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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第2章 ジェロディという少年
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43.ヴィンツェンツィオ

「――断固として許せませんっ!」


 と、珍しく声を荒げたマリステアが、デカンタをダンッ!と食卓へ叩きつけた。

 その瞬間、美しい透かし彫りの中で暴れた葡萄酒が飛び上がる。

 直後、硝子の口から躍り出た液体がビシャッとガルテリオの顔にかかったのを見て、ジェロディ、ケリー、オーウェンの三人は「あっ」と思わず息を飲んだ。

 が、マリステアの憤慨は続く。どうやら彼女は怒りのあまり、視界の外で起きた大事件に気がついていないようだ。


「何なんですか、何なんですかそのマクラウドとかいう人は! 日夜命を懸けて国境を守っておられるガルテリオさま、ひいてはそのご子息であるティノさまにそんな無礼を働くだなんて、恥知らずにもほどがあります! そんな人が黄都の秩序を守る憲兵隊の隊長だなんて! たとえ許しの神ナーサーさまがお許しになったとしても、このマリステアは絶対に許しません!」

「い、いや、落ち着けマリー……気持ちは分かるがその前に、まずお前がとんでもない無礼を働いてるぞ?」

「え? 何のことです――ってきゃあああああっ!? が、ガルテリオさま!! 申し訳ございませんっ!!」

「うむ……」


 オーウェンの一言でようやく自分の失態に気づいたらしいマリステアは、慌てて取り出した手巾でせっせとガルテリオの顔を拭った。それが済むとひたすらぺこぺこ頭を下げて、赤面したまま部屋の隅まで引き下がる。

 そこは先日、竈神祭を締め括った屋敷の食堂。

 軍人として初めて城に登ったその日の晩、ジェロディは父のガルテリオと居候のケリー、オーウェンの四人で食卓を囲んでいた。


 今夜の夕食は薄切りされた赤茄子ポモドーロ乾酪チーズの前菜に黄金色のスープ、小海老のピラフとルージュソースがたっぷりかかった仔羊肉だ。

 それらはすべて地下の厨房でメイドたちが調理してくれていて、この屋敷には料理長と呼ばれるような役柄の者がいない。


 だから自然、ヴィンツェンツィオ家の食事は素朴で家庭的な味の料理が多いのだが、ジェロディは幼い頃から慣れ親しんだこの味が好きだった。

 ところが今夜ばかりはその食事もあまり喉を通らない。つい今朝方、城で我が身に降りかかった出来事を父に打ち明けているうちに、何だかまた気が重くなって食欲が失せてしまったのだ。


「しかし、それではヒュー兄弟に要らぬ迷惑をかけてしまったな。セドリックはともかく、ハインツがあとで皺寄せを受けなければ良いのだが」

「皺寄せ?」

「過去に色々と因縁があって、マクラウドは昔からヒュー家を目の敵にしているのだ。そのせいでやつは何かあるといちいちハインツに当たり散らす。対するハインツはあの性格だからな。無駄な争いを嫌って、何を言われてもはい、はいと頷くだけなので、やつとしても難癖をつけやすいのだろう」

「それじゃあ、僕のせいでハインツ隊長が――」


 ――あの趣味も性格も悪い憲兵隊長に、また余計な言いがかりをつけられるかもしれないのか。

 ジェロディはそう言葉を続けようとしたが、腹の底から冷たい何かが迫り上がってきて、それ以上何も言えなかった。今朝の出来事を思い返すと激しい後悔の念に晒されて、赧然とうつむくことしかできない。


 あのあとハインツは縮こまって謝罪するジェロディに「気にするな」と言い、あとのことは私が上手くやっておく、と約束してくれた。

 それでもなお「自分のせいでハインツ隊長のお立場が悪くなるのでは?」と心配すると、マクラウド殿とのいざこざは今に始まったことではないから大丈夫だ、と、笑ってそう言っていた。


 けれど本当は全然大丈夫なんかじゃなかったのだ。きっとハインツは右も左も分からないジェロディを不安にさせまいとああ言ってくれたのだろうが、あの一件のせいで彼が周囲の非難を浴びることになったらと思うと、ジェロディは明日からどんな顔で登城すればいいのか分からない。


「で、ですがそれはティノさまがお気に病まれることじゃありませんよ。元はと言えばそのマクラウドとかいう人が失礼なことを言ってきたのが悪いんです。なのにティノさまが一方的に責任を取らされるなんて――」

「マリステア」

「は、はい。何でしょう、ガルテリオさま?」

「ジェロディも成人して軍に仕官した以上、これからは私の息子ではなく一人の軍人として見られるのだ。ならばジェロディが起こした問題については、ジェロディが自分で責任を負わねばならない。それをいつまでも甘やかすな。困ったときはいつでも周りが助けてくれるなどと思わせては、ジェロディのためにもならん」

「も、申し訳ございません……」


 ガルテリオの声音はいつになく厳しく、恥じ入ったマリステアは再び部屋の隅へと引っ込んだ。

 途端にガルテリオの口から一つ、物憂げなため息が漏れる。彼は傍らに置かれていた葡萄酒を一口飲むと、食卓の上で燦然と輝く金色の燭台へ目をやった。


「とにかくハインツには明日、私から詫びを入れておく。ハインツは問題ないと言うだろうが、お前も明日出仕したら改めて謝罪しておくのだぞ、ジェロディ」

「はい……」

「ですが、ガル様。ガル様は明日の午前ひるまえにはもう黄都を発たれるのでは?」

「え?」


 と、ときに食事の手を止めて尋ねたケリーの一言で、食堂の空気ががらりと変わった。

 これにはジェロディも思わず顔を上げ、向かいに座る父を凝視する。が、そんなジェロディよりも早く戸惑いの声を発したのはマリステアの方だ。


「お、お待ち下さい、黄都を発たれるってどういうことですか? まさかもうグランサッソ城へお戻りになるわけじゃありませんよね?」

「いや、そのまさかだ。ちょうど今、その話をしようと思っていたところでな」

「そんな……!」


 マリステアは愕然と息を飲み、うろたえた様子でジェロディとガルテリオとを見比べた。しかし驚いているのはジェロディも同じだ。父が明日、しかも午前中に黄都を発つだなんて聞いてない。

 あまりにも急な話で、ジェロディは事態についていけなかった。西で何かあったのか、とも思ったが、その疑問はマリステアが代弁してくれる。


「で、でも、一体どうしてです? いつもなら年明けは一ヶ月ほど黄都に滞在していかれるじゃないですか。今年はまだ六聖日も明けたばかりだというのに……」

「うむ……実は西の情勢が、このところあまり思わしくないのだ。今の状況ではいつまたシャムシール砂王国が国境を侵しに来るとも分からん。そんなときに城主の私が長く不在にしているわけにもいかないだろう」

「ですが、砂王国は去年の秋にも攻めてきたばかりなのでしょう?」

「ああ。だがやつらには金泉きんせんの恩恵がある。国から上がってくる税金で軍費をやりくりせねばならない我が軍と違って、やつらの資金力は無尽蔵だ。ゆえに砂王国軍は疲弊というものを知らん」

「やつらの主戦力は金で雇われた傭兵だからね。どんなに兵を失おうと金さえあればすぐに補充できるし、物資も買い放題だ。だからやつらは何度やられようとすぐに引き返してくる。一度打ち払ったからしばらくは大丈夫、なんて常識が通用する相手じゃないんだよ」

「そ、それはそうかもしれませんが……」


 ケリーの説明を受けてもまだ納得がいかない様子で、マリステアはちらとジェロディへ目を向けてきた。

 もちろんジェロディとて、シャムシール砂王国がそういう・・・・国であることは知っている。彼らはラムルバハル砂漠に点在する金泉――砂の中から砂金が湧くという不思議な現象だ――を資金源とし、一国の常備軍にも匹敵する数の傭兵を率いて日夜戦に明け暮れているのだ。

 だから、彼らの動向を気にして父が西へ戻るというのは分かる。

 分かる、けれども……。


「それならそうと、どうしてもっと早く言ってくれなかったの? 父さんが明日発つと分かっていたら、僕だって……」

「いや、すまなかった。だが初出仕を控えたお前に余計なことを言って、気を乱したくなかったのだ。私が早々に西へ発つと知ったら、お前も気忙しくて任務どころではなかっただろう?」

「それはそうだけど……」


 ――ケリーやオーウェンはそれを知っていて、自分だけ知らされていなかった。二人は父の部下なのだから当然と言えば当然なのだが、ジェロディは何だかそれが腑に落ちなかった。

 というより、がっかりしたのだ。何しろ出立のことを何も聞かされていなかったジェロディは、今年も今月いっぱいくらいは父と共に黄都で過ごせるのだろうと思っていた。それがこんなにも早く発つなんて……。


 ジェロディもまた近衛軍の一士官となった今、父には訊きたいことがたくさんある。会えなかった半年の間に積もり積もった、話したいことも。

 そんなジェロディの落胆を見抜いたのだろう、ガルテリオは向かいで淡く苦笑すると、手にしていた食刀ナイフ食叉フォークを皿に置いて言う。


「出立の日取りを黙っていたことは詫びる。だが厳しいことを言ったのは、そういう事情があってのことだ。できれば私も新米士官のお前を傍で支えてやりたいが、明日からはそれも叶わなくなる」

「父さん……」

「お前ならもう分かっているはずだ。今の黄皇国はかつてのような一枚岩ではなくなった。だからこそ、お前はこれから自分の足で歩いてゆかねばならないのだ。この意味は分かるな?」

「……はい」


 ジェロディは椅子の上で姿勢を正し、神妙に頷いた。祖国くにのため、誰にも足元を掬われないように――父はそう言っているのだ。

 そのためには、むやみに人を頼ったり甘えたりできない。弱みを見せればきっとあのルシーンやマクラウドといった面々が喜んでそこにつけこんでくる。

 けれど、そんなことはさせるものか。ジェロディはこのガルテリオ・ヴィンツェンツィオの息子として、立派な軍人になってみせると決めたのだ。


「そこで、だ。別れの前に、お前に託していきたいものがいくつかある」

「託していきたいもの?」

「ああ。まあ、これは私からの就任祝いというやつだ。――ケリー」

「はい、ガル様」


 そこで名前を呼ばれたケリーが、食事を中断して席を立った。

 彼女はそのまま食卓を離れると、何を思ったか食器室の方へ去っていく。

 それから待つことしばし。

 やがて戻ってきたケリーの手には、一振りの剣が握られていた。

 全長十五アレー(一二五センチ)ほどの、細身の黒鞘。

 こじりや柄頭に銀の装飾があしらわれたその剣を、ジェロディはよく知っている。


「これ……父さんの剣?」

「ああ、そうだ。それはスミッツという名うての鍛冶師の作でな。この街でも一、二を争う凄腕の鍛冶師だったのだが、しばらく前に工房を引き払い、それきり行方が分からなくなってしまった。おかげで今ではその剣に十金貨シールもの値がついている」

「十金貨!? ふ、普通、これくらいの剣だったら高くても五金貨くらいじゃないの?」

「それだけ優れた剣だということだ。現に私も長い間その剣を愛用してきたが、未だ切れ味の鈍ることがない。それどころか戦いを経るごとに鋭さが増していくほどだ。その剣を、お前に譲ろうと思う」


 予想外の父の言葉に、うなじのあたりの毛が逆立った。そんなジェロディの驚愕を知ってか知らずか、ケリーが問題の剣を目の前に差し出してくる。

 けれどもジェロディは、すぐにはそれを受け取れなかった。十金貨もの価値を持つ長剣――それは紛れもない名剣なのだろうがそれ以前に、幾度となく戦場で父を助けてきた剣だ。


「そんな剣を、僕が……だけどそれじゃあ父さんが困るんじゃ?」

「私にはグランサッソ城主の任を拝したとき、陛下より賜った宝剣ケイサルがある。こちらもまたその剣に劣らぬ名剣だ。これまでは腰に佩くのも畏れ多いと鞘に収めたままだったが、今後はそちらを使っていくことにした。だからその剣は遠慮なくお前が使うといい」


 宝剣ケイサル――神々の言葉で〝皇帝〟を意味する黄金の剣。

 黄帝オルランドの信頼の証として、父が数年前にその剣を賜ったことは知っていた。ガルテリオはケイサルを戦場に伴うことこそなかったが、典礼などの際には必ずそれを腰に帯び、自らの忠義を示してきたのだ。

 父がこれからそのケイサルを相棒とするならば、この剣は主人を失くす。それなら……とジェロディは唾を飲み、ケリーに差し出された剣を受け取った。


 そうして両手に携えてみると、これが驚くほど軽い。刀身が普通の剣より細いということもあるが、それだけでは説明のつかない軽さだ。

 試しに柄を握ってみれば、それがまた不思議なくらい手に馴染む。わずかに鞘から引き出せば、刀身は鏡のように磨かれて、ほとんど新品同然に見えた。


 ジェロディはそれを矯めつ眇めつ眺めてから、最後にチン、と鞘へ戻す。

 そうすると、自然ため息が出た。

 父の愛剣がただの剣でないことは分かっていたが、これは確かに名剣だ。実際に使ってみなくとも、この剣が驚くべき切れ味と生き物のような生命力を帯びていることはジェロディにも分かる。


「使えそうか?」

「うん。下手をしたら僕の方が剣に使われそうだけど、何とか馴らしてみるよ」

「はは、それが分かるだけでも上出来だ。だが就任祝いはもう一つある」

「もう一つ?」


 この剣だけでも十分すぎるくらいなのに、とジェロディが目を丸くすれば、ガルテリオはふと意味深に笑った。

 父がこんな笑い方をするのは珍しく、ジェロディは思わずきょとんとする。するとガルテリオはもったいつけるように葡萄酒を口へ運んでから――不意に、ケリーとオーウェンへ目を向けた。


「ケリー、オーウェン」

「はい」

「二人とも、これまでよく働いてくれた。これからは息子をよろしく頼む」

「お任せ下さい、ガル様。俺もケリーもガル様の下にいた頃と変わらず、ティノ様をしっかりお支えしますよ」

「え?」


 唐突に交わされたガルテリオとオーウェンの会話に、ジェロディは頭がついていかなかった。

 ――これからは息子をよろしく頼む。父は今、そう言ったのか。

 その言葉が一体どういう意味なのか、ジェロディは理解するまでに必要以上の時間を要した。だが、今のオーウェンの口ぶりから考えるなら――


「と、父さん……まさか、もう一つの就任祝いって……」

「ああ。これよりケリーとオーウェンは、お前の部下として近衛軍で働くことになる。この二人ならばお前のことを幼い頃からよく知っているし、これからは良き先輩としてお前を導いてくれるだろう」

「……!」


 ガルテリオの口からはっきりそう言われても、ジェロディはすぐには信じられなかった。何せケリーもオーウェンも、もう十年近く父を支えてきた腹心だ。

 その二人が、これからは自分の部下になる――。

 ジェロディは驚愕のあまり言葉を失って二人を顧みた。そんなジェロディの反応を見て、ケリーたちは可笑しそうに笑っている。


「ティノ様、そんなに驚くことないでしょう? それとも俺たちじゃ力不足ですか?」

「ま、まさか! だけど二人が一度に抜けたりしたら、父さんの軍が……」

「それについては心配ない。我が軍も三年前にシグムンドが抜けて、その穴埋めに苦心惨憺してきたが、ようやく新たな将校が育ってきた。特にウィルとリナルドの成長には目を見張るものがある。あの二人なら、ケリーやオーウェンの後任として十分な働きをしてくれるだろう」

「そ、それじゃあこれからは、ケリーさんやオーウェンさんも黄都で過ごされるということですか? このお屋敷で、ティノさまと一緒に」

「ああ。そういうわけだから、改めてよろしく頼むよ、マリー。私はともかく、大食らいでだらしのないオーウェンがまた屋敷に住み着くとなっちゃ、あんたたちの仕事が増えて大変だろうけど」

「〝だらしない〟は余計だ、ケリー。グランサッソ城でだって、俺はそこまで女中たちに迷惑をかけた覚えはないぞ」

「それはあんたに自覚がないだけだろ? 非番の日なんか昼過ぎまで起きてこないもんだから、掃除の女中が部屋に入れなくて、結局いつも私があんたを叩き起こしに行ってたじゃないか」

「あっ、あれは、その……日頃人一倍熱心に働いてる反動、と言うかだな……」

「ほう。どうりで調練のない日は船を漕いでばかりいたわけだ。私はてっきり机仕事はやりたくないのかと思っていたが、そんなに疲労困憊するほど熱心に働いてくれていたのだな」

「うぐっ……も、申し訳ありませんでした……!」


 さすがにガルテリオの目は欺けないと判断したのだろう、ひれ伏すようにして謝罪するオーウェンに、皆がどっと笑いを零した。

 そんな家族のやりとりを見ているうちに、ジェロディはようやく実感が湧いてくる――明日からはケリーやオーウェンも共に近衛軍で。


 しかし二人は父の下で竜騎兵団を率いていた部将だ。それが明日から士長であるジェロディの部下になるということは、部将の階級を持ちながら兵長と同等の地位に甘んじるということになる。

 だのにケリーもオーウェンも、不満を漏らすどころかずいぶんと誇らしげだ。

 そんな二人だからこそ、父も彼らをここへ残すと決めてくれた――。

 そう思うとジェロディは胸が熱くなって、手の中の剣を握り締める。


「ありがとう、父さん。ケリーとオーウェンが傍にいてくれるなら、これ以上心強いことはないよ」

「うむ。お前も知ってのとおり、この二人は西で数々の死線をくぐり抜けてきた叩き上げの軍人だ。精鋭揃いの近衛軍にも、この二人ほど場数を踏んだ将校はそうはおるまい。ハインツも優れた指揮官であることは確かだが、手本は多いに越したことはないだろう。まずはこの二人とハインツから、将校とはかくあるべきという姿を徹底的に学ぶことだ」

「はい」


 父の力強い言葉を受けて、ジェロディは頷いた。近衛軍は実戦から最も遠い部隊だが、だからこそケリーやオーウェンのような歴戦の士が傍にいてくれるのは心強い。本物の戦場のにおい・・・を知る二人なら、まだ初陣の経験もないジェロディを的確に導いてくれるはずだ。

 そう思うと、にわかに血が沸き立った。さっきまであんなに落ち込んでいたのが嘘のようだった。

 そうだ。いつまでも気落ちしてはいられない。

 自分はこの〝勝利を約束された者ヴィンツェンツィオ〟の跡取りなのだから。


「ジェロディ。最後に言っておくが、軍人とはただ戦っていればいいというものではない。我々は剣を振るい、敵を打ち倒すための力を持っている。だがその力を誤った方向に使わぬよう、世の中というものに対して常に目を開いていなければならないのだ。いついかなるときも、己が眼を曇らせるな。お前なら私の言わんとしていることは分かるな?」

「はい、父さん」

「何が正しく、何が間違っているのか。お前もそれを見極められる男になれ。次に会うときお前がどんな目をしているのか、楽しみにしているぞ」


 父の微笑みに、ジェロディは頷き返した。それを見たガルテリオもまた深く頷き、一度は置いた銀の杯を再び手にして掲げ持つ。


「では、改めて乾杯をしようか。未来ある近衛軍士官殿に」

「トラモント黄皇国の繁栄に」


 父に応えて、ジェロディも手元の杯を掲げた。それに倣ってケリーやオーウェンも杯を掲げ、片隅でマリステアが微笑んでいる。

 明日からはまた父と別れ別れ――けれどその寂しさはもう消えていた。

 次にこの黄都で再会するとき、自分はどんな人間になっているだろうか。

 できることなら父に驚いてもらえるような、そんな人間になっていたい。




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