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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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49.ビヴィオ防衛戦

 竜たちの咆吼が、町中に谺していた。


 巨大な影が頭上を通りすぎる度、反乱軍の兵士が身を竦ませる。竜が巻き起こす突風は、それだけで敵を怯ませる威力を持つ。


 だが反乱軍の動きを鈍らせている最大の理由は、他にあった。


「ヴィンツェンツィオ!」

「ヴィンツェンツィオ!」

「ヴィンツェンツィオ!」


 地方軍の兵士たちが揃って上げる大合唱。それが彼らを勢いづかせ、反対に反乱軍を悉く怯ませている。


「くそっ、あのガルテリオの息子が出てくるなんて聞いてないぞ……!」


 先頭にいた敵兵が、すっかり色を失くして叫んだ。ジェロディはその敵兵へと狙いを定め、正面から斬りかかっていく。

 形勢逆転。まるで先程までの戦況を鏡で写し替えたように、今では反乱軍の方が及び腰だった。

 それもこれも、すべては勝利を約束された者ヴィンツェンツィオの名がもたらす威勢のためだ。


 その威勢に気圧された反乱軍はすっかり怖じ気づき、逆に味方は興奮の渦に呑まれていた。

 つい先刻まではあんなに頼りなかった地方軍が、まるで生まれ変わったように咆吼し、剣を掲げ、敵軍へ突っ込んでいく。熱狂の波はもはや止まらない。


「いいぞ、いいぞ! そのまま押して押して押しまくれ! わははははは!」


 と、ときに前線から少し離れた後方で、いつの間にやら馬に跨がったランドールが上機嫌に大笑した。

 しかし彼自身は周囲をしっかりと部下で固め、まるで前線に出てくる気配がない。それを見たオーウェンが向かってくる敵兵を薙ぎ払いながら、隣で小さく舌打ちする。


「ちっ……あの赤豚野郎、自分は安全な場所に身を置いて、あとから手柄だけ横取りしようって魂胆かよ。とんだ隊長様がいたもんだぜ」

「ぼやくんじゃないよ、オーウェン。むしろあんなのが前に出てきたって邪魔なだけだ。それが大人しく後ろに引っ込んでくれてるんだから、いっそ感謝したいくらいだね」


 そう返しながら敵兵を槍で突き殺したのは、この乱戦にも顔色一つ変えないケリーだった。彼女の使う槍は竜騎士のそれとは違い、黄皇国にもよくある直槍だ。

 長柄の先には赤い房飾りがついていて、ケリーが穂先を振るう度ひらひらと蝶のごとく優雅に舞う。対するオーウェンの得物はその槍に劣らぬ長さの大剣だ。彼はそれを軽々と振り回し、敵兵を一刀両断する。


 そんな二人に両脇を固められ、負けてはいられないとばかりにジェロディも前へ出た。ジェロディにとってはこれが記念すべき初陣だが、この状況では怯えている暇もない。

 武器を持たないマリステアは、やむを得ずランドールの傍に置いて守らせているから大丈夫のはず――。

 後顧の憂いを振り切って、ジェロディは下段から剣を振り上げた。


 目の前で血が飛沫き、頬を濡らす。敵兵の中には立派な鉄の鎧をまとっている者もいるが、ほとんどの者は気休め程度の革鎧だ。

 対するジェロディも軽装なのは同じだが、胸部を覆う鋼鉄のプレートがあるだけマシというものか。


 ときに再び竜が降ってきて、その巨大な前脚で反乱軍の兵を攫っていった。吹き飛ばされた敵の悲鳴があっという間に遠のけば、今度はそれと入れ違いに竜母が滑り込んでくる。

 傾けた左の翼で地上のすべてを薙ぎ倒すような滑空。それに怯んだ敵兵の一人を、すれ違いざまアマリアの槍が貫いた。空から滑り降りてくる速度を乗せたあの一撃は、たとえ鋼の鎧であっても防げまい。


「うらああああああっ!」


 そんな華麗なる竜騎士たちの戦いに、ジェロディが目を奪われた一瞬。

 その隙を覚ったのかどうか、正面から敵兵が一人斬りかかってきた。ジェロディは半歩下がって振り抜かれた剣をかわし、こちらも素早く斬り返す。

 相手は辛くもそれを受け止め、弾き、更に剣を繰り出してきた。その形相はまさに決死だが、動きには隙も大きくて、半ば自棄になっているのかもしれない、という印象も受ける。


 そのようなことを淡々と見極められる程度には、ジェロディは冷静だった。初陣と言ったらもっと血が沸き立つように興奮して、全身が震え、下手をすれば前後不覚に陥るのではないかと不安だったのだが、どうやらそんなことはないらしい。

 今はただ、父から教わったことを忠実に――。

 ジェロディは敵兵と剣を合わせた。ガギンッと鉄の噛み合う音がして、その後も二合、三合と二人の間に火花が散る。


 ところが、五合目。

 ここだ、とジェロディは思った。

 相手が上段から振り下ろしてくる一撃を、自分は下段から弾き上げる。


 ――打ち返しヒットバック


 それは数日前、ジェロディがエオリカ平原で臨んだあの手合わせの再現のような動きだった。

 渾身の力で振り上げられたジェロディの剣は、敵の手から得物を弾き飛ばし、景気良く宙へ放り出した。


 その反動で反り返ったまま、敵兵が胸元を晒している。

 あまりにも大きすぎる隙。

 ジェロディはそこへ踏み込んだ。

 敵兵の顔が、恐怖に歪む。


(もらった……!)


 再び血を浴びる覚悟で、剣を振るった。

 その剣は敵兵の首へ迫り、今にも肌を切り裂くかに思えた。

 けれども刹那、


「――ティノ様!!」


 名を呼ばれた。そう思ったときには、ジェロディは何か黒くて大きなものに弾き飛ばされていた。背中から倒れ込む瞬間、見える。

 ジェロディを突き飛ばしたのはオーウェンだった。

 そのオーウェンの長身を――直後、一筋の光が貫いた。


 矢のような閃光。轟音。

 それを受けたオーウェンの体がビクンと痙攣し、間もなく後ろへ倒れ込む。

 ジェロディは目を見開いた。そのまましばし動けなかった。

 今のは、神術――。

 オーウェンはそれからジェロディを庇い、身代わりとなって、撃たれた。


「オーウェンさん……!!」


 どこからかマリステアの悲鳴が聞こえた。それとほぼ時を同じくして、倒れたオーウェンに敵兵が群がりかかっていく。

 ところがその先頭にいた兵が突き倒され、後続も怯んだ。長柄の槍が半円を描くように振り抜かれる。それに怯えた敵兵が一斉に下がった――ケリーだ。


「マリー! オーウェンの救護を!」

「は、はい……!」


 いつの間にそこまで来ていたのだろうか。敵軍に雪崩れかかる味方の間から現れたマリステアが、ケリーに呼ばれてオーウェンの傍らに膝をついた。

 ――水刻ウォーター・エンブレム。マリステアが右手に刻む、水神マイムの力の欠片。

 マリステアはその力を借りて、多少の怪我ならただちに治すことができた。彼女はそれほど神術の才能に恵まれているわけではないのだが、有事の際には家族を守りたいと決意して神刻エンブレムを刻んだのだ。


(だけど、あの傷は――)


 茫然と腰を抜かしたまま、ジェロディは考える。仰向けに倒れて動かないオーウェンの体からは、幾筋かの細い煙が上がっている。

 雷刻ライトニング・エンブレム。たぶんそうだ。だとしたら彼は内臓まで神術に焼かれているのではないか? それをマリステアの癒やしの術で助けることができるだろうか――?


「――ティノ様、お下がり下さい! ぐっ……!?」


 そのときだった。はっと我に返ったジェロディの視線の先で、ケリーが何者かに弾き飛ばされた。

 すれ違いざまの一撃をケリーは槍で防いだが、相手はその一瞬の空隙を衝き、まっすぐこちらへ突っ込んでくる。目を見張る速さで迫り来るのは――地を掻き鳴らす馬の蹄。


「ティノさま!!」


 マリステアの悲鳴が聞こえた。その声に呼応して、体が動いた。

 まるで猪のごとく猛進してくる黒馬を、ジェロディはとっさに横へ避ける。

 だが、すぐに気づいた。背中の鞍。空っぽだ。

 そこには誰も乗っていない――けれど、そんなことがあるはずもない。


 上だ。


 本能がとっさにそう叫んだ。

 瞬間、ジェロディの頭上に人影が降ってきた。

 翻る外套マントのはためき。それを聴覚の端に捉えながら、ジェロディは振り下ろされた白刃を何とか剣で受け止める。


「……っ!」


 すさまじい一撃だった。落下の勢いも相俟って、それを受け止めたジェロディの体はしかし、ズズズッと背後へ押しやられた。

 下手をするとそのまま尻餅をつきそうだったが、どうにかこらえる。ようやく体の後退が止まった。途端に誰かの舌打ちが聞こえる。


「なるほど、ただのガキってわけじゃなさそうだ」


 交差した剣の向こうから悪態が聞こえ、そしてふっと離れた。それまで支えていた力を失ったジェロディの剣は空振りし、そのままつんのめりそうになる。

 だがそこから体勢を立て直したところで、ジェロディはようやく相手の姿を捉えた。

 馬を囮にジェロディへ肉薄したその人物は、まだ若い戦士。

 青い外套に身を包み、黒茶色の髪から羽根飾りを垂らした精悍な顔つきの男――。


「イークさん!」


 刹那、わっと敵兵が沸いた。それまでこちらの攻勢に圧倒されていた敵軍が、にわかに息を吹き返す。

 ――〝イーク〟。それがこの戦士おとこの名前か。

 敵兵の反応から察するに、どうやら彼こそがこの反乱軍を率いてきた指揮官らしい。今までどこにいたのかは知らないが、もしかするとこの男が反乱の首謀者なのか?


 途端にジェロディの全身を汗が包んだ。この男はできる。先程まで戦っていた末端の敵兵とは比べものにならない。

 それはたった一合剣を合わせただけで、嫌というほど理解できた。あの男の剣はキレが違う。鋭く速い。それでいて一切の隙を窺わせない立ち姿――。


「おい、アルド。役割交替だ。殿しんがりは俺が引き受ける。お前はまだ撤退できてない味方を連れて町を出ろ」

「で、ですがイークさん、一揆衆は?」

「村の民なら先に逃がした。あとは俺たちが逃げるだけだ。分かったら早く行け!」


 鬼気迫る男の一喝に頷いて、一人の兵が駆け出した。けれどジェロディにそれを止める術はない。ジェロディと反乱軍との間には、イークと呼ばれた男が壁となって立ち塞がっている。

 波が引くような、敵軍の撤退が始まった。イークはそれを背にして動かない。

 まさか、本当にたった一人で食い止めるつもりか?

 殿は俺が引き受ける、と確かに彼はそう言ったが、この状況で戦士一人にできることなど――


「テオ・ラアム・ツァツィヅ――吼雷蛇コル・ラアム!」


 その一瞬、世界が白に染まった。

 いや、染まったというより、掻き消された。網膜をくような閃光に。

 ジェロディがそれに怯んだ刹那、爆音が轟き、大地が揺れた。イークの足元から生まれ、咆吼を上げた青い蛇が、のたうち暴れて突っ込んでくる。


 否、それはただの蛇ではなかった。

 先刻遥か天上からオーウェンを撃ったあの光と同じ――雷撃の蛇。

 ジェロディの目の前で三叉に分かれたその蛇は、敵軍の追撃にかかろうとしていた地方軍に激突し、弾けた。吹き飛ばされた味方の悲鳴が聞こえる。


 雷刻。


 ということは、先程の雷撃もこの男の仕業か。


(こいつがオーウェンを――!)


 ジェロディがそう確信した、そのときだった。

 立ち込める砂塵を突き抜けて、跳躍したイークが斬りかかってくる。

 ジェロディは下がり、避け、更にもう一撃避けてから斬り結んだ。

 再び剣が交差する。イークの剣は柄巻きの青い、紡錘に似た形の剣だ。


「ずいぶん好き勝手やってくれたな、ジェロディとやら。おかげでこっちの計画が台無しだ」

「計画、だって……!?」

「あのガルテリオ・ヴィンツェンツィオのせがれも、結局は腐れ郷守の肩を持つのか。黄皇国人おまえらには失望したぞ」

「……っ!?」


 鍔競り合っていた互いの剣が離れる。イークが後ろへ跳んだせいだ。

 キィ、ン……と衝突の余韻を残したジェロディの剣は、震えていた。

 それはただの振動の名残ではない。

 ジェロディにはこの男が何を言っているのか――分からない。


「そんなに地位や名誉が大事か。そのためなら誰がどこで苦しもうが関係ないと?」

「な……何を言って――」

あいつ・・・はガルテリオを敵に回すなと言ってたが、こうなっちまったからにはしょうがない。俺はお前を斬るぞ、ジェロディ・ヴィンツェンツィオ。もちろんお前も――その覚悟でやつらを庇うんだよな?」


 ゾッ、と、足元が崩れていくような感覚がジェロディを襲った。否、それはただの錯覚にすぎないのだが、そのときイークの全身から噴き出した殺気が、ジェロディの足場をゾリゾリと削ぎ落としていくようだった。

 これほど明確な殺意というものを、ジェロディは知らない。ましてや浴びせられたことなんて。


 ――俺はお前を殺す。


 イークのが、剣が、髪の毛の一本一本が、まるでそのためだけに生まれてきたとでも言うように、全身でそう言っている。


「ティノ様――!」


 それまでオーウェンを守っていたケリーが身を翻し、こちらへ駆けつけようとした。しかしイークはそちらを見もせずに、サッと軽く左手を振る。

 途端に降り注いだ一条の雷槍が、ケリーの目の前で炸裂した。彼女は辛くもそれを避けたが、弾け飛んだ土塊を浴びて後ろへ押し戻されている。


(――来る)


 そう思った。思ったときにはもう既に、イークが地を蹴っていた。

 腰を屈め、狙いを定めた肉食獣けもののように、イークの青い眼光が迫る。

 ジェロディは恐怖した。その得も言われぬ恐怖に衝き動かされ、とっさに剣を繰り出した。けれどこちらの一撃を、イークはそよ風でも躱すみたいに受け流す。

 次の瞬間、懐に踏み込まれ、体側に引き絞られた彼の剣がジェロディを、


「――今だ!! イーク様をお助けしろ!!」

「えっ――」


 そのとき、背後から何か聞こえた。

 何か、というのは具体的に言うと、新たに上がった喊声だった。

 刹那、イークの剣が止まる。意図して止めたというよりは、彼も無意識にそうなったようだ。

 その目が驚愕を湛えてそれ・・を見ていた。彼がジェロディの肩越しに認めたそれは、農具を振り上げて地方軍に襲いかかる、新手の一団だ。


「あいつら、なんで……!」


 もはやジェロディのことなど眼中にない様子で、イークが呻いた。その視線の先では手に手にすきくわまさかりなどを握り締めた男たちが、必死の形相で戦っている。

 これには地方軍も虚を衝かれた。さっきのイークの神術で士気が挫けていたところに、横からの奇襲を受けて色めき立っている。


「おっ、おまえら、何をしている! さっきの勢いはどうした!? れ! 突き崩せ……!」


 混乱の中、聞き覚えのある濁声が響いた。姿は人波に呑まれて見えないが、それは間違いなくランドールのものだった。

 途端に算を乱しかけていた地方軍が踏み留まる。あんな男の一声でも一応効果はあったようだ。

 兵士たちはどうにか奇襲の衝撃から立ち直り、逆襲を始めた。見るからに連携も何も取れていない農具の男たちを、鯨波と共に呑み込んでいく。


「くそ……!」


 瞬間、イークが駆け出した。ジェロディはとっさに身構えたが、もはや彼はこちらに見向きもせず、男たちに殺到する地方軍へと斬りかかる。


「お前ら、どうして戻ってきた! 俺は先に村へ戻れと……!」

「しかし、最初にこの一揆を企てたのはワシらです! それを助けるために駆けつけて下さったイーク様を見捨てて逃げるだなんて、太陽神シェメッシュ様に誓ってできねえ!」

「馬鹿な真似を……!」


 ジェロディが聞き取れたのはそこまでだった。イークの姿はやがて乱闘の中へ消え、敵も味方も見分けられないほどの混戦になる。

 けれどもそのとき、ジェロディの脳裏にふと甦った声があった。



『イークさん、一揆衆は――』



『村の民なら先に逃がした――』



『――そのためなら誰がどこで苦しもうが関係ないと?』



 背中を冷たい汗が伝う。信じたくなかった。



 だけど、まさか。



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