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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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55.甦る古代兵器

 《神世期》と呼ばれる神話の時代。

 人類は神々の忠実なるしもべとして、魔のものたちと戦っていた。

 俗に『神界戦争』と呼ばれる、天界を二分した戦いである。


 のちに邪神として猛威を振るうアヴォテハ神族と、現在の二十二大神を主戦力としたイーテ神族。

 二つの神族による争いはおよそ百年続き、やがて悪しき神々は敗れて地の底へ追いやられ、傷ついた聖なる神々も千年の深い眠りに就いた。


 そうして去った神々の代わりに地上を支配したのがハノーク大帝国だ。

 通暦三〇〇年頃に興ったというこの帝国は、それからおよそ四百年の間にエマニュエルのほとんどを支配した。世界に四つある大陸のうち三つを占領下に置き、やがて《大穿界だいせんかい》によって滅ぶまで、エマニュエル史上類を見ない大繁栄を遂げたのだ。


 そんな大帝国の隆盛を支えたのが、非常に優れた〝神理学〟。

 彼らは神々が地上に残した力の欠片――すなわち神刻エンブレムの研究を盛んに行い、それが生み出す神術を様々な形で応用した。

 そのうちの一つが〝神術兵器〟。

 神術の素質に恵まれない者でも同等の力――否、あるいはもっと強力な――を行使することができるという、恐るべき兵器の数々だ。


(――あれは神術砲ヴェルスト……!)


 と、空飛ぶ竜父の背中から海賊船を見下ろして、ジェロディは確信した。実物を見るのはこれが初めてだが、間違いない。あれは母の論文に出てきた『神術砲』と呼ばれる兵器だ。

 曰く、神術砲とは巨大な鉄の筒に火刻フレイム・エンブレム風刻ガスト・エンブレムを刻んだもので、炎の塊を射出したり、筒内に入れた鉄球を遠くまで飛ばしたりできるらしい。

 〝物〟に神刻を刻む技術は失われて久しく、現物があるとすればハノーク人の遺跡だけという話だから、恐らくあれは海賊たちがクアルト遺跡で発掘し私物化したものだろう。


 まさかやつらがそんなものを備えていたなんて……と、唖然としたジェロディの視線の先で、緑竜が海へ落ちていく。頭を下にし、きりもみしながら、真っ逆さまに海面へ――


「――母上、イルヴァ!」


 刹那、竜父が鋭く叫んだ。叫んだときには既に竜母も赤竜イルヴァも全速で飛んでいる。

 二頭の竜は緑竜が波間に叩きつけられる直前、前肢で胴の前後を掴み、掬うように連れ去った。さすがに竜の巨体は同じ竜でもふたりがかりでなければ運べないようだ。そこへ更に海賊船からの砲撃が炸裂する。


 狙いは言うまでもなく竜母たちだった。気を失った緑竜を支え、三頭の竜が固まる形となった今、彼女らはただの巨大な的だ。

 このままではケリーたち諸共撃墜される――ジェロディがそう思った、直後だった。


 すさまじい勢いで体が引かれ、グンッと魂ごと持って行かれる。命綱が腹に食い込んで、数瞬、思わず息が詰まる。

 上半身と下半身が分かたれてしまいそうなほどの衝撃。ジェロディは歯を食い縛ってそれに耐えた。


 瞬間、目の前がカアッと明るくなる。

 竜母たちの後ろへ滑り込んだ竜父の眼前。そこにあの巨大な炎弾が迫っている。

 だが竜父は怯まなかった。彼は大きく口を開いて頭を上げると、額の竜命石を一閃させた。赤い閃光ひかりが迸る。

 直後、竜父の口から噴き出したのは――神術兵器の一撃をも相殺する、灼熱の業火だ。


「きゃあああ……!?」


 爆音が轟き、熱風が吹き荒れ、マリステアの悲鳴が聞こえた。

 すぐそこまで迫っていた火の玉が爆発し、あたりに猛煙が立ち込める。

 誤って息を吸おうものなら、肺まで焼け爛れてしまいそうな熱量だった。

 ジェロディは腕を翳してそれに耐え、同時に戦慄する。


 ――これが竜王の力……!


「竜父様、ご無事ですか!?」

「私なら平気だ、アマリア。それよりアイーダとエラルドは?」

「大丈夫です、まだ息はあります! アイーダを人型に戻して治療することができれば、エラルドも……!」

「ならばお前たちはそのままピエタ島へ向かえ。あの火の玉が届かないところまでアイーダを運んで、すぐに治療を」

「ですが竜父様は……!?」

「私はここで海賊どもを食い止める。母上、ふたりを頼みます。それからジェロディとマリステアも」

「えっ?」


 にわかに名を呼ばれ、ジェロディはぎょっとした。あたりには煙幕が立ち込めていてよく見えないが、竜父はちょっと頭をもたげ、こちらを振り向いたらしい。


「ジェロディ、君たちは母上のもとへ。じき煙が晴れる、急げ」

「で、ですが、竜父様お一人で戦われるおつもりですか……!?」

「生憎私は人を乗せて戦う術を知らない。だから君たちを乗せていると思うように戦えないんだ」

「し、しかし……!」

「竜族の長として、私にも戦わねばならないときがある。分かったら早く行け!」


 いつにない剣幕で叫ばれ、ジェロディは身を竦めた。

 その言葉の端々から感じる。竜父は今、激昂している――。

 それはもちろんジェロディに対して、ではない。

 彼の怒りは仲間を傷つけられた王の怒りだ。


 だからと言って、竜父をこのままひとりにしてしまっていいものか。彼にもしものことがあれば竜族は滅びる。唯一の雄竜を失えば、残された雌竜たちが繁殖できないからだ。とは言えここでジェロディたちが残っても、竜父の足を引っ張るだけ……。


 今の自分には何もできない。

 そう結論づけたジェロディは切歯して、無力感に打ちひしがれた。

 だがそうこうしている間にも煙が晴れる。いつまでも迷ってはいられない。

 ジェロディは決断した。

 素早く腰の命綱を外し、鞍の上へ足を上げる。


「マリー、行くよ!」

「えっ……で、でも……!」

「アイーダさんを島へ運ぶことができれば、竜母様たちが戻ってこられる。だから行くんだ、海賊やつらの攻撃が始まる前に!」


 ジェロディの説得で、マリステアもようやく覚悟を決めたようだった。彼女はきゅっと眉を寄せて頷くと、ジェロディに掴まりながら綱を外す。

 大きな羽音が近づいてきた。さっきより煙が薄れている。おかげで竜父のすぐ傍に、竜母が体を寄せたのだと分かった。


「ティノ様!」


 眼下でケリーとオーウェンが叫んでいる。あの二人がいれば大丈夫だ。必ず受け止めてくれる。


「マリー、一緒に飛ぶよ。一、二の――三っ!」


 二人は同時に鞍を蹴った。

 ふわりと体が浮き上がり、一瞬ののち、思いきり重力に引き寄せられる。

 ぞっと全身を舐め上げるような落下感。その中でジェロディは爆音を聞いた。

 赤と黒の海賊船。また撃ってきた。炎弾が迫る。

 刹那、それに呼応するように竜父が動いた。彼は上空で華麗に宙返りするとその勢いを駆り、真下の海へ、尻尾で炎弾を叩き落とす。


「わっ……!?」


 炎弾が海面で炸裂した。

 爆風が下から噴き上げ、ほんの一瞬ジェロディたちを持ち上げる。

 その瞬間を待っていたとでも言うように、ケリーとオーウェンが身を乗り出した。鞍の上に着地したところを二人に抱き留められ、ジェロディたちは何とか事なきを得る。


「ティノ様、ご無事ですか?」

「ああ、僕は大丈夫だよ、ケリー。マリーは?」

「わっ、わたしも何とか大丈夫です……!」

「では行こう。竜父や、わらわはアイーダを置いたらすぐに戻る。それまで暴れすぎるでないぞ」

「ご心配なく、母上。どこかの誰かさんが谷に閉じ込めてくれていたおかげで、私は体が鈍っていますから。多少暴れすぎるくらいがちょうどいいですよ」


 それを聞いたアマリアがむっとして、竜母も呆れのため息をついた。だが竜父は口元に獰猛な笑みを刻み、ぐるんっと背面飛行して敵船へと向かっていく。

 ……本当に竜父をひとりで戦わせて大丈夫だろうか?

 再びそんな不安が――二つの意味で――浮上してきたが、とにかく今は行くしかない。ジェロディは空いていた鞍に跨り、一路クアルト遺跡を目指した。


 遺跡を戴くピエタ島は南側が砂浜で、その北に草原が広がり、やがてゴツゴツした岩場へと変わっていく。北側の海岸はすべて崖になっており、そのあたり一帯はちょっとした岩山のようだ。

 竜母たちはそうした岩場の狭間――大きく開けたクアルト遺跡の目の前に緑竜を下ろした。ここならそそり立つ岩壁が海岸からの視線を遮ってくれるので、神術砲に狙われる心配もない。


「竜母様、アイーダさんは……?」

「かなり危険な状態じゃの。早う治療してやらねばエラルドの命も危ない。イルヴァ、ニルデ、頼めるかえ?」

「お任せ下さい、竜母様」


 答えたのは赤竜イルヴァの竜騎士ニルデだった。アマリアと同じ竜頭兜りゅうずとうを被った彼女の手には、逆巻く波の姿の神刻が刻まれている。

 ――蒼淼刻フラッド・エンブレム

 それはマリステアが刻む水刻ウォーター・エンブレムの上位に当たる神刻だった。

 蒼淼刻は使える術こそ水刻とほとんど変わらないが、威力や効果が格段に違う。より強力な攻撃系神術が撃てるのはもちろん、水刻では治せないような傷も癒やすことができるのだ。


 その分扱いが難しい神刻だと言われているが、それを刻んでいるということはニルデはなかなかの神術使いなのだろう。

 竜母は彼女の返事を聞いて頷くと、次にアマリアを一瞥する。緑竜たちの容態を見るため鞍を下りていたアマリアは、視線に気づくと首肯した。


「ではジェロディ殿、私たちは竜父様のもとへ戻ります。その間、私たちの同胞と……その、あれ・・をお任せしても構いませんか?」


 そう言ってアマリアがチラと視線を向けた先には、腰を抜かしてガタガタ震えているランドール及び憲兵たちの姿があった。

 どうやら彼らはさっきの砲撃ですっかり肝を潰したらしい。乗っていた緑竜が神術砲をまともに喰らった上に、そのまま海へ落下しそうになったのだから、まあ無理もないと言えばそうなのだが。


「分かりました。この場は僕たちにお任せ下さい。それよりも今は竜父様を」


 ジェロディがそう答えると、アマリアは気丈な顔で頷いた。清湍石せいたんせきみたいに澄んだアマリアの瞳は闘志に燃えて、隣に座す銀竜を仰ぎ見る。


「行きましょう、ビアンカ」


 竜母のことを名前で呼んで、彼女は鞍に飛び乗った。竜母もまたそれを認めると立ち上がり、長い首を曇天へ向ける。

 そのままふたりは飛び立った。

 砂塵を巻き上げ、突風を引き連れて、竜母の羽音が遠ざかる。


 一方その頃赤竜は、倒れたまま動かない緑竜に鼻先を寄せていた。

 そうして緑竜の竜命石に自身の竜命石を当てる。緑竜の竜命石は深みのある黄色を、赤竜の竜命石は淡い緑玉色をしていて、それらが同時にうっすらと朧気な光を帯び始める。


「ニルデさん、あれは……?」

「あれは竜同士の心話です。彼らはああして竜命石を合わせることで、竜と竜騎士のように心を通わせることができるのです。本来は互いを労ったり慰めたりするときの愛情表現のようなものですが、ああして心と心をつなげば、アイーダを人型に戻すことができます」


 ニルデの丁寧な説明に、なるほど、とジェロディは頷いた。確かにこのままの大きさでは、いかな蒼淼刻使いのニルデと言えど傷を癒すことができない。竜の姿では負傷した範囲が広すぎるのだ。

 けれどそれを人型に戻してしまえば、まだ手の施しようはある。ジェロディは目を閉じて仲間と交信する竜の姿を祈るように見守った。二頭の竜が静かに心つなぐ姿は神秘的で、胸打たれる思いがする。


「それにしても、さっきの海賊どもの攻撃……あれは一体何だったんだ? ただの神術にしては威力が桁違いだったが……」


 と、ときに後ろでそんな声がして、ジェロディはふと我に返った。

 振り向けばそこにはケリーとオーウェンが共に難しい顔をしている。沖の方から今も砲声が聞こえるせいで、さっきの光景が頭から離れないのだろう。


「あれは神術砲さ」


 と、そこでケリーの疑問に答えたのは、ジェロディたちから少し離れた位置に佇むジェイクだった。

 彼はどこからともなく取り出した葉巻を咥えると、先端に火をつける。あんなことがあったあとだというのに動揺した素振りは一切なく、むしろ平然としているのがいっそ憎々しい。


「神術砲? なんだい、それは?」

「まあ、端的に言や〝古代兵器〟ってやつだな。ハノーク人の遺跡なんかに時折眠ってる、神刻を使った破壊兵器だよ」

「古代兵器、って……まさかやつら、この遺跡を盗掘したのか? くそっ、どうりで海軍が手こずるわけだ……!」

「だけどそれなら、陛下だってあの兵器の存在をご存知だったはずだろう? なのにどうして事前に警告して下さらなかったんだ? いかな『翼と牙の騎士団』と言えど、あの兵器の前では彼らにも危険が及ぶことくらい、陛下もご承知だったはず……」

「そりゃアレだ、〝竜騎士も己の舌は御しきれぬ〟ってやつだろ。陛下はそれを警戒したんじゃねえか?」

「どういう意味だ?」

「エレツエル神領国だよ。やつらが血眼になって世界中の遺跡を荒らしてるのは、ああいう古代兵器を集めて自軍の戦力に加えるためだ。そんなもんが黄皇国の領内にあると知れてみろ。やつら、大喜びで艦隊組んで攻めてくるぞ。あんたらは国が内乱でてんやわんやしてる今このときに、神領国とまで戦争したいのかい?」


 気怠そうに煙を吐きながらジェイクが言い、ジェロディたちはその言葉にはっとした。〝竜騎士も己の舌は御しきれぬ〟とはすなわち、巨大な竜を意のままに操る竜騎士でさえ、うっかり口を滑らせたり秘密を洩らしたりすることがある――という意味だ。


 オルランドはそんな人のさがを知り、重大な情報の漏洩を恐れた。だからあの兵器のことを黙っていた……というジェイクの推論には確かに説得力がある。

 だがその事実は結局、ジェロディたちが海賊と会戦すれば知れること。

 ならばあの謁見の場では無理だったとしても、秘密裏に知らせてくれていれば良かったのではないか? いや、あるいは自分たちは、オルランドがそうするのをためらうほどに信用されていないのか――?


「だがそれならなおのこと、あんな兵器を野放しにしておくのは危険だろう。おまけにそんなものを海賊が所持しているなんて……」

「確かにケリーの言うとおりだ。いくら俺たちが秘密を守ったって、あんなもんを持った海賊が海上をうろうろしてたらいつかはバレる。だったら竜騎士が味方についてる今のうちに、船ごと沈めちまった方がいいんじゃないか?」

「――そいつは賛成しかねるな。あの魔砲まほうとクストーデ・デル・ヴォロ号は、アタシがオヤジから譲り受けた大事な宝だ。そいつを勝手に海の藻屑にされたんじゃ、お前ら全員斬り刻んだって気が済まねえ」


 そのとき俄然、知らない女の声があたりに響いた。

 驚いたジェロディたちは互いに顔を見合わせて、声のした方角を振り返る。

 そうして更に面食らった。遺跡の前にはいつの間にか、二、三十人ほどの男たちが控えていた。

 彼らは苔生した円柱が並ぶクアルト遺跡の入り口から、ぞろぞろと群を作ってやってくる。その手にはギラリと光る鋭い刀剣。片刃で背が反り返っているところを見ると、海賊がよく使う舶刀というやつだろうか?


 だがジェロディはそれ以上に、男たちを率いて立つその人物に目を奪われた。

 上にはボレロのように短い鮮紅の上着。腰には宝石で装飾された金の鞘。極めつけは右目を覆う黒の眼帯と、奔放そうな金髪にぽんと乗せられた海賊帽――。


「お前は海賊帽キャプテン・ハット……!」


 刹那、ジェイクが珍しく驚愕を露わにした。それを聞いた先頭の女が――そう、女が・・満足そうに腕を組み、ニヤリと細く笑ってみせる。


「へえ、アタシの通り名を知ってるヤツがいるとは光栄だ。歓迎しよう。――ようこそ、海賊島イゾラ・ピラータへ」

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