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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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51.苦い勝利

「いやあ、さすがは栄えある憲兵隊の皆様方! 此度はもう駄目かと思いましたが、皆様のおかげで何とか反徒共を追い払うことができました。これもきっと幸運の神エシェルのお導き。神々と皆様のご芳志に、ビヴィオ地方軍一同、心より感謝申し上げます!」


 ――その日の晩。


 昼間の戦闘の後始末を終え、郷守の居館でもある郷庁に招かれたジェロディたちは、食堂にて盛大なもてなしを受けていた。

 一同が揃った会食の席には、貴族の食卓と比べても遜色ない品々が並んでいる。中にはわざわざアマゾーヌ女帝国から取り寄せたという高級酒――俗に〝華酒〟と呼ばれる、生花を沈めた美しい酒だ――まであって、上機嫌でそれを呷るランドールの傍には若い酌婦が群がっていた。


 黄都の多くの建物と同じく、淡黄色の石材で囲まれた食堂は飲めや歌えやの大騒ぎ。ジェロディはその馬鹿騒ぎには目もくれず、白い皿に乗った鶏肉の赤茄子カチャ煮込みトーラを一片切り分けた。しかしそれがどうしても喉を通らない。

 隣ではケリーやオーウェンも黙々と食事を続けていて、食欲こそあるようだが華酒さけには手をつけていなかった。お酌をしましょうか、と媚態を尽くして擦り寄ってくる妙齢の酌婦も、煩わしそうな顔をしたオーウェンにすげなく追い払われている。


「しかし残念です、せっかくなら竜父様ご一行にもこの酒と当地の料理を堪能していただきたかった。やはり人間の食事というものは、竜族のお口に合わないのでしょうか」

「案ずるな、郷守よ。おまえのその心遣いは、おれさまからしっかりと竜父どのに伝えておいてやる。その代わりおれさまへの感謝も忘れるんじゃないぞ」

「もちろんですとも、ランドール様。あなたこそ黄皇国を混沌から救う救世主。今こうして私の首がつながっているのも、すべてはランドール様のおかげです」

「ブヒヒ、いいぞ、その調子でもっとおれさまを崇め奉るのだ。ブヒヒヒヒヒ!」


 郷守の賛美にすっかり気を良くした様子で、ランドールは体中の贅肉を揺らした。それにへこへこと追従する郷守はくりんと巻き上がった顎髭を持つ四十がらみの男で、身なりは貴族のそれに近いが、振る舞いは三下商人だ。

 その郷守の言うとおり、竜父を始めとする『翼と牙の騎士団』の面々は、会食の誘いを断って早々に部屋で休んでいた。彼らの言うところによれば、


「この館もあの郷守も、ついでに言えば憲兵隊もひどい悪臭を放っている。とても共に食事などできたものではない」


 のだそうで、郷守のもてなしを受けることを頑として拒否したのだ。


「我々竜という生き物は、古来より人の魂を視ることができてね。人は魂が穢れれば穢れるほど腐ったような悪臭を放つ。彼らがまとっている臭いはまさにそれさ」


 と、ジェロディにそう話してくれたのは竜父で、彼は呆れと諦めから肩を竦めたあと、


「それでも君は行くのかい?」


 と目だけでそう尋ねてきた。

 ジェロディがそれに頷いたのは、郷守に直接確かめたいことがあったからだ。不在と言えば、初めあれほどランドールを焚きつけていたジェイクも何故かこの会食を欠席しているが、彼についてはどうでもいい。正直今は彼の顔も見たくない、というのがジェロディの本音だ。


「それはそうと、郷守殿。そろそろ教えていただけませんか、反乱軍が突然この町に攻めてきた理由を」


 いよいよこの馬鹿騒ぎが我慢ならなくなってきたジェロディは、ついに食事の手を止めて、向かいにいる郷守へ向き直った。

 その詰るような口調に、郷守が一瞬怯んだのが分かる。いや、あるいは自分はそれほどまでに剣呑な顔をしていたのかもしれない。


「で、ですからそれは、先程も申し上げたとおりです。我々には反乱軍の攻撃を受ける謂われなどなく、これから調査して委細を明らかに……」

「ですが相手は農民を連れていたんですよ。それも話を聞いた限りでは、彼らは一揆のために立ち上がった人たちだ。一揆というのは民衆が為政者のやり方に不満や異議を唱えて起こすものでしょう。それなら何も心当たりがないということはないんじゃありませんか?」

「そ、それはあの逆賊がこちらを混乱させるために吐いた流言に過ぎません! 少なくとも私は、領民に不満を抱かせるような政治はしていないと自負しております。それはこれから行われる公正な・・・調査が、近日中に明らかにしてくれるでしょう。そうですよね、ランドール様?」

「おう、おう、何もかもこのおれさまに任せておけ。黄都に戻ったらすぐにでも賊徒共の企みを暴いてやる。そしてもう二度と黄皇国に逆らおうなんて気が起きないようにしてやろう」

「おお、何と頼もしいお言葉! さすがはランドール様でございます!」


 郷守は年甲斐もなく目をキラキラさせて手を組むと、すぐさま酌婦に顎をしゃくり、ランドールの杯を満たさせた。

 だがさすがのジェロディも、そんな郷守の言い分を鵜呑みにはしていない。反乱軍と呼ばれる組織の動静はともかく、この郷区の領民が大挙して郷庁に押し寄せたのには必ず理由があるはずだ。


 そして郷守はその理由を隠したがっている。隠したがる、ということは、それが世間に知れてはまずいと言うことだ。

 ましてや中央でも強い発言権を持つ大将軍ガルテリオの息子に知られるわけにはいかないということか。そう推測したジェロディが内心鼻白んだところで、不意にケリーが食叉フォークを置く。


「では、郷守殿。こちらはすぐにお答えいただけると思うのですが」


 彼女の、女性にしてはやや低く張りのある声が、祝宴の席に水を打った。皆の視線が一斉にケリーへ集中する。


「簡単な質問です。昼間、我らが命懸けで反乱軍と戦っている間、郷守殿はどちらにおられましたか?」


 けれどその視線にも怯まず紡がれたケリーの問いが、郷守の薄ら笑いを凍らせた。今度はそんな郷守へと皆の視線が移動する。


「い、いえ、それならもちろん、私も戦場におりましたが……」

「本当ですか? 僭越ながら、私は戦場で貴殿のお姿を見た覚えがないのですが」

「み、皆様は私よりずっと前線で戦っておられましたので、恐らくそのためでしょう。本当は私も前に出て加勢するつもりでいたのですが、その間にも状況が二転三転し……」

「そうですか。ではあなたは、竜父様を始め上空から戦場を俯瞰していた『翼と牙の騎士団』の方々が、あの場で一度も貴殿の姿を見なかったと証言されていることも何かの間違いだと仰るのですね」


 瞬間、郷守の額に大粒の汗が噴き出すのをジェロディは見た。

 ケリーの斬り込みは実に巧みだ。先に郷守の嘘を引き出しておいて、それを覆す決定的な証拠を突きつける。

 予想どおり、郷守はみるみる青褪めた。竜族の王たる竜父の発言を否定する度胸など、この男に備わっているはずもない。

 仮にそんなことができる男なら、そもそも一揆が起きた原因だって下手に隠したりはしないだろう。あるいはもう少しまともな嘘をつくとか。


「い、いや、それは……そ、そうだ! 申し訳ありません、どうも私は記憶違いをしていたようです。と言うのも、確かに私も戦場にいたのですが、途中で態勢を整えるべく一度郷庁へ引き返したのですよ。恐らくはそれで入れ違いになり……」

「なるほど。私たちの到着後、戦闘は約二刻(二時間)ほど続いていましたが、その間貴殿はずっとこの館に隠れておられた、というわけですか」

「か、隠れていたとは人聞きの悪い。私は私なりに、戦況を覆す策を講じようと――」

「もう結構」


 郷守の弁解をぴしゃりと遮り、ときにケリーが席を立った。

 彼女は焦りと屈辱で顔を真っ赤にしている郷守にはもはや目もくれず、ジェロディを振り返る。


「ジェロディ様。ジェロディ様も予期せぬ初陣のあとで、さぞやお疲れのことでしょう。ここはそろそろお暇申し上げて、客間へ引き取らせていただくのがよろしいかと存じますが」

「えっ」


 と思わず驚きの声を上げそうになるのを、ジェロディは何とかこらえた。ケリーが〝ジェロディ様〟などと畏まった呼び方をするものだから、さすがに意表を衝かれたのだ。

 だが彼女の言い分ももっともだった。これ以上この不愉快な宴に同席していたところで、ジェロディの望む情報は手に入りそうにない。

 ならば長居は無用だろう。彼らと同じ空間にいると、竜父の言う〝魂の穢れ〟が伝染うつりそうだし。


「そうだね。明日も出発は早いし……それでは郷守殿、僕たちは一足先に休ませていただいても構いませんか?」

「え、ええ、それはもう! もしご要望とあれば、お部屋まで酒を運ばせますが――」

「いえ、それはもう十分に堪能させていただきましたので、お気遣いは無用です。それでは失礼致します」


 ジェロディはほとんど料理が残ったままの皿を残し、席を立った。それを見たケリーとオーウェンもランドールらに黙礼し、ジェロディのあとへついてくる。

 三人は灯明かりに照らされた食堂を出、暗い廊下を歩き出した。

 たった数口飲み込んだだけの晩餐が、早くも胃にもたれ始めている。

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