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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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57.キャプテン・ハット

 薄く広がる雲を貫き、陽光が斜めに射していた。

 そうして大地に突き刺さる光の槍を、ジェロディは唖然と仰ぎ見る――否。

 刹那、ジェロディが視線を上げたのは、その芸術的な光の絵画に見惚れるためなどではなかった。じゃあ何を見ていたのか? 決まっている。


 遥か頭上、そこで舶刀を振りかぶった女海賊カルロッタだ。


「――行くぜ!」


 口元に湛えた狂喜の笑み。それと共に彼女が降ってきた。

 そう、文字どおり降ってきた・・・・・

 ジェロディの頭上、遥か四十アレー(二メートル)もの高さから。

 正直言ってジェロディは目を疑ったが、すぐにそれどころではなくなった。気づくと睫毛の先に舶刀の切っ先がある。一瞬の出来事だった。ジェロディはすんでのところで斬撃をかわし、更に着地したカルロッタの刺突をどうにか弾く。


「ハ! そうこなくっちゃな!」


 明らかに戦いを愉しんでいる態度。それが彼女の余裕なのだと見て取って、悔しまぎれに斬りかかった。

 だがカルロッタは素早い身のこなしで後方へ跳び、あっという間にジェロディの間合いの外へ出る。頭に乗せた海賊帽を軽く押さえて、彼女は笑った。

 次の瞬間、その足が再び大地を蹴り、ジェロディへと肉薄する。『閃鬼』と呼ばれる現近衛軍団長セレスタにも劣らぬ瞬発力。だがもっと恐ろしいのが――


「は――……っ!?」


 負けじと踏み込んだジェロディの一撃。それを軽やかに回避して、カルロッタが消えた。いや、跳んだ。消えたと錯覚するほど素早く、高く。

 そうして再び見上げた先で、彼女はジェロディの頭上を跳び越えようとしている。信じがたい跳躍力。いくらジェロディが小柄だと言ったって、あの高さならきっと三十八葉(一九〇センチ)に迫るオーウェンの背だって跳び越えられる。とても人間業とは思えない。


 それどころかカルロッタは空中でくるりと体を丸めると、一回転して体を拈り、着地と同時にこちらへ突っ込んできた。

 来ると分かっていても、ギリギリの一撃。ジェロディは振り向きざまに一歩下がった。眼前をカルロッタの舶刀が横切っていく。はらりと散ったのは黒い髪。どうやら前髪をやられたようだ。


「へえ、今のを避けるかね」


 ――いや、正確には避けきれていない。内心そう切歯したジェロディの懐へ、カルロッタが飛び込んできた。

 体側から刃を振り抜いてくる。ジェロディはその一撃をどうにか弾いた。弾いた。弾いた。


 こちらに息もつかせぬ連撃。カルロッタは中段、下段、上段と都度打ち込みの高さを変えながら、かなり小回りの効いた斬撃を放ってくる。

 これはもう戦い慣れているなんてものじゃない。殺し慣れている・・・・・・・

 何せどんなに続けざまに攻撃を繰り出しても、隙が最小限なのだ。脇は締まっていて、足捌きも上手く、斬り返せばサッと避けられる。そこからまた反撃に転じる早さと言ったら。こちらが剣を引き戻す前に攻撃が来るから、迂闊に前へ出られない。


「なあ、一ついいことを教えてやろうか」


 ジェロディが放った苦しまぎれの一撃を軽くなし、口笛でも吹くようにカルロッタが言った。

 彼女は現在右手に舶刀を持ち、左手で海賊帽を押さえている。つまりジェロディが仕掛ける攻撃を片手で軽々退けながら話している、というわけだ。


「お前さ、アタシが何で『海賊帽キャプテン・ハット』なんて呼ばれてるか知ってるか?」

「そんなこと……!」

「知ったこっちゃねーってか? まあそうつれないこと言うなよ。この名前はな、今まで一人たりとも、アタシがこの帽子を外したところを見たヤツがいないからついたんだ。つまりどういうことか分かるか?」

「さあ、分からないね!」

「そうか。じゃあ教えてやる――これまでアタシとった相手はな、全員この帽子すら落とせずに死んでいったってこった。そのアタシに勝とうなんざ、百年早い!」


 カルロッタが隻眼を見開き、吼えた。

 同時に繰り出された切っ先が、ジェロディの耳を掠めていく。

 不意を衝かれた。それほどまでに巧みな――流れるような一撃だった。

 辛くもそれを躱したところへ、カルロッタの回し蹴りが飛んでくる。避けきれない。ジェロディはとっさに左腕を出して攻撃を受けた。予想外の力に吹き飛ばされる。


 すぐに受け身を取ったつもりが、右肩を強打した。カルロッタの蹴りには妙な拈りが加えられていて、吹き飛ばされたジェロディの体にも回転がかかったのだ。

 岩の上を滑り、痛みに呻きながら、それでも何とか体を起こした。

 膝をつき、ただちに向かってくるであろうカルロッタに備えようとする。

 しかし、


「いない――?」


 振り向いた先、そこにはもうカルロッタの姿はなかった。彼女が蹴立てたと思しい砂埃がサラサラと靡いているだけだ。

 だがそれを見て茫然としたジェロディの耳に、マリステアの悲鳴が突き刺さった。


「ティノさま、後ろです!!」


 はっとした。

 そうして目を見開いたときには既に、風を斬る音が耳に届いていた。

 真後ろから振り抜かれた一撃が、ジェロディの側頭部に直撃する――少なくともその一瞬、誰もがそう予感したに違いない。

 けれども刹那、ジェロディは体を倒し、地面を転がることでそれを避けた。まさに命辛々、間一髪、九死に一生といったところだが、それで終わらせてくれるほど甘い相手なら、きっと百金貨シールもの賞金なんて懸からない。


「ティノ様……!」


 ケリーたちの声が聞こえた。肘をついて顔を上げると、もうすぐそこに振り下ろされる刃があった。

 ジェロディはとっさに仰向けになり、剣を支えてその刃を受け止める。

 だが状況は思ったより悪かった。カルロッタはすらりとした脚でしっかりとジェロディの体を跨ぎ、完全に逃げ場を奪っている。


「さあ、終わりだ。観念して首を寄越しな、ヴィンツェンツィオのお坊ちゃん!」


 三日月のように口角を吊り上げ、カルロッタが舶刀に全体重を乗せた。ギリギリと上から押しまくられ、支えるジェロディの両腕が震え出す。

 もうダメだ。こればかりはどうしようもない。ギラギラしたカルロッタの左目に、奥歯を噛み締めた自分の顔が映っている。


(こんなところで……!)


 互いの刃がカタカタ音を立て始めた。

 ジェロディの剣が徐々に下がり、舶刀の切っ先が迫ってくる。


 ――こんなところで。


 自分の人生は、こんなところで終わるのか。

 ようやく父と同じ大地に立てた。この国の真実を知った。

 やるべきことがたくさんある。守るべきものもたくさんある。


 なのに――


(僕がここで負けたら、竜父様が……ケリーたちが……マリーが……!)


 その竜父はまだ来ない。

 自分では彼らが駆けつけるまでの時間を稼ぐこともできないのか。

 こんなはずじゃなかった。自分は軍に入ってこの国を守りたかった。父の隣に立ちたかった。けれどそんな夢もここで潰える。

 死を間近に控えたジェロディの脳裏に浮かんでくるものは、あの日最後に微笑んだ母の顔、泣いていたマリステア、父の手の温もり、黄帝オルランドと共に見た、黄金に輝く黄昏の――


『――剣を抜きなさい』


 追憶の向こうで、誰かの乾いた声がした。


『ガルテリオ将軍やお前に足りないものとは何か――それを私が直々に教えて差し上げましょう』


 フラッシュバック。

 あの日ジェロディを圧倒したセレスタの剣。

 彼女から吐き捨てられた、胸を抉る言葉――。


(ああ、そうか)


 そのときになってジェロディはようやく、セレスタの言葉の本当の意味を理解した。父や自分に足りないもの。近衛軍士官としての使命を果たすため――黄帝あるじを守り抜くために必要なもの。それは、


「――我が身に眠る、いかずちの精霊よ」


 刹那、カルロッタが隻眼を見開いた。


「汝の力、今こそ解き放ち――邪神と契りし者を討て!」


 そう叫ぶと同時に、両腕が軽くなった。

 当然だ。カルロッタが背後へ跳躍したのだから。

 彼女は神術を警戒した。神術が来ると思った。

 だから回避行動を取った――でも。


「残念」


 神術そんなものは起こったりしない。だってジェロディは生まれてこの方、一度だって神刻エンブレムを刻んだことなどないのだから。


「はああああっ!」


 跳び起きざま、ジェロディはカルロッタの懐へ踏み込んだ。

 この勝負の行方を懸けた、乾坤一擲の一撃だった。

 カルロッタはたぶん、何が起きたのかすぐには分からなかったのだと思う。てっきり神術が来るとばかり思い込んで、それがジェロディのハッタリ・・・・だと気づくのが遅れた。

 その思い込みが最初で最後の隙を生む。ジェロディはそこにすべてを賭けた。

 下段から剣を振り上げる。

 軽い手応えがあった。


 ジェロディの剣は、カルロッタを斬り裂かなかった。


 さすがは歴戦の海賊と言うべきか。彼女はすんでのところで仰け反って、ジェロディの攻撃を躱した。しかし代わりに何か黒いものが舞い上がり、ほどなくジェロディたちの視界へ落ちてくる。

 それはカルロッタが被っていた黒革かわの海賊帽だった。

 落ちた帽子はパサリと微かな音を立て、二人の間に着地する。


「……え?」


 ジェロディとカルロッタの声が揃った。

 本来ならそこで間を置かず、互いに攻めかかるべきだったのだと思う。

 でも、ジェロディにはそれができなかった。

 というか考えられなかった。

 だって、海賊帽が外れたカルロッタの頭部。

 そこからひょっこりと伸びた、白くてふわふわの――


「う……ウサギの、耳――?」


 ジェロディの漏らした声に反応して、白いふわふわがひょこっと動いた。その瞬間ジェロディは確信する――これ、作り物じゃない・・・・・・・


「か、カルロッタ……まさか、その耳……もしかして、兎人ラビットの半獣人……!?」


 その場に居合わせた誰もが、衝撃のあまり言葉を失っていた。

 半獣人。それはいわゆる獣人と人間の間に生まれた合いの子で、人間の姿に獣人の特徴を持つ人種のことだ。

 カルロッタはその半獣人だった。それも瞬発力に優れ、非常にすばしっこいことで有名な兎人族の。どうりであの跳躍力――。

 ジェロディはすべてに納得がいった。が、ときにカルロッタの唇が微かに動く。


「……み……」

「み?」


 聞き返したところで、ジェロディは気づいた。

 すぐ目の前で立ち尽くしたカルロッタの目が、肩が、脚が――全身がわなわなと震えている。


「み……み……――見るなあああああああっ!! うわあああああああああん!!」

「船長ーーーッ!?」


 次の瞬間、カルロッタは光の速さで帽子を拾い上げるや、身を翻して駆け出した――文字どおり脱兎のごとく。

 彼女はそのまま目にも留まらぬ速さで遺跡の中へ逃げ込んでいく。それを見た海賊たちの間に動揺が走った。何せ自分たちの船長が黄皇国の軍人に負けた上、半獣人で、正体を知られるなり泣きながら逃げ出したのだ。


「お……おい、どうなってんだコレ!? 船長って半獣人だったのか!?」

「知らねーよ! オレだって初耳だよ!」

「どうりで人前じゃ帽子を脱がねえと思ったよ! けどあの性格とあの容姿ナリでウサギ耳ってどうなんだよ!?」

「いや、俺的にはわりとアリかな……」

「ってんなこと言ってる場合かッ! バカ野郎ども、船長を追うぞ!」

「そうだ! てめえらよくもウチの船長を泣かせやがったな! 許さねえ!」

「覚えてろ!」


 海賊たちは最後に何かよく分からないことを喚き立てると、あとは全員が雪崩を打ってカルロッタを追っていった。

 おかげで熱狂の波は引き、遺跡の前に元の静謐が戻ってくる。


「……えっと……これは一応、勝った……のかな……?」


 一人残されたジェロディは、とりあえず勝利を宣言してみた。疑問形で。

 それにしてもカルロッタには悪いことをした。彼女は自分が兎人の血を引く半獣人であることを仲間にも隠していたらしい。

 それもそのはず、何せ半獣人という人種はエマニュエルのどこへ行っても差別される。人と獣の血が混じったいびつな存在として、人間からも獣人からも忌み嫌われているのだ。


 おかげで半獣人は存在自体がかなり稀少で、ジェロディも本物を見たのはこれが生まれて初めてだった。

 けれど半獣人は大抵の場合、見つかれば捕まって奴隷として扱われる。トラモント黄皇国には奴隷制がないからまだいい方だが、それでも武器を振り上げて追い立てられることくらいはあるだろう。

 彼女がそんな存在であることを――不可抗力とは言え――ジェロディは公衆の面前で暴いてしまった。最後に見たカルロッタの真っ赤な顔が脳裏に甦り、何とも言えない罪悪感が胸を満たす。しかしそうしたジェロディの心中などお構いなしに、


「あ……あ、あああああああっ!! 百金貨の賞金首が逃げたではないかぁっ!!」


 と、後方でランドールが喚いた。その声がジェロディを現実へ引き戻した。全然有り難くなかった。


「お、おいきさまら、何をボヤッとしてる! 追うぞ! 今ならやつの首を取れるかもしれん!」


 さっきまでの怯えた様子はどこへやら、ランドールは性懲りもなくそう叫ぶと、遺跡に向かって駆け出した。駆け出した、と言ってもぶくぶくと肥え太っている上に足が短いので、ジェロディが歩くのとほとんど変わらない、よたついた足取りだったけど。


「ら、ランドール隊長、今遺跡へ入るのは危険です! ひとまず危機は脱したわけですし、ここは一度竜父様たちと合流して……」

「バカを言え! 目の前に、追い詰められた賞金首が、いるのだぞ! それを、このまま、逃がしてなる、もの、かッ! ひゃ、百金貨はおれさまのものだ! ブヒヒヒヒ……!」


 背後から呼び止める憲兵たちの制止も聞かず、えっちらおっちら、ようよう遺跡の石段を上り終えたランドールは、息せき切らせながら笑って奥へと消えた。それを見た憲兵たちは「どうしよう?」と言いたげに青い顔を見合わせている。

 しかしジェロディは何だか冷めた気持ちだった。要望どおりこちらは命懸けで勝利をもぎ取ったというのに、ランドールはそれに感謝するどころかあの態度だ。いや、別にあの男には初めから何も期待していなかったけど。


「ど、どうします、ティノさま? ランドールさま、行ってしまわれましたよ……?」

「あのアホ、さっきの勝負を見てなかったのか? いくら逃げ出したとは言え、あのカルロッタとかいう女、簡単に首を取れるようなタマじゃないぞ」

「まあ、本人が華々しく殉職したいって言うなら私は止めないけどね」

「で、でも、それじゃああとで〝どうしてランドールさまを助けなかったんだ〟って怒られるんじゃありませんか……?」


 不安げに尋ねてきたマリステアを一瞥して、それからジェロディたちは互いに顔を見合わせた。

 認めたくはないが、確かに彼女の言うとおりだ。ここでランドールの身に何かあれば、黄都へ戻ったあと必ず憲兵隊長マクラウドあたりが難癖をつけてくるに決まっている。上官の命令に逆らったとか、敵前逃亡したとかそんな理由で。

 そう考えたジェロディは剣を鞘に収めながら、一度深々とため息をついた。

 本当はランドールの安否なんてどうでもいい。しかし軍人という肩書きが、ジェロディに待機することを許さない。


「しょうがない……僕たちも隊長のあとを追おう。どのみち今回の任務は遺跡の調査が本命なんだ。それなら中に海賊がいようがいまいが、結局遺跡には入らなきゃならない」

「くそっ、本当に世話の焼ける隊長だな」


 オーウェンが悪態をつき、ケリーも大息をついた。そんなこちらの反応を見て、行くと察したのだろうか。ジェイクがめんどくさそうにしながらも歩いてくる。

 竜騎士のニルデには、緑竜の治療のためここに残るよう伝えた。数名の憲兵もまた――役に立つとは思えないが――その護衛として残していくことにする。


 遺跡の奥は外に通じているのだろうか。

 円柱が並んだ入り口から、風がひゅるひゅる這い出してきた。

 太古の息吹を身に浴びて、ジェロディは一つ深呼吸する。ここは古代ハノーク人が築き上げた神秘の遺跡。何が待ち受けていてもおかしくはない。


「よし。行こう、みんな」


 ジェロディは仲間を顧み、号令した。


 苔生した白亜の神殿が、彼らを凝然と見下ろしている。



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