48.反乱軍 ☆
翌朝早々に、ジェロディはマリステアの同行を許可したことを少しだけ後悔した。
「ふむ、そうだな。軍の任務にメイドが同行するなんて前代未聞だが、まあ、確かに女手があった方が何かといいだろう。このおれさまの権限をもって、特別に許してやる。その代わりしっかりと我々に奉仕するのだぞ、ブヒヒヒ」
というわけで、マリステアに同行の許しが下りたことはまあいい。しかしこの拒否感というか嫌悪感というか、こいつが上官でなかったら今すぐ剣を突きつけてやりたいという衝動を一体どこにぶつけるべきか。
「それってつまり、私は〝女手〟に入らないってことかい」
と、そのとき背後で漏らしたケリーもきっとジェロディと同じ気持ちだったことだろう。
ただしケリーは、「お前、自分を女だと思ってたのか?」とすっとぼけたオーウェンを蹴り飛ばすことで憂さを晴らせたから良かった。ジェロディにはそこまで堂々と八つ当たりできる相手がいない。いや、あれは八つ当たりというかオーウェンが完全に悪いのだけども。
正直それだけでも頭が痛いのに、
「良かったですね、ティノさま……! マクラウドという人は許せませんけど、ランドールさまは意外と良い方なのかもしれませんね……!」
などと隣でマリステアが感激しているから、ジェロディはますます頭を痛めた。
後ろではランドールが舐め回すようにマリステアを観察しているというのに、本人はそれに気づいた様子もない。とりあえずあとでしっかりと、ランドール一行には決して近づかぬよう言い含めておかなければ。
「浮かない顔だね、ジェロディ」
それからおよそ一刻後。モヤモヤとしたものを抱えたまま黄都を出発したジェロディは、真下から聞こえた声で我に返った。
いや──それは本当に真下から聞こえたのだろうか? 何となくそんな気がするだけで、頭の中に直接響いているような感じもする。
たぶん、正しいのは後者だろう。竜族は竜の姿を取ったとき、口ではなく心で喋るのだといつか聞いたことがある。
「竜の眼はご自分の背中まで見渡せるのですか、竜父様?」
「いいや、さすがに真後ろは見えないよ。だけど何となく気配で分かるのさ。私が背中に誰かを乗せるのは、君たちが初めてだけどね」
そう言って竜父は──金色に輝く巨大な竜は朗らかに哄笑した。鞍に跨ったジェロディの左右には、力強く風を掻く膜状の翼。そして目の前では美しい金の鬣が強風に靡いている。
黄都ソルレカランテを中心とする黄皇国北東部、ジョイア地方。ジェロディらクアルト遺跡調査隊は目下、そのジョイア地方の上空を飛んでいた。
先頭を翔るのはジェロディとマリステアを乗せた若き竜王で、すぐ後ろを麗しき銀竜の竜母、そして彼らに従う二頭の竜が飛んでいる。
その様子を更なる高みから見下ろせば、恐らく四頭の竜が綺麗な菱形を描いて飛んでいることが分かるだろう。
竜父を除く各竜はそれぞれ背に竜騎士を乗せていて、更にその後ろにケリーやオーウェン、調査隊隊長のランドール、考古学者のジェイクなどが乗っている。小山のような竜の背には数人が一列になって乗れる長い鞍が取りつけられていて、その気になれば一度に六人か七人は運べるらしい。
けれども例外的に竜父だけは、手綱を操る竜騎士を持たなかった。
いや、竜の手綱というのはあくまで竜騎士の落馬ならぬ落竜を防ぐためのものであって竜を操るものではないのだが、とにかくそれを握る竜騎士はいない。竜の谷における竜父とは先にも述べたように王であり、その王の背に人が跨るなど不遜極まりないという理由で、雄竜は竜騎士を持たないのだ。
ところが今朝になって、困ったことが起きた。
調査隊の面々が集まり、さあでは誰がどの竜の背に跨るか、と人数を分けようとしたところで、突然竜父が「ジェロディは私の背中に乗るといい」と言い出した。
それを聞いた『翼と牙の騎士団』のアマリアは卒倒しそうな顔色で「竜父が人を乗せるなど言語道断です!」と諌めたのだが、対する竜父は「ジェロディが乗らないなら私は行かない」と駄々をこねる始末──。
そんなわけで現在ジェロディは、畏れ多くも竜父の背に乗っていた。
初めはこちらも固辞したのだが、竜父が「乗らなければ出発しない」と脅すのだから仕方がない。そう、これは不可抗力だ。
マリステアまで一緒に乗っているのは、ジェロディが最後の抵抗として「マリーも一緒に乗せて下さるのなら」という条件を提示したからで、それを聞いた竜父から「うん、いいよ」と満面の笑みで返されたときには頭を抱えた。
人一人乗せるだけでも竜騎士たちがこれほど大騒ぎするのだから、二人もとなればさすがの竜父様も考え直して下さるだろう──というジェロディの思惑は呆気なく打ち砕かれ、事態をより悪化させただけに終わった。
今頃後ろの竜母の背では、騎士団長のアマリアが憤怒の炎を燃やしているに違いない。だからジェロディも怖くてそちらを振り向けない。
ただ、これは先程竜母から聞いた話なのだが、竜父は肉体こそ既に成熟しているものの、寿命の長い竜族から見ればまだまだ子供なのだという。
確かに竜の寿命が三百歳という話が事実なら、七十二歳の竜父は人間でいうところの十二歳程度……。
ならばあのような奔放な振る舞いも仕方がないということか。もっとも先代の竜父は、齢七十を数える前から立派な王として君臨していたというけれど。
「しかしどうだい、ジェロディ? そろそろ空を飛ぶのにも慣れたかな?」
「ええ、何とか……最初は気を抜くと吹き飛ばされそうでしたけど、竜父様が速度を落として下さったおかげで姿勢を保てるようにはなりました。ただ、この寒さだけはどうにもなりませんね……」
「ふむ、そうか。我らは遥か北の山で暮らしているからこのくらいどうということはないが、君たちにしてみれば少々寒すぎるか」
「一応、これでも厚着はしてきたんですけど」
「空の上というのは風も強いし、地上より気温が低いから仕方がない。どれ、それならもう少し高度を落として飛ぶことにしよう」
「きゃあああ!?」
そのときグンッと竜父が首を落とし、それに引っ張られるようにして胴も空中を滑り降りた。
おかげで飛行速度に勢いがつき、怯えたマリステアが後ろから抱きついてくる。その衝撃でジェロディもつんのめりそうになったが、鐙を踏み締めどうにかこらえた──しかしこの内臓が浮き上がるような感覚だけは、何度味わっても慣れそうにない。
「マリー、大丈夫かい?」
「は、は、はいっ……なんっ何とか……!」
「綱で鞍と体を繋いであるから大丈夫だとは思うけど、万が一に備えて手綱も離さないで。あと、鐙ももっとしっかり踏んだ方がいい」
「だ、だ、大丈夫、ですっ……わたしもだいぶ慣れてきましたし、下さえ見なければ──ひいぃ……っ!?」
言った傍から下を覗いてしまったらしい。現在ジェロディたちの眼下には木々の枯れ果てた森があって、落ちれば間違いなく串刺しになるだろうと誰もが容易に予想できた。
それが余計に恐ろしかったのか、マリステアは抱きつく腕に更に力を込めてくる。ぎゅううううう、と締め上げられる胸が苦しい。
だがそれ以上に苦しいのはジェロディの自制心だ。理由は言わずもがな──というか、そんなに密着されると背中にその、マリステアのアレが。
「ま……マリー、ごめん、息ができないんだけど……」
「……は!? も、ももも申し訳ありません、ティノさま! 大丈夫ですか!?」
「う、うん……とにかくしっかり手綱を掴んでて。それでも怖いようなら、その……僕の肩を掴むくらいなら、別にいいから……」
「で、ではお言葉に甘えて、そのようにさせていただきます……!」
マリステアの決断は早かった。彼女は手綱と鐙と命綱だけでは心許ないと感じていたのか、即座にジェロディの肩を掴んだ。
……うん。とりあえずさっきよりはだいぶマシになったけど、でも。
(マリーってほんとに危機感がないよな……)
今朝のランドールとの一件といい今のことといい、マリステアはどうも無防備すぎる。普段女ばかりのお屋敷をほとんど出ずに暮らしているせいかもしれないが、それにしたってもう少しこう、男に対する警戒心というものを育ててほしい。
(いや、それ以前に僕が男として見られてないだけかもしれないけど……)
と、そこに至ってジェロディは悲しい仮説に行き当たり、フッと淡い自嘲を零した。
──まあ、うん。そうだよな。マリーにとって僕はいつまで経っても手のかかる義弟。だから今回だってあんな無理を言って任務についてきたがったんだろうし、それ以上でもそれ以下でもない。
別に僕はそれでもいいんだけどね? たとえ血がつながっていなくとも、家族だし。だからマリーがいつか屋敷を離れてお嫁に行くことになったとしても、そのときは喜んで見送って……見送………………見送れるのかな?
いやでもそこはヴィンツェンツィオ家の次期当主として……というよりマリーの家族として、彼女の門出に祝福を──
「……ん?」
そのとき、遠く浮かぶ鱗雲を眺めていたジェロディの視界に、何か妙なものが映った。初めはそれが何だか分からず、ただ違和感を感じただけだ。だけど今、確かに地上で──何かがチカリと光ったような。
ジェロディはマリステアを怖がらせない程度に身を乗り出し、光が見えた方へ目を凝らしてみた。後ろでマリステアがどうかしたのかと尋ねているが、それに答えるより早く視覚が二度目の閃きを捉える。
ジェロディははっと息を詰めた。
それまで大地を覆っていた枯れ木の森がついに途切れる。
その向こうに、見えた。
明らかに一つの意思を持って蠢いている人の群。
それは原野を駆けている。
ここからでは遠くて蟻のようにしか見えないが、目を細めれば先頭には馬がいる──ように見えなくもなかった。
その中でチカリチカリと瞬いているのは……鏡?
いや、違う。あれは──鎧か? もしくは剣や矛などの武器……?
ということは、あれは軍なのだろうか?
それにしては知らない旗を掲げている。
紋章まではさすがに見えない。だけど黄皇国軍の軍旗は赤地に金や銀の装飾がなされているものが多いから、白地に青という旗を見るのは初めてだ。
あれはどこの軍だろう。
黄皇国軍ではない? とすれば、流れの傭兵団だろうか。
だとしても特に戦乱もない昨今、傭兵団がこんな北の外れまでやってくるとは思えない。傭兵というのは戦争がなければ食っていけない職業だから、戦もない土地で穀潰しを続ける物好きなどそうそう居やしないだろう。
「竜父様、あれを」
「うん?」
「あそこに人の群が見えます。何か、武器を持っているような……竜父様の目にはあの旗が見えますか?」
神々に創り出された竜の五感は、人間のものより何倍も鋭い。彼らは耳がよく聞こえるだけでなく、この遥か上空から地上の野花を見分けることもできるはずだ。
その竜がジェロディの言葉に従って、進行方向に対しての右──南の方へ首を向けた。そんな竜父の異変に気がついたのだろう、後ろに続く竜たちも次々と南へ視線を投げている。
「あれは……何だろうな。君の言うとおり、武器を持って走っている。旗には交差する剣と翼……それから星が一つだけ描かれているよ。君たちのお仲間かい?」
「いえ、そのような旗を持つ軍は僕も──」
「──竜父様、反乱軍です!」
そのときだった。突然思ってもみなかった言葉が飛んできて、ジェロディは「えっ」と目を見開いた。
叫んだのはどうやらアマリアだ。空の上では風の音と竜の羽音で物音が聞き取りにくいのだが、竜騎士たちはそのために特殊な発声訓練を受けている。
だからその声は、神の耳を持たないジェロディにも確かに聞こえた。それでも信じられずに竜母の方を振り向くと、鞍の上でアマリアが鐙立ちになっている。
この強風をものともしない、驚くべき芸当。しかしジェロディがそれ以上に驚いたのは、アマリアが手にした白い槍──あれは普通の槍とは違う、細く尖った傘を被った〝竜槍〟だ──が、あの人馬の群を指し示したことだ。
「は……反乱軍、だって──?」
「アマリア、それは確かなのか?」
「間違いありません! バルダッサーレ陛下の文にあったとおりの、翼と星を表す紋章……! 恐らくあの軍勢は、あちらの町を目指しています!」
更に声を張ったアマリアが、反乱軍と呼ばれた集団の進行方向へ槍を向けた。そこには確かに町がある。枯れ草色の平原に突如隆起した丘の上。そこに所狭しと建てられた建物の群──まるで丘を丸ごと要塞化したような、淡黄色の家々と赤茶けた屋根。
加えてもっと目を凝らせば、その町へ向かって一本の街道が横たわっているのが見えた。今は大地が一面枯れた色をしているので分かりにくいが、あれは確かに街道だ。ということはその先にあるあの町は、恐らく地方軍が駐屯している郷庁所在地……。
「竜父や、あの町の名はビヴィオというそうじゃ。乗客の話では、あそこにはおよそ二百ほどの地方軍がおるらしい。あれが件の反乱軍ならば、狙いは恐らくその攪乱ぞ」
「ま、待って下さい、竜母様。反乱軍って、一体どういう──」
「知らないのか、ジェロディ? 最近巷で『救世軍』とか呼ばれている者たちを。オルランドの話じゃ、黄皇国のあちこちの町が彼らに脅かされているそうじゃないか。実際に襲われて、奪われた人命や物資もかなりの数に上るらしいぞ」
「そ……そんな……」
そんな話は、知らない。
〝救世軍〟? 聞いたこともない。
竜父はまるでそれが周知の事実であるかのような口ぶりだが、父だってそのような話はしていなかった。
だって、反乱軍が本当にいるならば。
この国はたった今、内乱状態にあるということじゃないか──。
「竜父様! 反乱軍が町に突入します!」
混乱するジェロディの思考を、別の竜騎士の大音声が打った。見れば確かにあの人馬の群が、薄黄色い家々の狭間へ吸い込まれるように消えていく。
そのとき、竜父が進路を変えた。まっすぐ東を向いていた四騎の竜が、上空を旋回し始めた。
ついでに速度も上がったのだろうか、滑空時にも似た風圧がジェロディたちに叩きつける。指先は凍えて、風に耳を千切られそうだ。
けれどおかげで、見えた。
反乱軍と呼ばれたあの集団は町の大通りを駆け上がり、その先に佇む一際大きな建物を──郷庁を目指している!
「おい、ランドール! このままだと反乱軍と地方軍がぶつかるぞ! やつらの兵力はたぶん地方軍より多い。どうする!?」
翼を傾け、滑るような旋回を続けながら竜父が叫んだ。彼の声は肉声ではなく心話によるものなので、ランドールにも確かに届いたはずだ。
ところがランドールからの応答はなかった。彼が数人の憲兵と共に乗っているのは深い沼の色を思わせる竜で、その上に座る一際大きな図体は目を凝らさずともよく見える。
だがランドールは突然の事態にすっかり泡を食っているようで、何故か後ろに乗る部下の膝をバシバシと叩いていた。何か言い合っているようだが、ここからでは聞こえない。
「地方軍、出撃しました!」
今度はそのランドールを背にした竜騎士が叫んだ。彼の言葉どおり、丘の上の郷庁からわらわらと現れた集団が見える。
けれどもその動きの頼りなさと言ったら。地方軍と思しき集団はろくな隊伍も組まず、ただ慌てふためいているように見えた。
恐らくランドール同様、この襲撃を予期していなかったのだろう。せっかく高所にいる地の利も活かせずに、ようやく一つにまとまったところへ反乱軍の突撃を受けている。
「ランドール! 戦闘が始まったぞ!」
四騎の竜は少しずつビヴィオへ近づきつつあった。風の間に、切れ切れになって飛んでくる地上の喊声が紛れている。
郷庁を背にした地方軍の前衛は、早くも反乱軍の猛攻に崩れ始めていた。反乱軍は錐のような縦列を組んで大通りを駆け上がり、勇猛果敢に突っ込んで地方軍に食い込もうとしている。
それを地方軍の両翼が挟み込もうとしたところへ、左右の物陰から新たな集団が飛び出してきた。──別働隊。
恐らく坂を駆け上がる途中で三手に分かれていたのだろう。正面と左右、三方から攻め立てられた地方軍はもはや浮き足立っている。
「な……なんて用兵だ……このままじゃ地方軍が……!」
「ランドール、どうするんだ!? 友軍を助けないのか!?」
「竜父様、ランドール殿はこのような場合、どうするのが最も適切かと尋ねておられます!」
「何を馬鹿な! それを判断するために隊長がいるんだろう! 我らは確かに同盟者だが、独断で黄皇国の内情に干渉する権限はない!」
だからどうするかはお前が決めろ、と竜父が珍しく怒鳴りつけると、ランドールはいよいよ縮み上がったようだった。
彼は巨大な肉団子のごとき体を震わせながら、麓の戦況を凝視している。地方軍は明らかに劣勢だ。そこへ飛び込むリスクに怯えているのか、はたまた実は戦に出た経験がないのか──。
「地方軍を助けましょう、ランドール殿!」
そのときだった。後方から勢いを上げてきた、溶岩のような色の竜の背で誰かが叫んだ。
ジェロディは初め、その声の主は竜騎士かと思ったのだが──違う。
叫んでいるのはあのジェイクという考古学者だ。彼はまるで先程のアマリアを真似るように立ち上がると、落下することなど微塵も恐れていない様子で雄弁を振るう。
「何を恐れることがあるんです、このとおりこちらには『翼と牙の騎士団』がついている! 彼らは文字どおりの一騎当千、あの程度の数の敵軍なんぞ一瞬で吹き飛ばせます!」
「し、しかし……!」
「しかしも案山子もないでしょう、今ここであの地方軍を助ければ、手柄は全部ランドール殿のもんですよ! そうすりゃランドール殿の勇名轟くばかりか、あの町の郷守に恩も売れる。こんなウマい話が他にありますか!?」
緑竜の背で、ランドールが肉に押し潰された目を丸くした。そして実に不本意だが、ジェロディもまた彼と同じ反応をしていた。
だってあの男──今、何と言った?
手柄は全部ランドールのもの? あの町の郷守に恩が売れる?
まさかそんな不純な動機で友軍を──
「ぶ……ブヒ、ブヒヒヒヒヒ! そうだ! ジェイク、おまえの言うとおりだ! 何も恐れることはない! こちらには一騎当千の竜が四頭もいる!」
「そうです、その意気です!」
「よし、決めたぞ! 竜父どの、ビヴィオ地方軍を助けましょう! どうかあなた方の力をわれらにお貸し下さい!」
──呆れた。
いや、呆れを通り越して、ジェロディはわずかな哀愁さえ覚えた。
さすがはあの上官にしてこの部下あり、と言うべきか。やはり憲兵隊という組織は根っ子から腐っている。
竜父も同じ感想を抱いたのだろう、彼の大きな顎からも深々とため息が漏れたのが聞こえた。
しかしまあ、何はともあれランドールがやる気になってくれたのならそれでいい。このまま味方を見捨てて東へ逃げるだなんて、同じトラモント軍人として許容し難い選択だ。
「ジェロディ、そういうわけだ。あの町の地方軍を助けるぞ」
「はい、竜父様」
「まずは君たちをあそこへ送り届ける。地上へ降りたら君が先陣を切れ。あれは到底役に立たない」
竜父の言う〝あれ〟とは何か、もはや深く追究するまでもなくジェロディは頷いた。しかしそれは竜父の人物評に同意しただけであって、問題は別にある。ジェロディは少しだけ身を乗り出すと、立派な角の間から竜父の頭を覗き込むようにして続けた。
「ですが、竜父様。僕もまだ戦場で指揮を執ったことがありません。ですからここは竜父様が──」
「いいや、君ならやれるさ、ジェロディ。何せ君はあの常勝の獅子の息子なのだから」
「し、しかし……」
「恐れることはない。君の手で味方を導け。我らも上空からそれを援護する。この姿では町中で暴れられないから、できることは限られているが──大丈夫だ。君ならやれる」
竜父の力強い言葉が、そのときジェロディの胸に何かを灯した。
それは瞬く間に膨らんで、燃え上がって──気づけばジェロディは頷いていた。
飛びながら頭をもたげた竜父は、それを見てちょっと笑ったらしい。
再び旋回の速度が上がる。竜たちはそのまま矢のように、ビヴィオへ向かって飛んでいく。
「よし、掴まれ。舌を噛むんじゃないぞ!」
言われるがまま、ジェロディは歯を食い縛った。あまりの風圧に吹き飛ばされそうになりながら、手探りで後ろに座るマリステアの手を引き寄せる。
「ティ、ティノさま……!」
「大丈夫だよ、マリー。僕から手を放さないで……!」
「は、はい……!」
また背中に温もりを感じた。マリステアも吹き飛ばされないよう必死なのだろう、目を閉じてジェロディにしがみついている。
ジェロディはその手を握り続けた。同時にもう片方の手で剣を抜いた。
父から受け継いだ歴戦の剣。
それにジェロディが視線を落とした刹那、突如として竜父の体が静止する。
「え──」
耳元でマリステアの声がした。
かと思えば次の瞬間、竜父は頭を下にして真っ逆さまに落ち始めた。
翼をたたみ、尻尾をピンと伸ばして急降下する。巨大な竜の体は錐揉みしながら地上を目指し、まるで隕石のように風を衝く。
「──お、おい、あれ……!」
意識を引き剥がされるような轟音の中。
ジェロディはそんな声を聞いた。それは地上の方から聞こえた。
風圧に耐えて目を開ける。
その先に、こちらを見上げて唖然とする反乱軍の姿が見える。
「りゅ、竜だ──!」
竜父が再び翼を広げたのは、そんな叫びが聞こえたのとほぼ同時だった。
「行け、ジェロディ!」
「マリー!」
「はい……!」
二人は瞬時に命綱を外した。その瞬間、空気を孕んだ竜翼が急制動した反動で、ジェロディたちは投げ出される。
けれどもそこに危険はなかった。竜父は地上に衝突するすれすれまで落下していて、更に言えばそれを恐れた反乱軍はあたりに逃げ散っていた。
だから、戦場にぽっかりと開いた空間に、一人。
どうにか着地したジェロディは、ゆっくりと立ち上がる。
「我が名はジェロディ・ヴィンツェンツィオ。黄帝陛下の名の下に、これより反乱軍を討つ!」
喊声の止んだ戦場に、ジェロディの声が谺した。
その静寂のど真ん中。
運命が、ついに動き出す。




