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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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59.キミを待ってた

 少女は佇んでいた。絶えず水が溢れる水盤の傍らに。

 その水音に紛れて、鳥たちの羽音が遠ざかっていく。

 冗談みたいに美しい、春の庭園の中。

 ジェロディは少女から目を離せなかった。

 だって彼女は呼んだのだ。氷のように透明な声で――ジェロディの名を。


「き、君は……? もしかして、君もライモンド海賊団の仲間……?」


 作り物めいた少女の顔には見覚えがない。なのに彼女はジェロディを呼んだ。ということは、考えられる可能性はそれだけだ。

 ジェロディが一方的に彼女を忘却しているということは、まずないだろう。何せ少女は生きた人形みたいで、一度見たらきっと忘れられない。半透明の壁を隔てているかのように色素が薄い立ち姿も、整いすぎた顔立ちも、無機質な声もも白い手足も。


「ま、待って下さい、ティノさま。あんな小さな女の子が海賊の仲間だなんてことがありますか? もしかしたら、あの人たちに攫われてきた子供かも――」

「――残念だけど、そのどっちでもないよ。わたしは待ってた。ジェロディ、キミを」


 再び名を呼ばれ、ジェロディはドキリと胸を衝かれた。少女の目は依然ジェロディをじっと見据え、少しも揺るがない。


「おい、待て。ティノ様を待ってたってどういうことだ? どうしてティノ様のことを知ってる? というかお前、どこの誰だ?」


 そのとき、すっかり気を呑まれたジェロディに代わってオーウェンが尋ねた。彼は背中の大剣に手をかけたまま、まったく警戒を緩めていない。

 それはケリーも同じで、二人はさりげなくジェロディの前へ出た。相手はまだ十一、二歳くらいの子供だというのに、彼らの眼差しは容赦なく少女を射抜いている。

 が、対する少女は動じなかった。それどころか鼻白んだように顎を上げると、すっと澄んだ目を細め、やけに大人びた顔になる。


「――ターシャ」

「……〝ターシャ〟? それがお前の名前か?」

「そう。わたしはある人に言われてジェロディを待ってたの。要するに使いっ走り。ジェロディを導くように言われて来た、最果ての住人」

「さ、最果て……?」

「そうよ。これで満足? 野蛮な脳筋さん」

「だっ……誰が脳筋だ! こいつ、ガキのくせに生意気な……!」

「お、落ち着いて下さい、オーウェンさん! 相手はまだ子供ですから……!」


 馬鹿にされて今にも剣を振り抜きそうなオーウェンを、慌ててマリステアが抑えた。ターシャと名乗った少女はそんな騒ぎからツンと顔を背け、ひらり、白い衣を翻す。


「――ついてきて」

「え?」

「キミたち、この遺跡の異変を調べに来たんでしょ? それならその原因のところまで、案内してあげる」


 予想もしていなかったターシャの言葉に、ジェロディは面食らった。この少女は自分たちが遺跡の異変調査に来たことを知っている――?

 だがジェロディがその勅命を受けたのは今から三日前だ。それを知っているのは黄都にいる一握りの人間だけのはず……。

 加えて黄都からこの島までは、どんなに急いだって十日はかかる。ジェロディたちが二日で来られたのは竜の翼を借りたからだ。なのに彼女は先回りし、ここでジェロディたちを待っていた……?


 ダメだ。どう考えても辻褄が合わない。

 しかも彼女は、トンノから報告のあった異変の原因を知っている、だって――?


「お、おいきさま、待て! そんなことを言って、実はおれさまたちをハメる気ではないのか? 異変の原因を知っているならここで話せ! その話を信じられたらついていってやる!」


 ときにランドールが、珍しく正鵠を射たことを言った。その声で我に返ったジェロディは、彼の言動を意外に思って振り返る――この人もたまにはまともなことを言うんだな、と。


「心配しなくても、わたしは嘘はつかないしつけない・・・・。信じる信じないはキミたちの勝手だけど」

「な、何をぅ……!」

「ついてこないならそれでもいい。だったら自力で原因を探れば? まあ、わたしがいなきゃ――きっとこの先へは辿り着けないと思うけどね」


 言って、ターシャは壁の前に立った。それはジェロディたちが出てきた出口の反対側にある、真白い行き止まりだった。

 けれども壁と向き合ったターシャの頭上に、何かある。壁に嵌め込まれた、緑色の小さな――あれは宝石いし


 遠目ではっきりとは分からないが、緑色に閃くそれは緑光石りょっこうせきのように見えた。石の内側に淡い光を湛えた、赤暉石せっきせきにも並ぶ宝石だ。

 ターシャはすっと白い喉を晒して、その石を見上げた。そうして澄み切った声で言う。


「――〝栄えあれフォルセ・トワード〟」


 緑の石が閃いた。次の瞬間、ゴゴゴゴ……と音を立て、白い壁が上がっていく。

 ――隠し扉。それも合言葉に反応して開く仕組みの。

 ターシャはその仕掛けを解いた。古代ハノーク語で定められた合言葉が分からなければ、決して開かないはずの扉を、だ。


 かくして姿を現した入り口を前に、ターシャはこちらを顧みた。

 淡い胡桃色の髪が風に浮き上がり、まるでジェロディを誘うように揺れている。


「ジェロディ。わたしが待ってたのは、この遺跡がキミを待ってたから」

「え……?」

「彼らは待ってた。キミのような人間が現れるのを」

「僕を……待ってた?」

「そう。数百年もの間、運命の奔流に抗いながら。……あの人はそのために流された血を、無駄にはできないと思ってる。わたしには理解できない感傷だけど」


 分からない。

 彼ら? あの人? ――〝待ってた〟?

 ターシャの話は要領を得ない。だけど、聞き流してしまっていいものでもないような気がする。


 少なくとも彼女は――この遺跡は待っていた。

 ジェロディがいつかこの地を訪れるのを。

 そんなことが有り得るのか? という疑問は尽きないし、何のために? と訝る気持ちもある。けれどジェロディは、行かなければならないような気がした。


 ――呼ばれている・・・・・・


 そう感じるのだ。

 だから、ターシャがやがてふっと遺跡の中へ消えたとき。

 ジェロディは彼女を追って、無意識に一歩踏み出した。それを後ろからマリステアが引き止める。


「お、お待ち下さい、ティノさま! こ、このまま奥へ進まれるのですか……?」

「あのターシャとかいう子供、信用できません。言っていることがまるで理解できない。あるいはこちらを混乱させて罠に嵌めようとしている、海賊の手先かもしれませんよ」


 険しい顔をしたケリーにそうたしなめられて、ジェロディは初めて自分が歩き出そうとしていたことに気がついた。

 だが振り向けば、そこにはもうターシャはいない。――追わなければ。心がそう囁き、焦りでうなじがジリジリする。


「ケリー。あの子はたぶん敵じゃないよ。そんな気がするんだ。早くあとを追わないと」

「その根拠は何です? これ以上遺跡の奥へ進めば、簡単には外へ出られない。もしもこれが罠だとしたら、出口を塞がれる可能性だってあります。どうかここは慎重に――」

「――俺はジェロディに賛成だ」


 そのとき声を上げたのは、最後尾で腕を組んだジェイクだった。

 それを聞いたケリーが、眦を決してジェイクを見やる。余計なことを言うな、という牽制を込めたのかもしれない。

 しかしジェイクは怯まなかった。元々そんな脅しに怯むような男でもない。彼は懐から取り出した葉巻を咥えた。手慣れた様子でその先に火を灯しながら、言う。


「あの子供が本当に異変の原因を知っていて、その場所まで案内してくれるってんなら結構なことじゃねえか。何の手がかりもなく歩き回るのに比べたら、そっちの方が断然効率がいい」

「しかし、あの子が真実を言っているという証拠がどこにある?」

「仮に嘘なら、そんときゃ力づくで従わせりゃいいだけの話だろ。向こうは十二かそこらのガキ一人、こっちはあんたらに俺、ランドール殿、そして鍛え抜かれた・・・・・・憲兵さんが三人だ。数でボコればどうにでもなる」

「だが、あの先にもし海賊が潜伏していたら?」

「あんたら、さっきの決闘を見てなかったのか? ありゃどう見てもジェロディの勝ちだ。そしてやつらには海賊の掟がある。一味の長が決闘で負けたってのに、その上掟を破って報復したとなりゃ、海賊やつらの世界じゃ笑い者だ。だからあいつらはこれ以上仕掛けてこねえよ。こっちが改めて喧嘩を売らない限りはな」


 紫煙を吐き出しながらそう言って、ジェイクはわずかに目を細めた。その青鈍色の目に「どうする?」と尋ねられているような気がして、ジェロディはしばし沈黙する。


「お、お、おれさまは知らんぞ! たとえこの先に進んで何があったとしても、それはジェロディ、きさまの責任だ! 何せあの娘はおまえを待っていたと、はっきりそう言ったのだからな!」

「いやー、しかし隠し扉とは乙ですな。ここが長年海賊どもの拠点となっていることを考えると、あの奥にはやつらが世界中から掻き集めたお宝が眠ってる可能性もある。そいつは古代人じゃなくて海賊の所有物だから、いくら盗んでもお咎めナシ――」

「――よし、行くぞ! おまえたち、ボサッとするな! ここはおれさまについてこい! わははははははは……!」


 ジェイクはランドールを口車に乗せるのが上手い。いや、あの男が単純すぎるのか?

 とにかく〝お宝〟と聞いたランドールは途端に目の色を変えて、さっき見た神術砲ヴェルストの炎弾みたいにすっ飛んでいった。それを見た憲兵たちが慌ててあとを追い、残されたケリーが半眼でジェイクを睨み据える。


「……まんまとやってくれたね、あんた」

「あんたらはちょっと過保護すぎるんだよ。〝可愛い子には旅をさせろ〟って言うだろ?」

「過保護にもなるさ。この方はアンジェ様の忘れ形見で、ガルテリオ様の唯一の跡取りだよ。もしもこの先に進んでティノ様の身に何かあったら、私はあんたを突き殺すからね」


 ケリーの脅しはただの脅しじゃない。たぶん彼女なら本当にやる。

 けれどもジェイクは肩を竦めるばかりで、まともに取り合おうとはしなかった。葉巻の吸い殻を足元に放ると軽く踏み消し、そのままランドールたちを追って歩き出す。


 隠し扉をくぐると、その先はまた燭台に照らされた通路だった。振り向けば左の突き当たりにランドールたちがいて、急かすように手招きしている。

 急いで合流すると、通路はそこで右に折れていた。曲がった先に、ターシャがいる。冷めたでこちらを見つめながら、超然と。


 彼女はジェロディがやってきたことを確かめると、あとは何も言わず踵を返した。まっすぐ伸びる通路をつかつかと歩き出す。

 ジェロディたちもそれを追った。皆緊張しているのか言葉少なで、通路には銘々の足音ばかりが反響している。


 ――この先で何が待っていると言うのだろう。


 考えながら歩くジェロディの視線の先で、ターシャが止まった。目の前には壁。彼女はその前で肩にかかる髪を払うと、また何事か短く唱える。

 壁が動いた。道が開く。

 そんなことが何度か続いた。開く壁はそれぞれ求められる合言葉が違うようだが、ターシャはいずれも一発で解いてしまう。流暢な古代ハノーク語で。


 これは確かにターシャがいなければどうにもならなかった。しかしそもそもあの仕掛けは何なのだろう? 人間の言葉に反応して開閉する扉なんて、現代では見たことも聞いたこともない。

 そういう扉が他の遺跡でも確認されていることはジェロディも知っていたけれど、実物を見ると驚きが違った。母の論文によれば、ああいう扉は始世期末期の遺跡で度々発見されて――


 と、そこまで考えて、ジェロディははたと立ち止まった。

 少し先でターシャが再び立ち止まったから、ではない。


(待て。始世期末期の遺跡で・・・・・・・・・だって?)


 改めてそう考えた刹那、ジェロディはぞっとした。

 始世期末期? いや、違う。ここは元々始世期中期――ハノーク大帝国の黄金時代――に築かれた遺跡のはずだ。しかしその遺跡に、末期の技術を応用した仕掛けが遺されている。それはつまり、


(それじゃあここが母さんの論文にあった増築・・部分……古代人たちが何かを封印していた場所、ってことか――)


 重い音を立てて壁が開いた。次の瞬間、その向こうからカッとまばゆい光が射して、ジェロディたちは手をかざす。

 何だ、と思って目をやれば、それは四つの篝火だった。

 うち二つは通路の出口に。もう二つは少し先にある大広間――そこに設けられた、見上げるほど大きな扉の前に。


「着いたよ」


 あの篝火は一体誰が用意したのか、ジェロディがそんな疑問を覚える前にターシャが言った。

 やっぱり無感情で、平板な声。彼女は篝火に照らされた通路の終わりに佇んで、こちらを振り向いてくる。


「あの扉の向こう。そこに異変の元凶がある」


 胸がざわついた。ターシャがそう言って示した扉は、まるで大昔に存在したという亜人――巨人ナフィールが使う扉のように巨大だった。

 しかしそれはここまでターシャが開いてきた扉とは違う。両開きの石の扉で、手で開けようとすればかなりの人数が必要だ。

 何せ大きさから察するに、とんでもない重量がある。その扉を収めるために首が痛くなるほど高く造られた天井を、ジェロディは唖然と仰ぎ見た。


「す、すごい大きさだな……あの扉の向こうには一体何が?」

「さあ、何だろうね。人はそれを〝天恵〟とか〝寵愛〟とか呼ぶけれど」

「て、天恵だとっ!?」


 ターシャの言葉に食いついたのは、やはりランドールだった。彼は鼻の穴を膨らませ、脂ぎった頬を上気させながらターシャへと詰め寄っていく。


「そ、そ、それはつまり財宝ということか!?」

「人によってはそうとも言うけど――だけど同時に、あれは〝悪夢〟とか〝呪い〟とも呼ばれる」

「呪い……?」


 突然ターシャの唇から零れた不吉な言葉に、ジェロディは思わず聞き返した。

 ターシャはそんなジェロディを見返してくる。あくまで無表情に――それでいてどこか憐れむような眼差しで。


「わたしはそっちの呼び方の方がしっくりくるけど。あれは呪い。そして、ジェロディ――キミはその呪いに選ばれた」


 肺が凍りつくような感じがした。

 再び背筋が寒くなり、ジェロディは立ち尽くす。


 呪いに選ばれた?


 一体どういう意味だろう。たとえばこの先には古代ハノーク人たちの怨念が渦巻いている、とか?

 自分はそんな太古の領域に足を踏み入れようとしている。古代人かれらはそれを歓迎しないということか……?

 だが、そのときだった。

 硬直したジェロディのすぐ横を、赤い何かが駆け抜けていく。やはりこういうときだけ特異な敏捷性を見せるその影の主は――ランドールだ。


「ブヒヒヒ! 呪いだか何だか知らないが、お宝はお宝だ! まずはおれさまがこの目でそいつを確かめてやる……!」

「――! 馬鹿、その槓桿レバーは……!」


 瞬間、初めてターシャが顔色を変えた。彼女はランドールが走り寄っていく先にあるものを見て、両目を見開いている。

 ジェロディもそれを見た。篝火に照らされた壁から突き出ているのは、一本の槓桿だった。

 その槓桿は巨大な扉のすぐ脇にあって、まるで扉の開閉装置みたいに見える。

 だけど違った。ランドールが十分すぎる体重をかけて槓桿を引き下ろすと、足元で「ガコン」と音がした。


「え?」


 異変に気づいたジェロディが見下ろした先には――闇。

 狭い通路を抜けた先の大広間、その一方の床が沈み込んで、あっという間に地下へと伸びる急な斜面へ変わったのだ。


「うわああああああ……!?」


 魔界まで続いていそうなほど深く暗い穴。

 ジェロディたちは全員仲良くその穴へ放り込まれた。

 傾斜を転がり落ちた彼らの姿は闇に呑まれ、一瞬で見えなくなる。

 そうして悲鳴も聞こえなくなった頃、広間の床はゆっくりと、軋む音を立てて元へ戻った。


 帰ってきた静寂の中。

 ただ一人、通路に留まり転落を免れたターシャは嘆息する。


「はあ……これだから人間って大嫌い」

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