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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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58.遺跡の少女

「――ぎゃああああああ!」


 と遺跡の奥から聞こえたランドールの悲鳴に、ジェロディたちはだいぶ慌てた。

 ちょうど左右に分かれた通路の分岐点に立ち、さてどちらへ行くべきかと皆で議論していたときのことである。


「こっちだ!」


 悲鳴が聞こえたのは右へ伸びた通路の先。そう判断してジェロディたちは駆け出した。ランドールの悲鳴は断続的に続いていて、最悪の筋書きが頭に浮かぶ。

 そこは遺跡の入り口から二アナフ(十メートル)ほど進んだ先。遺跡内の通路は四十アレー(二メートル)くらいの幅で、壁には火の灯った燭台がずらりと並んでいた。


 おかげで視界は良好だが、太古の遺跡で何故燭台に火が灯っているのか分からない。あるいは海賊たちが日常的に火をつけて回っているのだろうか?

 そう言えば通路には蜘蛛の巣や瓦礫も見当たらないし、埃やかびの匂いもしない。ということはやはり、ここをアジトとする海賊たちが清掃や補修などの管理を行っていると考えた方が納得がいく――もっともあのならず者集団がせっせと通路を掃いたり遺跡の修繕をしている姿は、とても想像がつかないけれど。


「いた! あそこだ!」


 やがてケリーが声を上げ、前方を指差した。その先には確かにランドールの丸々と太った背中がある。どうやら何かに怯えて腰を抜かしているようだ。

 やはり海賊の残党か。ジェロディは駆けながら剣を抜いた。

 ランドールがいるのは通路の先、やや開けた小広間のような空間だ。ジェロディたちは次々とそこへ飛び込み身構える――が、


「……あれ?」


 と、途端に目を瞬かせたのはジェロディだけではなかった。

 何しろ問題の広間には腰を抜かしたランドール以外、誰の姿も見当たらない。

 それどころかそこは完全な行き止まりだった。武器を構えたジェロディたちの正面には、灯明かりに照らされて佇む祭壇のようなものがあるだけだ。


「あの……ランドール隊長、大丈夫ですか?」

「だっ、だっ、大丈夫ではない! へ、蛇が、蛇がっ!」

「蛇?」


 叫びながらランドールが指差した方向へ目をやれば、なるほど、そこには蛇がいた。黒と茶色の縞模様をした、いかにも毒々しい見た目の蛇だ。それがシュルシュルと床の上を這っているのを見て、マリステアが「ひっ……!?」と竦み上がる。

 が、ジェロディは拍子抜けした。何しろそれはごく普通の蛇で、むしろジェロディがたまに狩りに行く森で見かける蛇より一回り小さい。しかもこちらに害意はないようで、出口でも探しているのかにょろにょろと蠢いているだけだ。


「おい……それじゃあまさか、さっきの悲鳴って……」

「言うな、オーウェン」


 口元を引き攣らせたオーウェンを制し、ケリーが前へ進み出た。そうして軽く槍を構えると、ザクッと蛇の頭を突き刺して仕留めてしまう。

 けれども直後、蛇を見下ろしたケリーの口からため息が漏れた。同時にがっくり肩を落としているところを見ると、彼女も激しい徒労感に襲われているようだ。


「はあ、はあ……いや、危なかった! まったく、おまえらがモタモタしていたせいで、危うくその毒蛇に噛まれるところだったぞ!」

「ランドール殿、あれは毒蛇じゃありませんよ」

「え?」

「見た目は確かにそれっぽいですが、比較的大人しい無毒の蛇です。こっちからちょっかいでも出さない限り、噛まれる危険もほとんどない」

「な、何だと……! くそっ、ならば驚いて損をしたではないか! このザコめ、突然目の前に降ってきたりしおって……!」


 言うが早いか、ようよう立ち上がったランドールは憤怒の形相で蛇の亡骸を蹴飛ばした。が、文句を言いたいのはむしろ蛇の方だろう。無害なのに毒蛇と早とちりされたあげく、命まで奪われたのだから。

 ジェロディはそんなランドールの背を見て呆れながら、しかし彼の言葉に引っかかりを覚えた。ランドールは今、あの蛇が突然降ってきた・・・・・・・と言わなかったか?


 けれどこんな窓もない空間の、一体どこから――と頭上を見上げて、ジェロディは目を丸くした。

 何故ならほとんど正方形に近いその天井の中心に、小型の蛇がようやく一匹通れる程度の穴が開いていたからだ。


「もしかして、ここから入ってきたのかな……?」


 と、ジェロディは穴の真下に立ち、右目を閉じて覗いてみる。どうやら穴は斜めに掘られているようで、陽の光が射し込んでいた。

 穴の中で筒状に圧縮された光は、先程ジェロディたちが出てきた通路の方角を指し示している。その光が一筋伸びて、床へ向かって斜めに射している様はそこはかとなく美しかった。明かり取りの穴にしてはいささか小さすぎるのが引っかかるけれど。


「しかし、逃げた海賊どもはここにはいないようだな……やつら、一体どこへ消えたんだ?」


 ときに蛇の血を払ったケリーが、槍を背中の鞘に収めながら言う。彼女の言うとおり、ここまでライモンド海賊団の姿は影も形もなく、声さえも聞こえなかった。先程の分かれ道まで引き返して、左へ進めばあるいは痕跡が見つかるだろうか?


「で、ですがこの遺跡、かなり広そうですよね……さっき空から見下ろしたときには、ソルレカランテ城と同じくらいの大きさに見えました。あ、あるいはそれ以上の大きさかも……?」

「だとしたらこの遺跡中を調査するのは骨が折れるな。ただ調査するだけならまだしも、海賊どもがどこに隠れてるか分からないわけだし……」

「まあ、海賊どもの行方も気になるが、俺としてはこっちの方が興味津々だね。――見ろ。古代ハノーク文字だ」


 そのときジェイクが発した言葉を聞いて、ジェロディは思わずはっとした。見ればいつの間にか奥の祭壇へ歩み寄ったジェイクが、その真上に掲げられた壁の石版を示している。

 ジェロディも急いで行ってみると、そこには確かに古代ハノーク文字が刻まれていた。文献では模写されたものを何度も見ているが、こうして実物を見るのは初めてだ。途端に言い知れぬ感動が込み上げてきて、言葉が出ない。


「へえ、これが古代文字……しかしずいぶんと変な形のばっかりだな。現代ハノーク文字の原型になったって言われてるわりに、全然面影がないぞ?」

「そりゃそうさ。当時――この遺跡ができた始世期中期頃――には数千を超える文字が存在していて、それが時代と共に簡略化され、現代の二十二文字に集約された。現在俺たちが使っている文字は一文字一文字が〝音〟を表しているがこれは違う。いわゆる〝象形文字〟と呼ばれるもので、すべての文字がそれぞれ独立した意味を持ってるんだ。たとえばこれは、今は失われた道神イフターハを表す文字。下の二本の線はまっすぐ伸びた道を、上のこれは北極星(イマの星)――つまり〝希望〟や〝理想〟を表している。イフターハは導きの神だからな。この文字はイフターハそのものを示すこともあれば、道、開拓、発見、目標……そんな意味になることもある」


 オーウェンの疑問に答える形でジェイクが文頭の一文字を指し示し、淀みなくそう説明した。その口から滔々と流れ出る古代文字の知識を聞いて、ジェロディは図らずも感心する。

 さすがは現役の考古学者と言うべきか、ジェイクの説明は的確でいてとても分かりやすかった。これにはオーウェンたちも素直に聞き入っているようで、「ほう」とか「へえ……」とかいう感嘆の声があちこちから上がっている。


「それじゃあこの石版には、一体なんて書いてあるんだい?」

「そうだな……そういや、ジェロディ。陛下から聞いた話じゃ、あんたも古代文字を読めるんだろ?」

「え?」

「試しにこれを読んでみろよ。あんたのお勉強・・・の成果を、俺が確かめてやる」


 いかにも底意地の悪そうなジェイクの笑みに、ジェロディは思わずむっとした。この男は自分をからかっているのか、それとも馬鹿にしているのか。そのどちらだとしても腹が立つ。ジェロディはほんの一瞬でもこの男を見直したことを後悔した。


「確かに僕はいくつかの古代文字を読めますが、それを文章として訳すのはまた別の話ですよ。僕に分かるのはそれぞれの文字が持つおおよその意味だけです」

「なら、ここに記された文字の意味を並べてみろ。文章にするのは無理でも、前後の文字から相応しい意味を判断するくらいはできるだろ?」


 どうやらジェイクはあくまでジェロディの実力を試すつもりらしい。あるいはジェロディが見当外れの解読をするのを見て笑いたいのか?

 そう考えるとますます腹が立って、ジェロディはキッと石版へ向き直った。そうしてしばし古代文字の羅列と睨み合い、これだと思った答えを口にする。


「そこまで言うなら読みますが……文頭から順に拾っていくなら、道、動く、警告、禁忌、仲間、剣と楯、死者、朝、杖、鍵、太陽、線、丸い、大地、愚者、罪と罰……といったところでしょうか」


 と、一気に読み上げてから、ジェロディは急に不安になった。とりあえずここに並んでいる文字はいずれもジェロディの知っている文字だけれども、つなげてみると文脈として意味不明な箇所がある。

 だとすると全体の解釈を間違えているのか……? ジェロディはたちまち自信が萎えていくのを感じながら、改めて石版と向き合った。

 が、そんなジェロディの心境とは裏腹に、後ろでマリステアが感激の声を上げている。


「すごいです、ティノさま! そんなにたくさんの古代文字を読めるなんて……! これもアンジェさまの研究の賜物ですね!」

「い、いや、でも、もしかしたら僕が知らない意味があるかも……」

「それでもやっぱりすごいですよ! わたしも昔アンジェさまから古代文字を習いましたけど、こうして見ても何が書いてあるのかちんぷんかんぷんです!」

「そこは胸を張るところじゃないだろ、マリー。で、結局それには何が書いてあるんだい?」


 興奮気味のマリステアに苦笑しながら、ケリーがジェイクを促した。するとジェイクは意味深な笑みを浮かべて、ジェロディを一瞥してから言う。


「ま、及第点ってところか。今のをつなげて解釈すると――つまり、こういうことだ」


 言葉と同時に、ジェイクは祭壇へ手をかけた。ところが次の瞬間、その祭壇の天板が持ち上がり、まるで衣裳箱チェストのようにぱかりと開く。

 ジェロディたちは喫驚した。てっきり祭壇だと思っていたそれは、長方形の大きなはこだった。

 しかもただの匣じゃない。驚いて中を覗き込んだ直後、全員がはっと息を飲み、マリステアに至っては高速であとずさっていく。


「ひぃっ……!? じ、じ、人骨……!?」


 そう、匣の中には一体の人骨が横たわっていた。体格からして成人した男のものと思しいが、それが胸の上で杖を抱き、仰向けに寝そべっている。

 つまりこの匣は棺桶――。

 これにはさすがのジェロディも背筋が寒くなった。が、ときに横から身を乗り出したランドールが「おおっ!」と喜色に満ちた声を上げる。


「ほ、宝石だ! その骸骨の額についている石! そ、それは赤暉石せっきせきではないか!?」


 ランドールの声に従って頭蓋の方へ目をやれば、確かにそこには大きな宝石があった。人骨の額には金の額冠が嵌められており、銅貨大の宝石がそれを飾っているのだ。

 ランドールは赤暉石と推測したようだが、言われてみればそんな気もした。赤暉石とは沈みゆく夕日の色を凝縮したような真っ赤な石で、その色が〝黄昏の国トラモント〟の名に相応しいという理由から黄皇国ではかなりの人気がある。

 加えてこれだけの大きさならば、きっと三金貨シールはくだらないだろう。ランドールはそれに目をつけたのだ。


「おっ、おい、どけっ! その宝石はおれさまのモノだ! こいつを冠ごと持って帰ればかなりの額に……!」

「あっ、ダメです、ランドール隊長!」


 そのときだった。皆が宝石に気を取られた一瞬の隙に、ランドールがその巨体でもってジェロディたちを弾き飛ばし、一目散に頭蓋骨へ駆け寄った。

 だがジェロディは戦慄する。あの額冠は取ってはいけない。

 何せ母の論文によると、古代ハノーク人の遺跡は生きている・・・・・

 それはすなわち、太古の仕掛けが今も動いているということで――


「わはははは! 取ったぞ! これでこの宝石はおれさまのモノだ……!」


 ジェロディの制止は間に合わなかった。ランドールは古代人の亡骸から力任せに額冠を剥ぎ取ると、勝ち誇ったようにそれを掲げて大笑した。

 だがジェロディは目撃する。刹那、ランドールの手の中で、赤い宝石がギラリ――閃いた。

 直後、ジェロディたちの背後でズドン!とすさまじい音がする。ぎょっとして振り向けば、先程までそこにあったはずの通路が、ない。


「な、何だ!?」

「み、道が塞がれた……!?」

「閉じ込められたぞ! ジェイク、一体どうなってる!?」


 オーウェンが叫びながら顧みた先で、ジェイクが額を押さえていた。さすがの彼もいい加減、ランドールの軽率な言動に付き合いきれなくなってきたようだ。


「ランドール殿、人の話は最後まで聞いて下さいよ……」

「な、何だ、おれさまが悪いとでも言うのか……!?」

「あのですね、ランドール殿もさっき外で古代兵器の脅威を目の当たりにしたばかりでしょう? 古代ハノーク人ってのはああいう特殊な技術をごまんと持っていて、それを財産として守るためにあらゆる手段を講じているんです。だからこういう遺跡には盗掘防止用の罠が無数にあって、同胞に対する注意書きもある。〝気をつけよ、死者を目覚めさせる禁忌を犯せば、道は途絶える〟と――」


 ジェイクが例の石版を指差して言った矢先、突然ズンと足元が揺れた。

 地震のようなその衝撃に、ジェロディは思わず転びそうになる。頭上からパラパラと砂が降ってきた。続いて響く地鳴りに似た音――ランドールが額冠を奪い取ったのをきっかけに、遺跡が鳴動を始めたのだ。


「お、おい、何だこれ!? 一体何がどうなって……!」

「――壁だ! 壁が迫ってくる!」


 瞬間、ケリーが上げた鋭い声に全員が震撼した。見れば彼女の言うとおり、広間の左右から石の壁が迫ってくる。通路へ続く出口だけでなく、この部屋そのものが閉じようとしている・・・・・・・・・――!


「な、ななな何だこれはっ!? こっ、このままでは挟まれてぺしゃんこに……!」

「額冠です、ランドール隊長! その額冠を死者のもとへ戻して下さい!」


 さすがのランドールも金と命なら後者を取るのだろう、ジェロディの指示を聞くとすぐさま棺に飛びついて額冠を元に戻した。普段からああいう機敏な動きができればいいのに……と、ジェロディは少し場違いなことを思った。

 だが、額冠が元に戻っても壁の前進は止まらない。依然白い砂埃を降らせながら、ゆっくりとこちらへ迫ってくる。


「ダメだ、止まらない! このままじゃ……!」

「ひいぃぃぃ……! お、おれさまが悪かった! もう何も盗らんから、だからお助けえぇ……!」

「ジェイク、どうにかならないのか!?」

「はあ……」


 オーウェンの催促に、ジェイクは深々とため息をついた。それからあまり気乗りしない様子で棺へと向き直る。

 こんな状況だというのに、彼だけは妙に冷静だった。ジェイクはそのまま棺へ手を突っ込むと、中から何かを取り上げる。

 それはあの人骨が抱いていた杖だった。ほとんど何の装飾もない、石製の簡素な杖だ。ジェイクはその杖を手に踵を返すや、つかつかと反対側の壁へ歩み寄った。その壁はつい先程、通路への出口を塞いだ壁だ。


「じ、ジェイクさん、何をしてらっしゃるんですか……!?」

「まあ、いいから見てろって」


 左右の壁は既に、大人五人が並んで立てるかどうかというところまで迫っている。このままでは全員圧死だ。だというのにジェイクは至って落ち着き払った様子で、手にした杖を壁へ向けた。

 刹那、ジェロディははっとする。ジェイクが杖の先端を向けた先。

 そこには小さな穴がある。それも先程ジェロディが見上げた天井の穴――その穴から射し込む陽光がまっすぐに示す先に。


 ジェイクは迷わず、その穴に石杖を差し込んだ。

 そうして奥まで押し込むと、ぐるっと手首を回して杖を拈る。

 直後、地鳴りが止んだ。

 更に左右の壁もぴたりと動きを止め、束の間の静寂があたりを満たす。


「と、止まった……?」


 ジェロディがそう呟いたときだった。突然ガコン!と何か重いものが嵌まるような音がして、再び壁が動き始めた。

 だがそれは元の位置へ収まるためで、壁はずるずる音を立てながらゆっくりと後退していく。

 それから広間が元の姿を取り戻すまで、そう時間はかからなかった。

 左右の壁は燭台の火を揺らしながらついに静止し、ほどなく通路を塞いでいた壁も天井の溝へと吸い込まれていく。


「〝この罠を、我ら同胞はらからの誇りを守るためここに遺す。気をつけよ、死者を目覚めさせる禁忌を犯せば、道は途絶える。もしも汝が同胞ならば、杖を鍵とし太陽の指が示す先へ。しかし汝がハノークの地を侵す愚者ならば、その罪に相応しき罰を受けよ〟――」


 そのとき穴から引き抜いた杖をくるりと回して、ジェイクが演劇の台詞でも諳んじるみたいに言った。

 しかしジェロディにはすぐに分かる。それはあの石版に刻まれた文字――古代ハノーク人たちが同胞のために残した警告文だ。

 ジェイクは唖然とするジェロディたちの目の前を擦り抜けて再び棺桶の前に立つと、死者の手に杖を戻した。


 すると再びガコン!という音がする。皆がびくりと飛び上がった。

 まさかまた別の罠が……!? と身構えた瞬間、にわかに棺の左右の壁が持ち上がる。途端に射し込んできたのはまばゆい陽光――ジェイクが杖を戻したことで、外へと続く新たな扉が開いたのだ。


安らかでレスタ・ありますようにイン・フェルド


 棺の蓋を閉じながら、ジェイクは最後にそう唱えた。それは世の考古学者たちが今は亡きハノーク人たちを讃え、惜しみ、冥福を祈る古代ハノーク語の決まり文句だった。


「ほらよ。これで満足か?」

「……ジェイク。あんた、本当に考古学者だったんだな……」

「お褒めにあずかりどうも」


 茫然と呟いたオーウェンの言葉を皮肉と受け取ったのだろうか。ジェイクは投げやりに答えながら、肩に乗った砂を払った。

 しかし正直、ジェロディもオーウェンと同じ気持ちだ。さっきはこの男を見直して損をしたと思ったが、やはり彼もまた母と同じ考古学者――偉大な文明を遺した古代ハノーク人に対して敬意を払い、彼らのことをしっかりと理解している。

 ジェロディは改めて彼とその肩書きに尊敬の念を抱いた。認めるのは少々癪だが、それでも彼が優れた学者であることは確かだ。


「た、た、助かった……まったく、一時はどうなることかと思ったぞ! ジェイク! きさま、こんな仕掛けが用意されていると知っていたなら、先にちゃんと忠告せんかっ!」

「忠告しようと思ったのに聞かなかったのはランドール殿でしょう。これに懲りたら、遺跡のものには勝手に手を触れたりしないで下さい。でないと次は本当に命を落としますよ」

「くっ……そ、そんなこと、言われなくとも分かってるっ! それよりその扉は何だ、風が吹いてくるということは外なのか!?」


 今回ばかりは反論のしようがなかったのだろう、ランドールは強引に話題を変えると、新たに開いた扉を指差した。そこからは確かに潮の匂いを孕んだ風が吹いてきて、さわさわと草木の揺れる音もする。

 一行はひとまず、その扉を通って外へ出てみることにした。新たな罠や海賊を警戒しながら、そろそろと太陽の下へ出る。


「……え?」


 そこでジェロディたちは目を疑った。

 扉をくぐった先には、満目の草木と美しい花々――そして鳥たちがさえずる庭園が広がっている。

 さらさらと聞こえてくる心地良い音は、さかずきのような形をした水盤から滴る水の音。それは箱型の庭の真ん中にあった。仰ぎ見た先には四角い空。これで上空が晴天だったなら、ジェロディたちはその場所を神々の創り給うた楽園と誤解したかもしれない。


「こ、これは……真冬のこの時期に、花――?」


 唖然としたケリーが呟き、ジェロディも息を飲んだ。そう、この箱庭はどう見ても季節がおかしい。

 本土ではほとんどの草木が枯れて侘しい景観になっているというのに、ここはまるで常春とこはるだ。咲き誇る色とりどりの花の間には蝶々まで飛んでいる。

 それもソルレカランテ近郊では見かけたことのない、美しい蝶だった。黒く縁取られたはねは七色に輝き、鱗粉を振り撒きながらひらひらと宙空を舞っている。


 あまりにも浮世離れした、幻想的な景色。ところがジェロディたちが幻の春に見惚れていると、不意にパキッと枝を踏む音がした。

 その音ではっと我に返った皆が、各々の武器に手をかける。音は寄せ植えされた針葉樹コニファーの向こうから聞こえた。一度ではなく、断続的に――まるで人の足音のように。


「誰かいるのか!?」


 槍を抜いて、ケリーが叫んだ。

 瞬間、綺麗に並んだ木々の向こうから小さな人影が現れる。

 やわらかな風に靡く、褪せた胡桃色の髪。膝下まで伸びた純白の衣。

 ゆったりとした袖口から覗く両腕は、陽射しの下にあって病的に白い。

 それは小柄なジェロディより更に小さな――面差しに幼さを残す少女だった。

 けれど彼女は無表情でそこに突っ立ち、ぞっとするほど透き通った星銀色のを上げて、ジェロディを見据えてくる。


「待ってたよ、ジェロディ・ヴィンツェンツィオ」


 一際強い風が吹いた。

 その風に急かされたように、鳥たちが空へ羽ばたいていく。

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