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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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61.罠の底の死闘

 これは悪い夢なんじゃないかと思った。

 夢なら覚めろ。覚めろ覚めろ覚めろ。

 ぎゅっと眉根に力を入れて、必死でそう念じ続ける。そうだ、夢だ。そうでなくては困る。だってこんな逃げ場のない地の底で、自分たちはどうして――


「――ティノ様、避けて下さい!」


 ケリーの声。それを聞いてはっと目を見開いたジェロディは、瞬時に床へ這いつくばった。ブンッと恐ろしい音を立て、すぐ上を岩の拳が通過する。

 体長六十アレー(三メートル)に迫る石の巨兵。ジェロディが顔を上げた先ではその巨兵が両腕を広げ、上半身をぐるんっと豪快に回していた。


 おかげで反対側の拳に当たり、憲兵の一人が吹き飛んでいく。悲鳴すら上がらず、聞こえたのは「ゴキャッ」という頭蓋が潰れるその音だけ。

 岩の塊に側頭部を殴られた憲兵は、そのまま壁に叩きつけられ絶命した。白い壁にパッと赤い大輪が咲き、これで何度目になるかも分からないマリステアの悲鳴がこだまする。


「くそっ……! この化け物、一体どうすれば止まるんだよ!?」


 額から血を流したオーウェンのおめきが、地下室に響き渡った。マリステアを背に庇った彼のそれはまだ掠り傷だからいいものの、問題はその足元に転がっているもう一人の憲兵だ。

 マリステアが頭を抱えて泣きじゃくっているところをみると、どうやら彼も救うことはできなかったらしい。だがそれも当然だ、何しろあの憲兵は石像の一撃を胴にもらって天井高く跳ね上げられ、そこから床に叩きつけられた。マリステアが駆け寄ったときにはあらぬ方向へ体が曲がり、血の泡を吹いて痙攣していたのだ。


 ――どうしてこんなことに。


 轟き渡る石像の足音とマリステアの泣き声を聞きながら、ジェロディはじりじりと焦燥に焼かれた。その間にもケリーが石像の懐へ飛び込み、鋭い槍の一撃を見舞っている――が、やはり岩の塊が相手では歯が立たない。

 ガギンッと穂先の泣き言が聞こえて、ケリーが小さく舌打ちした。そこへ狙い澄ましたように降ってくる拳を軽やかにかわし、彼女は体勢を立て直す。


「剣も槍も歯が立たない……! こんなやつを一体どうしろって言うんだい!」


 ゴゴゴゴ……と低い軋みを上げて、石像がケリーを振り向いた。あの石像は動きこそ緩慢だが、繰り出される拳の破壊力と岩の体がもたらす頑丈さがそれを補って余りある。ジェロディたちはもう半刻(三十分)ほどもこうして戦っているのに、未だあの体に傷一つつけることができずにいるのだ。


 ――そもそもあの石像は何だ? 何故石像が意思を持って動く?

 ジェロディは戦闘と緊張で乱れた息を整えながら、額から流れる汗を拭った。

 石の塊が命を吹き込まれて動き回るというだけでも信じ難いのに、この状況は何だ。ジェロディたちは出口のない罠の底で、終わりの見えない戦いを、勝算もないまま強いられている。


 更にこちらは既に二名の死者を出し、それでいて一つの収穫もなし。もうとにかくないない尽くしだ。

 あの石像が時限制で止まってくれるものならまだ希望はあるが、今のところそんな気配は微塵もない。むしろ時間と共に消耗していくこちらとは裏腹に、石の巨兵はこれっぽっちも疲れを感じてはいないようだ。


「お、おおおおおおいっ、きさまら何をもたもたしとるんだっ! は、早くその化け物を何とかせんかっ!」

「やれるもんならやってますよ。しかし相手がこう硬くちゃ、こっちも為す術がない」


 その頃常灯燭スカンスの明かりが届かないあの人骨の山のあたりで、ランドールが喚いているのが聞こえた。傍に佇むジェイクはのんきに葉巻など吹かしているが、もはや握った剣を構える素振りもないところを見ると、早々に戦いを諦めたらしい。

 あるいは彼の足元に散らばるあの人骨は、餓死者ではなくこの石像に殴り殺された人々のものだったのか。どうりで大量の骨が一ヵ所に集められていたわけだ。


 きっとあの石像はこの罠に落ちてきた者たちを叩き殺しては、その亡骸を部屋の隅に積み上げてきたのだろう。

 〝運命の審判を受けよ〟。

 ここで果てたと思しい考古学者が日記に遺したあの言葉は、やはり財宝に目が眩んだ愚か者に対する古代人の戒めだったのか。


 だがそれならば審判を受けるべきはランドール一人であって、ジェロディたちはただ巻き込まれただけに過ぎない。だのにこのままあの人骨の山の一部にされるなんて、あまりにも理不尽だ。

 ビヴィオでは反乱軍の攻撃を凌ぎ切った。カルロッタとの決闘もどうにか切り抜けた。なのにこんなところで命を落とせと?

 冗談じゃない。

 ジェロディは震える両腕を叱咤して、再び剣を構え直した。そうしながら必死で思考を巡らせる。


 ――考えろ。


 考えろ考えろ考えろ。

 思考を止めるな。どんな状況に陥ろうと、諦めなければ必ず活路が見える。

 それは他でもない父の言葉だ。幾多の戦場を生き延びてきた彼が言うのだから、間違いない。立ち止まるな。考えろ。


 母の遺した文献の中に、何かヒントになる記述はなかったか?

 ここは始世期中期に築かれた古代ハノーク人の遺跡。だがジェロディたちが落ちてきたあの場所には、末期になって発明された技術が使われていた。

 ということはその真下にあるこの空間も、恐らくは始世期末期に造られた場所。あの石像が呪文に反応して動き出したのは、ターシャの合言葉で開閉していた地上うえの扉と同じ原理――。


「――おい、ジェロディ。その木偶でくの額に何か文字が彫ってあるだろ?」

「……え?」

「さっきから解読しようとしてるんだが、動き回っててここからじゃ見えん。あんた、読めるか?」


 そのときジェイクからそう声をかけられて、ジェロディは目を丸くした。

 ――石像の額の文字、だって?

 彼の言葉に導かれ、ジェロディは石像の額を凝視した。

 才槌頭のように盛り上がった石の額。

 よく目を凝らすと、そこには確かに何か刻まれていた。

 あの形状は――間違いない。古代文字だ。


 ジェイクがさっきからまったく動かず戦況を傍観していたのは、安全な場所からあれを解読するためだったのか。だったら早くそう言えばいいものを、と頭の片隅で思いつつ、ジェロディは夢中で石像の動きを追う。

 そうしながらどうにか額の文字を読み解いた。

 星、生命、魂、置く、中へ、入れる――?


「〝ドーン・シィ・デオルス〟……〝魂を〟……〝ここに〟? そうか、これは……!」

「ティノ様!」


 刹那、再びケリーの声が弾け、ジェロディはすかさず横へ跳んだ。そこへ飛んできた石像の拳が空振りし、背後の壁へ激突する。

 凄まじい衝撃だった。拳が直撃した壁には亀裂が走り、パラパラと音を立てて破片が降った。

 だが、ジェロディはもう動じない。何故ならこの石像の正体が――この窮地を脱する一筋の光明が見えたからだ。


「みんな、この石像は〝ゴーレム〟だ! 古代ハノーク人が人工の魂を入れて創った岩人形だよ!」

「じ、人工の魂……!? そんなことが有り得るんですか!?」

「どういう技術で創り出されたのかは分からないけど、大陸北部の遺跡には古代ハノーク人がゴーレムを創る過程を示した壁画があったって母さんの論文に書いてあった。それを見る限り、ゴーレムは額に文字を刻まれることで命を吹き込まれるらしい。額の文字は決まって〝ドーン・シィ・デオルス〟――〝デオルス〟は〝魂〟や〝生命〟を意味する星型の文字。だけどそれさえ削ってしまえば……!」


 ――ハノーク人たちが創り出すゴーレムの中にはごく稀に、作成者の意図しない悪しき魂が入り込むことがあった。そんなときハノーク人は〝生命〟を意味する〝(デオルス)〟の文字を削ることで、瘴気に毒された魂を取り除いていたらしい――。


 かつて屋敷で読み耽った、母の論文の一節。それが今、ジェロディの脳裏に驚くほど鮮明に甦り、勝利の道を示していた。

 何故ならあのゴーレムの額に刻まれたデオルスの文字は確かに〝生命〟を意味しているが、そこに亀裂が入ると真逆の意味に変わるのだ。

 すなわち〝死〟を意味する〝デオス〟の文字となり、額の文言も〝死をここに〟という文脈へ変化する。


 それによってゴーレムは初めて死を迎える、と、母の著書にはそう書かれてあった。逆に言えば、それ以外にあの岩人形を止める手立てはない。

 ゴーレムは古代ハノーク人たちが労役や戦争の人手として生み出した忠実な下僕しもべだ。彼らは一度生まれ、命じられれば、壊れるまで与えられた使命を果たし続ける。たとえ創造主がこの世を去り、歴史に忘れ去られたとしても、愚直に、永遠に、主とのたった一つの約束を守り続けるのだ。


 そう思うと少しばかり哀れだが、そんなゴーレムの性質は〝創造主以外の命令は決して聞かない〟ことも意味していた。

 それどころか本来ゴーレムを破壊できるのは創造主のみで、そうでない者が危害を加えようとすればゴーレムも己の身を守るべく抗うらしい。


 だとすれば今、あのゴーレムが暴れ続けているのは、この遺跡の番人としての使命と防衛本能に衝き動かされているからか――。


 とは言えジェロディたちだって、こんなところで無為に命を散らすわけにはいかない。こちらにも生きてここを脱出し、遺跡に起きている異変をつきとめるという使命があるのだ。


「――オーウェン! あんたの足元にあるその盾を渡しな!」


 そのときゴーレムと差し向かったケリーが叫んだ。それを聞いたオーウェンが見下ろした先には、確かに古い盾がある。

 鋼の枠に分厚い木の板を嵌めて作られた、大きめの円盾ラウンドシールドだった。すぐ傍に砕けた人骨が転がっているところを見ると、たぶんここへ迷い込んだ冒険者あたりが持ち込んだものだろう。


「た、盾ってお前、こんなもんで一体どうするつもりだ?」

「いいから早く! 今はやれることは全部やるんだよ!」


 ゴーレムの向こう側にいるケリーにそう叱咤され、オーウェンは舌打ちしつつその盾を拾い上げた。そうしてぐるりと体を回し、ケリーへ盾を投げ渡す。

 側面から床に落ちた円盾は、そのままゴロゴロと転がってケリーへ迫った。ケリーはそれを倒れる寸前で受け止め、構える。かなり重そうな盾だが、ケリーの動きや表情はそんなことを微塵も感じさせない。


「行くよ、デカブツ!」


 左手に盾、右手に愛槍を携えて、ケリーは鋭く地を蹴った。ゴーレムも反応して拳を繰り出すが、ケリーは盾を出しながらそれを躱し、瞬く間に石像の懐へ飛び込んでいく。

 そうか、と、瞬間ジェロディは思った。ケリーの槍は四十葉(二メートル)近くあって、ジェロディたちとはリーチが違う。加えてケリー自身も上背があるから、彼女の攻撃ならばゴーレムの額にも届くはずだ。


 果たしてケリーの突き出した槍は、硬い音を立ててゴーレムの額を掠めた。ところがゴーレムの方も危険を感じたのか、寸前に半歩下がったせいで、問題の文字を削るには至らなかったようだ。


「まだまだ!」


 それでもケリーは諦めなかった。再び降ってきたゴーレムの拳を避ける。

 その拳が床にめり込んだ刹那、ジェロディはあっと息を飲んだ。何故ならゴーレムの動きの鈍さを見越したケリーが、突き出された拳へ飛び乗り、更に腕を駆け上って瞬時に間合いを詰めたからだ。


「はああああっ……!」


 ケリーの足がゴーレムの腕を蹴った。

 彼女はしなやかに跳躍し、真下にデオルスの文字を捉える。

 ――いける。

 ジェロディは気づけば身を乗り出して、彼女の戦いを凝視していた。

 振り下ろされた槍の穂先が、額に当たって再びガギンッと音を立てる。


「やった……!」


 その瞬間、ジェロディたちは歓喜した。ケリーの一撃をまともに喰らったゴーレムが、ぐらりと仰け反るのを見たからだ。

 着地したケリーが、素早くゴーレムから距離を取った。ゴーレムの巨体は後ろへ傾ぎ、そのまま倒れ込む――かに見えた。


 ところが直後、


「――ォォォォォォオオオオオオオオオオ!!!!!!」


 遺跡が揺れ、大地が震撼した。

 ジェロディたちは肝を潰され、とっさに両手で耳を塞ぐ。

 凄まじい雄叫びだった。それは命の危機に瀕したゴーレムの、魂の叫びだった。

 足を踏み締め、体勢を立て直した彼の双眸がギラリと光る。

 血走ったような、真っ赤な色で。


 ケリーのつけた傷は浅かったのか、それともデオルスの文字を外れたのか。とにかくゴーレムはなおも動き続け、激しく地団駄を踏み出した。

 その震動で地面が揺れる。まるで地震だ。ゴーレムは先程までの鈍重さが嘘のように何度も足を踏み鳴らし、そして――


「ケリー!!」


 突然のゴーレムの暴走に彼女が怯んだ、一瞬の隙だった。

 その隙にゴーレムがケリーへ突っ込み、岩の拳を振り上げる。


 直後、ケリーの体が宙に浮いた。


 吹き飛ばされた彼女は石の壁に激突し、そして、動かなくなった。



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