39.王と娼婦
高みに設けられたいくつもの窓から、陽光が斜めに射していた。
それは玉座から天へと伸びる、白い階のようにも見える。
その光を背に浴びて、矛を手に佇む兵士たち。背を伸ばし、顎を上げて整然と居並ぶ彼らの胸には、黄金竜を守護する剣の紋章――彼らは皇族の身辺を守る近衛軍の精鋭たちだ。
開け放たれた扉には沈みゆく太陽のレリーフ。その扉から玉座へまっすぐに伸びる深紅の絨毯。毛足の長いそれを一歩一歩踏み締めながら、ティノは父と共に光の中へ進み出た。
(――まるで東方金神会の大聖堂みたいだ)
と、ティノは思わず感嘆の声が漏れそうになるのをぐっとこらえる。
ちらりと目をやった謁見の間の天井は、ティノがよく礼拝へ行くあの大聖堂と見紛うほどに高い。人が両手の指先を合わせたような形のそれは、鳥瞰すれば美しく磨き上げられた剣鋒のごとく見えるはずだ。
その鋒を支えるのは二十二本の巨大な円柱。それらは紅い絨毯を挟んでずらりと並び、上部にそれぞれ二十二大神を表す彫刻が施されている。
つまりこの先にあるのは、神々に祝福された玉座。
ティノは自分たちの足音ばかりが響く大広間で、父と共にまずその玉座へと跪拝した。
歴代の黄帝たちが座り続けてきた黄金の玉座は、十九段を数える堆い階の上にある。何故十九段なのかと言うと、〝十九〟という数字は太陽神シェメッシュの神位を表す数字だからだ。
かつてその玉座には、この国を築いた太陽神の神子――偉大なる竜騎士フラヴィオも座していた。その隣に並ぶもう一つの金色の席には、彼の妃となった黄金竜オリアナが座っていたらしい。
もっとも現黄帝のオルランドは、正黄戦争の勃発と前後して正妃を亡くしているから、今となっては彼の隣に座す人はいないのだけれど――。
ティノは頭の片隅でそんなことを考えながら恭しく片膝をつき、そこに右手を預けて頭を垂れた。ここまで頭に乗せてきた鍔広の帽子は既に外し、左手で胸のあたりに押し抱いている。
そうして待つことしばし。
ついに奥の扉が開く音が聞こえた。そこからまず最初に現れた足音が、ゆっくりと威厳を持って十九段の階を上がっていく。
次いでぞろぞろとやってきた足音の中には、鎧の板金が触れ合う音や衣擦れの音が混じっていた。
扉はティノから見て左奥にあり、彼らはそのまままっすぐ進むと、高く伸びた壁の麓に整列した気配がある。
「――よく来た、ガルテリオ。そして隣にいるのは、ティノ・ヴィンツェンツィオだな」
やがて広間を包んだ、一瞬の静寂ののち。
突然頭上から低い男の声が降ってきて、あたりの空気がピリッと音を立てるのを、ティノは聞いた。確かに聞いた。
まるで地の底から突き上げてくるかのように、ずしりと腹に響く声。その余韻は広大な広間に反響して、黄金の雨のごとく降り注ぐ。
瞬間、ティノは震えた。体がではなく心がだ。
ああ――間違いない。
この声は、厳かでありながらすべてを包み込むようなこの声は、紛れもなくオルランド黄帝陛下……。
「限られた者だけの席だ。直答を許す」
「有り難き幸せ。元日ぶりに御意を得ます。ガルテリオ・ヴィンツェンツィオ、只今参上仕りました」
それに返した父の声もまた、まるで大地が王に応えたかのよう。
ティノは感激のまま玉座を降り仰ぎそうになるのを、必死でこらえた。皇族の許しもなく面を上げるなどもっての他だ。ましてやその竜顔を自分のような者が直視するなど。
「長旅の疲れは癒えたか、ガルテリオ」
「はっ。おかげさまを持ちまして、六聖日のうちに羽を伸ばし、すっかり精気が漲りましてございます。これでまたいつでも西へ舞い戻り、愚かなるシャムシール砂王国の蛮兵どもを蹴散らせるというものです」
「ははは、それは頼もしい限りだ。苦しゅうない。面を上げよ」
惜しみなく降り注ぐ鳳声を浴びながら、ティノはゆっくりと顔を上げた。
もちろん、顔を上げると言っても玉座を直接見上げはしない。父からは事前に「階の三段目あたりを見ていろ」と言われていたので、ティノは目だけで、一、二、三……と階を数え、そこで止まった。
「おお、ティノ。久しぶりだな。正黄戦争以来そなたの姿を見るのはこれが初めてだが、見違えた。どことなく若き日のガルテリオの面影があるな。そうは思わんか、セレスタ」
「御意」
短く答えたのは、やや嗄れた女の声だった。それを聞いたティノは左手に居並ぶ黄帝の近臣たちを盗み見て、微かに目を丸くする。
彼らの筆頭として列の先頭に佇む女。薄い鋼鉄の鎧をまとい、腰に一目で業物と分かる長剣を佩いたその女は、齢五十五、六くらい――つまり今のオルランドとそう変わりない年齢に見えた。
それでいて背筋はすっと伸び、切れ長の目はまっすぐ前だけを見つめている。ちょっと痩せているようにも見えるが背は高く、すらっとした体躯はまるで現役の剣士のようだ。
彼女の鎧の肩から下がった肩章には、トラモント近衛軍を表す紋章。ということは彼女こそが、黄帝の側近く仕える近衛軍の軍団長ということか。
まさかあんな年配の女性が軍団長を務めているなんて――と、ケリーのおかげで女性が剣を握ることに偏見を持たないティノでさえ、その事実にはいささか驚いてしまう。
しかし今は、いつまでも驚きに支配されている場合ではなかった。ティノはすぐさまセレスタと呼ばれた老齢の女剣士から目を逸らすと、再び階の三段目を見据えながら、言う。
「大変ご無沙汰しております、陛下。陛下におかれましては、最後にお会いした正黄戦争の頃より、いやましてご清栄のことと伺っております。こうして再びその謦咳に接することができましたこと、誠に幸甚の至りです」
「これは、姿だけでなく言うことまで立派になったな。いや、しかしそれも当然か。年が明けて、そなたもついに成人を迎えたのであろう」
「はい。おかげさまを持ちまして、私も当年取って十五歳となりました。これも十年前の内乱のおり、陛下がこの都を追われた私を匿い、導いて下さったからこそと衷心より感佩申し上げております。つきましては、いよいよそのご恩に報いるときが訪れたと愚考し、こうして御前を汚しに参った次第でございます」
今の目線の高さではオルランドの爪先さえも見えないが、それでもティノは、彼が玉座で鷹揚に頷いてくれたのを感じた。
途端に果てしない安堵がティノを包み、誰にも聞かれぬように息を漏らす。――決まりの口上は無事言えた。ここから先は父に任せれば大丈夫だ。
「ときに、ガルテリオよ。無事に成人を迎えたからには、そなたの息子にもいよいよ成名をつけてやらねばなるまいな」
「はい。その名については、既に私の胸の内にて決まっております。畏れながらこの場をお借りして、諸兄にその名をお触れしてもよろしゅうございましょうか」
「うむ。許す」
「畏れ入ります。それでは本日より、倅の名は以下のとおり改めさせていただきます――ジェロディ・ヴィンツェンツィオと」
――ジェロディ・ヴィンツェンツィオ。
それが自分の新しい名前。
自らの足で立ち、歩き出せる人間となった何よりの証。
ティノは父の口から告げられたその成名を、何度も胸の中で繰り返した。
ジェロディ。
ジェロディ・ヴィンツェンツィオ。
誰もが今日からティノをそう呼ぶ。
そう思うとたまらなく嬉しいような、それでいてこそばゆいような何とも言えない感情が込み上げてきて、ティノはわずかに口元を緩めた。
階上ではオルランドも、噛み締めるようにティノの新たな名前を口にする。
「ジェロディ――そうか、ジェロディか。実に良い名だ。この地に伝わる古き言葉で〝尤なる者〟を意味する名だな」
「はっ。恥ずかしながら私はそういった古語の類に疎く、この名は亡き妻が愚息を生んだときに定めました。いささか大それた名前ではありますが、その名に恥じぬ子に育ってほしいと、拙妻が切に願ってつけた名です」
刹那、ティノは頭を殴られたような衝撃を覚え、とっさに父を顧みた。ガルテリオは正面を見つめたまま微動だにしないが、息子の驚愕には気づいているはずだ。
十年前、正黄戦争の勃発と同時に偽帝軍の手にかかり、命を落としたティノの母――アンジェ。
彼女は当時、オルランドを連れて黄都から逐電したガルテリオの妻として身柄を拘束されるところだったが、そのまま人質とされることを拒み、フラヴィオ六世の兵と戦って討ち死にした。
その母と共に取り残されたティノが無事逃げおおせることができたのは、母が偽帝軍と戦って時間を稼ぎ、その隙にティノを逃がしてくれたからだ。
街中が混乱と恐怖に満たされていたあの日。それでもアンジェは気丈に微笑み、別れを拒むティノを抱き締めこう言った――いきなさい、と。
その母が自分につけてくれた名前。そんな名前を大事に隠し持っていたなんて、父は今まで一度も話してくれなかった。
――それもすべてはこの日のためか。
そう思うとティノは何だか笑えてきて、同時に泣き出しそうになる。
ありがとう、母さん――。
「そうか。あのアンジェが遺した名か。ならば今後はよりいっそう己を磨き、亡き母の願いを叶えねばならぬな、ジェロディよ」
「はい、陛下」
「して、ガルテリオよ。先日の申し出では、ジェロディもまたそなたと同じく、武官として国に仕えることを望んでいる、ということであったな」
「はっ。成人したばかりの若輩者ではありますが、陛下より賜りました過日のご恩に報いたいという想いは、本人も人一倍強いようで――」
「――ですが、陛下。いくら『常勝の獅子』の名を恣にするガルテリオ将軍のご子息とは言え、ジェロディちゃんはまだこんなボウヤですのよ。それを成人の歳に達したからと言ってすぐさま戦場に放り込むだなんて、あまりに酷なお話じゃなくて?」
そのとき突如として響き渡ったその声に、ティノはぎょっとした。それまで胸の内を満たしていた感激はサッと消え、変わりに困惑と驚きがティノを支配する。
ゆえにティノは自らの意思と関係なく、とっさにぱっと顔を上げて、声のした方を振り向いてしまった。
その先にはあのセレスタを筆頭とする黄帝の近臣たちが佇立していて、そこから一人の女が進み出る。
その姿を一言で表するならば――まさに、妖艶。
顎を引き、上目遣いにこちらを見つめ、瞳を細めたその女は、真っ赤な唇を弓形に歪めていた。
人はそれを〝微笑〟と呼ぶのだろうが、ティノが知るその言葉で形容するには、女はあまりにも妖しすぎる。
その身を飾るのは上質の絹と紗を合わせ、首もとに貂のものと思しき毛皮をあしらった紫のドレス。しかしそのドレスの裾には、脚の付け根まで達するほどの大胆な裂け目が走っている。
どこか高級娼婦を彷彿とさせる、実に破廉恥で場違いな衣装。そんなものを身にまとって現れた謎の女は、カツカツと履物の踵を鳴らしてティノの傍までやってくるや、「ふふっ」と紫幻石の瞳を細めて笑った。
「思ったとおり。かわいらしいボウヤね」
その唇から零れ落ちたのは、ねっとりと甘ったるい声。それが耳に滑り込んでくるのとほぼ同時に、ティノはクイッと顎を持ち上げられて、いよいよ困惑の極みに達した。
何せ女がティノの顎に当てているのは己の指先ではなく、彼女が手にした細い煙管だ。その小さな火皿から漂う、脳髄を痺れさせるような甘い匂いが、ティノからまともな思考を奪う。
――何なんだ、この女は。
突然の事態に唖然としながら、しかしティノはその場を動けなかった。目の前にあるのはぞっとするほど美しい女の顔と、わざと見せつけているとしか思えない豊満な胸の谷間。
歳は二十六か二十七、それくらいだろうか。彼女は真紅の紅を塗った唇から甘く蠱惑的な吐息を漏らし、若いティノを惑わせる。
おまけにその肌は驚くほど肌理細やかで、触れたら掌が吸いつきそうだった。だから自然、ティノの視線もそこに釘づけになって、
「――ルシーン様、陛下の御前です。たとえ戯れであっても、そのようなお振る舞いは許されませんぞ」
と、ほどなく響いた父の声で我に返った。
まるで深い眠りから覚めたように、はっとしたティノは床に膝をついたまま女から距離を取る。と言ってもほんの半歩ほど後退しただけだが、ルシーンと呼ばれた女はそれを見て煙管を差し出していた手を引いた。
そうして改めて背筋を伸ばすや、その視線は隣のガルテリオへと向けられる。直立したままの彼女は跪いたガルテリオを見下ろして、再び妖しい笑みを刻んだ――明らかに含みのある顔で。
「相変わらずお堅いのね、ガルテリオ将軍。私はこの堅苦しい空気を少しばかり和ませようとしただけじゃないの」
「そのようなお心遣いは、謁見の場には不要です。この城へいらして既に六年になるというのに、貴女は未だ公の場でのお振る舞いを弁えておられぬと見える」
「あらあら、手厳しいこと。そんな風に面と向かって貴重なご意見を下さるのは、黄皇国広しと言えど今やあなただけよ、将軍。本当に恐れ知らずな方なのね」
「仰る意味が分かりかねます」
「なら今夜寝台の中でよく考えてみて。あなたみたいな丈夫が、眠る前に私の姿を思い描いて身悶えるのかと思うとゾクゾクしちゃうわ」
「ルシーン様」
「ああ、怒らないでね。私はただ、あなたの大切なボウヤの行く末を心配しているだけよ。こんな小さなお体じゃ、たとえ戦場へ出したとしても、すぐに竜人どもの餌食になるのがオチじゃなくて?」
「お言葉ですが、そのようなことまで貴女に案じていただく必要はございません。聞けば近頃ルシーン様は、後宮にまつわることならいざ知らず、政や軍事にまで口を挟んでおられるとか。いくら陛下のご寵愛を賜っている身とは言え、貴女にそこまでの権限はないのではございませんか」
「まあ、口を挟むとは人聞きの悪い。私はただ善意から〝ここはこうした方がよろしいのではなくて?〟という意見を口にしているだけよ。それを容れるか容れないかは諸兄の問題であって、それこそあなたにとやかく言われる筋合いはないわ」
「これ、ルシーン。そのくらいにせんか」
そのとき響いたオルランドの声が、まるで真剣同士の斬り合いにも似た二人の口論を終わらせた。ルシーンは不満げに階の上を顧みたが、オルランドは目だけで「下がれ」と命じ、次いでガルテリオへと視線を送る。
「ガルテリオも、どうかこの娘の戯れを許してやってくれ。ルシーンはちと奔放が過ぎるが、これで悪気はないのだ。気を悪くしないでほしい」
「……御意」
ガルテリオは更に何か言い募りたいのをこらえ、どうにか頭を下げたように、ティノには見えた。
が、その段になってようやくティノは重大なことに気づく。ルシーンの突拍子もない言動に振り回され、すっかり意識から飛んでいたが、自分はまだ黄帝の御前にいるのだ。
だのにぽかんとしたまま見上げてしまった玉座の上には――こちらを見つめる、黄昏の王の姿。
瞬間、我に返ったティノは慌てて顔を伏せた。しかしティノの見間違いでなければ今、確かにオルランドの紫黒色の瞳と目が合った――ような気がする。
途端にどっと嫌な汗が噴き出してきた。
八年前よりも明らかに老いた顔立ち。撫でつけられた暗褐色の髪と伸びた口髭。赤い宝石が嵌め込まれた金の儀杖に、白い毛皮の外套をまとった姿――。
たった今目にしたばかりのその姿がぐるぐると脳内を巡り、ティノは動揺を隠しきれなかった。
黄帝の姿を直視してしまったこともそうだが、それにしてもあのお姿は――見なりこそきちんとされているものの、ティノが知る八年前の彼よりずいぶんとお痩せになった。
それどころか、あの頃その威容に備わっていたはずの覇気や皇族としての輝きは、その一切が肉と共に削げ落ちてしまっている。
――あれが本当にあのオルランド陛下なのか?
ティノの視線は忙しなく赤い絨毯の上を滑った。
いや、だが最初に階上から降ってきたあの声は、紛れもなくティノの知るオルランド・レ・バルダッサーレのものだ。
ならば八年という歳月が、彼をあんなにも変えてしまったというのか? それとも自分の見間違いか?
そうだ、きっとそうに違いない。だってあれではまるで〝金色王〟というよりも、枯れ果てた樹木のような――。
「陛下。私は気分が優れませんわ。せっかくお招きいただいた席ですけれど、奥に引き取らせていただいても構いませんかしら」
と、ときに響いたルシーンの声が、ティノの肩をびくりと震わせた。
……まさか黄帝から呼ばれて来た席を、そんな理由で中座するとは。先程までの彼女の言動を見ていれば〝気分が悪い〟なんて明らかな仮病だと誰もが分かる。
けれども壁際に並んだ黄臣たちはまったく我関せずという顔で、一人としてルシーンを咎める者はいなかった。それどころかオルランドさえ、
「おお、そうか。それは心配だな。誰でもいい、奥の者に言いつけて医者を呼べ。ガルテリオとの話が終わったら、私もすぐに行く」
などと戯言のようなことを言い、ルシーンの自儘を許す有り様だ。
「お待ちしておりますわ、陛下。なるべく早くお越しになって、私を慰めて下さいましね」
黄帝から直々に許可を得たルシーンは、最後にそう言って笑顔と色香を振りまくと、踵を鳴らして後宮へと消えた。
そのとき隣で跪拝したガルテリオが、深々と嘆息を零したのをティノは聞く。恐らくティノ以外の誰にも聞こえてはいないだろうが、じっと階を見つめたガルテリオの横顔は、背筋が凍るほどに険しい。
「すまんな、ガルテリオ。気を悪くしただろう。せっかくのめでたい席だ、どうせならルシーンにも一目そなたの息子を見せてやろうと思ったのだが、どうも体調が優れなかったようだ。やけに気が立っていたのもそのせいだろう」
「もったいなきお言葉。ですがルシーン様のことは、陛下から謝辞を賜るようなことではございません。……私も少々口が過ぎました。愚息のことに口を出され、年甲斐もなく頭に血を上らせてしまったようです」
「ははは、そなたのような者でも平静を欠くことがあるのだな。だが今回の件は、ルシーンに事の詳細を伝えていなかった私にも非がある。――ジェロディよ」
「は、はい」
「そなたには明日より、我が直属の近衛軍の一員として働いてもらう。これは既にガルテリオとの合意の上で決めたことだ。祖国のため、これからはそなたの父のようにその力を尽くしてくれるな?」
本日何度目になるか分からない衝撃が、ティノの思考を殴り倒した。
おかげで頭の中が真っ白になり、ティノはもう一度父を顧みる。
――自分の所属が近衛軍?
そんな話は聞いていない。
それどころか自分はずっと、国に仕官した暁には、父と共に西の辺境で戦えるのだと――。
「どうした、ジェロディ?」
ところが事態は、そんな驚きと戸惑いが収まるのを待ってはくれなかった。
ティノはオルランドから返答を求められ、またも視線を泳がせる。それから救いを求めるように父へ一瞥を向け、
「父さん――」
「ジェロディ。陛下の御前だ」
説明を求めようとしたティノに返ってきたのは、すべてを拒絶するような父の短い言葉だった。彼は依然階の三段目を見据えたまま、我が子を一顧だにもしようとしない。それは先のルシーンとの口論ですっかり気分を害したから――というのだけが理由ではないだろう。
だからティノは考える。近衛軍士官になるということは、黄皇国軍内でも特に栄誉あることだ。何しろ黄帝の信頼を得て、その身辺を警護することを許されるということなのだから。
けれども近衛軍は常に黄帝の傍にあり、黄帝の身に何か危険が迫らない限りは出動しない。日頃の任務はこの王城の警備であり、精鋭中の精鋭と言えども実際に戦場へ出て戦う機会は一生に一度あるかどうかだろう。
そのような軍に、自分が……。
父だって、自分が戦場へ出て戦うことを望んでいると知っているのに。
なのに、どうして――。
ティノは顔を伏せたままぎゅっと目を瞑り、乱れそうになる呼吸を整えた。
それから深々とオルランドに対して頭を垂れ、どうにか言葉を絞り出す。
「こ……光栄です、陛下。まさか私のような若輩者を、名誉ある近衛軍の一員に引き立てていただけるとは……」
「何、そなたは他でもないガルテリオの息子だ。此度の配属は、そのそなたならきっと優秀な士官として私に仕えてくれるだろうと見込んでのこと。初めは慣れぬことも多いだろうが、そなたの上官には心きいた者を選んである。安心して明日からの任務に臨むが良い」
期待しているぞ、と最後に付け足して、ほどなくオルランドは玉座を辞した。ティノはそのオルランドが奥へと引き取るまで、身を低くしてじっと息を詰めている。
しかしオルランドが去り、続いて近臣たちが退出しても、ティノはしばらく頭を上げることができなかった。
主が去った黄金の間に、空虚な静寂が満ちている。