35.彼は最後にそう言った
イークがカミラに遅れてチッタ・エテルナのロビーへ下りると、帳場にいたカールが声をかけてきた。
ロビーには現在、イークとカール以外に人影はない。朝食の時間はとうに過ぎて、しかし昼時と呼ぶにはまだ早く、宿を発つ者は既に出た、そんな空白の時間帯だ。
カールはいつもその時間に宿帳を整理したり、様々の帳簿をつけたりと亭主としての仕事に勤しんでいるのだが、三階から下りてきたイークを見るや「あっ」とにわかにその手を止めた。
それから「地下へ下りるんですか?」と尋ねられ、イークは素直に「そうだ」と答える。するとカールはちょっとホッとした様子で、「実はお願いがありまして……」と、急に帳台の裏をあさり始めた。
「さっきカミラちゃんが上から下りてきたときに、渡そうと思っていたものがあるんですけどね。彼女、下りてきたと思ったらすごい勢いで走っていっちゃったんで、呼び止める暇がなくて。それで代わりにイークさんにお願いしたいんですけど……」
「なんだ、そんなことか。けど何だ、あいつに渡したいものって?」
「ちょっと待って下さいね。確か先日いらしたお客さんから預かってこの辺に……あ、そう言えばイークさん、カミラちゃんと北で何かありました?」
「あ? いや、別に大したことじゃ……」
「ははあ、なるほど。そのご様子だと無事に仲直りされましたか。いやぁ、良かった良かった。若人同士が互いに愛を育む様は見ていて微笑ましいですよねぇ。私ももう少し若ければお二人の間に割って入って、更にフィロメーナ様とアルド君も巻き込んだ四角……いや、五角関係をエンジョイ――」
「カール。お前がこないだ道具屋の女店員に鼻の下を伸ばしてたこと、嫁さんに伝えるぞ」
「――あったぁ! ハイ、ありましたぁ! これですこれ、これをカミラちゃんに渡して下さい!」
しばらく帳台の裏を探していたカールだったが、彼は絶妙のタイミングでそれを見つけると、素早くイークの前へ差し出してきた。
イークはそれを受け取って眉をひそめる。カールが差し出してきたのは何の変哲もない――手紙だ。亜麻紙製の封筒に入れられた、一通の。
「あいつに手紙? 一体誰から……って――」
と、その封筒をひっくり返し、差出人の名を確かめたところでイークは絶句する。そこに記されていたのは、イークもよく知る人物の名だった。
――アクリャ。
カミラやイークの故郷であるルミジャフタ、そこに住まうキニチ族の族長トラトアニの一人娘。
郷ではカミラと特に仲がよく、まるで実の姉妹のように育った少女の名だ。
「なんでここにアクリャから手紙が? まさかあいつ、郷に救世軍のことを報せたんじゃ――」
「あっ、ちょ、ちょっと、イークさん!? 勝手に開けちゃっていいんですか!?」
喫驚した様子のカールの制止も聞かず、イークは受け取った封筒の封を躊躇なく切った。もしもカミラが族長たちに救世軍の内情や本部のことを報せていたら一大事だと思ったからだ。
だが慌てて取り出した用箋に目を滑らせてみると、そこには一人で郷を飛び出したカミラの身を案じる言葉やイークの生存を喜ぶ言葉、そして郷やアクリャの近況が記されているばかりで救世軍の名は一つも出てこなかった。
――さすがにカミラもそこまで馬鹿じゃないか……。
それを確かめてイークは内心ホッと息をつく。
いや、イークもカミラを馬鹿だと思っているわけではないのだが、あのお転婆娘は昔から突拍子もないことをしでかすので目が離せないのだ。
傍目には型破りに見えるその言動も、本人にはちゃんと考えがあってやっているらしいので、自分が心配しすぎなだけだということはイークにも分かっているのだけれど。
(だとしてもあいつにもしものことがあったら、エリクや親父さんに会わせる顔が――)
と、そんなことを考えながら目を落とした先で、イークは不穏な文字を見た。
それはアクリャが手紙の最後に記した追伸。
――それと、エリクの消息についてはこちらも相変わらず手がかりありません。何か分かったらまた手紙を書きます。良い知らせでも悪い知らせでも、必ず――。
「……。おい、カール」
「何です?」
「情報収集を頼んでた例の件だが、あれから何か進展は?」
「ああ、カミラちゃんのお兄さんのことですよね? それがまったく手がかりナシで……」
「こっちもか……」
イークは憂鬱なため息と共に手の中の用箋を折り畳む。この手紙を届けたら、カミラがどんな顔をするか。それを想像するだけで、イークまで胸が塞ぎそうだ。
エリクと共に郷を出て三年。
いや、あと六ヶ月ほどで丸四年になるが、彼が未だにクィンヌムの儀から生還していないという事実がイークにはまだ信じられなかった。
エリクは同じ年頃の若者の中でも特に優れた戦士だったし、頭もキレる。何より妹のカミラを一人残して、いつまでも郷の外をほっつき歩いているようなやつじゃない。
エリクは不幸な事件で父親を亡くしてからというもの、まるでカミラだけが生き甲斐だと言わんばかりに彼女を溺愛していた。最愛の人であり人生の目標でもあった父を失った心の穴を、そうすることでしか埋められなかったからだろう。
そしてカミラもまた、そんなエリクの愛情に全身全霊で応えた。二人は〝前世で恋人同士だったんじゃないか〟と揶揄されるほど仲睦まじい兄妹で、イークはそんな二人の姿をずっと傍で見ていたからこそ、なおさらこの三年の空白が腑に落ちなかった。
(あいつがカミラをほったらかしたまま三年も戻らないなんて、そんなことは有り得ない。だとしたら、あいつは――)
手の中の封筒へ目を落とし、最悪の筋書きを思い描きそうになったところでイークはすぐに首を振る。
いいや、それこそ有り得ない。エリクがカミラを遺して逝くなんて。
だが三年前のあの日、グアテマヤンの森を抜け、西へ行くという彼と別れたときのことをイークは今でも覚えている。
この儀式を終えたらまた郷で会おうと誓い合ったあと、エリクがふと告げた言葉――。
『なあ、イーク。この旅の途中で俺にもしものことがあったら、そのときは――』
彼は最後にそう言った。
あの言葉を思い出すと胸が騒いで、イークは知らず手の中の封筒を握り締める。
(これ以上あいつを待たせるなよ、エリク……)
別れ際に見た親友の顔が目に浮かんだ。
きっとまた会えると無邪気に信じ、手を振り合ったあの日の笑顔だった。
イークはその残像を、ため息と共に胸の奥へ収い込む。
最後に聞いた、彼の遺言めいた言葉と共に――。
(第1章・完)
ここまでお付き合いいただき大変ありがとうございました。
次章より第2主人公・ジェロディ編となります。
しばらく主役交替となりますが、途中で救世軍の面々も登場する予定です。
お気に召しました方は、引き続きどうぞよろしくお願いします。
また、拍手や感想を下さった皆様ありがとうございました。
大変励みになっております。今後も大歓迎です。第2章も頑張ります。




