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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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56.海賊の流儀

「いやぁ、しかし驚いた。沖の方で野郎どもがドンパチやってるのが聞こえて来てみりゃ、ずいぶんと珍しいお客サンだ。その格好、てめえら黄皇国軍の回しモンだな? おまけに竜と竜騎士サマまでご一緒ときたもんだ」


 何が可笑しいのか、赤服の女は腕を組んだまま仰け反って呵々と笑った。まるでそれにつられるように、周りの男たちもワハハハとかゲヘヘヘとか、とにかく品のない笑いを漏らしている。

 そこはクアルト遺跡の真ん前に広がる開けた岩場。

 ジェロディたちは岩壁に囲まれたその場所で、見るからに海賊の一味らしい集団と対峙していた。驚きと緊張とで、皆、体が硬直している――まさかここにも海賊がいたなんて!


「ハッ、ったく腐れトラモント人どもめ、ついに軍じゃ歯が立たねえと踏んで今度は竜を寄越したわけか。てめえのケツもてめえで拭けねえとは、とんだタマなし集団だな、黄皇国軍ってのは」

「な、なんだと! きさま、おれさまを愚弄する気か! 海賊風情が偉そうに……!」


 そのとき女の侮辱に激昂して、立ち上がったのはランドールだった。〝タマなし〟とは、さっきまで砲撃に怯えて腰を抜かしていた男にはピッタリの言葉だが、どうやら本人に自覚はないらしい。

 ――それにしても、なんて汚い言葉を吐く女だ。

 ジェロディは驚きと動揺と不快感で、何とも言えない顔をした。十四年間生きてきて、あんなに口の悪い女を見たのは初めてだ。男だってあそこまで口汚い者はなかなかいない。


 ジェイクが『海賊帽キャプテン・ハット』と呼んだその女は、まだずいぶんと年若い娘に見えた。たぶん二十歳はたちを越えて間もないと思われるが、それであの口調とは恐れ入る。

 しかし体型はすらっとした長身で、顔もよくよく見れば美人と呼んで差し支えない造形だった。あの右目を覆う眼帯を外し、なおかつ潮風でごわついた髪を整えて盛装させれば、それなりの家の令嬢に見えるはずだ。そのためには彼女に一生口を閉じていてもらわなければならないけれど。


「だいたいきさま、一体何だ、その格好は!? 女のくせに海賊の真似事なんぞしおって! 身の程知らずの恥知らずめが、このおれさまを……!」

「ランドール殿、お気持ちは分かりますがその辺で。あいつは『赤服のカルロッタ』。その昔腕に覚えのある男どもを十数人、たった一人で薙ぎ倒して、着ていた服を返り血で真っ赤に染めたって逸話のある海賊です。女だからとナメてかかると、一瞬でタマ取られますよ」

「おい、ジェロディ! 何をぼさっとしている! 早くおれさまを守らんか!」

「さっきまでの威勢は何だったんだよ……」


 げんなりした様子でオーウェンが呟けば、それを聞いた海賊たちが哄笑した。他方ジェロディはあんな男が――たとえ一時的なものではあっても――自分の上官なのだと思うと、恥ずかしいとか憤ろしいとかいう感情を超えて、ただただ悲しい。

 が、当のランドールはもはや恥も外聞もないのか、連れてきた部下たちの後ろにサッと隠れて震えていた。そんなランドールの醜態を見た女海賊が、海色の片目を細めてニヤリと笑う。


「さすがはクソトラモント人、いい腰の砕けっぷりだ。しかしそっちの顎ヒゲは、ずいぶんアタシの経歴に詳しいじゃねーか。前にどっかで会ったか?」

「いいや、滅相もない。ただ前にあんたの手配書を見かけたことがあってな。そのときにちょいと調べたんだよ。何せ女で百金貨シールもの懸賞金を懸けられる悪党なんて、そうそういるもんじゃねえからな」

「ひゃ、百金貨だとっ!?」


 ジェイクの発言に、すかさずランドールが食いついた。怒ったり怯えたり驚いたり、まったく忙しい男だ。

 けれども今度のそれは女海賊――名はカルロッタと言うらしい――へ対する畏怖ではなかった。ランドールは彼女の首に懸かった懸賞金の額を聞くや否や、贅肉にくに埋もれた両目を輝かせる。


 ――嫌な予感がした。


 そしてその予感は、当たらなくていいのにすぐさま当たった。


「わ、わは、わっはっはっはっ! おいおまえたち、聞いたか! あの女の首には百金貨もの賞金が懸かっている! つまりあの女海賊を討ち取れば、おれさまの懐に大金が転がり込んでくるというわけだ! そうだな、ジェイク!?」

「ええ、まあ、討ち取れたら・・・・・・の話ですけどね」

「よし! ならば行け、ジェロディ! おまえは曲がりなりにもあのガルテリオの倅、女海賊ごときに後れは取るまい!」


 ジェロディは額に手を当てて、深々と嘆息したいのをどうにかこらえた。左右ではケリーとオーウェンもまた、怒りと呆れと諦めと――とにかくそんな感じの感情がい交ぜになった顔で口元を引き攣らせている。

 それもそのはず。何しろランドールが迂闊に漏らしたガルテリオの名が、海賊たちを色めかせた。

 さすがは我が父と言うべきか、どうやらガルテリオの名はこんな離島で暮らす海賊たちの耳にも届いているらしい。でなければ海賊どもが突然殺気立ったこの状況に説明がつかない。


「船長、聞きやしたか? あのガキ、ガルテリオ・ヴィンツェンツィオの倅だって……」

「ああ、確かに聞いた。黄皇国も何だってあんな無能とガキなんざ送り込んできたのかと思ったが、そういうことか」


 まるで獲物を見つけた捕食者のように、カルロッタはペロッと唇を舐めた。その瞳の獰猛さと言ったら、本当に女とは思えない。

 刹那、彼女が腰の舶刀かたなを抜いた。それを合図に、周りの男どもも一斉に身構える。


「あのガルテリオ・ヴィンツェンツィオに息子がいたってのは初耳だが、コイツはライモンド海賊団の名を上げるいい機会だ。おまけに後ろの竜は手負いだな? ――おい、野郎ども! ガキの首と竜命石、この機にどっちもいただくぜ!」

「応!!」


 ――最悪の事態になった。ジェロディが愕然とする暇もなく、遺跡へと続く石段を駆け下りて、雄叫びを上げた海賊たちが迫ってきた。

 その数は二十、あるいは三十。どちらにせよジェロディたちの倍以上だ。こちらには赤竜のイルヴァがいるが、この狭い空間では思うように暴れられない。何より彼女は、傷ついた緑竜なかまを守らなければならないはずだ。


「ケリー、オーウェン、とにかく応戦を! マリーはイルヴァさんのところまで下がって……!」

「は、はい……!」

「アイーダさんを守るんだ! やつらに竜命石を渡しちゃいけない……!」


 ジェロディは後方に控える憲兵隊まで奮い立たせるように、剣を抜きざまそう叫んだ。が、海賊どもの気勢に憲兵たちは竦み上がり、武器を構えようとさえしない。

 そんな彼らのていたらくに、ジェロディは舌打ちして身を翻した。

 とにかく今は緑竜アイーダだ。竜命石を奪われたら彼女は死んでしまう。あの石は竜の命そのもの――それでいて、人間が砕いて飲めば不老長寿を得られると信じられている未知の宝石だ。


 だから竜命石は高値で売れる。それこそ百金貨なんて目じゃない法外な金額で、だ。海賊たちが目の色を変えるのも無理はない。

 叶うことなら、赤竜イルヴァに彼女を連れて逃げてほしかった。だが海賊の邪魔が入ったせいで、緑竜アイーダは未だ竜の姿のままだ。あれではイルヴァひとりでは運べない。このままでは狙い撃ちにされる――!


「おらあああああっ!」


 アイーダを庇うように立ち塞がり、喚声を上げた海賊の刀を受け止めた。ガギンッと硬い音がして、目の前に小さな火花が散る。

 けれどいくら何でも多勢に無勢だ。ジェロディがそうしている間にも、左右を海賊が駆け抜けていく。

 彼らは狂喜を浮かべて刃を振りかぶり、赤竜の攻撃をかわして、傷ついた緑竜を、


「やめろ――!」

「――パーレイ!」


 そのときだった。

 戦場の喧騒と、駆け出していた海賊たちの動き。その双方が、ジェイクの一声によってぴたりと止まった。

 時間が静止したかのような静寂。ジェロディは唖然として目の前の海賊を顧みる。


 すると彼は苦り切った顔をしながら、構えていた刀を引いた。今にも緑竜へ肉薄しようとしていた海賊たちも同様だ。

 彼らは皆ひどく忌々しいものを見るときの表情でジェイクを見ていた。が、当のジェイクは腰に提げた剣も抜かず、ただ咥えていた葉巻を取ってぷはーっと煙を吐いている。


「ご静聴どうも。これは交渉に応じていただけるってことでよろしいんですかね、キャプテン・ハット殿?」

「……顎ヒゲ、てめえパーレイなんてどこで知った?」


 憎々しげに顔を歪めたのはカルロッタも同じだった。遺跡の前で手下の活躍を見守る構えでいた彼女は、まるで牙を剥く猛犬のようにジェイクを睨み据えている。


「こう見えて、俺は世界を股にかける考古学者サマなんでね。いざってときにあんたらみたいな無頼漢から身を守る術は心得てる」

「考古学者だァ? てめえら、アタシらを討伐に来た黄皇国の狗じゃねーのか?」

「まあ、半分はそうだ。だが俺の目的はあくまであんたの後ろにあるその遺跡を調査すること。あんたらさえ大人しく引いてくれりゃ、事を荒立てるつもりはない」

「お……おい、ちょっと待て、ジェイク。何なんだ、その〝パーレイ〟って?」


 話についていけないといった様子で、大剣を構えたままのオーウェンが尋ねた。するとジェイクは再び葉巻を吹かし、いつの間にかだいぶ短くなったそれを足元へ放りながら言う。


「パーレイってのは、まあ、簡単に言や海賊の言葉で〝交渉〟って意味だ。こいつを申し込まれた海賊は、必ず相手との交渉に応じなきゃならない。たとえ相手が同じ海賊だろうと、カタギだろうとだ。そうだろ、キャプテン・ハット殿?」

「チッ……そのヒゲの言うとおりだ。パーレイは六つの海で約束された海賊の掟。この掟を守らねー海賊は海賊じゃねえ。アタシらは分別も節操もない湖賊どもと違って、命乞いするヤツらまで無慈悲に殺したりはしない」


 ――それが海賊の誇りってモンだ。驚くべきことに、カルロッタはそう言って刀を収めた。その表情はいかにも不満げだったが、それでも海賊の掟とやらに背くつもりはないらしい。

 そんな船長を見習ったのだろう、他の海賊たちも不承不承といった様子で武器を収めると、再びカルロッタのもとまで引き返した。にわかには信じ難い光景に、ジェロディたちはただ唖然とするしかない。


「で、交渉の条件は?」

「もちろん俺たち全員の無傷での解放」

「それに見合うだけの金はあるのか?」

「いくらあればいい?」

「二百金貨」

「おいおい、そりゃいくら何でも吹っかけすぎだろ」

「うるせえ。こっちはガルテリオの倅を討ち取る手柄と竜命石を諦めてやるって言ってんだ。おまけにあの砲声――海でドンパチやってるってことは、アタシらの船も無事じゃねえな? 何隻沈めてくれやがったのかによっては、更に金額を上乗せする必要がある」

「だがさすがに二百金貨なんて大金は持ち合わせがない。そこのランドール殿に頼んで軍票を切ってもいいが、まあ、それを持って行ったところで国が海賊に金を出すとは思えねえしな」

「じゃあ交渉は決裂だ。改めて戦争と行こうか」

「いや、待て。だったらそこのジェロディ・ヴィンツェンツィオの首をあんたにやるよ」

「はあ!?」


 頓狂な声を上げたのは、ケリーとオーウェン、そしてマリステアの三人だった。ジェロディはジェイクの発言が予想外すぎて反応すらできなかったが、その間にもマリステアがものすごい剣幕でジェイクに掴みかかっていく。


「じ、ジェイクさん、見損ないました!! 最低です!! いえ、元々そこまで尊敬してもいませんでしたけど、それにしたって自分が助かるためにティノさまを売るなんて!! あんまりです!! ひどいです!!」

「いててて、いや違うちょっと待て、今のは言い方が悪かった――」

「ティノさまはヴィンツェンツィオ家の大事なお世継ぎなんですよ!! ガルテリオさまのたった一人のご子息なんですよ!! あなたはそれを……!!」

「分かってる分かってる! だから俺が言いたかったのはだな――ジェロディ、あんたカルロッタと決闘しろ!」

「決闘だって?」


 オーウェンが片眉を上げて聞き返し、その隙にケリーがジェイクからマリステアを引き離した。それでもなおマリステアは威嚇する猫みたいにフーフー言って、顔を真っ赤に染めている。

 そんなマリステアに直前までガクガク揺さぶられていたジェイクは、咳き込みながらタイを緩めた。それからくしゃくしゃになった襟元を正し――豹変したマリステアを警戒しつつも――仕切り直すように言う。


「なあ、カルロッタ。今のでそこのボウズがガルテリオ・ヴィンツェンツィオの倅だってのははっきりしたろ。だからここはあんたら海賊の掟に則って、決闘で決着をつけようじゃねえか」

「ほう、そりゃ分かりやすくていいな。そこのガキが勝ったらてめえらを解放、アタシが勝ったら全員好きにしていいってワケか」

「そういうこった。ちなみに沖には他にも竜が二頭いる。その二頭の竜命石まで含めれば、新しい船を買ってもお釣りがくるだろ?」

「おいあんた、そんなこと勝手に……!」


 本人の与り知らぬところで、竜族の王まで賭けに出す。そんな傍若無人が許されるのか、と止めに入ったオーウェンを、ジェイクは逆に手で押し留めた。

 そうして「だったら他にいい手があるのか?」と尋ねられれば、オーウェンもぐっと押し黙るしかない。こちらには今この場で海賊たちに対抗する戦力もなければ、全員の命をあがなう金もないのだ。ならばここはジェイクの提案を受け入れて、自分が決闘に出るしかない……。


「……分かった。そっちがそれでいいなら、受けて立つよ」

「ティノさま!」


 マリステアが悲痛な声を上げ、ケリーとオーウェンも顔色を変えた。一方のカルロッタは石段の上で腕を組み、不敵に隻眼を細めてみせる。


「ティノ様、お待ち下さい。あの女が本当に百金貨もの賞金首なら、お一人で戦うのは危険です。ここは代理人として私が……」

「いや、この決闘はヴィンツェンツィオ家の跡取りである僕が受けるから意味があるんだよ。そうだろ、カルロッタ?」


 ジェロディが昂然と顔を上げてそう尋ねると、「ああ、そうだ」とカルロッタも声を張った。彼女は口元に満足げな笑みを湛えながら、なおも腕組みしたままで言う。


「さすがはあの獅子の倅ってところか。度胸は据わってるようだ。そういうことなら、アタシも受けて立ってやるよ。多少は楽しませてくれるんだよな?」


 カルロッタが犬歯を見せてそう宣言すれば、海賊たちがおおっと沸いた。彼らはまるで聖戦リヴォルトの試合でも見るみたいに熱狂し、口笛まで吹いている。

 だがジェロディだって、何の成算もなく勝負を受けたわけじゃない。ここで時間を稼ぐことができれば、そのうちきっと竜父や竜母が駆けつけてくれるはず……。

 自分はそれまで何とかやられなければいい。無理に勝ちに行く必要はない。それならたとえ相手が百金貨もの賞金首でも、何とかなる――と、思ったのだけれど。


「おっ、おいジェロディ、分かっているんだろうな!? おまえが負けたら、そのときはおれさままで巻き添えを喰うことになるのだぞ! おまえのミスでおれさまの命が危険に晒されるなんて、そんなことは断じて許さんからな!」


 と、後ろの方からランドールの喚き声がして、ジェロディは一瞬「あ、これはもう負けてもいいかな」と思った。そうすればジェロディがわざわざ手を汚さずとも、海賊たちがあの歩く肉団子を八つ裂きにしてくれる。

 だがジェロディは首を振って、いいやダメだと邪念を振り払った。

 何しろ決闘を引き受けた以上、自分の肩にはマリステア、ケリー、オーウェン、そして竜父たちの命が乗っているのだ。彼らを守り抜くためには、何が何でも負けられない――。


「いいか! 分かったら、何を差し置いてもその女に勝つのだ! それがおまえの義務だ! 何せおまえはおれさまの部下なんだからな! そしてあわよくば賞金百金貨をおれさまの手に――」

「うるせえぞ、そこのクソ豚野郎! てめえはさっきから何にもしてねえだろうが! ザコが人様の決闘に口出しすんじゃねえ、殺すぞ!」

「ひいぃぃぃっ……!?」


 瞬間、カルロッタの怒号が響いて、潮風をびりびり震わせた。それを聞いたランドールは飛び上がって驚き、再び部下の後ろに隠れるやガタガタと震え出す。

 そんなランドールを一瞥したカルロッタは形のいい顎を上げて、「フン」と鼻白んだ。それにしても〝クソ豚野郎〟とはとんでもない罵詈雑言だが、ジェロディはひそかに胸がスッとする。今回ばかりはカルロッタの口の悪さに乾杯だ。


「さて、それじゃあ豚が大人しくなったところで誓いを立てるとするか。アタシら海賊は決闘の前に、交わした約定は決してたがわんと神に誓う。何の神に誓いを立てるかは各々の自由だ。てめえは何に誓う、ジェロディ?」

「何にって……そうだな、それじゃあ僕は真実の神エメットに誓う。この宣誓に偽りはないと」

「ハッ、いかにもいいトコのお坊ちゃんらしい、お利口さんな答えだな」


 そう言ってカルロッタが再び犬歯を見せるので、ジェロディはちょっとむっとした。だって何かに誓いを立てようと思ったら、真実神エメットに誓うのはエマニュエルの常識じゃないか。


「じゃああなたは何に誓うんだ、カルロッタ?」

「そうだな。それじゃあ――」


 言いながら、カルロッタはすらりと腰の舶刀を抜いた。磨き抜かれた白刃と金の鞘が擦れ合って、ひどく冷たい音がする。

 ところが彼女は何を思ったか、突然その刃に左手の親指を滑らせた。

 途端に皮膚が裂け、血が溢れる。けれど彼女は眉一つ動かさず己が血を地面へ滴らせ、ニヤリと口角を上げて言う。


「アタシは夜魔神ヤレアフに誓う。我が盟約はヤレアフとの盟約、ゆえにこの血を証と捧げん――ってな」

「な……」


 ――邪神に血を捧げて誓う、だって?

 本当にとんでもない女だ、と、ジェロディは戦慄した。何せ人と邪神が交わす盟約は聖神とのそれより重い。地の底の神々はいずれも無慈悲で残酷で、盟約を破った者を決して許したりはしないからだ。


 一度その誓いに背けば、誓約者は死よりも恐ろしい地獄を見ると言う。

 なのにそんな誓いを平然と――いやむしろ笑って立てるとはどんな神経をしているのか。彼女がしていることは邪神を崇める邪教徒や魔人と変わらない、狂気の沙汰だ。


「さあ、これで準備は整った。それじゃ早速――楽しい殺し合いといこうぜ」


 己の血が滴る舶刀をジェロディへ向けて、カルロッタは裂けるように笑った。

 かと思えば彼女は右足を踏み込み、白刃を翻す。

 前方から殺気が上がった。海賊たちの喝采が岩壁の間に谺する。

 ジェロディはマリステアたちを下がらせ、自らも剣を構えた。


 ――来る。



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