいろの宝石だ。


「……何だこりゃ? まさかこんな小さな石があのデカブツを動かしてたのか?」


 ジェイクの言うとおり、その石は彼ならば簡単に握り込めてしまう程度の大きさしかなかった。ジェロディは気になって、見せてくれとジェイクにせがむ。

 そうして石を受け取ったところで、目を丸くした。

 黄煌石きこうせきを彷彿とさせる、美しい透明の石。

 ところがその石の中で、淡い光が明滅している。

 まるで星を閉じ込めたような。それでいて心臓の鼓動のような――。


 ……心臓?


 そうか。ジェイクの言ったとおり、この石こそがゴーレムの心臓か。だとすれば中に見える光は恐らく、古代ハノーク人たちが創り出した人工の魂……。

 それは言葉にするとひどく冒涜的なのに、見とれてしまうほど美しかった。

 そう言えば先程ターシャが語りかけていた扉にも、似たような宝石が嵌め込まれていた気がする。とすればあれもまた人工の魂によって管理され、動作する扉だったのか――と、ジェロディがそんな推測をした、そのときだ。


『――運命をパラ・フウァ・ウィン拓く者よ・ト・セ・ファテ我々はお前をウェ・ビオン・アンビド待っていた・フォー・イェ


「……え?」


 突如として響き渡った謎の声に、ジェロディは驚いて顔を上げた。

 が、そうして見渡した先では、こちらを見つめたマリステアたちがきょとんとしている。ティノさまは何をきょろきょろしていらっしゃるのかしら、とでも言いたげな顔だ。


「い、今の声は……?」

「声、ですか?」


 試しに尋ねてみると、マリステアが不思議そうに首を傾げた。オーウェンとジェイクも「何のことだ?」と言うように顔を見合わせている。

 ――まさか今の声は、自分にしか聞こえていないのか?

 そんな馬鹿な話があるだろうか。だってあんなにはっきりと聞こえた。しかも声はジェロディが困惑している間にも、更に語りかけてくる。


我らの願いはユーレ・ウィルラ・シィ一つだけ・アンリペ・ディートその手がやがてアウェンダン・世界に救いをセ・ファテもたらさんことを・イェルドゥ――』


 老若男女、複数の声が重なり合い、囁きかけてくるような声。

 それはジェロディの頭の中に直接響き、不可解な感覚をもたらしてくる。声は確かに古代ハノーク語で話しているのに、ジェロディにも意味が理解できるのだ。

 だがジェロディは混乱の中で、自身の手の中にある宝石の異変に気がついた。石の中で輝いていたあの光の球が、急速に伸びたり縮んだりし始めている。まるで荒い息をつくように――一つの命の終わりを知らせるように。


「ま、待ってくれ! 僕を待ってたって、どういう意味なんだ?」


 気がつくとジェロディは、その石に向かって尋ねていた。先程の声の主はこれ・・だ。根拠もないのに、いつの間にか確信している。

 しかし石は答えなかった。

 光の伸縮が激しさを増し、やがて最後の脈動を終える。

 石の中から溢れ出さんばかりに広がった光は、直後、中心に吸い込まれて見えなくなった。消える間際、微かな囁き声が聞こえる。


 ――これでようやくウェ・アウェ・アト眠りに就ける・スウェフェン、と。



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