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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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44.学ぶべきこと

 二百の騎兵を率いていた。

 そのうち五十騎をケリーが、もう五十騎をオーウェンが指揮している。

 冬の風が吹きつけるエオリカ平原。

 そこに寝そべるゆるやかな丘陵目がけて、ジェロディは駆けた。


 丘の向こうに、長く棚引く砂埃が見える。それは平原を覆う枯れ草の色と相俟って、くすんだ冬空そらと地平の境界を曖昧にしている。

 だがジェロディは馬上でじっと目を凝らした。砂塵の麓、ジェロディから見て右へ向かって駆けていく人馬の群がまだ見える。

 そのときジェロディは確信した。の狙いもあの丘だ。迂回して斜面を駆け上がろうとしている。ジェロディの策を先読みし、それを封じる構えなのだろう。


 だとしたらあの丘を諦めるか? ――否。

 敵にあの丘を渡したら、こちらはそれを攻めあぐねる。高所から逆落しの勢いを駆って攻めてくる敵を下から迎え討つのは愚の骨頂だ。

 かと言って丘を諦め距離を取ったとしても、敵は悠然とその頂上に君臨し、こちらが攻めてくるまで待つ構えを取るだろう。となれば、取れる策は一つだけだ。


「ケリー、オーウェン! 二人はそれぞれ左右から丘を迂回! 敵を麓に陽動するんだ!」


 馬蹄の音に掻き消されぬよう、声の限りにジェロディは叫んだ。それを聞いた伝令がパッとジェロディの傍を離れ、すぐさま後方についたケリーとオーウェンの隊へ指示を伝えにいく。

 二人の隊が加速した。彼らはジェロディが率いる百騎を左右から追い抜くと、見惚れるような軌道を描いてそれぞれ丘を迂回した。


 それを束の間見送って、ジェロディも鋭く馬腹を蹴る。速度を上げたジェロディの愛馬に倣い、後続の百騎も全速になった。

 目標の丘はもう目の前だ。迷わず斜面を駆け上がる。

 頂上まであと十歩、五歩、三歩――一歩。


 見えた。


 丘の向こう側。ジェロディたちが駆け上がってきたのとは真逆の斜面に、同じく二百騎程度の騎馬隊がいる。

 だが彼らは斜面の中腹で、こちらに背を向けていた。丘を迂回してきたケリーとオーウェンが麓から彼らを牽制し、背中を狙う構えを見せたからだ。


(――よし……!)


 その瞬間、ジェロディは勝利を確信した。敵騎馬隊は未だ頂上のジェロディたちに気づかず、中途半端な高さからケリーたちへ逆落しをかけようとしている。

 上手くすればこれで挟撃だ。ジェロディは素早く剣を抜いた。

 四日前、父から託された名匠の剣――その刃を一閃させ、声の限りに号令する。


「突撃!」


 百人の騎兵が、一斉にときを上げた。

 馬蹄の音が地鳴りとなり、麓に見える敵の背中へ殺到する。

 目指すは敵騎馬隊の先頭――そこに翻る赤の旗。

 あれさえ奪えば、ジェロディの勝ちだ。

 そのとき敵の最後尾についた騎兵が数人、振り返る。


「――え?」


 その鼻先へ突っ込む――と思った、刹那だった。

 人馬の群に飛び込んだはずのジェロディは、気づけば無人の斜面を駆けていた。

 驚いて顔を上げれば、そこには信じられない光景が広がっている。

 敵騎馬隊が割れたのだ。

 まるで大輪の花が朝日を浴びて開くかのごとく、美しい軌道を描いて。


「まさか――」


 ――読まれていた。


 気づいたときにはもう遅かった。斜面を駆け下る勢いに乗った人馬の群は、そう簡単に止まれない。

 ケリーとオーウェンの陽動で敵を上手く誘導できたと思ったが、誘われていたのはこちらだった。敵はジェロディが背後から逆落しをかけるのを敢えて許し、ギリギリまで引きつけてそれをかわしたのだ。


「おわっ!? ティノ様――!?」


 麓でオーウェンが慌てふためくのが見えた。見えたときには、ジェロディたちは味方の真っ只中へ突っ込んでいた。

 ケリーとオーウェンの隊が、瞬く間に混乱する。ジェロディたちはその中を強引に突っ切った――というか、突っ切ることしかできなかった。何しろ馬が止まらないのだ。


「ケリー、オーウェン! ごめん――」

「――ティノ様、前!」


 そのとき、ケリーの警告が聞こえた。鋭い一声にはっとして振り向いた直後、ジェロディの肝が凍りつく。


「お覚悟」


 真っ先に視界へ飛び込んできたのは、金色こんじきたてがみを翻して突っ込んでくる一頭の月毛と、その背で微笑むハインツだった。

 次の瞬間、彼の剣が一閃し、ジェロディの背後にいた旗手の旗を舞い上げる。

 ただ青いだけの旗が北風に煽られながら、バタバタと悲鳴を上げて吹き飛んだ。

 刹那、どこからともなく模擬戦の終了を告げる鉦が鳴り、ジェロディはがっくりと肩を落とす。


「また負けた……」


 近衛軍への出仕四日目。その日初めて模擬戦というものに臨んだジェロディは、ハインツを相手に早くも三敗を喫していた。

 自分は特に負けず嫌いというわけではないと思うのだが、さすがに三回連続で、しかもここまで鮮やかに負けると心が折れる。

 特にこの三戦目の負け方は最悪だ。午前中の二戦でようやく兵の動かし方が分かり、午後からはもう少しマシな戦い方ができそうだと意気込んでいたのに、見事敵の術中に嵌まって味方へ突っ込むという醜態を晒してしまった。


(もしかして僕、指揮官に向いてないんじゃないかな……)


 なんて挫折感を心に抱えたまま、ジェロディはぐったりとして馬を返す。

 叶うことならこのまま屋敷へ駆け戻り、自室に籠もって頭を抱えたかった。が、言わずもがな今は出仕中だ。調練担当の士官としてこの場にいる以上、そんな子供じみた真似が許されるはずもない。


「ティノ様、お怪我はありませんか?」


 ほどなくそう言って駆け寄ってきたケリーとオーウェンの姿を見ると、ジェロディはほっとする反面、何だか惨めで二人を正視できなかった。

 それでなくともこの二人は、ついこの間まで『常勝の獅子』と謳われる父の指揮下にあったのだ。そんな父と自分の指揮をきっと心の中で比べられていると思うと情けないやら恥ずかしいやらで、どんな顔をすればいいのか分からない。


「ごめん、ケリー、オーウェン……自分から丘を迂回するように言っておいて、まさか君たちの隊に突っ込むなんて……」

「あれは仕方がありませんよ、ティノ様。ハインツ殿の動きに気を取られて、駆け下りてくるティノ様を避けられなかった我々にも落ち度はあります。本来でしたら我々がハインツ殿の思惑にいち早く気づくべきでした」


 と、ケリーはそう言って慰めてくれるが、今のはどう考えたってジェロディの落ち度だ。ケリーたちは指揮官であるジェロディの命令に従った、ただそれだけなのだから。

 そもそも午前の模擬戦であれだけ巧みな指揮を見せていたハインツが、あんな中途半端なところでケリーたちの陽動に乗る方がおかしいと気づくべきだった。彼ほどの指揮能力があれば陽動は無視してそのまま丘を駆け上がるか、横に逸れて上下からの挟撃を避けるのが上策と瞬時に判断できたはずだ。


(彼を知り己を知れば……か)


 有名なエディアエル兵書の一節を諳んじながら、ジェロディは深々とため息を漏らす。結局、三戦目の敗因は先の二戦でハインツという上官を見極められなかったことにあるのだろう。

 そんなことに今頃気づいても遅いのだが、これが実戦でなかっただけマシだと思うべきか。仮に本物の戦闘だったなら先刻ハインツの剣に斬り飛ばされていたのは旗ではなく、先頭を走っていたジェロディの首だっただろう。


「やあ、ジェロディ。今のもいい戦いだったな」


 やがて自分の隊をまとめたハインツと合流すると、開口一番にそんな言葉をかけられた。

 あんな惨敗を喫したあとだとつい「嫌味だろうか」と穿った見方をしてしまうがそうではない。ハインツがそんな男でないことは、ジェロディもここ数日の付き合いで既に理解している。


 ただ、いつも爽やかな笑みを湛えてこういうことをサラリと言ってしまうから、この人は敵が多いのだろうな、ともジェロディは思った。

 つまり、本人にそんなつもりはなくとも嫌味に聞こえてしまうのだ。それでなくともハインツは地位、容姿、才能、そのすべてにおいて恵まれている。聞けば家系には薄からず皇家の血も流れているというし、そんな相手をやっかむなという方が難しいだろう。特に憲兵隊長マクラウドのような成り上がり・・・・・は。


「お相手ありがとうございました、ハインツ隊長。ですが、やっぱり隊長は強いですね……今の僕では、何度戦っても勝てる気がしません」

「そう卑屈になることはないよ。君と私では踏んできた場数に差があるのだから仕方がない。それに調練初日から部下に勝たれてしまっては、上官わたしの立つ瀬がないだろう?」

「またそんなご冗談を」

「冗談じゃないさ。今は経験の差という壁が君と私を隔てているが、同じだけの経験を積んだなら、君は私などあっという間に追い抜いていってしまうだろう。今日の三度の模擬戦で、私はそれを痛感したよ。やはりあのガルテリオ将軍のご令息と言うべきかな、君には天賦の才がある」

「三回とも完敗したのに、ですか?」

「大切なのは勝ち負けじゃない。君は今日、生まれて初めて兵の指揮をしたというのに、もたついたのは最初の一回だけで、二回目からは早くも戦闘の呼吸を掴んでいた。それにまだまだ粗は目立つが、伏兵、陽動、高所からの逆落としと、兵法に適った戦い方をしている。普通、訓練初日と言ったら兵と足並みを揃えるだけで手一杯で、そこまで頭の回る士官はなかなかいないよ」

「そういうものでしょうか?」

「そういうものさ。現に私がそうだった」

「自慢じゃありませんが、俺もそうでした」


 と、ときに背後でオーウェンが胸を張り、すかさずケリーが「偉そうに言うことじゃないだろ」と呆れ顔をした。それを聞いた兵たちの間から哄笑が上がり、ハインツもつられて笑っている。

 そんな周りの様子を見て、ジェロディも少しだけ「そういうものなのかも……?」と思えた。ハインツやオーウェンが嘘をついているようには見えないし、ケリーも二人の言を否定しない。


 もっともジェロディ自身は今日の模擬戦の結果に納得できていないから、たとえ彼らの話が本当でも、あまり得心はいかなかった。

 ただハインツの言うとおり、そこまで卑屈になる必要はないのかもしれない。彼の言葉を信じるなら、勝てはしなかったが兵法に則った戦い方は一応できていたということだ。


 ならば次の目標は、もっと上手く兵術を応用すること。

 相手の先を読んだだけで満足せずに、先の先まで読めるような思考を持つこと。


 今日の自分の用兵は、兵術書に示された戦いの形をなぞっただけだった。その形を維持することにばかり気を取られて、小さな型の中に自分と兵を閉じ込めてしまっていたのだ。

 それでは窮屈で身動きが取れず、柔軟性のある指揮が取れない。そんな状態では戦況に応じて変幻自在の動きを見せるハインツに勝てなくて当然だろう。


(ハインツ隊長はどうすれば騎馬隊の機動力を最大限に活かせるか、その方法を熟知してる。追ったり追われたりするだけじゃなくて、誘ったり回り込んだり幻惑したり……)


 少なくともハインツの騎馬隊は、二つに割れようと四つに割れようと一つの巨大な生き物に見えた。人馬の呼吸が見事に揃い、離れてもくっついてもきちんと連携が取れているのだ。

 対するジェロディは自分の百騎を率いるだけでも手一杯で、ケリーやオーウェンの別働隊を上手く活かしきれなかった。


 そのあたりの用兵については、今日のハインツの戦い方から色々と学べそうだ。ジェロディはただただ圧倒されるしかなかったハインツ隊の動きをしっかり脳へ刻み込み、帰ったら紙に書き出して分析しよう、と心に誓う。


「さて、それじゃあ今日のところはこれくらいにして、そろそろ黄都へ帰還しようか。調練の成果については追って報告書を上げることになっているから、戻ったらその書き方を――」


 と言いかけて、くるりと馬首を回したところで、何故かハインツが固まった。

 彼に続いて黄都へ向き直ろうとしていたジェロディは、異変に気づいて馬を止め、ハインツの視線を追ってみる。

 そうして自分も息を飲んだ。

 先程三度目の模擬戦で駆け下った背後の丘陵。

 その頂に数騎の供を従えた、灰薔薇色の髪の騎士がいる。


「セレスタ将軍」


 ハインツが呆けたような声で呟き、ジェロディは肌が粟立った。

 今日も今日とて鋼鉄の鎧を身にまとい、白馬に跨がった彼女は超然と眼下のジェロディたちを睥睨している。

 その眼差しの相変わらず冷たいこと。もしや今の調練の様子をすべて見られていたのかと思うと、ジェロディの背中を嫌な汗が伝っていく。


「ジェロディ、行くぞ。お前たちはここで待て」


 だがそうこうしているうちに名を呼ばれ、ジェロディはセレスタのもとへ向かうハインツの供をすることになった。何となく心細くてケリーやオーウェンを一瞥したが、さすがにこの状況で彼らに「ついてきてくれ」とは言えない。

 仕方なく腹を決め、ジェロディはハインツが操る月毛に続いた。丘を一歩登るごとに緊張で体が強張っていく。

 失礼だとは思うが、それくらいあのセレスタという将軍が苦手なのだ。ハインツはすぐに慣れると言っていたものの、あの物言わぬ彫像のような佇まいも、何を考えているのか分からない言動も、そう簡単に慣れられるものではないと思う。


「セレスタ将軍、いつからこちらへ?」


 それに対してハインツは、ごく自然な口振りで自らの上官に声をかけた。彼は丘の中腹あたりで鞍を下り、あとはくつわを曳いて自らの足で歩き始めたので、ジェロディもそれに倣う。


「午後の調練が始まったときから。お前たちの隊の動きを見させてもらっていました」

「そうだったのですか。それならそうと、お声をかけて下されば良かったものを」

「私が来ていると知ればお前は手を抜いたでしょう、ハインツ。己を低めて他者を立てる。それはお前の美徳であると同時に、大きな欠点です」

「そこまでお見通しとは。やはり将軍には敵いませんね」


 ともすれば叱責とも取れるセレスタの言葉に、ハインツはへらりと笑って答えた。途端にセレスタの細い眉がぴくりと跳ね、ジェロディは首を竦めてしまう。

 けれども予想に反して、続く叱声はなかった。セレスタはわずか目を細めてハインツを見下ろしたあと、呆れとも諦めとも取れるため息をつく。


「ですが隊の指揮に衰えはないようですね。そこだけは評価に値します」

「もったいないお言葉です。ジェロディがなかなかに手強いので、柄にもなく本気を出してしまいました」

「そうは言っても、三割程度の本気でしょう。騎馬隊のみの指揮ならば、お前はもっと優れた実力を持っているはずです」

「いや、それはさすがに買い被りでは……」

「ではお前は、私の人を見る目の方が衰えていると?」

「いいえ、滅相もない」


 威圧的なセレスタの問いかけに、ハインツは笑顔を絶やさずそう答えた。彼はセレスタの話を真面目に聞いているのかいないのか、端から見るとそれすら怪しい。

 だがジェロディがそれ以上に衝撃を受けたのは、セレスタが先程のハインツの用兵を〝三割程度の本気〟と評したことだった。


 ――あれほど卓越した用兵で三割の本気……。

 ならばこのハインツという男が十割の本気を出したらどんなことになるのだろう。そうなったら自分など、どんなに調練を積んだところで足元にも及ばないような気がする。


「ジェロディ」

「……」

「ジェロディ」

「……えっ。あ、は、はい!」


 ところがそのとき、ジェロディはセレスタが自分の名を呼んでいることに気づいて直立した。

 衝撃と失意のあまり気が逸れていたが、セレスタの榛色はしばみいろの双眸はいつの間にかまっすぐこちらを見下ろしている。その眼差しに、有り難くも近衛軍団長直々のお言葉を頂戴しているさなか、ぼんやりしていたことを咎められたような気分になった。


「お前の用兵にも見るべきところはあります。ですがそれ以上に、お前はガルテリオ将軍の悪いところをそのまま受け継いでしまっているようですね」

「……え? 父の、悪いところ……ですか?」

「それを自覚しなければ、お前の成長はあるところで止まってしまうでしょう。何もかも父親を真似れば良いとは思わぬことです」


 女性のそれにしては低く、掠れていて、冷然とした声。その声に思わぬ糾弾をされ、ジェロディは立ち尽くした。

 ――父の悪いところ?

 この年老いた女将軍は、あの完全無欠のガルテリオにも欠点があると言っているのだろうか。だがジェロディには何も思い当たるところがない。自分が父を真似ようとしていることは認めるが、それはガルテリオこそが目指すべき完璧な存在だと考えているからだ。


 そのガルテリオの悪いところ――と言われても、ジェロディには見当もつかない。

 と言うより、この女将軍が父を見誤っているのではないだろうか? 近衛兵として長年ソルレカランテ城に引き籠もっている彼女に、遥か西の果てで命懸けの戦いを繰り広げている父の何が分かる?


 そう思ったら、ジェロディは自らの顔に勃然とした気色が上るのを抑えられなかった。自分の未熟さを指摘されるだけなら神妙に拝聴するが、父のことを悪し様に言われるのだけは我慢できない。

 そんなジェロディの感情の波を、気配で感じ取ったのかどうか。

 セレスタは馬上で再びすっと目を細めた――かと思えば驚くほど軽やかに馬の背を跨ぎ、丘の上へと着地する。


「剣を抜きなさい」


 鋼鉄の鎧をまとった――それも五十過ぎの老女とは思えぬほどしなやかな動き。

 それに目を奪われているうちに、セレスタが言った。ジェロディは耳を疑った。


「……え?」

「剣を抜きなさい、と言ったのです。ガルテリオ将軍やお前に足りないものとは何か――それを私が直々に教えて差し上げましょう」

「……! セレスタ将軍、それは」


 まったく事態についていけないジェロディに代わって、ハインツが口を挟んだ。ところがそんなハインツを、セレスタは眼光だけで押し留める。

 まるで茂みの向こうからこちらを覗く肉食獣けもののような、恐ろしいほどの殺気が乗った眼光だった。これにはさすがのハインツも怯んだようで、二の句を継げずにいる。セレスタはそれを確かめると、まず自らの剣に手をかけた。


「安心なさい。私の剣は、抜けば血を吸うまで収まらぬ先代おにの剣とは違います。軽く手合わせをするだけです」


 そう言ってすらりと抜かれた彼女の剣は、ぞっとするほど美しかった。

 ああ、そうか。獣の正体はそちらであったのか、と思うほど。

 それはまるで一匹の銀狼のように気高く、何人も寄せつけぬ剣だった。

 セレスタが腰に提げた白鞘から抜かれた剣は、その鍔から柄頭に至るまで、すべてが銀でできている。細身の刀身には何かの紋様――いや、あるいは文字か?――が刻まれているようで、剣の形をした芸術品だと言われたら頷かずにはおれないような造形美だ。


 ところが切っ先をぴたりとこちらへ向けられると、さすがに見惚れている場合ではなくなった。

 丘の麓で、兵たちがどよめく気配がする。ところがそんな彼らとは裏腹に、セレスタの供である数人の騎兵は落ち着き払った顔色でセレスタの白馬を後ろへ下げた。


「あ、あの、ハインツ隊長――」

「ジェロディ。剣を抜け」


 ――僕は一体どうすれば?

 そんなジェロディの問いを先読みしたように、ハインツが硬い声で言った。ジェロディは再び見えない鈍器で襲われたような気分になった。


「これよりセレスタ将軍が直々に剣術の指南をつけて下さる。またとない機会だ。将軍のご芳志を無下にするな」


 そんな馬鹿な。一介の下級士官風情が、大将軍から直々に剣術指南を賜るなんて聞いたことがない。

 ジェロディはそう抗議したい衝動に駆られたが、ハインツも言いたくて言っているわけでないことは分かっていた。彼はその表情に微かな当惑を乗せつつも、上官セレスタの命令には逆らえず、ゆっくりとジェロディたちから距離を取る。


 ごくり、と、唾が喉を下りていく音が、嘘みたいに大きく聞こえた。

 セレスタの剣は未だこちらを向いている。

 ジェロディは恐る恐る己の剣に手をかけた。


 カチリ、と、鞘口が音を立てる。


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